私はただただ第二次安倍内閣が,日本を取り戻すための建設的で着実な仕事をしていただければ良いと思っております。選挙互助会みたいになっている野党勢力はどうでもいいです(笑)。社民党にいたっては衆参合わせて僅か5議席で,絶滅危惧種みたいな言われ方をしておりますが,私は全然危惧しておりません(爆笑)。
野党勢力といっても,「勢力」とも評価できないような体たらくです。例えば,みんなの党・・・。渡辺喜美代表と江田憲司幹事長とが党運営をめぐって先鋭な形で対立し,両院議員総会では,この両者が同席していたのでは活発な議論ができないということで,一時両者が席を外させられるという事態まで生じました(笑)。
このいかにも大衆迎合的な名の政党ですが,どうやらこれまでのところは,「みんな」で民主的に党運営をしていくというよりも,渡辺代表の「個人商店」的な体質を払拭できなかったようです。前から感じていたのですが彼には俗物臭もします(笑)。先の東京都議選では渡辺代表は自分の甥に当たる渡辺美知太郎をみんなの党公認として擁立しました。でも落選の憂き目。それではと,渡辺代表は甥が可愛くて仕方なかったのか,今度は先の参議院議員通常選挙において,その甥をみんなの党公認,比例代表候補者として擁立したのです。この選挙は,渡辺代表が遊説等でこの甥を全面的にバックアップし,何とか当選させることができました。みんなの党の両院議員総会では,まさかこの甥の公認のことではないでしょうが,先の参議院議員通常選挙で渡辺代表が一部主導した党の公認手続に瑕疵があったことが問題とされ,一応渡辺代表は陳謝しました。
また,この党の両院議員総会では,党の資金の決裁手続にも改革の必要があると問題提起されているように,党の資金の使い方についても渡辺代表の独断性が問題とされています。政党交付金が国民の血税でまかなわれているのですから,いやしくも政党資金の使途等はガラス張りである必要があり,いくら代表であるからといって恣意に流れて良いはずがありません。
以上のような問題性,そして党改革の必要性について,江田幹事長は「『渡辺個人商店』を株式会社化し,上場していくのが幹事長の使命だ。」と語っておりますが,この言には一理あるでしょうね。
でも,私としてはみんなの党なんでどうでもいいのです(笑)。その政策は,徹底した規制緩和,競争,何が何でも「既得権益」の打破,そして「小さな政府」を指向し,いわゆる新自由主義的思想基盤の上に立っております。そして訳の分からない中央集権打破・道州制の導入・・・。人に人柄があるように,国にも国柄というものがございますが,このみんなの党のような政策が実現した日には,日本の国柄は絶対に変わってしまいますし,日本は,三島由紀夫が「私の中の二十五年」という寄稿文で述べた次の言葉のようになってしまうでしょう。
「私はこれから日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない,或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」
ただ,ただですよ。そうならないように,そして少なくともそうならないような布石となるための第一歩を踏み出す最後のチャンスが,第二次安倍内閣なのではないかと思い,期待しているのです。この15年来のデフレ脱却,教育再生,憲法改正の各方向性は間違いではありません。実は私は,三島由紀夫や福田恆存や江藤淳が,戦後の各政治状況や各内閣の仕事ぶりを俯瞰した上で,第二次安倍内閣をどのように評価するかについて,天国で語り合っているのを盗み聞きしたいなと思っています。
人里離れた山間のある集落を訪れた三流スポーツ紙の記者と老翁とのやり取りはその後も延々と続いていたのである。
老 翁「・・・スライダーという球種はのう,直球にスピードと威力があればこそ有効なのじゃ。内海のように直球のスピードがせいぜい135キロ程度じゃ,よほどのキレがなければスライダーもそれほど効果はない。」
記 者「そういえば,内海は先日の試合も初回に点を取られておりましたね。その試合,ジャイアンツは勝つには勝ちましたが・・・。」
老 翁「広島の前田健太というピッチャーはなかなかじゃな。直球にスピードと威力があるだけに,スライダーが有効なのじゃ。巨人の坂本は前田とはドラフト同期のようじゃが,最近の試合を見ておっても,格の違いを感じる。坂本は,前田のスライダーに翻弄されておる。坂本は,もう少し頭を使わにゃならんよ。」
記 者「現在のジャイアンツのことについて,何でも結構ですからその他に何かもう少しお話しいただけますか。」
老 翁「ワシも少しもうろくしてきたが,敢えて言わせてもらえれば,勝ちをはっきりと計算できるような投手の柱がないな。・・・・そうじゃな,昔だったら,城之内邦雄,堀内恒夫,高橋一三,江川卓,斎藤雅樹,桑田真澄みたいな感じじゃ・・・。とにかくチェックが甘いんじゃ。ボサーッとしてプレスも掛けんから相手選手に好きなようにボールを回され,ラインもじりじりと下がっていく・・・。これではだめじゃ。」
記 者「・・・・・・・・・・・?」
老 翁「海外組がおらんとこうも弱くなるのかな。」
記 者「ひょっとして,サッカー男子日本代表のことですか。」
老 翁「そうじゃよ。悪いか?」
記 者「・・・話題を変える前に何か前触れでもあればと思ったんですけど・・(笑)。」
老 翁「とにかくチェックが甘い,いくら急造のチームでも,そして若手を試すための機会でも,海外組を入れたフル代表とは格の違いを感じるな。失点の多さも気になる。」
記 者「確かにそうですね。この東アジア杯の日本代表は,特に中盤と最終ラインのチャックの甘さと,マークの甘さが気になります。」
老 翁「まあ,それにしてもじゃよ。このクソ暑いのに,東アジア杯なんかやる意味があるのかね。韓国で行われているようじゃが,相変わらず中国や韓国はラフプレーが多くて,日本人選手がケガでもしなけりゃいいがと気が気でない。それに日程的にも開催国の韓国に有利に設定されておるし,日本人選手団にはコック(料理人)の帯同も許さず,練習場も非公開にできないような練習場をあてがわれるという嫌がらせがなされておる。」
記 者「・・・うーん,確かにそうですね。この東アジア杯というのはほとんどが日本企業の資金提供によって成り立っているのに,日本チームは露骨な嫌がらせをされていますね。」
老 翁「・・・まあ要するに,制球力が低いんじゃ。もうすこしやはり頭を使わんとな。それにハートも弱そうじゃな。打たれて悪い結果になっても,ニヤけているようじゃダメだ。」
記 者「・・・・・・・・・?」
老 翁「まだまだ課題が多いな。二軍落ちもやむを得ない。」
記 者「それって,ジャイアンツの宮國投手のことですか。」
老 翁「そうじゃが・・。何か問題なのか?」
記 者「い,いや,先生,話題を変える時には,何か前触れを・・・。」
老 翁「はっ,はっ,はっ。昔からの癖は直らんもんじゃのう(笑)。」
人里離れた山間のある集落を訪れた三流スポーツ紙の記者と老翁とのやり取りはその後も延々と続きました(気が向いたらこの続きはお伝えいたします【笑】)。
いやあ,毎日毎日暑い日が続いております。この暑さの連続で気も狂わんばかりです。皆さん,気は確かでいらっしゃいますか(爆笑)。
さてさて,参議院議員通常選挙の結果が出ました。私も公示以降はこのブログでも珍しく大人しくしておりました。公職選挙法違反などでお咎めがあってもいけませんからね(笑)。選挙の結果は概ね予想通りでしたが,本当のところは自由民主党が70議席,あわよくば72議席を確保したらなと密かに期待していたのです。でも欲張りすぎてもいけません,65議席でしたからよしとしましょう。改選前の倍増に近いわけですし,いわゆる「ねじれ」が解消されたのですから,その点では大いに結構です。思い出してください。この参議院議員通常選挙の直前,野党はこの「ねじれ」状態を奇貨として内閣不信任決議案を提出,可決し,政府・与党が出した重要法案の一部を廃案に追い込んだのです。あのどんよりと黒雲が垂れ込めたような,閉塞感のある,そして中国,韓国に阿りまくった民主党政権の悪夢がよみがえったようでした。誠に,唾棄すべき存在です。
なお私としては,公明党という存在がキャスティングボートを握ってしまう事態は好ましくなく,憲法改正や集団的自衛権の問題が現実化した時には,自由民主党ととしては連立解消も辞さない覚悟が必要だと思っております。とにかく第二次安倍内閣の責任が重いことは勿論ですが,大仕事をなすための秘めた覚悟と可能性は極めて大きく,私としては「日本を、取り戻す。」ための最大のチャンスだと思っております。これから,いよいよ本格的に動き出して欲しいと思います。
それにしても選挙特番を見ていてつくづく思ったのですが,マスコミの偏向的な報道姿勢には辟易します。「アベノミクス」という経済政策については,「評論家」にネガティブなことばかり言わせておりますが,前にも申しましたように,一つの経済政策(金融,財政など)が,景気,雇用,税収などにどのような効果を現していくかについては,1年半とか2年ほどの少し長いスパンで見ていく必要があるのです。性急すぎるのです。そしてマスコミも野党の連中の批判も,「ため」の批判であって,説得力というものがありません。
「脱原発」にしたって,野党は口を揃えてこれを主張し,「電気は足りているんです。」,「原発再稼働反対!」などといい加減なことを言っていますが,天然ガスやその他の燃料を海外から輸入し,火力発電に頼り,3兆数千億円もの国富を流出させながら辛うじて電気を確保しているのではありませんか。彼らは有権者に対して,原発完全停止までの道筋とその実現可能性を,確たる裏付けをもって説得力ある説明をしてきたでしょうか。それができなかったから,シングルイシュー政党のようなみどりの党や生活の党が一議席も得られず,その他の野党も議席数を激減させ,伸び悩んだのでしょう。それにしても,私としてはかなり引いてしまう,そしてある民放番組で「竹島なんか韓国にあげたらいい。」と発言した山本太郎のような者を当選させてしまうなんて(笑)。
まあ,いいです。第二次安倍内閣さん,是非とも,是非とも頑張ってください!
産経新聞の「朝の詩」という欄は,私は毎朝目を通しているのですが,7月19日の詩はとてもいいなと思いました。この作者は大分県佐伯市の佐藤弘子さん(56歳)という方の詩なのですが,失礼ながらこのブログで引用させていただきます。
「仕事の前に 家事(しごと)があって 仕事のあとに 家事(しごと)がある なかなかどうして よくやるもんだ! 『お疲れさん!』 風呂のかけ湯で 体を いとう 私で 私の 体を いとう」
金曜日といえば,楽しい週末前である一方,この暑さですし疲れもピークに達していて,皆さんの生命力もかなり低下しているのではないですか(笑)。そんな時に民俗学の話など読みたくもないですよね。そりゃそうだと思います。もっともです。でも今日は民俗学の話を書きます(笑)。
民俗学といっても,私はその分野を本格的に勉強したこともなく,ほとんど知識はないのですが,以前から柳田國男や宮本常一の世界に興味をもっていました。時間のあるときに彼らの民俗学に関する著作に触れたいと思っていたのです。そこで先日読み終えたのが,「忘れられた日本人」(宮本常一著,岩波文庫)という本です。
これは本当に名著だと思います。その世界に引き込まれるように,あっという間に読み終えてしまったのです。この本の解説は歴史学者網野善彦さんが書いておられるのですが,この本について「本書『忘れられた日本人』はそうした野心的な宮本氏の歩みの中で書かれ、一九六〇年、一書にまとめて世に問われた。それは心のこもった庶民の『生活誌』であるとともに、強烈な個性を持つ宮本氏の民俗学の、最も密度の高い結晶であった。」と高く評価しておられます。各章いずれも珠玉の聞き書きですが,特に「土佐源氏」,「梶田富五郎翁」が面白かったし,宮本常一の幼少時代の実体験が描かれている「私の祖父」という章も読み応えがありました。「亀には亀の世間がある」という表現には思わず笑ってしまいました。
「逝きし世の面影」(渡辺京二著,平凡社ライブラリー)もこれまた名著の中の名著ですが,その中で触れられているように,確かに江戸末期には訪れた外国人が称賛したような日本の愛すべき文明が厳然とありました。しかしその後も,時間と共に変容していったとはいうものの,全国津々浦々,宮本常一さんが訪れた場所には,相変わらず愛すべき文明,民俗が連綿と生きていたのです。これぞ日本,そして日本人という愛すべき文明,民俗です。
その愛すべき日本の文明,民俗が徐々に変容していく過程を,宮本常一は憂えてもいました。その宮本常一がその死の3年前である1978年,自叙伝「民俗学の旅」の中でその憂いとして表現している部分を,この「忘れられた日本人」という本の解説者の網野善彦さんは次のように引用しています(333頁~334頁)。
「私は長い間歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。(中略)その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか。発展とは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。(中略)進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけではなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向わしめつつあるのではないかと思うことがある。(中略)進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う。」
記 者「本日は,先生にインタビューに参りました。さる人からご紹介いただいたのです。お忙しいところ,誠に恐縮です。」
老 翁「・・・どこをどう見たって忙しくは見えんじゃろうに。まあ,よい。・・で,何を聞きに来たのじゃ。」
記 者「プロ野球のことです。斯界の権威だとお聞きいたしております。忌憚のないところをお聞かせ願えればと思いまして。」
老 翁「はっ,はっ,はあ。買いかぶりもいいとこじゃ。でも,まあ,ワシも長く生きてきた。もうそろそろお迎えが来ても良い頃じゃでのう。このワシが少しでも人様のお役に立つことができるのであれば,望外の喜びじゃ。・・・・・で,プロ野球の何が聞きたいのじゃね。」
記 者「巨人の先日の対中日戦3連敗についてはどのようなご感想をお持ちですか?」
老 翁「愉快ではないっ!というか,誠に不愉快じゃ。」
記 者「そ,そこのところをもう少し詳しく。」
老 翁「こいつめ,空気の読めぬ奴じゃ。・・・・でもまあ,今の巨人の抱えている課題のいくつかが露呈したな。」
記 者「ぐ,具体的には・・。」
老 翁「まず思いつくのは,長野じゃ。バッターボックスに立つとき,ベースから離れすぎじゃ。あれでは外角球の厳しいコースは手が届かんじゃろう。うちの婆さんも全く同じ意見じゃ。」
記 者「そ,そこで婆さんが登場ですか。」
老 翁「うむ。この間も茶の間で,長野の打席を見ていて,1ボール2ストライクのカウントで,ワシも婆さんも思わず口を揃えて『次は外角に落ちるスライダーじゃね。』とテレビの前で予想し合った。案の定,そうなってあえなく三振じゃった。あんなにベースから離れていては,どのチームも外角の落ちる球で攻めるじゃろう。分かっていてもそれに引っかかる。ど田舎の爺さん,婆さんに配球や攻められ方を読まれ,その通りになっているようじゃいかん。少しは物事を考えて改善せねば。長野は1番だったり,7番だったり,その他の打順だったりで一定できない理由は,何しろムラがあるし,そのような弱点を抱えているからじゃ。」
記 者「今の巨人の課題と仰いましたが,ついでに打つ方ではどんなことを憂えておられますか?」
老 翁「村田じゃな。チャンスの時に限って運悪く彼に打順が回ってくる(爆笑)。その瞬間いつも婆さんと顔を見合わせて苦笑いじゃ。この前なんか7番か8番を打っていたんじゃないか?対中日戦3連敗の後,対阪神3連戦の1試合目ではブレイクしたが,何しろチャンスに弱い。メンタル面の問題じゃないかとも思う。それかいっそのこと,長嶋さんやワシのようにB型に血液型を変えたらここ一番に強くなるんじゃないか。プレッシャーなどには負けず,マイペースで何も考えずにバカーンと打てばいいんじゃ。」
記 者「・・・さ,さすがに血液型を変えるというのは・・・」
老 翁「忌憚のないところをしゃべれと言ったではないか。」
記 者「い,いくら忌憚ないと申しましても,血液総入れ替えというのは・・・。」
老 翁「それとな,対中日3連戦のどれかの試合で,村田はやはりチャンスで凡退してベンチに帰る際,ヘルメットだか何かを地面に叩き付けてチームメートをびっくりさせたことがあったじゃろう。あれはダメじゃ。見苦しい。未熟だな。長嶋でも王でも一流選手があのように物に当たるようなマネをしたところを見たことがない。長いこと生きているワシが言うのだから間違いない。一時の感情を抑制できず,物に当たり,あのような乱暴な振る舞いをするとはな・・。これを目にした少年少女がどう思うか。・・・・まあ,いずれにしても村田はもっとチャンスに強くなければダメじゃ。」
記 者「では,投げる方の課題としてはどんなことが指摘できるでしょうか。」
老 翁「今ホールトンは二軍で調整中か?彼にしても,澤村にしても,その他の投手にしても,立ち上がりが不安定じゃな。初回に2点も3点も取られたらいかん。攻撃にも必ず響くのじゃ。それと,先頭打者を四球で出すことほど見ていてイヤなものはない。特に内海や澤村にワシのインタビュー記事をちゃんと見せるがよい。先頭打者を簡単に四球で出すなど,守っている方は本当にイヤなものじゃ。こういうシーンでは,ワシも婆さんも思わず『バカモン!』とテレビの前で毒づいておる。」
記 者「・・・あ,あまり興奮されると血管が切れたりするんじゃ・・・」
老 翁「バカモン!」
人里離れた山間のある集落を訪れた三流スポーツ紙の記者と老翁とのやり取りはその後も延々と続きました(気が向いたらこの続きはお伝えいたします【笑】)。
一体全体,何なのでしょうね。こ,この暑さは・・・。かつて,麻原彰晃(松本智津夫)の弁護人をされたことのある横山弁護士が,記者にもみくちゃにされた時に,「も,もーうっ,止めてーっ!」と言っていましたが,この連日の猛暑には思わずそう叫びたくなります。
昨日は日本全国140箇所で猛暑日(35度以上)が観測されたようですが,この暑さには本当にウンザリします。今の暑さが今年のピークなのだということが予め分かっているのなら,「よし,これを乗り越えれば・・」と気を取り直してお仕事に励めそうですが,これからもっと暑くなりそうで・・。この猛暑が,中国や韓国の反日的なロビー活動などのようにこれからますますエスカレートしていくような予感で,やはり本当にウンザリです(笑)。
韓国というのは法治国家のようですが,同国の裁判所は,対日本となると何でもありと言ったら言い過ぎかも知れませんが,もはや司法ではなく「政治」になってしまいます。対馬から韓国人が盗んだ仏像の返還にしても,靖国神社で乱暴狼藉を働いた中国人の身柄引き渡しの件についても,そしてこのたびのソウル高裁の判断も・・。このたびのソウル高裁の判断というのは,戦時中に日本で徴用された韓国人4人が新日鉄住金(旧新日本製鉄)に損害賠償等を求めた裁判で,同社に対して1億ウォン(約880万円)ずつの賠償を命じたのです。
まず前提として申し上げますが,このソウル高裁の判決では原告らは「強制徴用被害者」としておりますが,果たしてそうでしょうか。原告らがいみじくも証言しているように,実際には「民間募集」だったのではないでしょうか。このように前提が間違っていることを指摘した上で,この問題は,菅官房長官がコメントしているように「日韓間の財産請求権は完全,最終的に解決済み」なのです。
昭和40年の日韓基本条約の付属文書である日韓請求権・経済協力協定では,日本が無償供与3億ドルと政府借款2億ドルなどの経済協力を約束し,両国とその国民(法人を含む。)の請求権に関する問題は「完全かつ最終的に解決された」と明記されております。これは条約(国家間の合意)なのですよ!
韓国は自国の経済発展を「漢江の奇跡」などと自画自賛しておりますが,実際にはこのような国家間の合意の下,日本からの莫大な経済援助(技術供与も含む。)があったればこそです。韓国は,日本からの日韓基本条約及び日韓請求権・経済協力協定に基づく経済援助分については,自国のインフラ整備などに使ってしまったというのが実情で,昭和40年の日韓基本条約等で個人の請求権に関するものも全て解決済みに至ったという「真実」をちゃんと国民に告知していなかったのです。自国の責任で自国民にちゃんと「真実」を説明すべきでしょう。
新日鉄住金は韓国の最高裁に上告する予定のようですが,対日本の問題については司法ではなく「政治」になっている現状では,上告棄却になる可能性が高いでしょう。また韓国では,三菱重工業など日本企業に対する同様の訴訟が5件も起こされており,同様の「政治」的な判決がなされる可能性もあります。国際法の観点からはメチャクチャなこのような判決が確定し,強制執行手続によって日本企業の資産が差し押さえられたりしたら・・・。それに,アメリカのロサンゼルス市近郊のグレンデール市議会は,例の従軍慰安婦を象徴する像を市有地に設置することを承認する決議をしたようです。このような不当な現象が起こるのも,当然韓国系住民団体らのロビー活動によるものです。
明日は休みですから,一度ゆっくりと福澤諭吉先生の「脱亜論」を読み返してみよう。
「猛暑のみぎり」とか「炎暑の候」などといった時候の挨拶がありますが,今は正にこういった状況ですね。行き交う人々,そしてすれ違う人々の顔を見ますと,皆さん表情が歪んでおります(笑)。この猛暑のせい,照りつける日差しのせいでしょうね。美女の表情まで歪んでいるのですから・・・。
さて,東日本大震災発生時に東京電力福島第一原子力発電所の所長を務め,原発事故対応の現場指揮に当たった吉田昌郎さんが亡くなられました。この方の強靱な精神力と決断力,リーダーシップの凄さについては言うまでもありません。首相の了解がないからとの理由で東京本社から原子炉冷却のための海水の注入を中止するよう指示されても,自己の経験と判断で海水注入を継続したのです(「これから海水注入中断を指示するが、絶対に注水を止めるな!」)。あの状況下では,この海水注入の継続こそが被害発生を最小限に止めた訳です。こういう極限状況になれば,人間誰しも責任回避や自己保身のために「上の指示に従っていればいい」と考え勝ちですが,彼の場合はそうではなかったのです。正に覚悟を決めた上で,決然たる判断でした。「死の淵を見た男-吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」(門田隆将著,PHP)というノンフィクションの本を読んでいたく感動したお話は,今年の1月18日のこのブログでも書きました。吉田さんは「般若心経」を既に高校生の時から諳んじていたそうです。人間の内面にも目を向け,内省的な方でもあったのでしょう。
心からご冥福をお祈りいたします。
それにしても東京電力本店からの,原子炉冷却のための海水注入の中止指示の理由が「首相の了解が得られていないから」というのは・・・。その当時の首相,そして大将は,こともあろうにあの市民運動家でかねてから原発を目の敵にしていた菅直人ですよ。「バカな大将 敵より怖い」という言葉がありますが,本当にそのとおりです。
平成25年度の防衛白書が発表されましたね。新聞報道を読む限りでは,最近では内容的に最も優れており,真実を語り,建設的なのではないでしょうか。経済政策はもちろんのこと,外交・安全保障面でも近来にないまともな政権です。案の定,中国や韓国がイチャモンをつけ,抗議をしておりますが,こういった国々から不当な抗議を受ける内容だからこそ真実を語っているのです。
思い起こせば,平成22年7月29日の新聞報道のとおり,この年の防衛白書の閣議決定と公表を,当時の首相であった菅直人が延期させたとあります。その主たる理由は竹島の記述が韓国を刺激してはまずいということだったようです。民主党政権は中国や韓国に阿るだけの本当にろくでもない政権でした。この菅直人という人だけでなく,「素人」で開き直った一川保夫,PAC3(地上配備型迎撃ミサイル【地対空誘導弾】)とP-3C(哨戒機)の区別もつかず,国会答弁中に退室して喫茶店でコーヒーを飲んでいた田中直紀が防衛大臣だったのですからね(笑)。
本当に,「バカな大将 敵より怖い」です。
日曜日はとてつもない暑さの中,あろうことかゴルフをいたしました(笑)。
・・・・・普通はやりませんよね。そんなこと・・(笑)。この日は全国的に気温が高く,猛暑日になった所も多く,名古屋も35.2度を記録したそうです。この日は熱中症で運ばれた人が全国で859人出たとのこと。
私は気が置けない人たち7名(2パーティー)と一緒に修行しました。夏のゴルフは,いわば修行なのです(笑)。流れる汗の中,水分補給をしながらのラウンドでした。それにしても私以外のこの7人のうち,私より年下なのは2人であとは全部私より年上です。何でこの人たちはこんなに元気なのでしょうか(笑)。
でもですよ,35度を超える猛暑,この過酷なコンディションの中でラウンドしたのに,私としてはそんなに悪いスコアではなかったのであります。随所にその天才性を窺わせるショットもありましたし(笑),秋以降の良いコンディションであればコンペで優勝しそうな予感もあります。
さて,この日はなぜか無性にすいか(西瓜)が食べたい日でした。朝からすいかのことが頭から離れなかったのです。真夏のゴルフという難行,苦行に近い修行の後は,ご褒美としてすいかくらい食べたって罰は当たらないだろうと思ったのです。もう,こうなったらどんな卑怯な手を使ってでもすいかを手に入れたいと思いました(笑)。
最終的には近くのスーパーでごく普通に丸ごと1個を購入し,自宅冷蔵庫で冷やして娘と一緒に食べました。その美味しかったこと・・・。翌年の成人式の振り袖の衣装合わせから帰ってきた娘も,すいかを美味そうに頬張り,大満足のようでした。すいか好きは私に似たようです。
俳人正岡子規の食に対するこだわりは有名ですが,すいかも大好きだったようです。
「君来ばと 西瓜抱えて 待つ夜かな」
「切売の 西瓜くふなり 市の月」
「ものもいはで 喰ひついたり 西瓜哉」
いよいよ参議院議員選挙の告示ですね。とても楽しみです。いわゆる「アベノミクス」という経済政策に対して,野党党首はどいつもこいつもこぞって批判しております。再三言うように,一つの経済政策(金融,財政など)が,景気,雇用,税収などにどのような効果を現していくかについては,1年半とか2年ほどの少し長いスパンで見ていく必要があるのではないでしょうか。インフレ予想とか,経済は予想で動いているのですから。野党党首の批判はいずれも,「ため」の批判であって,説得力というものがありません。破綻した安愚楽牧場の広告塔だった海江田民主党代表は,「総理は『アベノミクス』の副作用のこともおっしゃるべきだ!」などとほざいておりますが,私なんかはどんな「副作用」がどんなふうに発生するのか,海江田という人にその根拠を逆に尋ねてみたい。仮になにがしかの「副作用」が将来生じたとしても,今の安倍内閣には,無能だった民主党政権とは全く違ってその副作用への有効な対策を臨機応変に講じてくれる知恵と勇気があると思っております。デフレ脱却の方向性は全く正しい。
さて,先日は仕事上,車で移動しなければならない日でした。そういう時は決まって好きな音楽を楽しむのですが,この日に限ってお気に入りのCDを忘れてしまい,久しぶりにラジオのスイッチを入れてみました。いつもはたいていNHKFMです。そのいろんな番組に接し,ああ,ラジオもたまにはいいなと思いました。
最初は「あめふりくまのこ」という曲を懐かしく聴いたのです。前にもこのブログで書いたのですが,私は子供の頃からこの曲が大好きでした。幼児か児童向けのテレビ番組で初めてこの曲を知って以来,その時の可愛い絵とともにずっと記憶に残っているのです。これはバッハの「マタイ受難曲」ほどではありませんが,かなりの名曲です(笑)。次のような歌詞です。
「おやまに あめが ふりました あとから あとから ふってきて ちょろちょろ おがわが できました」
「いたずら くまのこ かけてきて そうっと のぞいて みてました さかなが いるかと みてました」
「なんにも いないと くまのこは おみずを ひとくち のみました おててで すくって のみました」
「それでも どこかに いるようで もいちど のぞいて みてました さかなを まちまち みてました」
「なかなか やまない あめでした かさでも かぶって いましょうと あたまに はっぱを のせました」
鶴見正夫さんの作詞で,私が幼い時にテレビで見た時,くまのこが頭にのせた葉っぱは,蓮かなんかの葉っぱだったと思います(笑)。
その日のラジオ番組では,映画音楽が数曲かかったと思ったら,いきなりバッハの「二つのヴァイオリンのための協奏曲」ニ短調の第一楽章がかかったのです。嬉しかったと同時に,改めてバッハの凄さを感じました。どんだけ凄い曲か,ユーチューブで確認,確認。それにしてもその番組の意外な曲編成にも驚きました。
さらにその日の別のラジオ番組では,何と,あのお笑い芸人ヒロシがパーソナリティーを務めておりました(笑)。とても懐かしいです。「8年前に流行(はや)ったヒロシです。」などと相変わらず自虐的な雰囲気でしたが,そのパーソナリティーぶりからして,根は真面目なタイプなのだなと思った次第です。彼は,「カーナビだけが優しく喋りかけてくれるとです・・・」とか「自分の寿命が分かるゲームをやりました2年前に死んでました」とか「ネコから睨まれてつい謝りました」とか「親戚のおじさんに彼女を取られました」なんて,面白い自虐ネタで一世を風靡しましたからね(爆笑)。
ラジオもたまにはいいなあ。
種田山頭火などの俳人の評伝などで労作の多い,そしてとてもよい仕事をされていた村上護さんが3日前に亡くなりましたね。まだ71歳であり,これからももっともっと深く掘り下げた内容の著作を期待していただけに,とても残念です。心からご冥福をお祈りいたします。
思えば,村上護さんの「種田山頭火 うしろすがたのしぐれてゆくか」(ミネルヴァ書房)は,今でも山頭火の評伝としては最高だと思いますし,「山頭火名句鑑賞」(春陽堂書店)も労作で,私はこの二冊で山頭火の生涯やその句作についての理解を深めることができました。それにしても,「井上井月研究」(中井三好著,彩流社)などといった著作に触れるにつけ,著者の思い入れと取材力,研究心に裏打ちされたものは素晴らしいですね。決して多作でなくても,満を持してこのような本を世に出すのが良いのです。
山頭火と並んで,私は尾崎放哉という俳人と作品にもとても興味があります。亡くなった村上護さんには尾崎放哉に関する評伝は一冊ありますが,山頭火に関してのように,放哉に関してもさらにさらに深く分け入った内容の評伝を書いて欲しかったのです。
両者は非定型自由律俳句の俳人ですが,その生き方については,山頭火と放哉には共通点もあるけど,他方にない対照的な面もあると思います。ただ,お酒に関しては両者は完全に共通でしたね(笑)。両者の師匠格にあたる荻原井泉水は,昭和5年の井泉水九州旅行記の中の「塘下の宿」の箇所で,次のように記しております。
「かつて放哉が南郷庵に出立するとき彼に酒を禁ずるように忠告した。だが、彼亡き跡にして考えると私は放哉の気持ちを察しない頑なな言葉だったと思ふ。だから山頭火にはほろほろと酔わせたいものだ。」
山頭火も放哉も雲水の生活でしたが,このうち放哉は寺男をしながら,南郷庵というのは彼の終焉の場所です。看取ったのは近所の主婦ただ一人だったといいます。放哉は山頭火よりも3歳年下でしたが,彼より14年もはやく鬼籍に入りました。両者は互いに心を通わせていたようで,同じような境涯句もあります。そしてさらに両者に決定的に共通だったのは,さきほども述べましたが,酒です(笑)。