元東京都知事の石原慎太郎さんが,とうとう日本維新の会の代表になりましたね。
前にもこのブログで書きましたが,この人が橋下徹という人物をなぜあのように無批判かつ無邪気に買いかぶっているのか,本当に理解できないでいます。人を見る目がないにもほどがある。石原慎太郎さんは,自分はワンポイントだ,あとは橋下さんに譲るというようなことも言っておりますが,石原さんは何とか「第三極」として大同団結して今回の総選挙を戦い,橋下という人物の好きな「ふわっとした民意」に支持されて相当数の議席を獲得した上で,たとえわずかな期間でもいいから悲願の内閣総理大臣としての地位を手に入れたいのでしょうか。要するに最後の賭けに出たのでしょう。そんな穿った見方をしてみたくもなりますよ,ホントにね。
「晩節」という言葉は,晩年という意味だけでなく,晩年の節操という意味も含んでおります。そういう意味では,傘寿(80歳)となった最近の石原さんの行動を見ておりますと,節操というものがありません。突然の都知事の辞任,たちあがれ日本の平沼赳夫さんらを強引に説得した上での「太陽の党」の設立,減税日本の河村代表との記者会見,ほぼ全面降伏的な「日本維新の会」への合流(あっという間の「太陽の党」の解消)などなど・・・。結局は晩年の節操というものがないのですから,晩節を汚したと評価されても仕方ないでしょう。
橋下徹という人物はいずれ馬脚が表れると思っていますし,その取り巻き連中は所詮は有象無象の集まりで,全く信用しておりません。橋下という人物は,その「まっとう勝負!」(小学館)なる本の中で,実際に次のような発言をしております(なお,これは名著「維新・改革の正体」(藤井聡著,産経新聞出版)の204頁からの引用)
「政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ。その後に、国民のため、お国のためがついてくる。自分の権力欲、名誉欲を達成する手段として、嫌々国民のため、お国のために奉仕しなければならないわけよ。(略)別に政治家を志す動機付けが権力欲や名誉欲でもいいじゃないか!(略)ウソをつけない奴は政治家と弁護士にはなれないよ!ウソつきは政治家と弁護士の始まりなのっ!」
国民や国のために奉仕するのは「嫌々(いやいや)」なんですと。政治家を志すのは自分の権力欲と名誉欲を満たすためなんですと・・・。こんな人物が「第三極」の核になっているのですし,バカなマスコミはやたらに自由民主党をけなし,「第三極」の存在をはやし立てております。それに「日本維新の会」は,小異(実は「小異」どころの騒ぎではないんですけどね)を捨てて大同に付いたなどといって,いろんな威勢のいい約束をしております。でも私は絶対に騙されたりはしません。少なくとも私だけはっ!(笑)。
「偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである。それには費用も掛からず、想像力以外の何の苦労も要らない。」(イギリスの哲学者エドマンド・バークの『フランス革命の省察』より)