7月28日は,私が心からその音楽を愛するヨハン・セバスティアン・バッハの命日であります。今から262年前にライプツィヒで亡くなりました。毎年この日にはバッハの音楽をしみじみと聴くなどして過ごすのですが,今年はこのうだるような暑さでヘトヘトになってしまったのと,ロンドンオリンピックの方に関心がいってしまいました(笑)。
さて,女子サッカーは開会式前から頑張ってますね。カナダを破り,その後強敵スウェーデンにも引き分け,勝ち点を積み上げております。ただ,対スウェーデン戦を観ていて思ったのですが,なでしこジャパンは明らかに研究され,対策されております。昨年のワールドカップのように優勝を手にするには相当な困難が横たわっているのではないでしょうか。
なでしこジャパンの今のキャプテンは宮間あや選手です。新聞報道もされておりましたが,彼女は対カナダ戦開始直前,円陣を組んだ選手全員に対して,「みんなに大切な思いがあって、大切な人もいる。6試合をお互いのために戦おう。」と言って勇気づけたそうです。試合後の佐々木則夫監督のコメントは,「(この言葉を聞いて)僕もジーンときて涙が出そうだった。泣いている選手もいたしね。」というものでした。これはどうでもいいことですが,テレビでその佐々木監督のコメントを聞いて,今度はテレビの前でうちのカミさんが泣いていたことを,娘のあかねちゃんが私に暴露したのです(笑)。
いずれにしても,宮間選手のあの言葉は選手の士気を鼓舞するには最高の言葉でしょう。キャプテンシーというものが備わっておりますね。昨年のワールドカップ決勝戦で勝敗が決まった直後,うなだれる米国選手の下にすぐに歩み寄って敬意を表した行為はスポーツマンシップの模範として世界的な評価を受けたのです。武士道でいう「惻隠の情」です。
さてそれにしても日本柔道はどうなってしまったのでしょうか。個々の選手は頑張ったのですから,労いたいと思います。ただ我が日本としては,柔道の世界では何としても金メダルが欲しい。立ち技でも寝技でも,「ああ,やはり日本は凄いな。」と思わせるような切れのある技を臆することなく見せて欲しいのですよ。積極的にね。かけ逃げや極端な防御姿勢で時間稼ぎをするような外国人選手に対しては,見事な一本勝ちをして欲しいのです。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也著,新潮社)という本を読んだ影響かもしれませんが,やはり日本柔道は世界に冠たる存在であって欲しい。史上最強の柔道家といわれる木村政彦には牛島辰熊という師匠が,また,岩釣兼生というこれまたその当時最強をうたわれた柔道家には木村政彦という師匠がそれぞれおりました。精神面を含めて,勝負の要諦というものを弟子や選手に伝える「師匠」がいつも存在していなければならないと思います。
日本柔道の復活を切に希望するものであります。
あのー,このクソ暑いのに人の文章など読みたくない,と思われるかもしれませんが,お付き合いください。
「岸信介証言録」(原彬久編著,毎日新聞社)という本を読んでしまいました。感動しました。岸信介という政治家については様々な評価があるでしょうが,その確固たる信念に基づいて国のために身を賭した立派な政治家だと私は思います。最近では,民主党のいろいろな連中が,いとも簡単に「身を賭して」などと軽々しく連発していますが,本当に噴飯ものです。政治家には何よりもこの岸信介のような国家観と確固たる信念がなければなりません。
あんまり簡単に総括してしまうのはよくないとは思いますが,政治家としての岸信介の功績は,何と言ってもこの日本を真の独立国家たらしめる目的で行った「保守合同」と「安保改定」でしょう。本当はこれに加えて,「憲法改正」まで行いたかったのでしょうが・・・。「保守合同」というのは,いうまでもなく自由党と日本民主党との保守合同による自由民主党の創設,「安保改定」というのは,その時点で可能な限りの当事者対等を前提とした日米安全保障条約の改定のことです。安全保障の枠組みの選択としては,やはり岸信介の判断に誤りはなかったと思います。
この1960年の安保改定の際には,国会議事堂や首相官邸は凄い数のデモ隊や群衆に取り囲まれ,6月19日午前零時に新条約自然承認となる日の晩は,首相官邸に閉じ込められた形になった首相岸信介は実弟の佐藤栄作(当時蔵相)と二人きりでその晩を過ごし,「とにかく殺されればここ以外ないじゃないか。」などと言って,死を覚悟したといいます。そして,「安保改定」を果たした岸首相は,その後ほどなくして退陣表明をします。実際に内閣総辞職となったのは7月15日ですが,その前日の14日,岸信介は暴漢に刺され,瀕死の重傷を負っています。命がけだったのです。岸信介は「新安保条約を完全に成立せしめることが自分の使命であって、それさえ達成すれば、後はいろいろやる人がいるわけだからね。ただしかし、安保条約を有効に成立せしめるのは、日本で俺一人しかいないんだと、殺されようが何されようが、これをやることが日本のために絶対必要であると思っていました。」と発言しております(同書297頁)。
岸信介の座右の銘といいますか,好きな言葉(いずれも孟子の言葉)がやはり同書では紹介されております(345頁)。
「至誠にして動かざる者は、未だ之(これ)有らざるなり」(完全な誠の心があれば、人を動かし得ないものは未だかつてない)
「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾往(われゆ)かん」(反省してやましいところがなければ、千万人の反対があっても自分の道を進もう)
久しぶりに感動した本でした。自由民主党の安倍晋三代議士は,この岸信介さんの外孫です。安倍晋三さんの首相在任は1年ほどの短さではありましたが,その極めて短い間に彼がやり遂げた功績をマスゴミ,いやマスコミはあまり評価していないのか,伝えようとしません。①教育基本法の改正,②防衛庁の防衛省昇格,③憲法改正国民投票法の制定などです。どれもこれも重要で必要なことばかりではありませんか。その覚悟の度合いには違いはあっても(笑),安倍晋三さんは政治家としての岸信介さんを目指しているのでしょう。今の自由民主党の幹事長をはじめ,このままでは同党に期待したくても期待できません。やはり安倍晋三のような方々が頑張ってくれなければね。
ゴルフの世界4大メジャー大会は,マスターズ,全米オープン,全英オープン,全米プロゴルフ選手権ですが,この週末は全英オープンの中継をつまみ食いのように観ておりました。いつも思うのですが,全英オープンというのは観ていて独特のスリルがありますね。蛸壺のようなバンカーに入ってしまうと大変です。ボールが前の壁に近いと横に脱出するしかなく,完全に1打損します。ライによっては1打の損で済まないこともあります。フェアウェイを外してしまいますと,時にはアンプレヤブル宣言をせざるを得ないブッシュに入ったり,草むらに入ったりします。要するに,逆転の要素が大いにあって,やっている選手にとっては気が気でないでしょう。精神的にタフでなければなりません。この大会を5回も制しているトム・ワトソンという人は本当に精神的に強いのでしょうね。
今年の全英オープンの最終日の18番ホールのアダム・スコット(オーストラリア)には心から同情してしまいました。この日のスタート前には2位以下に大差をつけていて,楽勝ではないかと思われていたのに,15番から17番まで連続でボギーをたたき,18番に臨む段階では,既に一度全英オープンを制しているアーニー・エルス(南アフリカ)に並ばれていました。スコットとしては,この18番を最低でもパーで凌がなければプレイオフに進むことができない状況でした。このアダム・スコットという選手は,さわやかで男前もよく,マナーもよかったので20歳そこそこの時から応援しておりました。もう32歳ですから,メジャーの一つも獲りたいところだったでしょうね。
観ている方もドキドキの18番のティーショットを,彼は不運にも例の蛸壺バンカーに入れてしまいます。それもライが悪い。出すだけでした。彼としては第3打をピンの近くに寄せて何とかパーをキープしなければ負けが確定します。本当に可哀想にと思っていましたら,彼も素晴らしい。第3打を割とピンに近い所に寄せ,パーが狙える状況を作ります。精神的に強いなと思いました。感動しました。「入れろよ。」と心から応援していたのに,結局はその大事なパーパットを惜しくも外し,2位となってしまったのです。
全英オープンというのは,こういうシーンが多いですね。このアダム・スコットの逆転による惜敗を観て思い出したのは,1999年の全英オープンのジャン・バンデベルデの悲劇です。彼は18番の段階で2位に3打差をつけていたにもかかわらず,深いラフやクリーク(小川)に入れてあろうことかトリプルボギーを叩いてしまい,これに引き続くプレイオフで敗れたのです。
何かしら,全英オープンというのは人生模様を見せてくれているようです。マスターズとはまた違った感動があります。
炎天をいただいて 乞ひ歩く 山頭火
梅雨が明けました。しかし,初老の我が身にはとても辛い炎天が頭上に広がっております。ちょっと厳しい季節ですね。思えば,漂泊の俳人,種田山頭火が行乞の旅に出るようになったのは彼が40歳を少し過ぎてからでした。炎天下での行乞は並大抵の覚悟ではできなかったでしょう。
その日の晩,ちゃんと木賃宿で宿泊できるかどうかはその日のもらい(喜捨)の量によります。宿泊できるだけのもらい(喜捨)がなければ,蚊に悩まされながらの野宿になります。炎天下で一歩,一歩,歩を進める山頭火は何を思いながら行乞を続けていたのでしょうか。
へうへうとして 水を味はう 山頭火
これも私の好きな句です。これは昭和8年10月の句ですから,さすがに炎天下ではないのでしょうが,行乞の旅の途上で味わう水は,さぞ美味しかったでしょう。
飲みたい水が 音たててゐた 山頭火
これは正に梅雨明けの炎天の頃の作句でしょう。山頭火の行乞の姿や美味い水を味わう様子が浮かんできます。炎天下での辛いと思われる行乞の旅の途上でも,それなりの覚悟を決めた山頭火の精神的余裕を感じさせる次の句も私は好きなのです。私も何とか頑張らねばなりません。
日ざかりの お地蔵様の顔がにこにこ
この3連休の最終日はゴルフでした。この暑いのに本当に大丈夫だろうかと不安だったのですが,無事に18ホールをこなしました。まだまだ私もそこそこ元気です(笑)。
私は車でゴルフ場まで行き来する際には,よくバッハの教会カンタータを聴きます。気分が鎮まるのです。バッハの教会カンタータを聴きますと,行きはワクワクしたゴルフ気分を少し抑制して落ち着かせることができますし,帰りは酷いスコアに打ちひしがれていても,癒やされるのです。
その日のゴルフ場の帰り道,車内で聴いた曲に思わず心を奪われ,繰り返し,繰り返し聴いてしまいました。バッハの教会カンタータ第162番「ああ、われは見たり、いまや婚礼におもむくとき」の第1曲の素晴らしさ。これは全6曲から成っているのですが,第1曲目のそのメロディーの美しさは本当に感動ものなのです。なお,終曲の6曲目には「人はすべて死ななければならない」という印象的なコラールが配置されています。この極めて美しいメロディーの第1曲についての音楽評論家加藤浩子さんの解説を紹介します。
「第1曲は、バスの独唱によるアリア(ロ短調、4/4拍子)。婚宴に赴こうとする「われ」が、安息と災い、天国と地獄のせめぎ合うさまを目のあたりにし、それを乗り越える勇気を与えたまえとイエスに祈る。通奏低音は8分音符の音型を奏で続けて婚宴に赴く者の歩みを表し、スライド・トランペットがその歩みを力づけるように寄り添う。天の光輝と「せめぎあう」地獄の「業火」が16分音符の細かい動きで引き伸ばされて強調され、最後はイエスに救いを求める切なる声が繰り返されて、曲を閉じる。」(バッハ全集4「教会カンタータ[4]271頁,小学館)
この第162番「ああ、われは見たり、いまや婚礼におもむくとき」の全体は,天国に入ることを婚宴に招かれることにたとえ,しかしそこに招かれるためにはふさわしい礼服が必要なのだと説く、当日の福音書聖句(書簡エフェソ,福音書マタイ)に準じた内容になっております。確かに,ダンテ「神曲」に登場するウェルギリウスほどの人でも,洗礼を受けていないばっかりに,ダンテを天国まで道案内することはできませんでしたね。婚宴(天国)に赴くにはしかるべき礼服(信仰)が必要だという内容のカンタータです。
それにしてもですよ,この第1曲のメロディーの美しさには,思わず目頭が熱くなってしまいました(ゴルフのスコアが悪かったからではありません)。本当にバッハの音楽は素晴らしい。この曲はバッハのヴァイマール時代の成立とされていますから,30歳そこそこの時代の作品です。バッハの教会カンタータは約200曲ありますが,この第162番の第1曲のように,思わず繰り返し,繰り返し聴きたくなるような珠玉の作品がちりばめられております。
梅雨の真っ最中なのだから仕方ないのかもしれませんが,各地で豪雨となっております。特に熊本県や大分県では今までに経験したことのないような雨の量のようです。被災された方々には心からお見舞い申し上げ,くれぐれも備え怠りのないように。特に熊本県には私の親族も住んでおりますので心配なことです。
さて,7月11日には小沢新党が立ち上がりましたね。「国民の生活が第一」という党名のようです。結成メンバーは衆議院議員37人,参議院議員12人の合計49人です。世論調査によると,この小沢新党に期待している人はごく僅かで,約8割の人は期待していないようです。私も勿論その一人です(笑)。唾棄すべき民主党政権が一刻も早くその政権の座から転がり落ちることこそ日本の国益に資することになると痛切に思っているこの私が,その民主党の詐欺のようなマニフェストにさらに忠実で原理主義的な小沢新党などに期待する訳がありません(笑)。
はっきり申し上げて,テレビ画面に映る小沢一郎という人の顔を見ていると,もう痛々しいという感じがいたします。もう終わっているんですよ。将棋で言えば,「詰んでいる」状態です。何よりもあの気持ち悪い作り笑いが生理的にいやですし,離党届を預からなくては結束が維持できないようではね。小沢新党のメンバーである衆議院議員37人のうち当選1回議員が24人に達し,さらにこの24人のうちの12人は比例区からの当選です。小選挙区での実績が認められてではなく,平成21年のあの「政権交代」や政党名の風に乗って当選を果たした人達であるに過ぎません(小選挙区で落選して比例で復活した人も少なくないのです)。同様に,参議院議員12人のうち8人は比例当選組です。何を言いたいのかというと,解散総選挙によって小沢新党の公認を受けたこの衆議院議員の人達のほとんどは,再び国会議事堂に戻ってくることは無理だろうと思うのです。参議院議員にしても同様でしょう。
タンポポの種子は頭に綿毛(冠毛)が付いていて,風が吹くとフワフワとどこかへ飛んでいってしまいます。まずは衆議院の解散風が吹きますと,こういった人達はそれっきりになってしまうのではないかと思ってしまうのです。ですから私としては,小沢一郎という人やこれに雷同しているこういった当選1回の議員の姿を見ていると,痛々しくなってしまうのです。
もうこの辺でやめようと思ったのですが,あと一言。
この小沢新党は,「消費増税反対」,「脱原発」,「復興優先」などといかにも俗耳に入りやすいことを基本方針に挙げていますが,財源はどうするんですか?GDPを稼ぎ出す源泉である企業活動に支障のない代替エネルギーはどのように確保するのですか?小沢さんは岩手県選出議員ですが,政権与党の重鎮として復興のための陣頭指揮を地元でおとりになっていたのですか?・・・・
「毛沢東 大躍進秘録」(楊継縄著,伊藤正・田口佐紀子・多田麻美訳,文藝春秋)という本を読み終えました。ちょっと時間がかかりましたけどね。だって568ページのボリュームですし,何しろ各ページが2段組になっていますから,1000ページ以上読んでしまった感があります。でも内容が大変濃く,この本の序章の第三項の見出しにあるとおり,毛沢東が指導・実行した「大躍進」なるものは,人類史上最悪の惨劇だったことは間違いありません。
中国共産党の毛沢東は,経済面でアメリカやイギリスを追い越そうとして,1957年から前例のない実験に着手しました。「公共食堂」なるものを作って家庭での食事を否定し,生産だけでなく消費や生活に至る全ての面で「公有化」を目指し,この政策が「大躍進」と呼ばれました。毛沢東は「共産主義下で家庭は消滅する」と嘯き,これを推進しようとしたのです。その結果,農民を中心として推定でも約3600万人もの人々が餓死しました。約3600万人です・・・。壮大な失敗だったのです。この本は,「大躍進」の被害者であるこれらの餓死者に対する「墓標」としての意味があります。
この本には「大躍進」の問題点や当時の実態が,中国共産党がひた隠しにする資料に基づいて詳細に記述され,中国国内では発禁となっています。「大躍進」の問題点や当時の実態として指摘されたのは主として次のような点です(読後,思いついたまま書いてみます)。
・毛沢東やこれに迎合する取り巻きの幹部連中が,どだい無理な生産目標を設定する。
・各省や地方政府の上層部は,やはり政権中枢に迎合する形で,しかも他の地域と競争する形でこれまた到底無理な生産目標を設定する。
・農民は本来の農業生産だけでなく,途方もなく大規模な利水事業等の労役にかり出され,また粗末な炉を作って使い物にならない鉄の生産まで余儀なくされ(当然その材料として各戸にあったなけなしの鍋,釜などの金属類を供出させられ),疲弊します。
・また生産現場では「密植」なるとんでもない指導などがなされ,各地方では農業生産量が減少しますが,各地方政府幹部は処分を恐れ,あるいは自己の評価を上げようとして,実際の生産高とはほど遠い過大な生産があった旨の虚偽の報告をします。実際にはありもしない生産高を他と競って虚偽の報告をすることを「衛星を打ち上げる」と表現されていました。
・共産党中央は,各地方から上がってくる虚偽,過大な報告を真に受け,各地方に対して,これを前提とした過大な農産物買い上げノルマを課してしまいます。しかし実際の生産量は虚偽の報告を大きく下回っていますから,買い上げようにも物理的に無理なのです。でも地方幹部らは,自己保身からノルマの達成を目指して,農民に対してなけなしの生産物を供出するように苛烈な要求をし,これを拒む者は「反革命分子」などとして批判闘争にかけられ,殴る蹴るなどの暴行や拷問を受け,数え切れないほどの数の農民らが殺されました。
・党中央への報告とは異なり,実際には農業生産量が低い訳ですから,「公共食堂」における食料供給が次第にできなくなり,機能停止,解散となって餓死者が続出します。親が一人ずつ子供を殺してその人肉を食べたり,土中に埋められた死体を掘り起こしてその肉を食べるなどの凄惨な事態があちこちで発生します。
・このような餓死者続出の情報は少しずつ党中央にも伝わり,「大躍進」政策の調整が検討されますが,結局は「廬山会議」で正論を主張した彭徳懐らが粛清されてしまい,基本的にはこの政策の維持が決定され,毛沢東自身,餓死者の続出という事実を認めようとはしませんでした。
・もともとの政策の誤りがあったのですから,その後も餓死者は続出し,1960年の春から秋にかけてがそのピークでした。この本の第十章の見出しどおり「毛沢東への忠誠度と餓死者の数は比例する」状況でした。ようやく1962年の「七千人大会」で劉少奇が勇気をもって毛沢東に諫言するなどして,「大躍進」は徐々に収束しますが,毛沢東は劉少奇に恨みをもち,彼を「実権派(走資派)」などと呼んで追い落としの機会を待ち,最終的にはあの凄惨な「文化大革命」の発動によって劉少奇を粛清するのです。
最後に,訳者である伊藤正氏の巻末の解説を引用しておきます。
「楊氏は本書執筆のため、新華社記者の特権を使い、全国一七省の内部資料や関係者の証言を入手した。その結果、驚くべき悲劇の実態が明らかになった。一九五八年から五年間の餓死者は推計三六○○万人に上り、その大半が農民だった。都市や工業建設の資金を確保するため、食糧供出の過大なノルマを農民に課した結果だった。本書では、他人の死体を掘り起こしたり、子どもを殺したりして飢えをしのぐ地獄図さえ描く。その一方で、幹部たちが宴を張り、贅沢の限りをつくしていたことも明らかにされている。こうした悲劇が起こった究極の原因について楊氏は毛沢東を絶対的権力者とした極権制度に求め、少数の権力者が労少なく最大の果実を享受する不公平な体制は現代に引き継がれているものの、市場経済の発展により、民主主義制に変わる日は近いと予測している。」
平成23年10月,大津市内の中学2年生の男子が飛び降り自殺をした事件が報道されていますが,本当にやり切れないという思いがあります。私が特に怒りを感じたのは,大津市教育委員会による記者会見の内容です。はっきり言いまして,記者会見に臨んだ面々の顔はどれもこれも非常に醜悪でした。事なかれ主義と,自己保身,卑怯というものが全面に表れていました。
新聞報道では,この自殺事件直後には,全校生徒(859人)を対象にして,本件に関する「暴力」,「いじめ」についてのアンケート調査が実施され,伝聞を含めて227件の「暴力」,「いじめ」に関する証言が得られていたというではないですか。しかもその回答内容は生々しく,トイレで殴る蹴るの暴行を受けたり,首を絞められたり,教科書をビリビリに破られたり,口の中にハチやカエルを入れられたり,万引きを強要されたり,そして自殺の練習までさせられていたという回答もあったといいます。挙げ句に,担任の教師がこのような実態を現認しながら形ばかりの注意をしただけで,あとは一緒になって笑っていたという証言まであるのです。
私が知りたい一つ目の点は,このようなアンケート結果を前提として,当該中学校関係者や大津市教育委員会がどのような調査をし,その調査によってどのような情報を得,最終的にどのような理由で「自殺との因果関係はない」と帰結したのかということです。理不尽にも殴る蹴るの暴力を振るわれ,ハチやカエルを口に入れられ,教科書をビリビリにされ,万引きを強要され,挙げ句に自殺の練習までさせられたら,多感な少年が発作的に自死を選んでしまうということは,十分に考えられるのです。推測でものを言ってはいけませんが,アンケート実施後は生徒には事実上の箝口令のようなものがしかれていたという情報もありますし,アンケート結果のごく一部しか公表されなかったことからすると,学校関係者や教育委員会の面々が事なかれ主義,自己保身に走ったのだと思います。
私が知りたい二つ目の点は,アンケート結果に表れたような生々しい場面の目撃談や伝聞情報があったくらいですから,被害生徒が自殺に追い込まれる前の時点で担任教師をはじめ,学校側がそのような実態を本当に把握できなかったのか,一部できていたとしてもそれほど深刻なものとは受け止めていなかったのか,それとも見て見ぬふりをしていたのか,ということです。もし後者だとしたら,教職者としてはあるまじきことです。
私が知りたい三つ目の点は,いじめの加害者生徒(状況からして「いじめ」が全くなかったとは到底いえないでしょう)は,親からどのような家庭教育を受け,どのような躾を受けてきたのかということです。端的に言いますと,「共感」という感情を育むような環境に置かれていたのかということです。共感とは,他者と喜怒哀楽の感情を共有すること,またその感情をいい,通常は人間に本能的に備わっているものです。例えば,ある人が酷い目に遭っているような時,「辛いだろうな。」,「可哀想だな。」,「何とか助けてあげたいな。」というような感情です。こういう共感という感情,情操は,通常ならばもともと人間に備わっているとはいうものの,さらに家庭教育で育んでいかなければならないものです。
いずれにしても,この事件は既に民事訴訟が提起されております。この訴訟の中で真相が明らかにされるべきです。それにしてもこういった事件は残念ながらあとを絶ちません。学校関係者や教育員会関係者には襟を正して欲しいと思っておりますし,彼らこそ「共感」という感情を取り戻して欲しいと思います。
このブログでもよく登場する会津藩の「什の掟」の中には,「一、ひきょうなふるまいをしてはなりませぬ」,「一、弱いものをいじめてはなりませぬ」とあります。また,薩摩藩伝統の郷中教育の指導の中に「弱いものいじめをするな」とあります。武士道のわが日本には,昔から卑怯を憎む心があります。親や教師は,現在でも家庭教育や学校教育でこういったことを実践,指導していく必要があると思います。
まだ梅雨は明けていないのに,この暑さは何なのでしょうか。この先が思いやられます。夏の暑い季節は苦手です。髪や頭皮にも過酷な環境のようですし・・・(笑)。
暑いせいでもありましょうが,本日も極めてまとまりのない話をぶちまけたいと存じます。最近私は,自宅では黒酢,職場ではもろみ酢を適量飲んでおります。ぼーっとしながらテレビを見ておりましたら,アミノ酸の重要性が分かったような気がしたからです(笑)。アミノ酸というのは,全ての生命現象をつかさどっているタンパク質の基本構成単位ですし,20種類のアミノ酸の中でも9種類の,いわゆる必須アミノ酸というのは人体内で生成されないため,外部から摂取せざるを得ないということです。もちろん必須アミノ酸の摂取にしても,バランスよく行う必要があり,今の私は黒酢ともろみ酢を試しております。
さて,まとまりのない話のついでに,民主党幹事長の輿石という人の顔のことについて申し述べます(笑)。子供の頃から親からは「人の顔のことは余り言わない方がいい」と諭されてきました。自分だってとてもイケメンとはいえませんし,そういうことよりも顔の良し悪し(美醜)は自分ではどうしようもない面があるからでしょうね。でもこの輿石という人の顔は,電波に乗るべきそれではありません。少し前までは輿石という人の顔を見ると,パブロフの条件反射のように(笑),しゃれこうべを連想しておりましたが,今では梅干しのたねを連想します。私は梅干しは好きで,たねだけが残った状態になりますと,元気で体調の良い時は,若干もろくなった歯で噛み割り,中の芯を食べるのが好きで,得意技としております。でも,輿石という人の顔から梅干しのたねを連想し始めてからは,やっておりません。あの顔をしゃぶれと命令されたら,死んだ方がましです(爆笑)。実は顔もさることながら,この人物の政治屋としての立ち居振る舞い,政治信条そのもの,そしてテレビ画面から窺われる狭量,傲岸不遜にイヤ気がさしているのだと思います。
ついでに,ホントに民主党にはこんな人しかいないのかと以前から思っていた人物に,原口一博という人がいます。テレビ露出度が多く,いつもその場限りの言説を弄しているなという印象をずっともっていました。要するに信用できないタイプです。この人は平成23年6月1日に野党が提出した菅内閣不信任決議案について,菅内閣についてネガティブな評価をした上で「不信任案を野党が出したといえども賛成します」,「・・・僕にも覚悟がある」と言っておきながら,その舌の根も乾かぬ翌日の採決では否決に回り,記者団の質問には「野党の不信任案に乗るなんて邪道」と臆面もなく述べております(爆笑)。そしていわゆる尖閣問題が生じた際には,議員を募って視察等に行っておりますが,それっきりです・・・(笑)。そして先般の消費増税法案の採決では「棄権」に回っているのです。要するに,この人は,よく言えば機を見るに敏,悪くいえば世間の俗耳に入りやすいこと,世間受けすること,自分にとって損のないことを絶えず追求している日和見主義者というしかありません。あー,今日も残業かー,と嘆きながら,それじゃあ自分へのご褒美だということで昨日事務所近くのソバ屋でカツ丼を食べましたが,そこで読んだ週刊誌では,原口一博議員のニックネームについて触れてありました。サッカーボールだったら球体ですから,そのボールがどういうふうに転がるか大体予測がつきますわね。でもラグビーボールというのは,ああいう変わった形をしていますから,着地した後はどっちの方向へ飛んでいくのか,転がっていくのは予測がつきませんね。原口という議員の定着したニックネームは,「政界のラグビーボール」なんですって(爆笑)。
日曜日の産経新聞に,「この本と出会った」というコーナーで現横浜市長の林文子さんが書かれた記事がありました。これまでの自分の人生を振り返り,本,文学作品というものの素晴らしさについて体験的に述べられ,そして日本人が持つ豊かな感性がちりばめられた作品として,永井荷風の「墨東綺譚」に言及されています(すみません,「ぼく」という字は墨の前に氵があります)。
この記事の中では,「カバヤ文庫」のことが書かれていました。林文子さんは小学校に入って熱中したのが,昭和27年から29年まで続いた「カバヤ文庫」だったそうです。1箱10円のキャラメルを買うと,中に券が入っていて50点集めると本が1冊もらえたそうです。この「カバヤ文庫」では,「しらゆきひめ」や「レ・ミゼラブル」などの世界文学が子供向けに翻訳されていたので,子供達は集める楽しさと作品に触れられる興味で一杯だったのでしょう。
どうです。昭和らしいですよね。私も母から10円をせびって,よく近所の駄菓子屋さんまで嬉々として走って行ったものです。石ころに蹴躓いて,転んで膝をすりむいた記憶もあります(笑)。ただ,さすがにこの「カバヤ文庫」の企画は私も知りませんでした。昭和29年には廃刊になったようですから,まだ私も生まれていないからです。でもカバヤという名前にピンと来ました。カバヤ食品のお菓子は私も知っていますし,キャラメルや「ジューC」という清涼菓子はよく食べた記憶があるからです。懐かしいです(笑)。
1箱10円のカバヤキャラメルを買うと中に券が入っていて,50点集めると本が1冊もらえる・・・。しかも,世界の名作などが子供向けに翻訳されたものが。素晴らしい企画じゃありませんか。確かに営業面からすれば,これはあくまでも販売促進(販促)活動の一環なのでしょうが,もらえる品物が健全で,ためになりますよね。これで時代を担う少年少女が多くの文学作品に触れるという貴重な機会が提供される訳ですから。モバゲーやグリーのようなゲーム,「コンプガチャ」よりもね(笑)。今では,国民の所得水準も当時の比ではありませんし,欲しい本があれば直ぐに小遣いで買えるでしょう。でも,こういう「カバヤ文庫」のような企画や指向性は日本的で大切にしたいと思うのですよ。
それにしても,子供ながらにカバヤというのはお菓子屋さんにしては変な名前だなと思っていたのですが,どうやらカバヤという名前の由来は,戦後間もない頃に創業されたことから,平和を愛し,おとなしい動物であるというイメージを持つカバから採られたようです(笑)。