炎天をいただいて 乞ひ歩く 山頭火
梅雨が明けました。しかし,初老の我が身にはとても辛い炎天が頭上に広がっております。ちょっと厳しい季節ですね。思えば,漂泊の俳人,種田山頭火が行乞の旅に出るようになったのは彼が40歳を少し過ぎてからでした。炎天下での行乞は並大抵の覚悟ではできなかったでしょう。
その日の晩,ちゃんと木賃宿で宿泊できるかどうかはその日のもらい(喜捨)の量によります。宿泊できるだけのもらい(喜捨)がなければ,蚊に悩まされながらの野宿になります。炎天下で一歩,一歩,歩を進める山頭火は何を思いながら行乞を続けていたのでしょうか。
へうへうとして 水を味はう 山頭火
これも私の好きな句です。これは昭和8年10月の句ですから,さすがに炎天下ではないのでしょうが,行乞の旅の途上で味わう水は,さぞ美味しかったでしょう。
飲みたい水が 音たててゐた 山頭火
これは正に梅雨明けの炎天の頃の作句でしょう。山頭火の行乞の姿や美味い水を味わう様子が浮かんできます。炎天下での辛いと思われる行乞の旅の途上でも,それなりの覚悟を決めた山頭火の精神的余裕を感じさせる次の句も私は好きなのです。私も何とか頑張らねばなりません。
日ざかりの お地蔵様の顔がにこにこ