昨日も一生懸命仕事して,夜はわが栄光の読売巨人軍の必勝を期して晩酌に臨んだというのに(笑),テレビのスイッチを入れたら,また2回までに4点も取られている・・・。いったい,ぜんたい,どうなっとるんじゃあああああーーーーー。堪忍袋の緒が切れるぞーっ。
第3戦も杉内が2回までに4点を取られ,昨日の第4戦もホールトンがやはり2回までに4点を取られている。ただでさえ打線が湿りまくっているのに,こんな序盤ばかりでは勝負にならんでしょう。大体が巨人の投手陣は立ち上がりに難があることで有名です。特に杉内とホールトン。昨日の晩酌ではショーチューをいただきましたが,得点経過のリプレイを見ていてショーチューが鼻から出そうになりました(爆笑)。ホールトンの立ち上がりといったら,先頭打者に四球,2番打者に死球,そして3番打者を打ち取ったのは良いのですが,4番打者にホームラン・・・。いきなりの3点です。これではいけません。
1-4の段階で,私はもう絶望してしまい,テーブルの上にあったコロッケ2個,メンチカツ2個をぱくぱくと食いまくりました。いわゆるヤケ食いというやつです。お酒も飲んでいるのですから,この絶望的な晩の摂取カロリーはものすごいことになったのではないでしょうか。自暴自棄というか,もうどうにでもなれという感じでヤケ食いし,私はしめやかにテレビのスイッチを消してから,こうべを垂れて静かに自室で読書の時間に入りました(笑)。
お風呂に入って再度読書の時間。しかし,その後に落胆気味にスポーツニュースを見ましたら,なんと,わが栄光の読売巨人軍が6-5で逆転勝利したというではありませんか。よ,よかったー。勝負は下駄をはくまで分かりません。
しかし,今日(第5戦)こそが天王山だと思います。今日勝たなければだめだと思います。今日負けてしまえば,再び仙台に行き,もう1敗もできない。今日勝たなければだめなのです。
しかし,日本シリーズに関する過去のデータだけを見てみれば,巨人にはあまり有利とは言えません。産経新聞によれば,第4戦までに○●●○のケースは過去に6度ありますが,この星の並びで第4戦と第5戦を連勝したチームは過去にないそうです(悲報)。そして,第4戦を終えて2勝2敗となったケースは過去に24度ありますが,そのうちタイに持ち込んだチームが日本一になったのは10度で,優勝確率は41.7%に過ぎません。
それでも,私が少年の頃にワクワクさせてくれた巨人軍の名将,亡き川上哲治さんのためにも是非とも連覇(日本一)を達成するのだ!巨人軍よ!
実はブログの更新も大変で,特にこれといったネタがない場合には「雑感」というタイトルになってしまい,内容も極めて散漫です(笑)。
確かに楽天の田中投手は素晴らしい選手ですが,だからといって我が栄光の読売巨人軍のヒットがたったの3本で良い訳がないでしょう。ふざけるんじゃないっ!(笑)しかもその3本のうちの2本はふだんあまり打てない寺内選手なんですから(笑)。寺内選手には失礼なことを言ってすみませんが,他の選手は一体全体何をやっているんでしょうか。もちろん寺内選手も打つべき人ですが,本当に打つべき人(長野,阿部,高橋,ロペス,坂本など)が全然打てていません。日本シリーズ第1戦だって巨人軍のヒットはわずか4本です。2試合で7本しか打っていないのです。
これじゃあ,日本シリーズは勝てないでしょう。東京ドームに戻ってもこんな不甲斐ない戦いをするようじゃ,この俺様がジャイアンツファンをやめてもいいのか!もっとしっかりしてくれー。
日曜日は名古屋グランパスの試合を最初から最後まで観ました。大宮アルディージャとの一戦で,結果的に2-1で勝利しましたが,グランパスは本当に弱くなっております。流れの中で得点するという予感は全くなく,実際に2つの得点はいずれもDFの闘莉王が急遽前線に上がってこぼれ球を何とか押し込んだというような形でした。得点しないよりは良いに決まっていますが,はっきり言って情けない得点です。
私が力説してきましたように,来シーズンはいよいよ監督が代わります。是非とも有能な監督を招聘していただき,スペクタクルなサッカーを見せてください。
先日,危うく弁護士バッジを失いそうになりました。い,いや,不祥事を起こしたというのではなく(笑),紛失しそうになったのです。その晩はあるホテルである会合があり,私は司会担当ということで少しバタバタしておりました。司会役もほぼ終わりとなり,私も気を許して少し深酒をしてしまい,良い気分で帰宅したのです。お風呂に入ってそのまま寝て,軽い二日酔いで翌朝を迎えたのですが,スーツを着る際に弁護士バッジがないことに気付きました。あれっ?という感じです。
あれっ?どうしてないんだろう。昨晩はスーツの確か左ポケットにバッジを入れていたのに,そのポケットにはなく,自宅のどこを探しても見つからないのです。大変焦りました。しかしその時ふっと,昨晩の会合の司会が始まる前にそのホテルの3階の男性トイレの洗面の所でハンカチを左ポケットから出すときに何か落ちたような気がしたこと,ただ落としたとしても紙切れか何かのどうせ大した物じゃないと思って探しもしなかったことを思い出したのです。この素晴らしい記憶力には我ながら感心しました。
そこで私は事務所に出勤してすぐにそのホテルの落とし物係に電話してバッジの落とし物の届けがないかどうかを確認しました。残念ながらその時点では届け出がないとのことで,届け出があり次第連絡して欲しいとお願いしておく一方で,私は気が気でなかったものですから,直ぐにタクシーを飛ばしてそのホテルの3階の男性トイレの洗面まで行って必死で探しました。直ぐには見つからずに大変焦りましたが,ようやく洗面の地面の隅に転がっていたバッジが見つかったのです。助かりました。私の可愛いバッジはこのホテルの3階男性用トイレ洗面の所で一晩泊まったのです(笑)。
弁護士がバッジを紛失すると,始末書を書いて提出するとともに,日本弁護士連合会にバッジ再発行の申請をしなければならず,費用もかかり,結構面倒なのです。かつて私が勤務していた法律事務所のボス弁護士がバッジを紛失して再発行の申請をしているのを横目で見てておりましたから,その面倒なことは知っておりました。
再発行されるとなるとそのバッジは金色のピカピカのバッジで,全然貫禄というものがありません。ほんの数か月前に新人弁護士として登録したかのような感じです。トイレの洗面で見つかった私のバッジは,もうくすんでおり,どちらかというと銀色に近い色ですから新人に間違えられることもありません。とにかく見つかって本当に良かった(笑)。
結論から言えば,正に唾棄すべき存在であり,これを発表した河野洋平という人間は少なくとも売国奴という汚名を免れることはできないのではないでしょうか。たかだか官房長官談話なのですから,このような恥ずべき談話はただちに撤回し,史実に即して新たな談話を出すべきです。いわゆる「従軍慰安婦」問題についての私の見解は,かつてこのブログでも連続4回にわたって述べておりますので,ブログ内検索を使ってご参照ください(笑)。
産経新聞の記事によれば,同新聞社は10月15日に慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の「河野洋平官房長官談話」の根拠となった,韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書を入手したそうですが,証言の事実関係はあいまいで別の機会での発言との食い違いも目立つほか,氏名や生年すら不正確な例もあり,歴史資料としては通用しない内容であったことが判明しました。このことは従前から指摘されていたことですが,これまで開示されてこなかった聞き取り調査報告書が白日の下にさらされて,このたびその虚偽性,欺瞞性が明らかになったのです。軍や官憲による強制連行を示す政府資料は一切見つかっておらず,決め手の元慰安婦への聞き取り調査もずさんだったことが判明したことで,河野談話の正統性は根底から崩れました。
それにしても不思議なのは,産経新聞以外,なぜこのことをしっかりと報道しないのでしょうか。メディア・リテラシーの重要性を痛感いたします。さきの調査報告書には調査対象の16人が慰安婦となった理由や経緯,慰安所での体験などが記されておりますが,平成9年,当時の東良信内閣外政審議室審議官が自民党の勉強会で「(強制性認定の)明確な根拠として使えるものではなかった」と証言しているように,きわめてお粗末な調査,内容であり,資料としての信頼性は極めて低いのです。
当時朝鮮半島では戸籍制度が整備されていたにもかかわらず,報告書で元慰安婦の生年月日が記載されているのは半数の8人に過ぎず,出身地についても4分の3にあたる12人が不明・不詳となっていますし,氏名も不完全なものが含まれ,一般の娼館はあっても慰安所はなかった地域で働いたという「証言」もあります。さらには,調査対象の元慰安婦の人選にも疑問が残り,この16人の中には日本での慰安婦賠償請求訴訟を起こした5人が含まれており,しかもその5人に関する訴状の記載と聞き取り調査での証言は必ずしも一致せず,二転三転しているのです。日本側の調査に先立ち,韓国の安というソウル大学教授が中心になって平成4年に行われた聞き取り調査では,連絡可能な40人余りに5,6回面会した結果,「証言者が意図的に事実を歪曲していると思われるケース」(安氏)があったため,採用したのは19人だったことも明らかになっております。
このように人選そのものにさえ疑問がある中で,日本政府による聞き取り調査が行われたのは,何と韓国政府の公館でもなんでもなく,太平洋戦争犠牲者遺族会という民間団体の事務所だったのです。そしてこの遺族会は当時,日本政府を相手に慰安婦賠償請求訴訟を起こしていたいわくつきの団体で,この団体の幹部を務めていた女性の娘婿が朝日新聞の植村隆という記者でした。この朝日新聞の植村隆という記者が「女子挺身隊の名で戦場に連行」などといった全くの捏造記事を書き,これもいわゆる「従軍慰安婦」問題に火を付ける結果となるのです。
・・・・・仕事前だというのに,書いていてますます頭に来てしまいます。いずれにしても,時の宮澤喜一内閣,河野洋平官房長官らは,前に述べたような極めていい加減な「証言」を元に,ろくに裏付け調査もせずにあのような売国的な官房長官談話を出してしまった・・・。本当に許し難いと思います。
さてさて,うちのカミさんが「永遠の0(ゼロ)」(百田尚樹著,講談社文庫)という本をやたら薦めるものですから,先日読み終えました。なかなか良い本だと思いますし,泣かせる箇所もいくつかあります。この本の中に次のような表現がありました。
「戦後多くの新聞が、国民に愛国心を捨てさせるような論陣を張った。まるで国を愛することは罪であるかのように。一見、戦前と逆のことを行っているように見えるが、自らを正義と信じ、愚かな国民に教えてやろうという姿勢は、まったく同じだ。その結果はどうだ。今日、この国ほど、自らの国を軽蔑し、近隣諸国におもねる売国奴的な政治家や文化人を生み出した国はない」(425頁)
この本の作者である百田尚樹さんは名指しこそしませんでしたが,その新聞社というのは朝日新聞などのような新聞社を指していると私は確信したのであります(爆笑)。
10月17日は好きなショパンの命日でしたので,この偉大な作曲家を偲んでマズルカを中心に聴きました。秋の夜長のショパンです。ちょうどアルトゥール・ルービンシュタインのショパン・マズルカ集のCDが出てきましたので,懐かしく思いながらショパンのマズルカの世界に浸ったのです。いいですね,ショパンは・・・。ショパンのマズルカ集のうちで私が特に好きなのは,第17番変ロ短調(作品24の4)と第13番イ短調(作品17の4)です。みなさん,まずは手始めにユーチューブなんかで聴いてみてください。
話は突如として変わりますが,10月20日は何と,「頭髪の日」なんだそうです(笑)。このブログの男性読者のみなさん,頭髪の方は健やかでしょうか(笑)。私はというと,今の季節の木々のような状態で(爆笑),年相応なんだと思います。私もかつては頭髪というものに執着しており,このブログでも「いわゆる薄毛に関する一考察」などといったテーマで自分なりの研究成果を披瀝しておりましたが,最近ではもうそうでもなく,いわゆる諦観というやつです(笑)。あるサイトで発見しましたが,毎年「毛髪川柳コンテスト」というのが企画されているようで,このうち2004年の第1回コンテストの優秀作の中から,私が特に笑えたものを以下にご紹介しましょう(※は私の感想です。)。
★ 「ボリュームを 出せと床屋を 困らせる」
(※無い物ねだりはいけません。床屋さんだって,目の前の限りある「資源」を有効に使い,できるだけボリュームを出してあげようと努力しているのですから。)
★ 「頭見て 敬語使うな 年下だ」
(※一般的には敬語を使われて嫌な気はしませんが,「頭を見てから」敬語というのは確かにカチンときます。)
★ 「風向きで 立ち位置かえる 薄毛かな」
(※これもそのままですが佳作ですね。私も交差点の信号待ちで強風に遭遇した時,思わず風の方に向かってできるだけ髪型が維持されるような立ち位置に変更します。)
★ 「終電の 窓の頭上に おぼろ月」
(※これも秀逸です。窓外にポッカリ浮かぶ本当の月と,前に座っている乗客のつむじ廻りの「月」の二つが目に浮かびます。)
★ 「抜けた毛を 栞(しおり)に使う 楽天家」
(※本来であれば,抜けてしまった毛はあまり見たくなく,直ぐに捨ててしまいたいのですが,これを本の栞に使うとは・・・。大人(たいじん)の風格があります。)
先日晩酌の時でしたかね,うちのカミさんから聞いた話ですが,歩きながらのスマホに夢中になり,踏切内でその人が電車にはねられて亡くなったそうです。私は最初はホントかなと疑いましたが,ネットで調べてみると本当の話だったようです。東京都板橋区大山東町の東武東上線大山-中板橋駅間の踏切で,線路内に立ち入った男性が小川町発池袋行きの急行電車にはねられて死亡したとのことで,その事故当時,遮断機は下りていたけれどもその男性が携帯電話を見ながら遮断機と遮断機の隙間から線路内に立ち入り,はねられたとのことです。亡くなった方のご冥福をお祈りしますが,何もそのような形で命を落とさなくてもよかったのではと思います。死者にむち打つことになりますが・・・。
私は,人通りのある路上をスマホなどを操作しながら歩いている人を見るととても嫌な気がしています。普段,少しいましましく思っている光景なのです。全国でも歩行者や車と接触したり駅のホームから転落したりする事故も発生しています。彼らはなぜ,しかるべき時と場所で操作できるまで待てないのでしょうか,なぜ他人に配慮ができないのでしょうか。時には,自転車に乗りながらスマホなどを操作しているバカも実際に目にします。「江戸しぐさ」の中には,「肩引き」や「傘かしげ」というものがあります。「肩引き」というのは,道を歩いて人とすれ違う時に肩と肩がぶつからないように左肩を路肩に寄せて歩くことを指しますし,「傘かしげ」というのは,雨の日に互いの傘を外側に傾け,濡れないようにすれ違うことを指します。人口が多く,必ずしも幅が広くない道が多かった江戸で,みんなが気持ちよく往来を行き来することができるための知恵とルールだったのです。
ところが,歩きスマホなどをしている人たちは,「ぶつからないようにあなたの方で注意して避けて。」とでも言っているかのように,自分が他者に配慮することは一切放棄し,むしろ他者の方に自分への配慮を求めています。「江戸しぐさ」の精神とは真逆です。
東京・新宿駅では8月5日から18日までの2週間,東口出口付近の階段及び側面部分に「危険です、歩きスマホ。」という注意喚起を促すメッセージが掲出されたそうですが,日本という国はこんなメッセージをいちいち流さなければならないような国に成り下がってしまったのでしょうか。非常に嘆かわしいし,日本人の劣化を思ってしまいます。自分がスマホを持っていないからといって,ひがみで言っているのではありません(笑)。
この3連休のうちの日曜日だったか月曜日だったかは忘れましたが,朝の相当早い時間帯に,自宅のテレビで名女優グレタ・ガルボの「ニノチカ」という映画を偶然に観ることができました。本当に大昔から私はグレタ・ガルボが好きだったのです。
「ニノチカ」という映画のストーリーは,ガルボには珍しく喜劇のようなタッチであり,少し荒唐無稽な感じがしました。1939年の映画(エルンスト・ルビッチ監督)であり,当時のソビエト連邦を風刺した内容です。筋書きは荒唐無稽すぎて,ウィキペディアに書き込まれている筋書きをさっと読んでもあまりよく理解できません(笑)。じゃ,朝早くからその映画をなぜ観つづけたのかと言いますと,やはりガルボの美貌に見とれていたからです(笑)。本当に美しい。おそらくは,ガルボは確かに美女だけど,そんなに好きにはなれない,冷たい感じがする,同じスウェーデン出身の女優のイングリッド・バーグマンの方が好きという方もおられるでしょう。確かに,グレタ・ガルボは少し冷たい感じのする美貌です。でも,私は好きなのです(笑)。実は小学生の頃,自宅に20数巻あった百科事典のうち,偶然ガルボの写真を見て以来,子供ながらにずっと頭の片隅にその美貌があったのです。
それにしても「ニノチカ」を偶然に観ることができたのは幸運でした。というのも,ガルボはめったに笑わない女優ということで有名なのですが,この「ニノチカ」のワンシーンではそのガルボが大笑いする場面があるのです。めったに見ることのできないガルボの破顔一笑です。この笑顔は仕事を離れた素の笑いであるかのような自然な笑顔でした。しかしその笑顔がまた美しい(笑)。この映画はガルボが笑ったことでも有名になり,そのキャッチコピーに「ガルボ,笑う!」が使用されたそうです。
ハリウッドでこれだけの美貌の名女優であり,大活躍していましたのに,ガルボは36歳で突然引退しました。その引き際の潔いこと。あっという間でした。そして彼女は,引退後は徹底的にマスゴミ,いやマスコミを避け,終生公の場には一度も姿を現さず,生涯独身を貫きました。その後半生は謎とヴェールに包まれておりますが,その潔さにも惹かれます。吉田兼好「徒然草」の「諸縁放下」そのものの生き方です。ある意味では非常にカッコよい。どうしてそのような後半生になったのかは分かりません。ただ,これは少し的外れかも知れませんが,美を極めた人といえども,老いには勝てません。人々の脳裏には美しい姿のままの自分を留めておいて欲しいという気持ちがどこかにあったのかなと思います。
あー,どこかでグレタ・ガルボの映画を上映していないかな。すぐに観に行くのに・・・。
私はある団体に所属し,毎週火曜日に名古屋市内のあるホテルで開催される例会に出席しています。そうしましたら,何と,その例会場の隣の会場の受付には「中山恭子先生と語る会」という立て看板が立てられているではありませんか!その隣の会場に参議院議員の中山恭子先生が来られるとは・・・,私はびっくりすると同時に,そちらの会場に潜り込めたらなと本当に羨ましく思いました(笑)。
私はこの参議院議員中山恭子先生を,その夫君である参議院議員中山成彬先生ともども,かねてから尊敬しておりました。夫婦揃ってとても立派な議員さんだと思います。何で自由民主党にいないのかと,残念でなりません(笑)。
中山恭子先生は,1999年7月,特命全権大使(在ウズベキスタン及び在タジキスタン)に就任されたのですが,その直後の同年8月23日,隣国キルギスの南西部オシェ州で日本人鉱山技師4人を含む7人がIMU(ウズベキスタン・イスラム運動)と見られるウズベキスタン反政府武装グループに拉致される事件が発生したのです。いつも腰抜けの外務省は,キルギス政府に交渉を一任せよという方針を示しましたが,わが中山恭子先生は,こんな外務省の弱腰な方針に背き,敢然として救出劇の先頭に立たれたのです。そして彼女は,武装グループに対して影響力を持つタジキスタン政府や関係者を通じ,丸腰で,しかも少ないスタッフで交渉・説得を行い,見事人質の解放に成功したのです。勇気と覚悟がなければとてもできる芸当ではありません。
そして拉致被害者の救出です。2002年9月に中山恭子先生は拉致被害者家族担当の内閣官房参与に就任しました。この年,北朝鮮から拉致被害者5名が無事に日本に帰国しました。実はこの段階で日本国政府は一旦はこの5名の方々を北朝鮮に帰す方針でした。違法な拉致からようやく解放したのに,また違法状態に戻すという愚策です。馬鹿げているというしかありません。しかし,ここで中山恭子先生は孤立無援の状況下で,安倍晋三とともに敢然と政府の方針に反対し,北朝鮮に戻すという愚策を思いとどまらせたのです。これも覚悟がなければできません。
国士というのは,国中の人物の中でも特に優れた人のことをいいます。また「やまとなでしこ」とは,日本人女性を可憐で繊細だが心は強いナデシコの花に見立てて使う美称です。中山恭子先生は,国士であり,やまとなでしこであることは間違いありません。
もう今週に入りましたが,先週は本当に忙しかった。月曜日から土曜日までハードワークでした。そんな訳で土曜日には自分へのご褒美という訳ではありませんが,晩酌でのお酒の量がいつもより多くなってしまいました。
こういう風に酔いがいつもより回ってしまった晩は,もう読書などはいたしません。ただひたすら音楽(特にバッハ)を聴くだけです。「さてと,今日はどのDVDでいくかな?」などと迷っているうちに,ばったりと「辻井伸行×東南アジア紀行~心を繋ぐメロディー~」(BSフジ)という番組に出くわしました。連日の残業で頭が疲れていたこともあって,最初はぼんやりとこの番組を見ていたのですが,次第に引き込まれていくようになり,辻井伸行という全盲のピアニストがドビュッシーの「月の光」(ベルガマスク組曲第3番)とショパンの「英雄ポロネーズ」をベトナムの聴衆の前で見事に演奏する姿とその音の美しさにに触れ,なぜか泣けて泣けて仕方がありませんでした。
なんでそうなったのかは分かりません。ただ,その演奏の素晴らしさだけではなく,やはり障害を乗り越えていく前向きでたくましい,強靱な精神力に心が打たれたのだと思います。辻井伸行というピアニストは,2009年の第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝し,世界的にも認められた演奏家です。もはや全盲だからとか,健常者だからなどといったことを口にすること自体,的外れであることは十分承知しておりますが,私としては演奏を行っているのはやはり人間ですから,演奏しているその人間と演奏の素晴らしさとを切り離せないのです。つまり,全盲という障害を乗り越えて素晴らしい成果をあげる(この場合は聴衆に感動を与えること)という場面に直面すると,音楽そのものを超えて理屈抜きでその人間にも感動してしまうのです。
特に,ベトナムの聴衆が静かに演奏を聴き,感動して涙を流すシーンを見ていますと,こっちもさらに泣けてきてしまいました。ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行さんには,多くの称賛もありましたが,ごく一部酷評も加えられました。その最たるものがベンジャミン・イヴリーという音楽評論家のコメントで,私からすれば公平ではなく悪意でもあるのかと疑ってしまうようなものです。しかし,ドイツのあるコンサートでは聴衆が感動でスタンディングオベーションしたように,辻井さんの演奏には確かに人を感動させるものがあります。
人間そのものとその作品,つまり作曲家とその作品についても同じことが言えます。ベートーベンという作曲家は,音こそが命という職業にありながら,あろうことか聴覚を失うという,いわば致命的な状況に追い込まれました。ちょうど交響曲第6番「田園」を作曲していたころでしょうか,そのような過酷な現実に直面して一時は自殺を考え,「ハイリゲンシュタットの遺書」までしたためます。それでも聴覚喪失という障害を乗り越え,数々の名曲を生み出しました。そこに感動してしまうのです。交響曲第9番「合唱」もそうですし,特に私が好きな28番や30番の後期のピアノソナタ群などなど,作品そのものに加えさらにそれを超える存在(人間の強い精神力など)に感動してしまうのです。私は学生時代に「新編ベートーベンの手紙(上・下)」(小松雄一郎翻訳,岩波書店)という本を読んだことがありますが,ベートーベンのその当時の内心の苦悩,葛藤が手に取るように分かり,それだからこそ彼の作品をより深く味わうことができたと思います。
本日のタイトルとは何の関係もありませんが,名古屋グランパスのストイコビッチ監督が今シーズン限りで退任することになりました。フロントもようやく決断したようです。去年も今年も試合内容が悪すぎましたし,ほとんど修正がなされませんでしたので,遅すぎたきらいはありますが英断だったと思います。やはりプロの世界ですからね。素人目にも「ああ,これが名古屋の戦い方か。」,「グランパスはこういう戦術でいくのか。」というようなことが分かるような,そして思わずスタジアムに観に行きたくなるような試合をして欲しいです。またフロントも研ぎ澄まされた目で,例えば平成7年に就任したアーセン・ベンゲル監督のような優秀な監督を見つけ出して欲しいと思います。
最近,仕事が忙しくて残業ばっかりです。午前様のことも少なくありません。お陰さまといいますか,私としては珍しく4日連続で休肝日となっております。さて,今日は残業だという夜には,事務所近くのそば屋でかつ丼を食べることがあります。夕食後も仕事をするということで,自分へのご褒美のつもりです。よく,そば屋のかつ丼は美味しいなどと言いますが,そのそば屋のかつ丼も割と美味しいのです。
ただ昨晩は,さすがにかつ丼ではなく,「コロッケカレーそば」を注文しました。これがまた美味いのですよ。以前から客のリクエストが多かったのかも知れませんが,最初からレンゲも付いてきます。だしの利いたカレーつゆも存分に味わってください,てなもんでしょう。その晩は何でかつ丼ではなくて「コロッケカレーそば」だったのでしょうか。私の場合は,疲れている時やあまり元気のない時はカレーが食べたくなり,食べた後はスパイスのせいか結構元気が出るのです。おとといの晩の残業の時も近くのカレー屋さんで辛いカレーを注文しました(笑)。
さてさてそのそば屋の「コロッケカレーそば」は昔から好きだったのですが,一つだけ難点があります。それは,カレーつゆの下にあるそばが柔らかくなりすぎているという点です。もっとそばに腰がありさえすれば,カレーつゆが良いだけに申し分がないのに・・・。画竜点睛を欠くというやつです(笑)。分かりやすく言えば,玉にきずというやつです(笑)。
そんな訳で昨晩も夜中の0時近くまで事務所でお仕事をしました。帰りはタクシーでした。相当年配の運転手さんでしたが,本当に言葉遣いが丁寧で,接客態度の素晴らしい方でした。これも一日のご褒美かなと思っていたのですが,「悲報」と言いますか,すぐに残念な状況に遭遇してしまいました。車内が口臭で充満していたのです(笑)。これはいただけません。一日の最後はご褒美ではなく,「拷問」が待っていたのです(爆笑)。言葉遣いも接客態度も申し分ないのに・・・。画竜点睛を欠くというやつでした(笑)。
(注)「画竜点睛を欠く(がりょうてんせいをかく)」
画竜点睛を欠くとは,ほぼ完成しているが,肝心な一点が抜けているため,全体が生きてこないこと。「睛」は「ひとみ(瞳)」で,「点睛」は動物の絵を描き最後に瞳を入れて完成させることを意味する。中国の張という絵の名人が金稜の安楽寺の壁に絵を描き,最後に瞳を描き入れたところ竜が昇天したという,唐時代の画史書「歴代名画記」に見える故事から,物事を完璧なものにするための中心や最後の仕上げを「点睛」や「画竜点睛」というようになった。(語源由来辞典より)
今年は第62回神宮式年遷宮です。「神宮」とはもちろん伊勢神宮のことです。私も,かつて3度か4度ほど伊勢神宮に参拝したことがありますが,その都度感動したことを覚えております。この式年遷宮はこの秋にクライマックスを迎え,10月2日の今日は皇大神宮(内宮)で,そして5日には豊受大神宮(外宮)で大御神様を新宮にお遷し奉る「遷御」の儀が行われるのです。
今朝の産経新聞のコラム「産経抄」には,次のようなことが書かれていました。
「作家、長部日出雄氏(79)は「恥ずかしながら」かつては左翼だったという。ところが還暦を迎えたとき、初めて伊勢神宮に参拝し、一遍に左翼から「宗旨替え」してしまった。長部氏自身が講演などで、ユーモアを交えて明かしていることである。おそらく長部氏だけではない。内宮、外宮のあの森閑とした神域の中に身を置けば、日本の伝統文化のすごさに打たれる。「左翼」思想など、雲散霧消してしまう思いがする。伊勢神宮を訪れた日本人、いや外国人も含めたみんなが共有している体験だろう。」
またこれは日本会議の機関誌「日本の息吹」(本年10月号)からの受け売りですが,世界的建築家であるブルーノ・タウトは,「日本はいわば日本のアクロポリスをもつ、-即ちそれは伊勢である。しかし伊勢神宮は、アクロポリスのような廃墟ではない、21年目毎に絶えず造替せられて、日本人の眼前にいつも新鮮な姿を示している。これはまさに世界無二の事実である。」(「忘れられた日本」より)
さらに,平安から鎌倉時代の歌人である西行は伊勢神宮に臨み,次のような歌を詠んでいます。
「何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
この歌の意は「伊勢神宮の内宮に通じる宇治橋を渡る時、清らかな五十鈴川のせせらぎの音、川面を吹きわたる心地よい風、前方に臨む緑深き神宮の森の雄大さに触れ、この感情が湧きあが」ったということでしょう(皇室ジャーナリスト高清水有子)。
私が弁護士登録をしてまだ1年目くらいの時に,交通事故の示談交渉のために五十鈴川にある被害者のご自宅を訪れたことがありました。近鉄五十鈴川駅から歩いていきましたが,あの辺りはやはり独特の雰囲気,趣がありました。表現が適切かどうかは分かりませんが,何か森閑とした,幽玄な,厳かな雰囲気がありました。雨上がりで少し靄もかかった状況でしたからなおさらです。今でも覚えております。
私も近々伊勢神宮にお参りに行きたいと思っております。