そのピアニストの奏でる音色は極めて柔らかく,美しく,癒やされます。ほんの少しの間だけでも,実際に聴いてみればそのことを実感できるでしょう。イタリアのマリア・ティーポという女流ピアニストの名はご存じでしょうか。
マリア・ティーポは,1931年の生まれですから誕生日がくればもう81歳です。17歳のとき,ジュネーブ国際ピアノコンクールで1位を獲得し,その後は精力的に演奏活動を展開しました。ただ,1962年以降はそれまでの過密なスケジュールによる活動には終止符を打ち,録音や音楽教師としての活躍が中心ということになります。彼女は「ナポリの女ホロヴィッツ」の異名まで冠せられるように,国際的にも高い評価を得てきました。
私はティーポのCDは2枚組のやつを1つだけ持っております(輸入盤)。やはり少し古い録音ではありますが,1枚目はバッハのゴルトベルク変奏曲の全曲が入ったやつで,2枚目はやはりバッハの半音階的幻想曲とフーガ,イタリア協奏曲,「主よ人の望みの喜びよ」などが入ったやつです。私は,ゴルトベルク変奏曲は,特に第1変奏と第30変奏が好きで,ティーポの第30変奏などを聴いておりますと,涙が出てきますね。曲自体のせいかもしれませんが,佳い演奏です。同じ曲(第30変奏)を聴いていても,グレン・グールドの演奏はマニエリスムの極致といいますか,鋭くて気が抜けないところがありますが,ティーポのそれは,バッハにしてはロマンティック過ぎるかもしれないものの,とても癒やされるのです。こういうゴルトベルク変奏曲があってもいい。
ティーポの演奏については,バッハもさることながら,スカルラッティやクレメンティの曲も大変定評があります。1955年にわずか4時間で録音したスカルラッティの12曲のピアノソナタ集のLPレコードは「ニューズウィーク」誌において「今年最も優れたレコード」と絶賛されました。今度はスカルラッティのソナタ集のCDを手に入れてじっくりと聴いてみたいと思っております。
それと・・・マリア・ティーポの若い頃の美貌。これはなかなかのものですよ。スウェーデン出身のグレタ・ガルボという名女優がおりましたが,ガルボのような完璧かつ少し冷たい感じのする美貌とは違い,それよりも少し穏やかで優しい感じの美貌です。
このブログでもたびたび登場するのですが,福田恆存という評論家・劇作家をご存知でしょうか。先週土曜日の讀賣新聞の「編集手帳」の中ではこの福田恆存さんのことについて触れられていました。
福田恆存さんは,「編集手帳」が指摘するように,「戦後民主主義」の御輿(みこし)をかつぐ進歩派を批判した保守の論客です。丸山真男や清水幾太郎などの進歩的文化人や左翼思想にうなされていた学生,さらには月刊誌「世界」で展開されていたような議論の欺瞞性に対して,鋭く切り込んでいったのです。当時の多勢に無勢の状況下では相当に勇気のいることだったでしょう。
今,この福田恆存という保守の論客の著作,対談集を読んでみても,つくづく説得力があり,腑に落ちるのです。つい一週間ほど前に,「福田恆存対談・座談集 〈第四巻〉世相を斬る」(玉川大学出版部)という本を読み終えたばかりだったのですが,その中でも特に印象に残った面白い箇所がありましたので,引用します(面白くて感心する箇所はふんだんにあるのですが,特に面白かったのです)。
「そうですね。東大の小林直樹という憲法学者とか、大江健三郎・・・ほかに二三人出たと思いますが、いつの憲法記念日だったか、NHKで座談会をやったことがある。その後でめしを食ったとき、『小林さん、そんなこといったって、もし日本が他国から攻撃されたらどうしますか』といった。『他国ってどこだ』ときくから、その頃はソ連より中国のほうが切実なものがあったので、『たとえば中国』とこたえた。すると『アメリカが助けてくれますよ』(笑)そういう左翼ですよ、みんな。」
思わず吹き出してしまいました。いかに福田恆存さんの方が国家観というものがしっかりとしていて,事態に真正面から向き合って誠実であるか,道徳的であるかということがよくわかるエピソードでしょう。大江健三郎なる人は,最近では反原発・再稼働反対のデモを指導し,相当にお盛んのようですが,かつては(1968年5月28日の講演において),「核開発は必要だということについてぼくはまったく賛成です。このエネルギー源を人類の生命の新しい要素にくわえることについて反対したいとは決して思わない」と発言しているのですよ。転向されたのですね(笑)。それにこの大江健三郎という人は,1958年6月25日の毎日新聞夕刊のコラム内で「ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。」という暴論を述べています。こんな大勢の反日,左翼の連中の中で,福田恆存さんは奮闘していたのです。
この日の「編集手帳」の内容は特に面白く,昔の作家は出版社からよく前借りをしたそうで,大岡昇平,吉田健一,福田恆存の三氏は文壇三大〝前借り名人〟の異名をとったそうです。特に福田恆存さんの場合は,返済目論見書まで持参したそうです(笑)。さすがは論客だけあって,理詰めの前借り交渉です。その福田さんも18年前に亡くなり,今年は生誕100年です。
さきほど私が一週間前に読み終えた本の中での話によると,福田恆存さんは小林秀雄さんと同様,作家の中では泉鏡花を高く評価しているそうです。その対談の当時でも,暇があれば泉鏡花を読みたいと思っていたそうです。私は泉鏡花は読んだことがありませぬ故,どのような世界なのか今度読んでみようと思います。
ある国が急に外交面で攻撃的,強硬に出るのは,実はその国の内政面での問題が山積し,国民の政府に対する不満を外にそらすためだと説明されることがあります。確かに,特に中国や韓国,北朝鮮といった特定アジアの国々のこれまでの外交面での行動を見ておりますと,そういう面があることは間違いないでしょう。でもこういった説明は,その国の内政に問題があってのことだから大目に見てやりなさいという論に結びつきやすく,妥当ではありません。私としても韓国大統領の今回の竹島上陸という暴挙や,天皇陛下に対する暴言は極めて非礼で常軌を逸しており,絶対に許せません。日本政府としても毅然とした対応をすべきです。日韓通貨スワップ協定など破棄してもわが日本には何のデメリットもありませんし,ましてやウォンなどといった通貨はハードカレンシー(国際決済通貨)でも何でもなく(日本円はもちろんハードカレンシーです),あろうことかウォン建で韓国国債を買うなどといったばかなことはしないと,この段階ではっきり宣言してもよいでしょう。でも民主党みたいな売国的な政権がそこまでできるかな?だって,ウィキペディアを見たって,民主党の支援団体の中に在日本大韓民国民団と記載されているのですもの。期待できるはずがありませんよね。
さて,それにしてもですよ,実際問題として韓国経済は本当に辛い状況なのだと思います。1997年のアジア通貨危機におけるウォンの暴落,2008年から9年にかけての韓国通貨危機が実際に起こっているように,韓国経済の基盤はとても脆弱なのです。1997年の通貨危機をきっかけとして,韓国経済はIMF(国際通貨基金)の管理下に入り,グローバル資本主義の下,韓国内では外資導入と市場の寡占化が極度に進みました。
韓国の大手輸出企業の株主の多くは実は外国人なのです。いわば外資によって国内経済が占領されている状況とも言えるでしょう。2011年現在で,サムスン電子の株式は54%,現代自動車やポスコの株式も50%弱が外国人株主によって保有されています。主要銀行に至っては悲惨で,国民銀行の86%,ハナ銀行の72%,新韓銀行の57%,韓国外換銀行の74%,韓美銀行の99.9%,第一銀行の100%が外国資本という有様です。そして,韓国証券取引所に上場している10大企業の売り上げが,何と韓国の全上場企業の52%を占めており,そのほとんどが大手輸出企業で,株主の過半もしくは半分近くが外国人なのです。そして,サムスン電子が売り上げを伸ばしても,実際には生産財,部品の多くを日本から輸入しておりますから,同社が売り上げを伸ばせば伸ばすほど日本企業も代金とパテント(特許使用料)をそれだけ多く取得できる構造なのです。また,韓国の貿易依存度は異常に高く,輸出と輸入の合計をGDPと比較した数値が何と96%を超えております(2011年)。ですから,諸外国の経済事情に大きく左右され,EUの経済問題の影響も受けやすい。
韓国の社会保障支出はOECD加盟国中,ダントツ最下位で,自殺率もトップ,日本以上に非正規雇用率が増え,しかもその潜在失業率は21.2%という驚くべき数字になります(2011年)。現在の韓国では,名門大学を卒業しても就職率は50%を割り込んでいるとのこと。また,実質賃金は下がり続け,2011年末時点の韓国の家計の負債対GDP比率は,約81%に達しているそうで,これはOECD加盟国中でも高位です。そして,国を挙げてのウォン安政策の影響で今度はガソリンなどの物価が上がり,国民の可処分所得が低下し,住宅バブルの崩壊,不良債権化も警告されています。
経済のことなど何も分からない私が,物知り顔して以上のようなことをブログで書けたのは,「グローバル経済に殺される韓国 打ち勝つ日本」(三橋貴明著,徳間書店)という本からの受け売りをしたからです(笑)。この本はお薦めだと思いますし,マスゴミ,いやマスコミがバカの一つ覚えのように「韓国を見習え」などと声高に叫び,歪んだ情報しか与えない中,日本経済が今後どのような方向を目指していくべきかに触れた好著だと思いますよ。
昨日は自分の車で,ある警察署に被疑者接見に言ったのですが,車中ではバッハのブランデンブルク協奏曲を聴いていました。昨日聴いたのは第4番から第6番までですが,第6番の第3楽章を聴いていましたら,思わず古い昔にカミさんと一緒に行った沖縄旅行のことを懐かしく思い出しました。
この沖縄旅行というのは今から25年も前のことで,私達の新婚旅行だったのです。当時は二人とも公務員で薄給でした。この沖縄旅行では,現地でレンタカーを借りてあちこち移動したのですが,車内で聴く音楽は私が自前で録音したテープだったのです。その中にバッハのブランデンブルク協奏曲の第6番が含まれており,特にその第3楽章は何回も何回も繰り返して聴きました。この第3楽章というのは何よりもシンコペーションが特徴,そして魅力的でとにかく躍動感があるのです。
この曲を聴いて,今から25年も前のことを懐かしく思い出しました。25年ですか・・・初老という段階も過ぎようとしているのは当たり前です(笑)。躍動感という意味では,そして元気をもらうという意味では,ブランデンブルク協奏曲の第6番の第3楽章,第4番の第3楽章,第3番の第1楽章が特にオススメだと思います。ブランデンブルク協奏曲は全部で6曲ですが,その成立(作曲)の順番は,第6番,第3番,第1番,第2番,第4番,第5番の順だと言われています。このうち第6番と第3番は,ケーテン時代より前のヴァイマール時代に遡るとの説もあり,そうだとするとバッハが30歳前後の成立で,躍動感があるのも当然です。また第1番以降は,室内楽に精力的に取り組んでいたケーテン時代の成立でしょう。このケーテン時代の終わり頃にバッハは二番目の妻アンナ・マグダレーナと結婚するのですが,このケーテン時代におけるバッハの室内楽への集中ぶりは,「バッハの思い出」(アンナ・マグダレーナ・バッハ,山下肇訳,講談社学術文庫)という本の中でも「当然の権利でもあり豊かな成果をあげるべきはずの教会音楽との結びつきの機会に恵まれませんでした。しかし彼は、何事によらずそういうたちですが、ここでももう全身全霊をあげて室内楽に傾倒しました。」と記載されているくらいです(同著79頁)。
蛇足ですが,さきほど躍動感があり,元気がもらえるとしてオススメした3曲がありますが,この中でも第4番の第3楽章は,特に対位法の魅力がたっぷりで,とてもカッコいい曲であることも付け加えておきます。
裁判所と弁護士会館との間に通路があるのですが,先日この通路で知り合いの弁護士さんとすれ違った際,「先生,暑くないですか。」と言われました。要するに,私のネクタイ姿が暑苦しく見えるようです。確かに,スーツの上着は脱いで手に持っていましたが,シャツは長袖で,ネクタイもきちっと締めておりました。
「クールビズ」というのはもう定着しておりますが,どうもわたしは苦手というか,着こなせないのです。まぁ,普通に半袖の開襟シャツを着ていれば何とかなるのでしょうが・・・。
さて,それにしても政権交代後のこの約3年間,日本国と日本国民は本当に酷い目に遭いました。民主党みたいな政党はもう二度と単独で政権を取ることはあり得ないと思ってはおりますが,本当にこの約3年間は酷かった・・・。こりごりです。皆さんも懲りませんでしたか(笑)。思い起こせば,3年前の総選挙の頃の民主党のポスターには,鳩山由紀夫の間抜けな顔の右横に「政権交代。」と記されていましたね。「交代」の後に付けられた「。」が象徴しているように,この売国的な政党は交代そのものが目的であって,ただそれだけ。国や国民のためになることは何一つしておりません。
では,今の自由民主党はどうでしょうか。国土強靱化基本法案の策定など,デフレ脱却と経済活性化に向けての良い仕事はしております。それに東日本大震災における復旧,復興に向けての実質的な取り組みは大いに評価できます。でも,政党支持率が一向に上がらないのは何故なのか。もちろんマスゴミの偏向報道等はいうまでもありませんが,自由民主党自体も国民に対する積極的な説明とアピールが足りません。それに何よりも人を得ていない。
本日のタイトルは「身だしなみ」ですが,身だしなみもいただけない。岸信介という尊敬すべき国士が中心となって1955年に保守合同を達成し,自主憲法制定などの党是を掲げて成立し,戦後日本の成長を支えてきた大政党が自由民主党なのですよ。それなのに,石原伸晃という程度の人が幹事長とは・・・。彼は茶髪にしていた時期がありましたね。私もこの目ではっきり見ましたよ。幻などではありません。身だしなみがよくない。この党の初代幹事長は何と,岸信介さんですよ。人が軽すぎるのに加えて,茶髪の幹事長なんて論外です。
それに前々から思っていたのですが,自由民主党の今の総裁,誰でしたっけ,ああ,谷垣禎一という人のあのクールビズだか何だか知りませんが,あの中国服みたいな服装もいただけません。見ているこちらが恥ずかしくなる。身だしなみがよくない。たまたま先日の朝,産経新聞を読んでおりましたら,ジャーナリストの東谷暁さんの記事が掲載されておりました。この最後の部分は我が意を得たりといいますか,秀逸ですので,引用しておきます。
「最後に、あまり言いたくないことだが、あの奇妙な詰め襟シャツで登場する谷垣総裁を見るだけで、この人は駄目だと思わざるを得ない。私は政治家がだらしないクールビズとかの服装をするのにも批判的だが、谷垣総裁の格好などは『私はやる気がありません』と表明しているようなものだ。谷垣総裁の命脈もすでにつきている。」
マスゴミ,いやマスコミは再び目の敵にするでしょうが,自由民主党の次期総裁は,安倍晋三さんあるいはこれに近い人しかあり得ないのではないでしょうか。そうでなければ,時期が迫っている総選挙では安定的な議席数は確保できません。
韓国の李明博大統領の竹島上陸,そして中国人の領海侵犯と尖閣諸島への上陸・・・。日本国民の一人として憤懣やるかたない気持ちでいっぱいです。これは,長年の日本政府の怠慢によるツケが回ってきたということに他なりませんが,このどうしようもない状況は,特に売国的な民主党政権になってからは坂道を転げ落ちるように加速度がついてしまっています。
どうですかね,日本人のうちよほど鈍感な人でも最近ではようやく韓国や中国によるこのような傍若無人の振る舞いに,不快感を覚えるようになってきたのではないでしょうか。でも私がつくづく思うのは,お人好しの日本人は,「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざどおり,こういった不愉快な感情が一過性のもので終わってしまいがちです。この際,特定アジアといわれている中国,韓国,北朝鮮との今後の外交関係を思うとき,日本人ももうそろそろ覚醒し,「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」などといった平和ボケ,寝とぼけたことを言ってないで,この際いわゆる「東京裁判史観」を脱却し,日本人も本当の歴史を知り,本当の歴史観を身につけるべきだと思うのです。
中国は「中国共産党史観」に立脚したプロパガンダ,また朝鮮半島はいわゆる「七奪」論に典型的に表れているように歴史捏造が著しいため,同じ歴史観に立とうとしたって無理に決まっているし,そうすべきでもありません。ですから,取り敢えずは「東京裁判史観」から脱却しましょうよ!評論家の故江藤淳さんは,「閉された言語空間」という名著の中で,GHQの占領政策とその期間中の検閲等の目的について「日本人にわれとわが目を刳り貫かせ、肉眼のかわりにアメリカ製の義眼を嵌めこむことにあった」と見事に喝破されています。まだ義眼を嵌められたままですし,去勢されたままなのです。
さてさて,竹島と尖閣諸島です。竹島と尖閣諸島が日本固有の領土である根拠を説明できますか?これをちゃんと説明できるようでなければ,だめだと思うのですよ。これまでの外交姿勢を見る限り,外務省は腰抜けだと思っておりますが,外務省のホームページにはちゃんと詳細な根拠が説明されております。「外務省 竹島」,「外務省 尖閣」などとキーワードを入れて検索すれば,あっという間に理論武装できます。これらが日本固有の領土であることを説明できなければ始まりません。
それにしても,韓国の李明博大統領・・・。自分の実兄が汚職で逮捕されたり,政権がレームダック状態にあるからといって,天皇陛下に言及したあの発言は絶対に許すことはできません。外交上の非礼も甚だしく,日本政府は毅然とした対応をすべきです。
売国的な民主党政権(野田首相)は,昨年10月,日韓通貨スワップ協定の限度額を,従前の130億ドルから700億ドル(当時の為替レートで5兆5000億円)に増額しています。ばかな・・・本当にばかな・・・。こんな協定,メリットがあるのは韓国側だけであって,日本にはデメリットこそあれ,メリットなんかは何もありません。1997年のアジア通貨危機の時も,2008年から2009年にかけて韓国の通貨ウォンが暴落した韓国通貨危機の時も,日本は助けてやりました。でも韓国は全く恩義に感じておりませんし,ましてや韓国の国民もそんなことは正確には知らされず,ずっと続く反日教育の「成果」がどんどん発揮されております。ロンドンオリンピックの男子サッカー3位決定戦後の韓国選手のIOCオリンピック憲章違反行為でも明らかでしょう。
まずは手始めに日韓通貨スワップ協定など見直しを検討すれば良いのではないでしょうか。ましてや,対外純資産額21年連続世界一の日本は,ウォンという通貨の脆弱性を無視して,韓国国債をウォン建てで買うなんてばかなことはすべきではありません。
突然ですが,「オリンピック太り」ってありませんか?・・・ない?・・・そう・・・。でも私の場合は,この「オリンピック太り」という現象が確かにあるんです。誰が何と言おうと(笑)。このオリンピック期間中は,うまくは表現できませんが,各種目での日本人選手の活躍を心から期待して,何となくお祭り気分になり,お酒もすすむし,勢いにまかせて,おつまみとか食事とかも普段より多くとってしまうのです。それでやはり太ってしまうのです(笑)。
さてそれにしても,女子サッカーの「なでしこジャパン」の銀メダルは見事でしたね。昨年のW杯と同様,決勝戦の相手は世界ランク1位のアメリカでしたが,試合内容は今回の決勝の方が良かったと思います。結果的に1-2で敗北しましたが,ボール支配率も,そして得点の予感を感じさせるシーンも多かった。
この試合の後,佐々木監督は記者団のインタビューに答えたのですが,このインタビューの中で佐々木監督は2回,「リスペクト」という言葉を使いました。私としてはこれが非常に強く印象に残っています。この「リスペクト」という言葉が出た文脈からすれば,この佐々木監督の人間性がよく表れていて,とても感動しました。ちょっとその部分を引用してみましょう。
(外国人記者)「チームのレガシー(遺産)は?」
(佐々木監督)「チームワークだと思います。日本女子代表が結成されて31年目なんですが、非常に明るくて正義感があってフェアプレーです。常に相手をリスペクトする選手たちです。それが結集すると小さな選手でもすごいパワーを出します。日本の女性の素晴らしさがなでしこジャパンに植えつけられています。僕自身も誇りに思っています。」
(外国人記者)「ペナルティーエリア内でハンドがあったと思うが、それがPKだったら展開は違っていたか?」
(佐々木監督)「どうですかね。レフェリーがジャッジを決めることですから。瞬間、僕も「あれっ」って思いましたけど、素直にレフェリーをリスペクトすることがわれわれの使命だと思います。」
どうですか。正に武士道じゃないですか。佐々木監督の人物像が窺えますね。「リスペクト」というのは,尊敬すること,敬意を表すことを意味します。レフェリーには敬意を表し,その判定には潔く従うこと,また,対戦相手にはその価値を認めて敬意を表し,それを乗り越えるためにおのずと自己鍛錬を怠らないということなのでしょう。4年前のオリンピックではメダルを獲得できずに4位に甘んじたのに,昨年はW杯優勝,今回もそれ以上のパフォーマンスを見せて銀メダルです。「リスペクト」して,自己鍛錬を怠らないという監督の考え方が着実に浸透していったのでしょうね。
アメリカのFWのアビー・ワンバックという選手は,ナイスガイですね。あっ,いや女性ですね。失礼しました。今年の3月5日,アルガルベ杯の対アメリカ戦の当日の朝に,澤選手は良性発作性頭位めまい症を発症しました。選手生命の危機に立たされた訳です。そうしたところ,それから16日後の3月21日,INAC神戸のキャンプ地(鹿児島)に,ワンバック選手が電撃的に訪れ,澤選手に「絶対に克服できる。また五輪で戦おう。でも次はやられないよ。」と言って激励したそうです。澤選手は感激し,号泣し,勇気を得たそうです。
そして今回の決勝戦で両者は再び相まみえ,素晴らしい試合をしました。ワンバック選手も,澤選手やなでしこジャパンを「リスペクト」していたのでしょうね。本当にいい奴です。
逸話というのは,エピソードともいいますが,その言葉の意味は,その人に関してあまり知られていない興味深い話というほどの意味です。先日,夕食後にうちのカミさんと愚にも付かない,とりとめもない話をしていたのですが,ひょんなことから,娘のあかねちゃんの幼い頃の逸話の一つが話題に上りました。どうということもない全く下らない話ですが,当時の娘の状況を彷彿とさせる小さな内容です。
4歳頃のことです。娘は何がきっかけなのかは知りませんが,館内放送,車内放送というもので自分の名前を呼ばれたいという欲望に駆られていたようです(笑)。何かに憑かれたように(爆笑)。ある日,新幹線の車内で自ら車掌室かどこかに出向いて,本当は迷子でもないのに迷子である旨を述べて,「あかね」という自分の名前を車内スタッフに告げたのです。ほどなくして,娘の思惑どおり,車内放送で迷子の案内があり,自分の名前をみんなの前で呼ばれることに見事に成功し,うちのカミさんが慌てて車掌室に駆けつけるということがありました(笑)。なおこの時は,複数の家族で移動中であり,娘はあろうことか自分より年下の女の子を誘った上で二人で車掌室まで出向いたようで,「共犯者」まで作っているのです(笑)。
またある日は,名古屋の松坂屋において,娘はやはり同じように館内放送で自分の名前を呼ばれたいという一心で,本当は迷子でも何でもないのに,あたかも迷子であるかのように装って店員か客の男性の袖を引っ張り,迷子であることと自分の「あかね」という名を告げ,やはり館内放送で自分の名前を呼ばれる快感を得ようとしていたのです。しかしこの時は,うちのカミさんも事前に察知し,娘を尾行していましたから,「未遂」に終わりました(笑)。
何が娘をして車内放送や館内放送で自分の名前を呼ばれたいという欲望に走らせたのか,今でもナゾに包まれております。家庭教育に何か問題があったのでしょうか(笑)。確かに昔から何事にも興味を示すタイプで積極的な面はあったのですが,こういった行動は理解に苦しみます(笑)。逸話というほどの大した話ではありませんでしたね。失礼しました。
この愛すべき日本の経済はここ14年ほど,ずっとデフレです。物価が継続して低下していく経済現象です。2~3%程度のインフレはどうってことなく,むしろ好ましく,デフレの方が圧倒的に怖いのです。私は日本人の能力を信じていますが,デフレ経済から脱却できていません。これは要するにデフレから脱却する必要性を感じていない勢力が隠然として存在しているからなのではないでしょうか。デフレを脱却できない責任を政府が負っていることは勿論ですが,実はそれと同等かそれ以上に責任を負うべき存在があります。それが日本銀行です。
素人である私でも,特にこのデフレ脱却論について素晴らしい論を展開されているなと常々感心しているのが,学習院大学経済学部教授の岩田規久男さんと,産経新聞編集委員の田村秀男さんでしょう。論旨のわかりやすさと説得力という点で双璧だと思います。
「日本銀行 デフレの番人」(岩田規久男著,日本経済新聞社)という本を最近読んだのですが,誠に素晴らしい。日本の中央銀行である日銀は,「物価の番人」というのは知っていましたが,「デフレの番人」であったとは(笑)・・・・・。もちろんこのタイトルは強烈な皮肉であり,また真実です。
この本の中で日銀の定見のなさ,無責任ぶりを指摘されたほんの一部だけでも引用しておきましょう。
「『デフレでも、デフレ・スパイラルが起きていなければ問題ない』と言い、『いまは、デフレか』と聞かれると、『デフレかどうかは定義の問題だ。03年と04年は消費者物価上昇率がマイナスでも景気はよかった』と言っていたその人が、政府に『デフレ宣言』を出されると、慌てて、『いまはデフレだ』と臆面もなく前言を撤回し、急遽、追加金融緩和策を打ち出す始末である。まるで、節操も、定見もない。」(同著190頁)
デフレは円高の要因です。デフレは企業の収益を押し下げ,ひいては労働者の給与や可処分所得を押し下げ,ますます内的需要が低下します。日本経済が縮小のスパイラルにはまり込んでしまっています。諸外国の中央銀行はもっと責任をもって金融政策を遂行しているのに・・・。日銀関係者はびっくりするほどの高給をはんでいます。2006年当時の日銀総裁の年間報酬は約3600万円,2人の副総裁でもそれぞれ約2800万円,審議委員も約2700万円に達しております。庶民の生活なんか念頭になく,日本経済が沈みっぱなしでも自分たちの報酬は貰える訳です。
この本で岩田規久男教授は,日本のこのデフレ状態から脱却するための処方箋として,①デフレ予想をインフレ予想に転換すること,②日銀がインフレ目標(ターゲティング)にコミットすること(責任を持つということ),③予想インフレ率を2%にするために必要なマネタリーベースを確保すること,④日銀法を改正し,インフレ目標を最終的に決定するのは政府であり,日銀はその目標を達成するための手段を選択し,責任を負うことなどを提唱しています。もっともなことです。大変勉強になります。
ロンドンオリンピックもいよいよ後半戦に入っています。わが日本は,柔道女子57㎏級で松本薫選手が,また体操男子個人総合で内村航平選手がそれぞれ金メダルを獲得しました。本当に見事です。我々に勇気を与えてくれました。
その他の選手も,銀メダルや銅メダルを,ここまで20数個も獲得し,これまた見事な活躍を見せております。あっぱれです。日本選手団には後半戦も是非頑張っていただきたいと思います。
ところで,私が小さいときはもちろんのこと,そうですね,少なくとも10年ほど前までは,日本人選手が見事に金メダルを獲得した時は,その表彰式の模様や日の丸の掲揚,君が代吹奏の場面はちゃんとテレビ放送されていたのではないでしょうか。この表彰式の際の君が代を聴き,徐々に頂点まで上っていく日の丸を目にして,お茶の間で感極まって一緒に涙したものです(笑)。感動の場面なんですよ・・本当に。
このロンドンオリンピックは,日本人選手の獲得した金メダルはここまで2個ですが,松本薫選手も内村航平選手もそれぞれ表彰式に臨み,それぞれ日の丸の掲揚と君が代の吹奏がなされたはずです。でも,マスゴミ,いやマスコミはこれをちゃんと放送しましたか?NHKも民放各社もちゃんと放送していないのではないですか。
私,前回のオリンピックとは違って,今度のオリンピックは割とよくテレビ中継を見ている方ですが,ここまで金メダル2個とはいえ,この2個の金メダルを獲得した各日本人選手の表彰式の模様をちゃんと目にしてはおりません。マスゴミ,いやマスコミはちゃんと放送していないのです。
かつては放送されていたのに,最近ではなぜこれがなされないのか。これまた非常に違和感を覚えます。理由やその背景についてはよく知りませんが,少なくとも次のようなことははっきりと指摘できるのではないでしょうか。マスゴミ,いやマスコミは,できるだけ日の丸や君が代を視聴者に触れさせたくないというスタンスで臨んでいる,またそういう勢力が徐々にマスコミの中枢を蝕み始めているということです。諸外国のテレビ中継では,きっと,自国の選手が金メダルを獲得して表彰台に臨むときは,その国旗掲揚と国歌吹奏の場面を例外なく放映していると思います。それが当たり前です。日本のマスコミだけですよ,自国の国旗や国歌を冷遇しているのは。だから私はマスコミのことをわざとマスゴミと間違えているのです(笑)。
とにかく私は,かつてやっていたように,テレビの前でその表彰式での日の丸と君が代に接し,その選手の苦労をねぎらいつつ,感動で泣きたいのです。