以前から本当に不思議に思っていたし,不納得だったのが,いわゆる靖国神社参拝「問題」です。靖国神社の春季例大祭の時期に,第二次安倍内閣の閣僚3名が参拝したのに引き続き,国会議員168名が参拝しました。ところが,例によって中国と韓国がこれに抗議し,これまた例によってマスゴミ,いやマスコミがこれを煽っております。全くばかげているとしか言いようがありません。
この「問題」についての安倍首相の答弁,すなわち「国のために尊い命を落とした英霊に対して尊崇の念を表するのは当たり前だ。閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由は確保していく。」,「(海外からの)批判に痛痒を感じず,おかしいと思わないほうがおかしい。」との答弁は至極当然です。
今日の産経新聞の社説(主張)にもあるように,「戦死者の霊が靖国神社に、また地方の護国神社・忠霊塔に祭られ、その霊に祈りをささげるのは、日本の儀礼であり伝統文化だ。慰霊は公人、私人を問わない。それは日本人の心のあり方である。」のであって,中国や韓国がこれにとやかく言う筋合いではないのです。要するに,これを外交カードにすること自体がおかしいのであって,この問題で日本が毅然とした対応を貫き通すことによって,これが結局は外交カードにはならないことを明確に知らしめるべきでしょう。
時事通信社が今年の1月11日から14日にかけて実施した世論調査では,首相の靖国神社参拝について,「参拝すべきだ」と回答した人が56.7%に上り,「参拝すべきでない」との回答は26.6%にとどまっております。亡くなられた方々はみんな仏様になるのです,国とために散華された方々の御霊をなぐさめようとする心情は,日本人であれば誰でもあるでしょう。思いはいろいろあるでしょうけど,兵隊さんは「靖国で会おう」と言い合って散華されたのです。靖国には遺族や子孫が来てくれる,戦友らとも会える,と思いながらです。
中国や韓国,反日左翼らはA級戦犯の合祀をとやかく言っておりますが,閣議決定された日本政府の公式見解は「先の大戦後、連合国によって『戦犯』とされた軍人・軍属らが死刑や禁固刑などを受けたことについて、国内法上は戦犯は存在しない」というものです。国際法の観点からする「東京裁判」の欺瞞性については,いずれ気が向いたら書こうかなと思います。それにしても,この問題について,わが日本国内で中国,韓国に迎合した言説を弄している人たちやマスコミ関係者は,あいかわらず戦勝国(アメリカ)から「義眼を嵌められた」ままになっているのでしょう(「閉された言語空間」江藤淳著)。