小泉純一郎という人は,かつてはこの日本国の首相まで務めた人ですが,最近の「脱原発」連呼の一連の言動には思わず首をひねってしまいます。電力というものは,国民の日常生活には勿論,企業活動にも必要不可欠なものですから,将来にわたって電力供給が安定的になされるべきだとの観点からは,即脱原発というのは現状ではあまりにも無責任でしょう。原子力発電の稼働停止により,今度は火力発電のためにいわゆる化石燃料等を購入,輸入せざるを得ず,そのために現在では約3兆6000億円もの国富が流出しております。
小泉純一郎は最近あちこちで「脱原発」を唱えるようになって注目を集めており,影の薄い社民党の新代表からも歩み寄られている始末ですが(笑),彼は「政治が原発ゼロの方針を打ち出せば,必ず知恵のある人がいい案を出す。」などと暢気なことを言っております。本当に無責任だなあと思います。そんな料簡で即脱原発に走ってしまったら,泥縄式になってしまわないでしょうか(笑)。それに,軍事面でもエネルギー面でも,安全保障という観点からは,世界に冠たる日本の原子力技術がこのまま衰退し,あるいは国外に流出してしまうことが本当に良いのでしょうか。
スポットライト症候群というのは,舞台上でスポットライトを一身に浴びるように一度華々しく世間から注目を浴びてしまうと,その恍惚的な感じが忘れられなくて再び夢をもう一度とシャシャリ出たいという症状に見舞われる状態をいいます。小泉純一郎はちょうどスポットライト症候群に罹患してしまっているのではないでしょうか。
思い起こせば,郵政民営化の時などは,小泉氏はいわゆる劇場型政治・ワンフレーズポリティックスを巻き起こし,「抵抗勢力」とか「官から民へ」とか「規制緩和」とか「聖域なき構造改革」とかのセンセーショナルな号令の下,新自由主義的発想で「構造改革」を推し進めました。でも実際には,主として欧米のグローバル資本に暗躍の場を与え(商売をしやすい状況を作り出す),株主資本主義を浸透させる結果となったのです。小泉構造改革とは一体何だったのかという総括がなされることがありますが,要するにアメリカのポチになって以上のような「構造改革」をやみくもに推し進めたということだと思います。その結果,経済格差がますます広がり,駅前にはシャッターを閉めたままの店舗が目立つようになりました。その「構造改革」,「規制緩和」の先兵になったのが竹中平蔵氏などでしょう。もともとその淵源は,日米構造協議,年次改革要望書などに遡り,日本政府は唯々諾々とアメリカの要求を吞んでいったのです。その辺りの事情を鋭くえぐり出し,私も目からウロコが落ちる思いをしたのが「拒否できない日本」(関岡英之著,文春新書)という本でした。
その関岡英之さんは,第二次安倍内閣の課題について次のように述べており,私も同感です。
「安倍政権はまず、平成改元以来のデフレ下における規制緩和、すなわちインフレ対策の推進が正しかったのかどうか、きちんと検証すべきです。だから私はさきほど『新自由主義と決別せよ』ではなく、『新自由主義を清算せよ』と言ったのです。『強い日本』を取り戻したいなら、橋本政権時代の消費増税と『六大改革(経済・財政・金融・行政・社会保障・教育)』、そして小泉政権時代の『痛みを伴う構造改革』に焦点をあて、それらが本当に我が国の国益、国力の増強に裨益したのかどうか、きちんと政策評価すべきです。」(「検証・アベノミクスとTPP」233頁(三橋貴明・関岡英之著,廣済堂出版)