今年は第62回神宮式年遷宮です。「神宮」とはもちろん伊勢神宮のことです。私も,かつて3度か4度ほど伊勢神宮に参拝したことがありますが,その都度感動したことを覚えております。この式年遷宮はこの秋にクライマックスを迎え,10月2日の今日は皇大神宮(内宮)で,そして5日には豊受大神宮(外宮)で大御神様を新宮にお遷し奉る「遷御」の儀が行われるのです。
今朝の産経新聞のコラム「産経抄」には,次のようなことが書かれていました。
「作家、長部日出雄氏(79)は「恥ずかしながら」かつては左翼だったという。ところが還暦を迎えたとき、初めて伊勢神宮に参拝し、一遍に左翼から「宗旨替え」してしまった。長部氏自身が講演などで、ユーモアを交えて明かしていることである。おそらく長部氏だけではない。内宮、外宮のあの森閑とした神域の中に身を置けば、日本の伝統文化のすごさに打たれる。「左翼」思想など、雲散霧消してしまう思いがする。伊勢神宮を訪れた日本人、いや外国人も含めたみんなが共有している体験だろう。」
またこれは日本会議の機関誌「日本の息吹」(本年10月号)からの受け売りですが,世界的建築家であるブルーノ・タウトは,「日本はいわば日本のアクロポリスをもつ、-即ちそれは伊勢である。しかし伊勢神宮は、アクロポリスのような廃墟ではない、21年目毎に絶えず造替せられて、日本人の眼前にいつも新鮮な姿を示している。これはまさに世界無二の事実である。」(「忘れられた日本」より)
さらに,平安から鎌倉時代の歌人である西行は伊勢神宮に臨み,次のような歌を詠んでいます。
「何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
この歌の意は「伊勢神宮の内宮に通じる宇治橋を渡る時、清らかな五十鈴川のせせらぎの音、川面を吹きわたる心地よい風、前方に臨む緑深き神宮の森の雄大さに触れ、この感情が湧きあが」ったということでしょう(皇室ジャーナリスト高清水有子)。
私が弁護士登録をしてまだ1年目くらいの時に,交通事故の示談交渉のために五十鈴川にある被害者のご自宅を訪れたことがありました。近鉄五十鈴川駅から歩いていきましたが,あの辺りはやはり独特の雰囲気,趣がありました。表現が適切かどうかは分かりませんが,何か森閑とした,幽玄な,厳かな雰囲気がありました。雨上がりで少し靄もかかった状況でしたからなおさらです。今でも覚えております。
私も近々伊勢神宮にお参りに行きたいと思っております。