私も確かに不勉強なもので,「B層」という言葉があるのを最近になって知りました。この言葉のデビューは,平成17年のことのようです。ウィキペディアによりますと,「B層」とは,郵政民営化の広報企画にあたって小泉政権の主な支持基盤として想定された,「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」のことを指すようです。
そして,この概念は,小泉内閣が進める郵政民営化政策に関する宣伝企画の立案を内閣府から受注した広告会社「スリード」が,小泉政権の主な支持基盤として想定した概念のようで,この会社の企画書には,「B層」の定義として「IQが比較的低くかつ構造改革に中立ないし肯定的な層」をいい,主に主婦や教育レベルの低い若年層,高齢者層を指すとしていました。考えてみれば,IQのことを問題にしたり,レベルを低いと言ったり,大変失礼な分類,定義の仕方です。
ただ,その当否はともかくとして,マスゴミ,いやマスコミが垂れ流す偏向的な情報や扇情的なキャッチフレーズに踊らされ,確かに劇場型のワン・フレーズ・ポリティックスが幅を利かせ,その後の2009年8月の総選挙では,雪崩を打つような「B層」的な投票行動で,史上最悪の民主党政権が誕生しました(笑)。「民主党 やらせてみれば この始末」です(笑)。「よくは分からないけど,なんとなく良さげだな・・・」という安易な感覚で投票行動をしてしまう有権者の傾向は,最近は特に顕著であることは否定できないと思います。恐ろしいことです。時間もなく,一日の労働で疲れてはおりますが,日本の将来のために有権者はもっともっと勉強し,情報リテラシーを高める必要があると思います。自戒を込めて(笑)。先日,娘のあかねちゃんと世間話をしておりましたら,彼女の通う大学でも「情報リテラシー」という科目があり,選択したようです。頑張ってちょうだいね(笑)。
この文脈で次のようなことを申しますのは少し違うのかもしれませんが,わが愛すべき日本という国は,昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効によって主権を回復し,もう60年も経とうとしているのに,相変わらず「普通の国」になることすらできていません。三島由紀夫が「私の中の二十五年」という寄稿文で述べた次の言葉は,世に対する警鐘として私の中では今でも輝いているし,これからは世の中でもっと輝くべきだと思うのです。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代りに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」