このたびの二度目の東京オリンピック招致の成功については,それはそれは多くの関係者の地道な努力とチームワークが結実したからだと思います。その中でも私が痛感したのは,こういった国を挙げての行事の招致活動は,何よりも一国のリーダー,日本で言えば内閣総理大臣(首相)の強い意志と,合目的的な活動が不可欠だということです。
安倍晋三首相はロシアのサンクトペテルブルクで開かれたG20の会合を終えるや,長駆ブエノスアイレスのIOC総会に駆けつけ,例の素晴らしいスピーチを行いました。スピーチの最後の「私は日本の総理大臣として彼らの安全と未来に責任を持っています。日本にやってくるアスリートにも責任をもっています。」というフレーズは安倍首相のアドリブだったそうです。このようにコミットすることがどれだけ大切なことか。ロイター通信は「安倍首相の演説が東京五輪大会決定への決め手となった」と伝えているくらいです。
産経新聞の記事によれば,東京が4年前に立候補した当時の首相は,何とあの鳩山由紀夫でしたが,彼は当初は「時代錯誤的発想」などと言って招致に反対していました。これでは勝てる訳がありませんよね(笑)。これに対し,安倍首相は政権発足直後から招致に熱心で,初外遊となった今年1月の東南アジア歴訪の出発前の勉強会では,「訪問国のIOC委員の情報が全くない。なぜ調べないのか。」と,早速外務省幹部に雷を落としています(笑)。強い意志を感じますね。安倍首相は,タイ訪問の際にも自分の左胸に付けた五輪招致キャンペーンのピンバッジを外してインラック首相に手渡し,インラック首相はそのバッジを受け取るとその場で自分の胸に付け,ほほえみ返してきたといいます。また6月に横浜で開いたアフリカ開発会議でもそつなく東京五輪招致への協力を各国に呼びかけております。
安倍首相の行動は合目的的かつ有効なもので,縦割り行政の垣根を取り払い,省庁横断で極秘チームをつくり,IOC委員の滞在先に官界,民間双方から人を派遣して説得を開始したのです。くどいようですが,強い意志を感じます。そしてブエノスアイレスで開かれたIOC総会のスピーチ内容を当日朝まで推敲を重ねたといいます。
あのプレゼンの際の安倍首相の態度は堂々としていて,自信に満ちておりました。何と言いますか,「空気」が違うのです。野田佳彦や菅直人などがあの場に置き換えられていたらどうでしょうか(笑)。「空気」に加え,「覚悟」も明らかに違うでしょう。
また,東京のプレゼンは総じて誠実な内容で,敬意(リスペクト)もあり,IOC委員などからは好感をもたれたと思います。マドリードの敗因にはいろいろな要素があるでしょうが,サマランチ・ジュニアIOC理事の態度とスピーチは他国(日本,トルコ)への敬意を欠いた不適切なものでした。東京とイスタンブールについて,彼は「(次の)2024年五輪招致での幸運を祈る。」と言ったのです。あたかも,あなたがた(東京,イスタンブール)は4年後にもう一度頑張れ,とでも言わんばかりでした。あれで数票が逃げてしまったのではないでしょうか(笑)。
いずれにしても,昭和39年の東京オリンピックの開催が決定されたのは,昭和34年5月26日に西ドイツのミュンヘンで開催されたIOC総会においてでしたが,その時の首相は私も尊敬する岸信介でした。安倍首相のおじいさんです。リーダーの強い意志という点で共通しているだけでなく,因縁といいますか,運命のようなものを感じます。