いや,本当に感動しました。10月28日(日)の天皇賞(秋)は天覧競馬,すなわち天皇皇后両陛下がお出ましでした。そして,このレースでイタリアのミルコ・デムーロという騎手が,日本のエイシンフラッシュという馬に騎乗して見事優勝を果たしたのですが,レース後にメインスタンドに戻ってくると,手をお振りになって祝福される天皇皇后両陛下に対し,下馬してヘルメットを取り,右膝を付く跪座で最敬礼をしたのです。その見事な礼節,振る舞いに対し,会場はどよめきと,大歓声です。本来は本馬場で下馬してはいけないことになってはいるのですが,彼は天皇皇后両陛下に心からの敬意と感謝の念を示したかったのでしょう。本当に感動しましたし,涙さえ出てきました。「ミルコ・デムーロ」で検索すれば,その時の動画もアップされていますよ。
このミルコ・デムーロというイタリア人騎手は,割と日本でも馴染みが深く,「私が一番好きな国はイタリア。次が日本。」というのが口癖で,新幹線で東京駅に到着した際には,丸の内の皇居方面に向かって必ずお辞儀をするそうです。この騎手は,去る日曜日の天皇賞(秋)の優勝の際に「両陛下がいらした特別な日に,勝つことができてとてもうれしい。」とコメントしています。そして,ウイニングランの際には両手でハート形を作って観衆に応えました。彼のコメントによると,このハートの形は「I LOVE JAPAN 日本のみなさんを愛しています。特別な日に勝つことができて,本当にうれしい。僕の日本に対する感謝の気持ちを表した」という意味だそうです。
このイタリアの騎手は,実は昨年の東日本大震災の直後に行われたドバイワールドカップにおいて,日本の馬であるヴィクトワールピサに騎乗して見事に優勝を果たし,レース後のインタビューでは,東日本大震災という惨事に言及し,「今日は日本人のために朝から祈っていました。ドバイワールドカップを勝てるなんて信じられない。日本を愛しています。ありがとう。」と涙ながらに語っていたそうです。
外国人騎手の中にもこういう親日的な人がいたとは。そして,天皇皇后両陛下に対する心からの敬意,彼には伝統の騎士道精神が宿っているのかもしれません。
それにしても,デムーロという騎手の見事な礼節,振る舞いを目にして,そしてそれに感動した場内の観衆の大歓声を耳して,不覚にも泣けてきたのはなぜなのでしょうか。日本人にとって天皇皇后両陛下の存在はやはり何物にも代え難く,そういった認識はやはり自分だけではなく,みんなも同じなのだという心からの共感が得られたからだと思いますし,歴史と伝統を重んじるイタリア人騎手のこのような礼節,振る舞いを見るにつけ,彼から改めて日本における天皇という存在の有り難さを教えてもらったような気がします。
そこは私が朝の徒歩出勤の際によく通りかかる場所なのですが,春になればそれはそれは見事な桜を咲かせる木々がいっぱいある場所です。今朝もそこを通り過ぎようとした時,偶然に左肩に葉っぱが一枚落ちてきました。黄色と橙色とが微妙に混じったような色の葉でした。ここの木の葉っぱもいよいよ落葉時期なのか・・・。時間の通り過ぎるのも早いものです。「一葉落ちて天下の秋を知る」(「淮南子」説山訓)というやつでしょう。
さてそれにしても,民主党政権にはもう言葉もありません。テレビニュース等の画面で野田,輿石,岡田,前原,枝野,玄葉,田中真紀子,樽床,細野・・・こんな連中の顔が放映されるたびに胸が悪くなり,絶望的な気持ちになり,思わず画面から目をそらしてしまいます。「顔を見るのもイヤ」という状態です(笑)。この約3年間は,正に「異民族に支配されてきた」ような感じです(産経新聞の阿比留記者の表現)。この売国的で亡国的な政党,政権のおかげで日本国と日本国民は本当に酷い目に遭いました。
野田といういたずらに太った人物は,前任者が菅という人間だっただけに,そして「ノーサイドにしましょう,もう。」などといった演説のうまさゆえに,誠実な人柄であると勘違いされてきたふしがありますが,実際には極めて不誠実で傲岸不遜な人物だと思います。それにあの宙を泳いでいるようなうつろな目,いっぱいいっぱいで全く余裕がないような表情,とても一国の宰相の目ではありませんし,その器でもありません。もう既に民主党政権の正統性(レジテマシー)が失われ,一刻も早く国民の信を問うべき秋(とき)がきているのに,とにかく衆議院解散が怖い,少しでも長くこの政権の座を占めていたいという一心で特例公債法案などを人質にとって「立てこもり」を続けています。見苦しいったらありゃしない。
自民党政権時代は,予算案とその財源となる特例公債法とは当然のことながらセットで国会を通過させてきました。極めて当たり前のことです。ところが,予算案は衆議院の優越がありますけど,法律案である特例公債法案はそれがありませんから,菅内閣の時からはただただ延命のために,予算案とは切り離して特例公債法案の審議を先送りにしました。野田といういたずらに太った人物もこの手法に味をしめ,延命のために予算案と特例公債法案とを切り離し,取り敢えず予算案だけ通しました。未だに特例公債法案が審議されず先送り状態となっているのは,とりもなおさず民主党政権の失政によるものです。そもそもがそうなのです。このままですと,公債発行ができずに財源が枯渇し,地方にお金が回らなくなり,地方は地元の金融機関(銀行等)からお金を借りて行政サービス等を続けていかざるを得ず,その利子負担も結局は税金でということになるでしょう。酷いものです。
現在は特例公債法案が「人質」になっておりますから,民主党としてはこれの成立に自民党が協力しなければ自民党のせいにすればよいといったところでしょう。自分たちの失政を棚に上げて,本当に酷いものだと思います。
いずれにしても,もう民主党は次の総選挙で泡沫政党に成り下がります(笑)。これまでの約3年間の失政続きの状況を考えれば,当然の報いです。私は絶対に許さない。「羮に懲りてなますを吹く」という言葉がありますが,酷い目に遭った日本国と日本国民も「なますを吹く」くらいの覚悟で,マスコミがこの先何と言おうと,二度とこのような売国的で亡国的な政党を政権の座に付けるようなことがあってはならないと思います。国が滅びます。
石原新党ですか・・・。日本維新の会との連携,連帯を取りざたされておりますが,どうなんでしょうかね。冒頭に黄色と橙色とが微妙に混ざり合った葉っぱのことを申しましたが,果たして価値観や政策の一致が見られるのでしょうか。私は,石原新党の母体となるであろう「たちあがれ日本」を構成している個々の議員の識見には敬服しておりますが。
このブログでもよく登場しますが,私は岸信介という政治家をとても尊敬しております。その長女が洋子さん,その婿が亡き安倍晋太郎(元外務大臣),その子が安倍晋三です。ですから,岸信介は安倍晋三の母方の祖父ということになります。
岸信介という政治家は,三木武吉らと努力の末に,その後の日本の発展の礎となる保守合同を成立させ,そして文字通り命を賭けて,3万人のデモ隊に囲まれながらも「声なき声」の存在を確信して安保改定を成し遂げた政治家です。国士といっても良いでしょう。岸信介の政治家としての器と凄さと能力は,今の売国的な民主党政権を構成している政治家とは全く次元が違います。比較するのも本当に失礼なくらいです。菅とか野田とかいった連中が,よく「命がけで」などという言葉を連発し,もはやインフレ状態ですが(笑),彼らの「命がけで」という言葉は鴻毛より軽い。実際に岸信介は退陣の直前に暴漢に刺され,瀕死の重傷を負っております。文字通り命がけだったのです。
文芸評論家の福田和也は,岸信介という政治家のことを「本物の責任感と国家戦略を持った戦後唯一の総理」と高く評価しております。そこで私は,福田和也の「悪と徳と-岸信介と未完の日本」(産経新聞出版社)という本を読もうかなと思ったのですが,今回は工藤美代子の「絢爛たる悪運 岸信介伝」(幻冬舎)という本にしました。本当に感動しました。
でも今日は,岸信介という政治家の良き家庭人としての一面を彷彿とさせるエピソードを,この「絢爛たる悪運 岸信介伝」(工藤美代子著)という本の中から引用して締めくくりましょう。これは長女洋子が幼少の頃,父信介から可愛がってもらい,面白い話を聞かせてくれた時のことを回想した一節です。
「中野の家では夏の夜など、兄と私を蚊帳の中に呼んで大仰な身振り手振りでおとぎ話なんかをしてくれました。欲張りな和尚さんが小僧に隠れてお餅を食べるお話です。安念と珍念という小僧はいつもふたりがお使いに出されると和尚さんがお餅をこっそり食べているのに気がついて、自分たちの名前を『ぽてぽて』と『ふうふう』に変えて欲しいと頼むんです。ある日、ふたりをお使いに出すと、和尚さんはさっそくお餅を囲炉裏で焼いて食べ始めました。餅についた灰を払うためにポテポテと手を叩いたところ、隠れていた安念が『はアい』と出てきました。仕方ないので餅を安念にやって、次の餅は叩かずに口に入れたら熱いのでフウフウとやったら、隠れていた珍念が『はアい』と言って出てきて餅をせしめた、というお話です。いつも同じ話なんですが、父の話しぶりがおかしくてなんべん聞いても面白かったものです」(97頁)
わが栄光の読売巨人軍,本当にハラハラさせてくれるぜ!まあ,日本シリーズ進出を決めてくれて本当によかった。これでようやく枕を高くして眠ることができます。
2位に10.5ゲームもの大差をつけてせっかくセ・リーグの覇者に輝いたのに,あの巨人が日本シリーズに進めないなんて,悪夢以外の何物でもありません。中日に3連敗した時は,気が気でなく,仕事にも大きく影響したくらいです(笑)。
それにしても,出だしのあたりは私も嫌な予感はしていたのです。昔から巨人は,「初物」には弱いと言われていて,中日は第1戦は大野という左腕,第2戦は伊藤という右腕を投入してきました。これまでの巨人との対戦実績からすれば完全に「初物」という訳ではないのでしょうが,いずれもあまり対戦したことのない投手でした。また,これはいつも思うのですが,1位のチームが実際にクライマックスシリーズに登場するのは,公式戦が終了してかなり経過してからですから,少しの間とはいえ試合から遠ざかり,「試合勘」が鈍ってしまうのではないかということも言われております。そういう訳で,不安が的中し,わが栄光の読売巨人軍はまずは2連敗してしまいました。第3戦目は必勝を期したのですが,これも投手陣が踏ん張れず,打線も湿ったままでした。この時点でもう後がなくなりました。スポーツ紙はどれも「崖っぷち」と表現しておりました。
でも,私は心のどこかで最終的には巨人は日本シリーズに進んでくれるのではないかと期待しておりましたし,そうなるのではないかとも思っておりました、良かった,本当に良かった。
当然のことながら昨夜は祝杯を上げました(もっとも試合終了前から結構飲んでおりましたが)。そして,その後は長嶋茂雄終身名誉監督の現役時代の懐かしいDVDを見ながら,健やかな眠りについたのです(笑)。
ただ,日本シリーズではやはり日本一に輝いて欲しいので,素人ながら少し気になったことも述べておきます。結果論かもしれませんが,ホールトンの交代時期がなぜあんなに早いのかは疑問でした。初回などは不安な面もありましたが,割とよく抑えていたのに・・・。中1日の澤村を投入する場面だったでしょうか。結果的には1点を取られてしまいました。この試合に限らず,少し首をひねらざるを得ないような原監督の「采配」も散見されます。
また,1番打者はリードオフマンと言われているようにチャンスのきっかけを作り出していく重要な打順です。長野選手は1番に定着し,今シーズンも173安打をたたき出し,坂本選手と並んで最多安打賞に輝いております。でも,前から気になっていたのですが,立ち位置がいかにもベースから離れすぎです。あれでは外角のスライダーをカットするのに精一杯で,当たったとしても右方向への内野ゴロで終わってしまうでしょう。今シーズンは,案の定,外角に落ちる球にひっかかって空振りしたり,凡退する場面をよく見ました。もう少しベースに近づいて,阿部みたいに堂々と構えたらいいのにと思います。
昨夜のクライマックスシリーズの巨人対中日戦にはガッカリでした。0-1の場面で高橋由伸選手のタイムリーで同点に追いついた時まではお酒が美味かったし,さあいくぞという気分でしたが,それからがいけません。私は早々にテレビをやめて,おきまりのバッハの世界に没入しました。
ニコラウス・アーノンクール指揮,ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス,アーノルト・シェーンベルク合唱団によるバッハの「マニフィカト」その他の曲の収録されたDVDを味わいました。本当に素晴らしい。特に私は前々からしつこいまでに述べているのですが,バッハの教会カンタータ第147番「心と口と行いと生活で」が死ぬほど大好きなのです。それがこのDVDに収録されていて,「マニフィカト」と同様,昨夜も感動して目頭が熱くなりました。「だまされたと思って」という日本語がありますが,だまされたと思ってこの第147番のカンタータを聴いてください。このDVDを見ていても,いずれの演奏者も嬉々として演奏し,その表情を見ているだけで元気づけられます。アーノルト・シェーンベルク合唱団の中には,日本人のように見える4人ほどの女性も含まれています。
さて一夜明けて,今日の産経新聞の「正論」欄には,双日総合研究所副所長の吉崎達彦氏の投稿記事が掲載されており,売国的で亡国的な民主党政権による「原発ゼロ」政策について述べておられるのですが,正に正論で思わずその一部を引用してご紹介したい衝動に駆られました(笑)。冒頭の出だしが核心を突いているので,その部分を以下に引用しましょう。
「こんなアンケート調査があったら、あなたはどんなふうに回答するだろうか。『10年後のあなたの年収は、1000万円と500万円と300万円のうち、どれが一番いいでしょうか?』誰だって1000万円と答えるだろう。が、実際の世の中では、高い年収は必然的に激務やリスクを伴うものである。逆に、300万円の仕事は、気楽で安定しているかもしれない。その辺は常識の範囲内だが、アンケート調査の信頼性を高めるためには、付帯条件をすべて明記したうえで、希望年収を尋ねるべきであろう。ところが、野田佳彦政権は、『2030年の原発比率は0%と15%と20~25%のうち、どれがいいですか?』とだけ国民に問うた。この場合、『0%がいい』と答えるのは自然な人情であろう。あけすけにいえば、原発が好きな人なんて、よほどの変人以外にいるわけがないだろうし、何より『命には代えられない』という理由は重いのである。ただし、日本が『原発ゼロ』を方針とする場合,どんな付帯条件がつくか、を考えなければならない。」
ほんとうに,ほんとうに正にそのとおりでしょう。付帯条件として吉崎氏が挙げられるのは,そしてこれは他の識者も同じように指摘していることですが,原子力技術の維持困難・消滅,人材確保困難(原子力を学ぼうとする学生がいなくなる),営々として築き上げてきた日本の原子力技術の海外流出,エネルギー確保の不安定性とエネルギー安全保障面での脆弱性,発電コストの増加と各家庭の負担増,企業の経営圧迫と海外移転及びこれに伴う税収減などなど・・・。
こんな付帯条件も示さずに極めて安易なアンケートを実施し,人気取りのために「原発ゼロ」政策を推進している民主党政権に責任がとれるのでしょうか。とれる訳がありません。次の総選挙では泡沫政党に転落することは必定だからです(笑)。この政策を発表してからの彼らの迷走ぶりが,いかにこの「原発ゼロ」政策が確たる裏付けのないものであったかを示しております。現に,彼らはあれだけ力説していたのに,閣議決定を断念したではありませんか。
ああ,本当に良い季節になりました。自分を取り戻すことができた感じです。これから来年の春の終わり頃までは私の季節です(笑)。夏だけはどうも・・・。自分を取り戻すことができたというのは,例えば徒歩通勤が再開されたということです。うだるような暑さの夏とは違って,散歩がてらの通勤を再開したのです。これにスロートレーニングと半身浴(これを実行する日は休肝日のとき)が加われば,最高です。
さて,10月17日はショパンの命日です。ちょっとここ数日は学生時代によく聴いたショパンの名曲の数々を味わってみたいと思います。たとえば,バラード第4番,前奏曲集,嬰ヘ短調のポロネーズ(第5番)などなど・・・。素晴らしい曲ばかりです。
ところで,我が師と仰ぐ(笑)ヨハン・ゼバスティアン・バッハとショパン。私の中では幾多の作曲家の中でもバッハだけは別格の存在なのですが,ショパンの音楽も好きです。そのショパンは,実はバッハを心から尊敬し,その音楽を愛していたそうです。
ショパンはバッハの平均律クラヴィーア曲集を日々の糧としていたのです。また,ショパンの弟子のレンツの伝によると,「(ショパンは)演奏会が近づくと,自分の作品ではなくバッハの曲ばかりを部屋にとじこもって弾いていた。」とのこと。さらには,結核療養のためにスペインのマジョルカ島に滞在した時(例のジョルジュ・サンドも一緒),楽譜を持っていったのはバッハの平均律の1冊だけだったという逸話もあるくらいです。
バッハが1750年にライプツィヒで亡くなった後は,バッハの作品と存在は世間的には一時期忘れ去られていきましたが,メンデルスゾーンがバッハの「マタイ受難曲」を1829年に再演してからは,ふたたびバッハの作品と存在が脚光を浴び,世界的にも評価されるようになりました。世間的には一時的に忘れ去られていったとはいうものの,ベートーヴェンやショパンなどといった音楽家の間では細々と受け継がれていたのですね。だからこそショパンは,バッハの平均律を日々の糧にしていたのでしょう。バッハとは,ドイツ語で「小川」という意味ですが,どうしてどうして,ベートーヴェンが言うように「大海」です。バッハはそれほどの音楽的影響を後世の音楽家に与えています。
さくら「・・・今日のバイキングは中華料理が中心ね。」
ひみ子「ええ,『日本の』中華料理はとっても美味しいわね。特にこのホテルの青菜炒めと酢豚は大好きなのよ。・・・あれっ?あなた,その美味しそうな料理,何でピーマンだけ残してるのよ。」
さくら「・・・ばれた?私ね,子どもの頃からピーマンが苦手なのよ。」
ひみ子「へぇ,そうだったの。長い付き合いだけど,気付かなかったわ。・・・でもさ,苦手といったら,私ね,最近つくづく中国という国は本当に苦手だと思い始めてるわ。」
さくら「ホントよねぇ。中国って国は,自分の気に入らないことがあると,相手の国に対して露骨に不機嫌な対応を見せつけさえすれば,相手国の方が態度を改めるだろう,みたいな驕り高ぶった気分があるんでしょうね。そういえば,『不機嫌な中国』というタイトルの本を書店で見たことがあるような・・・」
ひみ子「つい最近も,台湾のオーケストラ『台湾国家交響楽団』が11月に中国公演をするために中国政府にビザ発給を求めたそうだけど,その全楽団員のうち日本人3名だけにはビザ発給を拒否したっていうじゃないの。それに最近じゃ,中国政府は日本人に対してはビザ発給を停止するとかいってるし,日本からの輸入品の通関業務をわざと遅らせるとか,東京で開かれた国際通貨基金(IMF)と世界銀行の年次総会には,わざと中央銀行の総裁や主要銀行の首脳を欠席させたり,ありとあらゆる嫌がらせを日本に対してしてるのよ・・・。バカよねぇ,日本の精巧な部品などが輸入できなければ中国の生産はたちどころに影響を受けるのに・・・」
さくら「そうよね。ホントに酷いわね。」
ひみ子「・・・そうそう,文句ばかり言ってたら,お腹が空いてきちゃった・・。ゴマ付きの揚げ饅頭でも持ってこよっと。」
さくら「ええっ!だってあなた・・・,あれだけ食べたのに・・。」
ひみ子「いいってことよ。私だって,確か今年の春ごろだったかしら,このホテルであなたが食べ過ぎて,ブラウスのボタンが1個はじけ飛んだ歴史的な瞬間をこの目で目撃してるのよ。」
さくら「あ,あなた。・・・中国と一緒で,ホントに嫌な人。」
ひみ子「中国と一緒にしないでよ。・・・で,どうなの?あなたも揚げ饅頭欲しい?」
さくら「・・・じ,じゃあ,3個持ってきてくれる?」
ひみ子「(揚げ饅頭7個を皿に乗せて着席)さっきの話だけどさ,日本人はお人好し過ぎる,やられたらやり返せばいい,外国に向けての宣伝が下手だ,という意見もあるけど,あなたどう思う?」
さくら「わたしはね,結論的には日本と日本人は中国や中国人のマネなんかしなくていいと思うの。それにできないと思う。」
ひみ子「なぜ?」
さくら「気質やメンタリティー,民度が全然違うもの。日本や日本人は,こんなことをすれば『恥ずかしい』という感覚をもってるでしょ。さっき,ビザ発給や通関業務,国際会議への嫌がらせのような欠席の話がでていたけど,そういうことは世間的(国際的)にみて恥ずかしいことだという感覚があるじゃない。『恥ずかしい』という感覚のある日本や日本人は,そもそも中国や中国人と同じことはできないし,すべきでもないと思うの。それよりも,そんな露骨で恥さらしなことをしたって,日本や日本人には通用しない,外交的なカードなんかにはならないということを見せつける必要があるわ。売国的な民主党政権のように,『不機嫌な中国』様のご機嫌をうかがって譲歩する必要なんかさらさらない。そんなものカードにならないということを日本の方が見せつければいいのよ。例えば,靖国神社参拝にしたって,国のために尊い命を落とされ,散華された方々の御霊を追悼して何が悪いの?他国が干渉することじゃない。抗議すれば日本国の首相は参拝を控えるだろうと思わせること自体がだめよ。そんなものは外交カードにはならない,日本国首相は毅然として靖国神社に参拝すべきなのよ。」
ひみ子「確かに・・。中国というリスクはとんでもないわね。もう欧米資本は中国から逃げ出しつつあるわ。投資額の前年比では明らかにそういう数字になっているもの。お人好しの日本は『周回遅れ』と言われていて,この期に及んで中国への投資を増やしているけど,もういい加減に中国のカントリーリスクというものを自覚して欲しいわね。あの反日デモの破壊,略奪,放火に懲りないのかしら。」
さくら「そうよね。まったくだわ。でも,カードといえば,あなたはいつも私に対して同じカードを使っているわね。」
ひみ子「・・・えっ?何のこと?」
さくら「3年前だったかしら,私がうっかりしてランチバイキングの約束をすっぽかしたことがあったけど,ことあるごとに『歴史認識』と称して,あなたは私にそのことを持ち出して譲歩を迫るじゃないの。」
ひみ子「どんな譲歩?」
さくら「・・・たとえば,この前の暑気払いの時だって,酢豚が最後に1個だけ残った時に,あなたはその『歴史認識』を持ち出して当然のように自分が食べちゃったじゃないの・・・。」
ひみ子「・・・・・・・・・」
今では,「体育の日」は年によって10月8日になったり,10月11日になったりしますが,昔は10月10日と決まっていましたよね。「体育の日」というのは不動の日でした。
その昔の「体育の日」,つまり10月10日で思い出すのは,中学時代からの親友であったF君のことです。10月10日は確かF君の誕生日だったと思います。今でもそういう記憶は残っているのです。私の誕生日が6月6日ですから,「お互いぞろ目だね・・。」と言い合っていました。楽しい思い出もいっぱいあります。成績は私の方が良かったけど,人間的な幅の広さや包容力は彼でした。ケンカもしましたけど,すぐに仲直りしてしまうのです。
そのF君は,残念ながら今から4年前に亡くなりました。余りにも早過ぎる死でした。本当に残念です。ご遺族の前で思わず号泣してしまったことは,以前にもこのブログでお話ししたとおりです。本当にいい奴だったのですよ。彼のことは忘れることができません。
学校を出てからは,たまに会ったりもしていたのですが,お互いに仕事も忙しく,遠慮し合っていたのでしょうね。今にして思えば,もっともっと一緒に楽しく飲んでおけばよかったと思います。お互い,年賀状などで「今度一緒に飲みたいね。」などとコメントはするものの,彼が亡くなる約10年ほどの間は,会って一緒に飲むこともほとんどなかったのです。私自身はいつでも誘って飲むことができるといった気楽な気分でいたのですが・・・。本当に悔やまれます。
ご遺族の話では,ことあるごとに家族には私のことを話題に出してくれていたようです。こんなにいい親友がいたのだと。本当にありがたい話です。そのことを仏壇の前で聞かされて,またまた涙が流れてしまいました。お互いに心の親友と思い合っていたのに,どこかで遠慮などがあったのかもしれません。毎年10月10日になると,F君のことを懐かしく思い出すのですよ。合掌。
もちろん,山中伸弥京都大学教授のこのたびのノーベル医学・生理学賞受賞のことです。
私なんかは詳しいことどころか,初歩的なことも分からない門外漢ですが,山中教授の偉業というのは,特定の4つの遺伝子を皮膚の細胞に組み込んで心臓の筋肉や神経などさまざまな細胞に変化する「初期化」を起こし,全く新しい「iPS細胞」を作り出すことに世界で初めて成功したということです。そうすると,いったん病変が生じた細胞と同じものを体の外で作り出すことができますから,難病の治療や新薬の開発などに大きな一歩を踏み出すことが可能になるのです。本当に素晴らしい。
それにしても,山中教授の受賞の際の記者会見における挨拶の内容と態度に私は感動しました。仕事に対する誠実さとその謙虚さ・・・。誠実さと謙虚さがにじみ出ていたのではないでしょうか。
「日本という国に支えていただいて,日の丸の教えがなければ,この素晴らしい受賞はなかったと心の底から思いました。まさに日本という国が受賞した賞だと感じております。・・・・・感想を一言で表現すると,感謝という言葉しかありません。」
この受賞は国や友人や家族の支えがなければなかったと仰っております。山中教授の挨拶を聴いていて,その謙虚さと誠実さに涙が出そうになったくらいです。それにしても地道な基礎研究の大切さを痛感しましたね。
さて,政権交代後の民主党政権によるこの約3年間は,「まるで異民族に支配されてきたかのような」(産経新聞の阿比留記者)時間でした(笑)。襟を立て,鬼の首を取ったような表情,そして文化大革命時の紅衛兵のような振る舞いをしていた蓮舫という議員や枝野といった議員などが,バラマキのための財源作りのために,テレビカメラを入れ,「事業仕分け」と称して日本の優秀な科学者らの研究費を削りまくりました。3年前の記者会見では,この山中教授も「想像を絶する事態」と苦言を呈しておられました。「世界で一番でなければならない理由は何ですか?」と紅衛兵に責められてもねえ(笑)。つくづく民主党という存在は,日本が嫌いで嫌いで仕方なく,弱体化させようというのがその党是でもあるかのようです。そうそう,今朝も歩いて事務所まで通勤しましたが,その途中で民主党の事務所のあるビルの前を通りました。そのロゴマークを目にして改めて思ったのは,例の赤い丸が上下に二つに分裂しているかのようなデザイン,彼らが日本の日の丸の赤い部分をそうしているかのよう,つまり日本という国を分裂させよう,弱体化させようとしているかのようで,とても嫌な気分になりました。
山中教授がスポーツマンであることは分かりますが,京都マラソンで完走することによって寄付金を募らざるを得ない状況というのは,やはり研究者にとって酷な研究環境なのでしょう。受賞の記者会見が開始される直前に,野田という俗物は,これみよがしに山中教授の携帯電話に祝福の電話を入れました。私は「いやーな」気分になりました。何であのタイミングなのでしょうか(笑)。
いずれにしても,日本の優秀な頭脳や技術が海外に流出してしまうことは避けなければなりません。原子力技術にしてもそうです。為政者は,このことについてよくよく思いをめぐらせるべきです。
数日前,徒歩出勤の途上で,和菓子屋さんの店頭を通り過ぎました。目に入ったのは,「おはぎ」です。本当に美味しそうでした。その前夜は見事なまん丸の月が出ていました。月を見ながら「おはぎ」を食べる・・・。日本の文化を心から愛しております。日本人というのは,食べ物一つとっても,工夫と追求,こだわりがありますよね。美味しい物を創造します。ついこの間も,「ガリガリ君」のコーンポタージュ味が美味しすぎて,売れすぎて,製造が追いつかなくなってしまいましたものね(笑)。
それにしても,中国という国は,野生動物のようですね。恥ずかしいという感覚,羞恥心というものがあるとは思えません。輸入品の通関業務をわざと停滞させ,日本企業にダメージを与えております。また,日本の新聞や書籍類まで没収しております。さらには,東京で開催される国際通貨基金(IMF)・世界銀行の総会に,中国の大手銀行は嫌がらせのように不参加を決めています。国連総会においては,中国の外相も大使も,尖閣問題に関し,日本を「強盗」呼ばわりしております。このような発言,表現は,国際的には極めて異例のことで,国連の品位を貶めるものだと批判を浴びております。中国には,自国や自国民がこんな言動をしたら他国や他国民がどう思うだろうかといった配慮や自省は全くないのでしょう。例の反日デモも「官製デモ」と言われています。破壊,放火,略奪後の日本企業の施設の無残さを見るにつけても,この国や民族は100年前と変わっておりません。
中国,この国をいったいどのように表現したらよいのか,言葉に窮していましたところ,アメリカのクリントン国務長官がハーバード大学で演説した演説文がネット上で公開されておりました(新唐人日本2012年7月5日付けニュース)。その演説の骨子を読んで,腑に落ちました(笑)。クリントン国務長官はその演説の中で,20年後,中国は世界で最も貧しい国になると述べ,その根拠を6つほど挙げました。次に引用してみます。
1 移民申請の状況から見て,中国9割の官僚家族と8割の富豪がすでに移民申請を出した。またはその意向がある。一国家の指導層と既得権益階級がなぜ自国に自信をなくすのか理解しがたい。
2 中国人は社会の個体として,国家と社会に対して負うべき,責任と義務がわかっていない。国際社会に対して負うべき責任はなおさら分かっていない。受けた教育或いはメディアの宣伝はほとんどが憎しみと他人または他国を歪曲した内容で、人々の理性と公正な判断力を失わせる。
3 中国は世界で数少ない信仰のない恐ろしい国で,全国民が崇拝するのは権力と金銭のみだ。利己的で愛心のない,同情心を失った国家が国際社会の尊重と信頼を得られると思うか?
4 中国政府の所謂政治は人民を騙し人間性に背く以外の何物でもない。人民大衆は過去の権力の奴隷から今は金銭の奴隷に変わった。このような政権がいかに人民の尊重と信頼を得られるか。
5 大多数の中国人は「面目が立ち」,「尊厳ある生活」とは何か全くわかっていない。民衆にとっては権力と金銭の獲得が生活の全てで,成功なのだ。全民腐敗,堕落といった現象は人類の歴史上でも空前絶後だ。
6 憚ることのない環境破壊と資源の略奪,贅沢と浪費の生活方式は何個の地球だと供給できるのだろうか?他国が危惧するのも当たり前だ。中国政府はいつも民衆の注意力を他国にそらし,敵を造り,自分の圧力を外部に転嫁させようとするが,時代の流れと人類文明の趨勢に従い,自ら変革を起こし,民生に関心を払い,民主を重視し,無責任な抑圧をやめるべきだ。でないと,中国はますます不安定になり,将来大きい社会動乱と人道災難が出現し,20年後中国は世界で最も貧しい国になるだろう。これは全人類の災難であり,米国の災難でもある。
クリントン国務長官はハーバード大学での演説でこのように述べたそうです。その場にいた中国人留学生らはこの話の内容をどのように受け止めたのでしょうね。自らも「裸官」の子弟だったのでしょうか。