先日車で出張先まで往復する際に,バッハの教会カンタータを聴きました。この日は,119番から127番まででした。こういった曲を聴いておりますと,改めてバッハの素晴らしさを実感します。
このうち教会カンタータ120番「神よ、われらはひそかに汝をたたえ」を聴いているうちに,「あれっ?」と思いました。この120番の第2曲は,どこかで聴いたことがあるなと確信したのです。この第2曲の大規模な合唱曲(ニ長調,4分の4拍子)の主要部分は,バッハの畢生の大作,かの「ミサ曲ロ短調」の第2部「クレド」の最終曲「Et expecto(死者の蘇りと来世の生命を待ち望む)」と酷似しているのです。
バッハの名曲の数々を聴いておりますと,こういうことがままあります。パロディー(転用)というやつです。また同じ日に聴いた教会カンタータ127番「主イエス・キリスト、まことの人にして神よ」においても,「あれっ?」と思いました。この127番の冒頭の合唱曲の中では,バッハの最高傑作と評価されているかの「マタイ受難曲」第一部の最後の大コラールの旋律の一部が現れたのです。これはパロディー(転用)というほどの規模ではありませんが,「ああ,あのメロディーだな。」と膝を打つ瞬間でした。
考えてみますと,120番にしても127番にしても,その成立時期はバッハのライプツィヒ時代です。妻子のために一生懸命に働き,聖トーマス教会で仕事に追われていた忙しい時代ですから,作曲を効率的にするためにもパロディー(転用)は有効だったのでしょう。それは無理もないことだし,バッハの作品の数々は何よりも他にも転用したいほど素晴らしい曲の宝庫だったのです。
仕事に追われて忙しいという状況は,実は私も同じなのですが,どうです,皆さん。私は本格的にブログを始めた平成20年12月からは毎月最低でも10回の更新をするという記録を続けておりますよ。偉いでしょう?(笑)日本全国6194万人の私のブログの読者のためにも(笑),月最低でも10回はという気持ちで何とかここまで継続してきました。確かに私のブログの内容等については,話題が限られていてマンネリ化している,思想傾向が偏っている(笑),時に衒学的なのが鼻持ちならないなどといったお叱りを受けつつも,結構面白い,正論だ,頑張って続けてくれといった激励もあります(笑)。
ということで来年もブログ更新を続けたいと思います。本当に嬉しいことに,あのおぞましい民主党政権が終焉し,昨日のこのブログのタイトルのように日本の政治状況にも暁光が見えてきました。ワクワクして新年を迎えることができます。皆さんにとっても,来年が素晴らしい一年になることを祈念いたしております。良いお年を!
いよいよ第二次安倍内閣が発足しました。私自身,本当に嬉しく思いますし,大いに期待をしている一人です。暁光というのは明け方の空の光という意味であり,第二次安倍内閣はそのようなイメージです。民主党政権という「まるで異民族からのような支配」から脱却し,正に日本を再生させるための内閣だと思いますし,実は「戦後レジーム」からの脱却の第一歩という意味もあります。どうですかね,ブログの表題にサブタイトルが付いたのは私のこのブログが始まって以来,初めてではないでしょうか。もっとも,「日本を、取り戻す。」というのは,今回の総選挙に当たって自由民主党が採用したキャッチフレーズですが・・・(笑)。昨夜は嬉しくて,ニュース番組をハシゴしましたし,お酒も進んでしまいました。
安倍首相も当面は大変でしょうね。民主党政権によってガタガタになった国の統治機構や意思決定過程などのシステムを,まずは立て直さなければなりませんし,社会主義的な色彩を色濃くもった諸施策(バラマキが中心)の方針転換が必要なのですから。なお,言っておきますが,自由民主党が策定した国土強靱化計画のようなインフラ整備(経年劣化したものの修繕,耐震補強,交通網の整備など)は将来への投資行為であり,国有財産なのであって,このような財政出動はバラマキだとは思っておりません。デフレギャップを埋めるには,金融緩和だけでなく,何よりも需要(お金を使うということ)の創出が必要なのです。
安倍首相が設定する,そして重視する当面の政策課題はデフレ経済からの脱却と景気回復ですが,本当に正鵠を射ていると思います。とにかく企業や事業者が元気にならなければならないと痛感しておりますし,それが雇用にも反映されます。この金融政策,経済対策は1年半から2年くらいのスパンで見ていかないと効果が実感できないので,せっかちにネガティブキャンペーンをしたがるマスゴミ,いやマスコミの情報を無批判に受け入れてはだめだと思うのですよ。
そして,何よりも来年の参議院議員選挙で,あのおぞましき「ねじれ現象」を解消し,安定的な政権基盤を作った上で,決死の覚悟を決めた安倍首相の政策が花開くことになるのです。
閣僚の面々も手堅いと思いますし,内閣官房参与の面々も,民主党政権時代のそれとは全然違って,仕事師の集まりだと思います。
稲田朋美代議士がとうとう入閣しました。本当に期待しちょります。そして,森まさこさんも議員になってまだ5年というのに,入閣しました。確かに彼女の国会質問を見ておりますと,議員としてとても立派な仕事をしていると思います。
司法試験に合格しますと,司法修習生としての修習を経て,それぞれ裁判官,検察官,弁護士として巣立っていくのですが,実は森まさこさん(大臣)は司法修習の同期(47期)で,クラスも同じ。名字が同じ「も」で始まりますから,隣の席で勉強しておりました。いよいよ大臣ですか,是非とも活躍して欲しいと思います。
第二次安倍内閣の発足を祝して,昨夜は少し深酒をして眠くなり,早めに床についたのですが,深夜に目覚めてしまいました。テレビのスイッチを入れてみると,新閣僚の記者会見が行われておりました。私はこの記者会見の時に結構こだわっていることがあります。新閣僚が登壇したり,降壇したりする際に国旗(日の丸)に一礼をするかどうかということに。稲田さんも森さんも美しくそれぞれ登壇,降壇時に一礼をしておりました。それに引き替え,おい,山本一太君!私はこの人はマスコミに出たがりのタイプで余り良い印象はもっていなかったのですが,案の定この人は登壇時も降壇時も国旗(日の丸)を全く無視しておりました。そんなことではいけません。
やっぱ,だめでした(笑)。私のゴルフは光明の見えない,深い深い淵の底に沈んでしまったようです。どうしてこんなに下手になってしまったのでしょうか。3年前の年末には,その年で一番良いスコアを出したので,自分は年末の最終ラウンドには強いんだという,あまり根拠のない自信をもって臨んだのですが,やはりひどいスコアだったのです。
このひどいスコアを年齢のせいにはしたくないです。確かに年齢のせいか,筋力も気力も体の柔軟性も衰え,関節の可動域も狭くなっているとは思います。でも,70歳代の方々ともご一緒させていただく機会がありますが,それはそれは見事なゴルフをなさる方が多くおられます。年齢のせいだけではないのです。
そのひどいスコアのラウンド終了後,一緒に回った人から,福音のようなことを聞かされました・・・「道具も重要だよ。」と・・・。聞くところによると,ゴルフ道具の深化・進化も日進月歩で,最近ではドライバーもアイアンもとても性能が良く,真っ直ぐに,しかもよく飛ぶものが多いそうです。「道具を替えたら。」とのアドバイスは,打ちひしがれた私にとっては非常に説得力がありました。そういえば,同じロータリークラブの人からも(その人はYさんという人で,七福神の布袋様のような体型をしておられます),「道具を替えたらどうだ!」と常日頃言われていたことも思い出しました。
思い起こせば,マンションの駐車場の車のトランクに入れっぱなしのゴルフバッグを何者かに盗まれたのが,確か約10年前でした。それを機に今使用しているクラブを買ったのですが,その当時は新品でも現在では約10年前の古道具に過ぎません。そうか,道具か(笑)。自分のスコアが悪いのは道具のせいだったのか(爆笑)。だったら小遣いを貯めて,道具を買い換えればいいのだ・・・。何だ,もうちょっと早く教えてくれたらよかったのに・・・,スコアが悪い原因は私にあるのではなくて,道具だったということを(笑)。
正に福音です(笑)。私は年明け早々に,これを実行に移すことを決意しました。そして,練習場にもできるだけ通って,真面目に練習をするということを。
予想されたこととはいえ,それにしても自由民主党の安倍晋三総裁へのマスゴミ,いやマスコミのネガティブキャンペーンはひどいですね。朝日新聞などをはじめとするマスコミは,まだ組閣前なのに批判的,懐疑的,世論誤導的な記事ばかり載せ,訳の分からないコメンテーターにそんな趣旨のコメントをさせまくっております。とりわけ朝日新聞などは,安倍総裁を追い落とすことを社是としているくらいですからね(笑)。
同じ政権誕生時でも,3年前の民主党政権誕生の時の礼賛記事のオンパレードとは顕著な違いを見せております。そもそも民主党政権というあの史上最低,最悪の政権を誕生させてしまった最大の戦犯はマスコミと言っても過言ではないのですからね。本当に,本当に,国民一人一人が情報リテラシーを研ぎ澄ます必要があります。
2月22日は日本政府が竹島を日本に編入した日なので,この日は「竹島の日」とされています。自由民主党は衆議院議員選挙の政策集の中で,この「竹島の日」の記念式典を政府主催で行うことを明記しており,これはとても画期的なことなのですが,自由民主党は,来年の「竹島の日」にこれを初めて政府主催とすることについては,当面は見送る方針にしました。このことを朝日新聞は,鬼の首を取ったように報道しております。
朝日新聞のこの報道の裏にあるのは,安倍晋三もいざとなったら腰が引けているではないか,ブレているではないかと暗に示唆して保守層を動揺させる魂胆なのでしょう。でも安倍総裁には深謀遠慮があるのだと思います。どういうことかというと,来年の参議院議員選挙で,自由民主党が参議院でも過半数を占めるまでは,あまりガタガタさせず,地道にしっかりと仕事をして,まずは国民に実績を示していこうということです。慌てることはない。それにまだ新内閣が発足した訳でもないし。そして参議院でも過半数を制した暁にこそ,いわゆる「ねじれ」が解消され,しかる後には安倍カラーを存分に発揮し,覚悟をもって政治家としての本懐を遂げようとしているのです。深謀遠慮なのですよ。私はそれでいいと思います。
来年の参議院議員選挙では,あのおぞましき「ねじれ」を見事に解消し,今度こそ決定力をもつ国家にしなければなりません。
それにしても,テレビ朝日系列の「報道ステーション」という番組を,私はイヤイヤ見ております。なぜって,あの時間帯にはあれしか報道番組がないんですもの。そして私の癖は,この番組の報道部分などは見るけど,古館という勘違いキャスターもどきが画面に登場すると,とたんにチャンネルを変えます。もの凄い早業です(笑)。あっという間に変えてしまいます。一種のパブロフの条件反射なんでしょうか(爆笑)。そして,もうそろそろ画面が変わっているなという時期を見計らって再び「報道ステーション」にチャンネルを合わせて報道部分を見て,古館なんとかという人が再び画面に登場すると,あっという間にチャンネルを変えるということの繰り返し。思うに,古館なんとかという人は,プロレスか何かの実況をやっていればいいのではないかと・・・。
日本のマスコミというのは,記者団,カメラマンなんかも本当に程度が低いなとつくづく思います。ノーベル生理学・医学賞を受賞された山中伸弥教授に対して,オリンピックの時のように「メダルをかじってもらえますか」と所望したというのです。バカ丸出しです。オリンピックの時だって私はあの「メダルかじり」が大嫌いです。山中教授が「それはできません。」と拒絶されたのは当たり前です。
いやー,びっくりしました。こんなに素晴らしい,そして懐かしい企画ができるなんて・・・。手にして,読んで,眺めているうちに懐かし過ぎて目頭が熱くなってしまいました。「長嶋茂雄 ドリーム・トレジャーズ・ブック」(産経新聞出版)を手に入れたのです。記事と写真で構成される分厚い本体(書籍)だけでなく,CD,DVD,そして何よりも豪華お宝50点が付録になっているのです(笑)。嬉しすぎておしっこを漏らしそうです(笑)。豪華お宝50点の中には,天覧試合の時のスコアカード,V9時代の日本シリーズの入場券,不二家キャラメルのサイン付きブロマイド,直筆「快打洗心」のサイン色紙,雑誌「トップスター」創刊号の一部,巨人対サンケイ戦のポスター,バットを持つ長嶋のめんこ,ライオン歯磨き抽選券,カルビー野球カード,プロ野球ファン手帳・・・・・。本当に泣きそうになります。
引退試合の翌日のサンケイスポーツに掲載された写真部長三浦保さんの記事を読んで,本当に泣けて来ました。長嶋茂雄という男の優しさに・・・。その記事の一部を引用して紹介しましょう。
「・・・私は三十六年九月、病床の少年と長島選手の心温まるシーンを忘れることはできない。この少年は、トンボ鉛筆製作所社長、小川八郎さんの長男喜達君で、当時十四歳だった。喜達君は、悪性肉腫で右足を切断、一時は快方に向かったが、七月はじめから右腕にも同じようなはれものができ、痛みがひどくなったため、再び病床についた。・・・いちばん好きなのは巨人軍の長島茂雄三塁手。『長島さん、かっ飛ばせ!』と病床から声援を送っていた。元気そうに見えた喜達君だったが,ある朝、急に容体が悪化、危篤状態におちいった。目の前がかすんで、10センチぐらい先しか見えないという。・・・その苦しい息の下から、うわごとのようにつぶやいた。『長島さんに会いたいなあ』-やっと聞き取れるほどの小さな声。なんとか、その願いをかなえてやりたいと思った両親は、無理を承知で頼んでみたところ、長島は二つ返事で引き受けた。病室へやってきた長島は、大きな手を差し出し、喜達君の頭をなでながら、やさしくいった。『坊や、早く元気になるんだよ。後楽園に来たら、いっしょにベンチで野球を見ようね』・・・『今夜は、坊やのために必ずホームランを打つよ』。そう約束する長島のホオには、幾筋もの涙が光っていた。約束通り、長島はその日の対国鉄戦の最終回、一塁に坂崎をおいて右中間に大ホームランを放った。試合後、長島は喜達君に電話をかけた。『テレビ見てた?おれは約束を果たしたよ。君も元気を出してね。』しかし、その少年は、二日後の九月九日、長島がプレゼントしたバットとボールを枕元に置いて、静かに息を引き取った。」
長嶋さんはやはり優しい男だったのです。少年時代に私も長嶋選手のプレーに熱狂しました。親父に初めて買ってもらったユニホームも,当然背番号は「3」でした。先日の日曜日に入手した「長嶋茂雄 ドリーム・トレジャーズ・ブック」(産経新聞出版)の次のような宣伝文句は,正に私自身の実感なのです。
「この男が輝いていたころ、日本も輝いていた 長嶋は日本を照らす太陽だ。」
「日本を、取り戻す。」というのは,今回の総選挙に当たって自由民主党が採用したキャッチフレーズでしたね。本当に,着実に取り戻して欲しいと思っております。「まるで異民族に支配されてきたかのような」この3年3か月でしたからね(笑)。
こんな私のブログでも,言い過ぎれば公職選挙法違反のおそれもありましたので,ここ当分の間は静かにしておりました(笑)。今回の総選挙で,自由民主党は294議席を獲得しました。民主党政権という「異民族のような支配」から脱却し,正に日本を再生させるためには是非とも必要不可欠な議席数でした。本当はもう少し欲しかったのですが・・・。
それにしても,民放の選挙速報をハシゴしておりましてつくづく思いましたのは,マスコミというのはなぜあんなに酷いのでしょうか。近い将来成立するであろう安倍政権を早くもバッシングしております。中国や韓国の警戒的な反応をこれ見よがしに報道し,あたかも「安倍政権では危ないよ。ほら,中国様や韓国様もこんなに警戒しているでしょう?」と言いたげです。バカなマスコミ報道から垂れ流される情報を的確かつ賢明に選り分けるだけのリテラシー(能力)が国民に要求されています。
確かに今回の選択は,結果的に最善だったと思うのですが,比例代表においてはいわゆる無党派層の票のかなりの部分が「日本維新の会」に流れている実態に愕然としました。さすがに「卒原発」と「子ども手当」が票に結びつくといった魂胆で有権者をばかにし切った「日本未来の党」のいかがわしさには,有権者も気付いたのでしょうが,「日本維新の会」に流れた「ふわっとした民意」の存在は恐ろしいと思いました。「何だか分からないけど,何かやってくれそう。」という安易な気持ちで投票行動に移るいわゆる「B層」的な存在が厳然としてあるのです。怖いと思います。次の参議院議員選挙までの間に石原さんと橋下という人物とが「離婚」するのを願っております。維新で当選した中山成彬さんや西村眞悟さんらは,いずれ自由民主党に移りなさい(笑)。
故中川昭一さんの配偶者で,このたび夫の遺志を継いで出馬した中川郁子さんの当選は見事であり,大変良かったと思います。私も長いこと生きておりますが,ある政治家の訃報に接して涙が流れてきてしまったのは,この故中川昭一さんという立派な政治家の時だけでした。国士といってもいいし,能力が非常に高く,何よりも愛国心がありました。経済産業大臣や財務大臣の時代に彼が行った仕事は本当に素晴らしいものでした。麻生太郎や中川昭一,安倍晋三という人材こそが日本を背負って立つべきなのです。中川昭一という得難い人材を喪ったことは痛恨の極みです。彼を死に追いやったのは,酷いマスコミと一部の全く国益というものを考えない財務官僚その他の連中だと思っております。
さてさて,自由民主党の安倍晋三総裁は,当面は盤石の組閣人事の構想練りと,将来の日銀総裁人事構想でしょうね。安倍総裁は早速にアメリカのイェール大学教授で国際金融論の泰斗である浜田宏一氏を内閣官房参与に起用する方針を固めました。着々と手を打ってくれております。何よりも14,5年も続くデフレ経済を脱却し,名目GDPを増やし,ひては税収を増やしていき,日本人と日本企業を元気にしていかなければなりません。
昨日は嬉しくて嬉しくて晩酌の量がいつもより多くなってしまいましたが,今この時期にはやはり自由民主党でなければだめなのだとつくづく思いました。何よりも人材が豊富ですし,経験と実務能力があります。そしてさらに一つだけ指摘しますと,今回の総選挙ではいろんな政党がいろんな政策をアピールしておりましたが,「教育の再生」に言及した政党が自由民主党以外にあったでしょうか。私自身が常日頃思っておりますのは,国家の存立のためには「教育の再生」こそが極めて重要だということです。民主党のような政党は「高等学校授業料無償化」というバラマキのようなことはやりますが,教育のあり方や内容そのものについては全く言及せず,かえって「心のノート」のようなものを廃止しております。こういった意味でも,「教育の再生」を訴えた自由民主党こそ信頼に値すると思っているのです。
仕事のために車を使って少し遠出をするような時は,私はお気に入りの盤(CD)で音楽を聴きながらの移動をいたします。なんにも聴かずに黙々と運転をするというようなことは滅多にありません(笑)。昨日私が聴いた盤(CD)は,ウラディーミル・ホロヴィッツのピアノ,ユージン・オーマンディ指揮のニューヨーク・フィルハーモニックの演奏によるラフマニノフのピアノ協奏曲第3番でした。RCAの盤で1978年1月8日のカーネギー・ホールでの演奏の実況録音です。昔からこの盤がお気に入りなのです。オーマンディの指揮と息が合い,ホロヴィッツの圧倒的な演奏で,演奏終了直後には館内の興奮した聴衆の拍手と称賛の声・・・。いやはや,すごい迫力なのですよ。聴いているこっちも元気が出ます。
ホロヴイッツは1903年生まれですから,この演奏時にはもう75歳になろうとしている年齢です。それがあのような演奏・・・。全く信じられません。デモーニッシュな感じさえします。それにしてもセルゲイ・ラフマニノフはこういった曲(ピアノ協奏曲第3番)を作曲し,自作自演できる訳ですから,ラフマニノフ自身も超絶技巧を備えた当代一流のピアニストだったのでしょう。それに何よりも素晴らしいメロディーメーカーです。そのメロディーメーカーぶりは,交響曲第2番の第3楽章や「ヴォカリーズ」を聴いてみれば実感できるでしょう。
「雑感」ですから話はコロッと変わりますが,昨日の遠出の帰り道では,久しぶりに堂々たる小学生を車の中から見かけました。そうですね,2年生か3年生くらいでしょうか,男の子で,道路の植え込みに向かって「立ち小便」をしていました。放物線のようなオシッコではなくて,その植え込みを攻撃するかのような勢いを感じさせるオシッコでした(爆笑)。堂々たる振る舞いではありましたが,その表情はとても不安そう・・・。この寒さですものね,老若男女を問わずオシッコが近くなりますよね。この男の子も背に腹は代えられなかったのでしょう。でも,クラスで密かに自分が恋心を寄せている可愛い女の子のクラスメートに見られたらどうするのでしょうか。通学路の途上でもあり,すごく冒険的な行いです(笑)。
日本全国の無数の読者のために(笑),本当は昨日もブログを更新しようと思ってはいたのですが,昨日はどうにも気分が沈滞しておりました。何を隠そう,私は新聞の休刊日は気が萎えてしまうのです。明日は新聞の休刊日だと分かっていると,前の晩から(笑)。私は朝は新聞がないとダメなのです。しかも昨日はブルーマンデーですし,雪降りの日でしたからなおさら気分が沈滞気味。
昨日は積雪もあり,雪の中を徒歩通勤しました。厳しい寒さと降雪,いつもは「チュン,チュン」と可愛く鳴いて激励してくれるすずめが一羽も見当たりません。私は歩きながら「あのすずめたちは,今頃どこでどんなふうにして過ごしているのだろう。」と・・・。前にもこのブログで触れたことがありますが,私は恐らく動物の中ではすずめが一番好きなんじゃないかと思います。あんなに可愛い動物はおりません(笑)。
このブログでも最近ではよく登場する俳人井上井月も,次のような句を作っております。
「気配りの 親と知らるゝ 雀かな」
本当に佳い句ですね。本当のところの句意は分かりませんが,数羽の雀の群れがあって,その中に「エサはここだよ」と優しく導く一羽がいる,あるいは一生懸命エサをつついている小雀たちに迫る危険はないかどうかを見張っている一羽がいる,ああ,あれが親雀なのだなあ・・・,という句ではないでしょうか。そういう着眼点,描写ができる俳人井月もすごい。心優しき人物で邪念など全くありません。
さてさて,今週の日曜日は待ちに待った総選挙です。そういえば,雀ならぬ鳩という文字がその名字に付いた人で始まった民主党政権でしたが,いはやは本当に酷い目に遭わされました。明らかに人災です。それなのに,空気デブなのか水ぶくれなのかは知りませんが,野田という人間は「皆さん前に進みましょうよ,古い政治に戻っていいんですか!」などと寝とぼけたことを言っております。彼らは一体どんな「前へ」進んだのでしょう。問題はその方向性の支離滅裂さと誤謬性です。彼らが異民族のように支配したこの約3年間,この愛すべき日本国と国民はどんな酷い目に遭わされたでしょうか。彼らは全く反省というものがありません。
ふたたび,すずめです。反省と言えば,私はすずめちゃんに大変悪いことをしてしまった過去があります。本当に今では反省しております。今からもう30年以上も前ですが,東京の居酒屋で出された雀(焼き鳥風の)を勢いで食べてしまったことがあります。これが今でも心のトゲのように刺さったままです。申し訳ありませんでした,すずめちゃん。
姉夫婦からお歳暮が届きました。今年は鮭でした。確かに冬にいただく鮭は美味しいですね。私がその句や境涯い高い関心をもっている孤高の俳人,井上井月も冬に次のような句を作っております。
「行く年や尾鰭(をひれ)も広き鮭の魚(いを)」
同じく井月の年の瀬らしい句としては,次のようなものもあります。
「売に来る薄塩物や初しぐれ」
「初冬や庵(いほ)のあたりを去らぬ鳥」
「朝市の昼へ持越す師走かな」
冬は割と生ものの保存も利きますから,塩は薄くてよいのでしょうね。鳥も寒いやら人恋しいのか,なかなか庵を去ろうとしません。正月用の食品や材料を買い込んでおかなければならないのでしょうか,朝市も延長して昼間で持ち越されます。いかにも年の瀬らしいですね。
さて,この年の瀬の総選挙はどうなるでしょうか。実は私,「第三極」と称されている勢力(日本未来の党やら日本維新の会などなど)には腹の底から怒っております(笑)。とにかく無責任です。ありとあらゆる面で無責任ですが,例えば「脱原発」,「卒原発」なる言葉とスローガンです。彼らは「脱原発」,「卒原発」に至るまでの工程表を具体的に示しているでしょうか。発電量,代替エネルギーの裏付けやコスト,消費者の負担する電力料金の額などについて,「脱原発」,「卒原発」に至るまでの経時的な試算を示しているでしょうか。そしてそれらは真に裏付けのあるものなのでしょうか。
彼らにとってはドイツなどは「脱原発」の先輩なのでしょうが,ドイツは成功していますか。電力料金は跳ね上がり,いわゆるクリーンエネルギーのコストも極めて高く,採算が合っておりませんし,国民も高額な電気料金の負担に押しつぶされそうになっております。何よりも,エネルギーだって安全保障が観念できる訳でして,エネルギー面での生殺与奪の権利を他国に握られてしまってもよいのでしょうか。
これまでに営々と築き上げてきた日本の原子力技術が海外に続々と流出し,日本から原子力技術がなくなってもよいのでしょうか。これらを学ぶ時代の学生らが人っ子一人いなくなってもよいのでしょうか。100%安全,絶対安全なんてことはないんです。でもそのような状況でもできるだけ努力してエネルギーを確保し,国民経済も維持発展させ,技術力を積み重ねていくしかないでしょう。政治家がやるべきことは,「脱原発」「卒原発」のシングルイシューではないはずです。物事は総合的に捉えられなければなりません。ただでさえ円高,デフレ経済にあえいでいる企業や国民は倍増する電気料金や代替エネルギー(化石燃料等)の購入代金を負担できるでしょうか。このままでは日本という国が足腰立たないくらいに疲弊してしまいます。
特に日本未来の党なんてのは,バックに小沢一郎という俗物がいますね。案の定,またまた子ども手当一人月額2万6000円というバラマキを公約しています。これに要する予算は約5兆3000億円であり,国の守りのための約4兆7000億円の防衛予算を超えております。彼らとしては,「脱原発」と「子ども手当」は絶対に票に結びつくぞ!今はこれでいくしかない,てなもんでしょう。無責任の極みです。本当に有権者もナメられたものです。
先日,ある会合で,望外の素晴らしい体験をしました。ある女の子の歌声に心を揺さぶられるほどの感動をしたのです。その女の子は,生まれつき全盲という障害を負っている12歳の中学生ですが,将来の夢は全国各地の老人ホームを訪問して歌を歌い,おじいちゃん,おばあちゃんに元気になってもらうことだそうです。
その時は彼女に3曲歌ってもらいました。素晴らしい歌声でしたし,間違いなく人を感動させる何かがあります。1曲目から思わず涙が出ました。2曲目は唱歌「ふるさと」を歌ってくれ,大勢の前でハンカチを出すわけにもいかず,涙が流れるままにしておりました。
普段何かと疲れ,時には不安を抱えている私も,彼女のその歌とトークに大いに励まされました。彼女には確かに,優しさと強さがありました。
俳優の大滝秀治さんは10月2日に87歳で亡くなりましたが,大滝秀治さんに関する読売新聞の記事に,これまた感動しました。その読売新聞の記事は,朝日新聞に投稿した58歳の女性の思い出話のことでした。その女性の思い出話とは・・・
「小学2年の春、アパートのベランダ下にタンポポが黄色いじゅうたんとなって咲き誇った。1階に住むおじちゃんに取っていいかと聞くと、『全部取っちゃあ、だめだよ。来年また咲くように残しておこうね』と、ざらついた、でも温かい声で話してくれた。『どうしてお仕事にいかないの?』と聞くと、『今ね、お仕事なくて、奥さんに食べさせてもらってるの』とニコニコ答え、ベランダ越しに紙包みのビスケットを手渡してくれた。」
実はその「おじちゃん」こそが50年前の大滝秀治さんだったそうです。若かったとはいえ,不遇を囲い,将来の不安を抱えながらも,昼間ぶらぶらしている理由を悪意なく尋ねたその女の子に,ベランダ越しに紙包みのビスケットを手渡す・・・。その記事は,「大滝は、老境にあってこその彼ではなく、見事に50年前から大滝秀治であり、またあり続けたのだった。アパートの黄色いじゅうたんの情景が、映画のワンシーンのように目に浮かぶ。ほほえましくて、涙が出る。」
正にそのとおりです。これも優しさと強さです。私はこれにも励まされました。