本当に紅葉の美しい季節となりました。改めて思いますのは,一年というのは本当に短いな,早いなということです。
そして,これまた改めて思いますのは,自分が太ってしまったなと実感するのは,季節の変わり目に一年ぶりに身につけるズボンが窮屈になった際です。もういい歳なんだから,年々太っている場合ではないのです。育ち盛りじゃないんですから(笑)。
何だかとりとめのない話ですが,とりとめのなさついでに,産経新聞社が出している「正論」という月刊誌は,本当に素晴らしい本だと思っております。わずか740円であれだけの充実した内容に接することができるんですもの,ホントに安いです。ランチ一食分(例えば,白身魚フライ定食)と同じくらいです。秋の夜長,もうすぐ冬ですが,くだらないテレビ番組(芸能人の内輪話やマンネリ化したクイズ番組,よそ様の家庭内を野次馬根性で覗くような番組,飲食店のメニューをムダに食い尽くすような番組,バイアスのかかった反日番組,いわゆる韓流のごり押しなどなど)を見ているヒマがあったら,「正論」を読むべきです。素晴らしいコンテンツです。
さて,その「正論」の中のコーナーの一つに「根源へ-草舟立言」というインタビュー記事があり,執行草舟氏の発言が掲載されております。今回は「老いについて 前篇」というもので,大変興味深く読みました。私のような年齢になりますと,「老い」というものをどのように受け入れ,どのように老いていくべきか,死というものにどのように向き合うのかということにも関心がありますが,こういった記事は大変参考になります。
この記事の中には,辞世という言葉が出てきました。ちょっと引用してみます。「常に死を意識して生きろということですね。それによって生き方の根本が固まっていく。・・・キリスト教も武士道も、崇高なるものを目指す非日常を、日常生活の中にもたらしていたのです。その非日常を、形に現しているもののひとつが辞世の慣習なのです。自己の生き方と、その帰結としての死に様を歌や句として残しておくのです。武士だけでなく、格式のある商家や農家の人も辞世を詠んでいます。辞世を詠まないで死ぬことは恥だったのです。だからあらかじめ用意していました。」(月刊「正論12月号」184頁)
なるほどね。それで辞世には名句,名歌が多いのですね。
「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」(西行)
「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」(良寛)
いずれも素晴らしい。良寛の句は,葉の裏も表も全てをさらけ出して,人生を全うしてこの世を去っていくということでしょうか。なお良寛は,辞世として次のような歌も残しております。
「形見とて 何か残さむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉」(良寛)
やはり紅葉(もみじ)ですよ。秋はね・・・。