我が栄光の巨人軍,とうとうセ・リーグの首位に立ちました。・・・定位置です。しかもめでたい私の誕生日に(笑)。当然に我が家で祝杯を上げました。
お酒もほどほどにしておかないと・・・。ただ,このブログを読んでいただいている方々の中には,よほど私が酒飲みと思われている向きもあろうかと思いますが,実際には1週間に3日ほどは休肝日を設けているのですよ。ところで,これは以前にもこのブログで書いたかもしれませんが,お酒を飲んだ晩はよく眠れるかというと,体験的には必ずしもそうではなく,かえって夜中に目が覚めることもあり,睡眠の質が高まるとは思えません。むしろお酒を飲んでいない夜の方が睡眠の質が良いように思います。さる文献にもそんなことが書いてありました。
そうそう,数日前でしたか,その晩はお酒を飲んだので午前3時ころに目が覚めてしまいました。トイレに立った後,ちょっとテレビのスイッチを付けてみたら,政治家として私が最も嫌いな一人で,政治家として認めたくもない菅直人という人がテレビで報道されておりました。国会での東電福島原発事故調査委員会における参考人聴取を終えた数日後に,この人間はある講演会で「脱原発」を力説し,市民運動家上がりらしく,さかんにアジって(扇動して)おりました。唾棄すべき民主党政権のうちに,この人物は,あろうことか,そしてこともあろうに日本国の首相にまでなってしまいました(苦笑)。私が思うに,将来的には国民が選択すれば「脱原発」でよいのでしょうが,現在の為政者としての責任は,それを実現するまでの間の日本経済が問題なく維持,発展していけるように,国益を損なわないように,その電力確保等についての明確かつ実現可能なビジョンを打ち立て,これを実行していくことでしょう。この菅という人は,ただ「脱原発」をアジっているだけです。過去も,そして現在までも一貫して単なる市民運動家に過ぎないのです。とうてい為政者などと呼べる代物ではありません。
産経新聞の署名記事のうち,署名者として私が最も評価しているのは田村秀男(編集委員),阿比留瑠比(政治部記者)の両氏ですが,6月3日の産経新聞朝刊の阿比留氏の署名記事は大変面白かったのです。その記事の見出しは「危機に最も不適格な菅前首相」というものでした(笑)。5月28日の参考人聴取における菅という人の,まことに卑怯な(武士道の対極にあります),独善的な,見苦しい言い訳・弁解の数々は酷いものでした。この記事の中には,東日本大震災の直後から首相官邸に助言・提案を行っていた上原春男・元佐賀大学長のコメント内容が引用されております。そのコメントは「よくもまあ、日本国民もこんなばかな首相をいただいたものだ。私の知る限り、歴史上最低の首相じゃないですか。」というものです(笑)。快哉・・・快哉を叫ぶとはこのことです。危機にあってこそ冷静な対応を求められる一国の首相たる立場にありながら,この菅という人は,真摯な姿勢で提言を続ける上原氏との会話の中で,突然「なにいっ!」と激高して,日本語かどうかも聞き取れない言葉で延々とわめき散らしたといいます。この上原さんは,古くは福田赳夫氏から最近は安倍晋三氏まで,多くの首相からエネルギー政策全般について意見を求められてきた方ですが,菅という人にはあきれ果てたといいます(笑)。
この菅という人物は,福島第一原発事故の際,その必要もないのに現場に乗り込んで行ってかえって現場を混乱させ,有効な打開策実行の遅れの元凶となっていたにもかかわらず,件の参考人聴取において,「現場の考え方や見方を知る上で、顔と名前が一致したことは極めて大きなことだった」とのたまっています(爆笑)。「顔と名前の一致」ですって。・・・もう論外です。繰り返しますが,参考人聴取における菅という人のまことに卑怯な,独善的な,見苦しい言い訳・弁解,「記憶にない」の連発,責任転嫁の数々は酷いものでした。
この署名記事を書いた阿比留記者のさらにその前の産経新聞朝刊の記事も出色の出来で,ニーチェの言葉が見事に的確に引用されております。その引用されたニーチェの言葉というのは次のようなものでした。
「『それは私がしたことだ』と私の記憶は言う。『それを私がしたはずがない』・・・・と私の矜持は言い、しかも頑として譲らない。結局・・・・記憶が譲歩する」