第二次安倍政権が発足して1年,第一次政権の際にこれができなかったことを「痛恨の極み」と表現された靖国神社参拝を,このたびようやく安倍首相が実行されました。私自身,大変うれしいことだと思っています。首相談話の中の次のくだりを耳にするにつけ,その思いを深くします。
「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。」
「今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子供たちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々、その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。」
そうですね。物事を考える時は,平面的な思考だけでなく,こういった時間的,歴史的,垂直的な思考が大切です。でも,中国や韓国,反日左翼的なマスコミや政党などからは判で押したような猛批判が繰り返されています。つける薬がない状態(笑)。
よく「アジアの国々」の諸国民の心情を踏みにじり,などと批判しますが,その「アジアの国々」というのはいったいどこの国のことを指しているのでしょうか。結局,外交カードにすべく恫喝に近い非難を繰り返しているのは中国と韓国だけではありませんか。それにこの中国と韓国に配慮して最近の歴代首相が靖国神社参拝を控えてきたことで関係が良くなったりしたでしょうか。靖国神社参拝がもはや外交カードになんかならないということを毅然とした態度で示すことができるのは,今は安倍晋三しかおりません。そしてこれを定着させるために靖国神社参拝は粛々と続けるべきです。
また反日左翼的なマスコミは,アメリカが「失望した」との見解を示したことを鬼の首を取ったように報道していますが,確かにアメリカは重要な同盟国ではあっても,是々非々でいけばよいのです。中国や韓国の批判が全く的外れであることは勿論ですが,極東国際軍事裁判(「東京裁判」)を主導的に行ったアメリカに対しても,東京裁判の欺瞞性を主張し(アメリカは明らかに国際法違反の原爆投下や東京大空襲などで民間人の大量虐殺を行いましたが,これを裁く人は誰もいません。),そもそも「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈り」することのどこが悪いのか,これは完全に心の問題であり,そんな批判は内政干渉だとごく当たり前の対応をすれば良いのです。
靖国神社にいわゆるA級戦犯が合祀されていることが問題なのでしょうか。それも全く理由がない。そもそも「A級戦犯」を生んだ東京裁判は国際法上の法的根拠はありません。一応の根拠とされた「極東国際軍事裁判所条例」も「事後法」ですから根拠たり得ません。「A級」とは「平和に対する罪」に関係した者という分類ですが,それまで「平和に対する罪」などは国際法上存在せず,これも「事後法」でした。「裁判」とはいうもののその欺瞞性は明らかです。「事後法の禁止」,「法の不遡及の禁止」というのは近代法の大原則です。国際法に通暁しているインドのラダ・ビノード・パール判事は事後法で裁くことはできないとして被告全員無罪の意見を述べましたし,やはり国際法に通暁しているオランダのベルト・レーリンク判事も「多数派の判事たちによる判決はどんな人にも想像できないくらい酷い内容であり、私はそこに自分の名を連ねることに嫌悪の念の抱いた」とさえ述べております。
そして,サンフランシスコ講和条約第11条で「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国犯罪法廷の諸判決を受諾」したため,日本国政府は「裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定および日本国の勧告」を忠実に行い,国会決議を経て関係11か国の同意を得,A級戦犯とされた人たちを釈放し,手続的にも名誉回復されたのです。もうA級戦犯などはいないし,「A級戦犯」だった重光葵は,1956年の日本の国連加盟の際,外相として演説し満場の拍手を浴びております。
もともと「A級戦犯」が合祀された後も何ら問題なく歴代の首相が靖国神社を参拝していたにもかかわらず,1985年に中国に「ご注進」に及び,靖国神社参拝を政治問題化,外交問題に発展させた張本人は朝日新聞ですからね(加藤千洋記者の8月7日付け記事ほか一連のもの)。いわゆる「従軍慰安婦問題」の捏造記事も朝日新聞です。一体全体どこの国の新聞社なんでしょうか(笑)。
いずれにしても,中国や韓国にこれを外交カードにさせてはなりません。
今年一年も暮れようとしております。早いものです。私も何とか普通に年を越すことができそうです。ありがたいことです。来年はますます良い年になるよう期待しております。みなさんも良いお年をお迎えください。
今年最後に,私が普段から心より愛してやまない昭和天皇の御製をご紹介します。この歌に接するたびに,勇気が湧いてくるのです。
「ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ」