種田山頭火などの俳人の評伝などで労作の多い,そしてとてもよい仕事をされていた村上護さんが3日前に亡くなりましたね。まだ71歳であり,これからももっともっと深く掘り下げた内容の著作を期待していただけに,とても残念です。心からご冥福をお祈りいたします。
思えば,村上護さんの「種田山頭火 うしろすがたのしぐれてゆくか」(ミネルヴァ書房)は,今でも山頭火の評伝としては最高だと思いますし,「山頭火名句鑑賞」(春陽堂書店)も労作で,私はこの二冊で山頭火の生涯やその句作についての理解を深めることができました。それにしても,「井上井月研究」(中井三好著,彩流社)などといった著作に触れるにつけ,著者の思い入れと取材力,研究心に裏打ちされたものは素晴らしいですね。決して多作でなくても,満を持してこのような本を世に出すのが良いのです。
山頭火と並んで,私は尾崎放哉という俳人と作品にもとても興味があります。亡くなった村上護さんには尾崎放哉に関する評伝は一冊ありますが,山頭火に関してのように,放哉に関してもさらにさらに深く分け入った内容の評伝を書いて欲しかったのです。
両者は非定型自由律俳句の俳人ですが,その生き方については,山頭火と放哉には共通点もあるけど,他方にない対照的な面もあると思います。ただ,お酒に関しては両者は完全に共通でしたね(笑)。両者の師匠格にあたる荻原井泉水は,昭和5年の井泉水九州旅行記の中の「塘下の宿」の箇所で,次のように記しております。
「かつて放哉が南郷庵に出立するとき彼に酒を禁ずるように忠告した。だが、彼亡き跡にして考えると私は放哉の気持ちを察しない頑なな言葉だったと思ふ。だから山頭火にはほろほろと酔わせたいものだ。」
山頭火も放哉も雲水の生活でしたが,このうち放哉は寺男をしながら,南郷庵というのは彼の終焉の場所です。看取ったのは近所の主婦ただ一人だったといいます。放哉は山頭火よりも3歳年下でしたが,彼より14年もはやく鬼籍に入りました。両者は互いに心を通わせていたようで,同じような境涯句もあります。そしてさらに両者に決定的に共通だったのは,さきほども述べましたが,酒です(笑)。