まあ,月末でもありますから,今日は言わせてもらいますわ(笑)。
何も今に始まった訳ではありませんが,中国と韓国がなりふり構わず日本を貶める言動を続けています。目に余るものがあります。もともとですが,彼らは恥も外聞もありません。韓国の現大統領の「告げ口外交」は滑稽ですらありますが,1月29日,国連安全保障理事会の公開討論の場で中国の国連大使は,靖国参拝について「第二次大戦後の国際秩序に正面から挑戦するものだ」,「日本の指導者が靖国を含む国際社会の信頼を勝ち取りたいのなら,戦犯側に立つべきではない。」などと主張しました。また,イスラエルの駐在中国大使は,イスラエルの英字紙エルサレム・ポストに1月21日付けで寄稿し,「ホロコーストを二度と繰り返させるな」と述べ,「東條(英機)はアジアのヒトラー」と呼びました。また中国の王毅という外相は「日本のA級戦犯はアジアのナチスだ」とも言いました。
相変わらずです(笑)。付ける薬がありません。産経新聞記者の阿比留瑠比さんが1月30日の朝刊で述べているとおり,ドイツの戦犯を裁いたニュルンベルク裁判では,有罪となった19人のうち16人までがユダヤ民族の絶滅政策などへの関与を追及され,「人道に対する罪」に問われたのですが,東京裁判では有罪とされた25人のうち誰もこの罪は適用されていないのです。困った訴追側は慌てて「平和に対する罪」なるものを急ごしらえしたのです。何が「アジアのヒトラーだ」と言いたい。奇しくも同じ朝刊の「正論」欄に「ヒトラーと東条を同列視する愚」というタイトルで,防衛大学名誉教授の佐瀬昌盛さんの次のような言葉が掲載されていました。
「中国の主張を裏返すと『ヒトラーは欧州の東条』だ。それでよいか。答えが然りなら、世界から対中ブーイングが起こる。」
姿見という等身大の鏡がありますよね。中国(共産党)の前に姿見を立ててやりたいと思います。チベット民族やウイグル民族,内モンゴル民族の虐殺,自国民についても「大躍進政策」なる天下の愚策で数千万人単位の餓死者を出したこと,そして例の「文化大革命」における夥しい数の犠牲者,中越紛争,中印紛争における暴虐などなど,戦後の日本の歩み方とは対照的でしょう。
アメリカのスタンフォード大学の研究機関のグループが各国の歴史教科書の研究,評価を行い,日本のそれは「ヒストリー」,中国のそれは「プロパガンダ」,韓国のそれは「ファンタジー」と表現したのは正鵠を射ております(笑)。
中国が日常的になしている日本を貶める言動というのは,歴史の捏造とプロパガンダに過ぎないと言うべきで,史実に照らせばニセモノです。中国が作り出すニセモノは食品やブランド品だけではありません。
「中国の民間にはこんなジョークがある。ある農民が自殺をしようと農薬を飲んだが、死ななかった。なぜならその農薬はニセモノだったから。その後、点滴をしに病院へ運ばれたら死んでしまった。なぜなら点滴薬がニセモノだったから。いわゆる『中国の勃興』とはこのような醜態の上に打ち立てられたものである。」(「赤い中国消滅-張子の虎の内幕-」219頁,陳破空著,扶桑社新書)
うちのカミさんと娘はそれぞれ自分の自転車を持っていますが,私は自分の自転車を持っていないため,仕事でもプライベートでもよく歩き,自転車には乗りません。タクシーや公共交通機関を利用していない限り,私はいつも「歩行者」なのです。
でも,前にもこのブログに書いたことがありますが,歩行者としていつも不快に思い,時には恐怖感さえ覚えるのは,マナーの悪い自転車乗りです。私が敵視しているのは(笑),自転車そのものでも,自転車を利用している人一般でもありません。あくまでも「マナーの悪い自転車乗り」なのです。私にとって彼らは仮想敵国なのです。
彼らはもの凄いスピードで歩行者の脇を通り過ぎて行きますし,人と人との間隔が余りない所でも決して自分が譲歩することなく,徐行もせずに縫うようにして通過していきますし,信号の変わり目近くになれば他者に注意を払うこともなく猛スピードで交差点内に進入していきます。時にはスマホや携帯電話をいじりながら自転車に乗っているバカも珍しくありません。そういえば,昨日の朝だって顔も体型もバカボンにそっくりな高校生風の男子が,両ハンドルから完全に手を離し,イヤホンか何かをいじりながら自転車を走行させておりました。自転車といっても,道路交通法上「軽車両」に分類はされておりますが,「車両」の定義に含まれているのです。マナーの悪い自転車乗りは「車両」に乗っているという自覚がありません。残念なことですが,マナーという点,そして他者への思いやりという点では,確実に日本人が劣化しているなと痛感します。自宅から事務所まで徒歩通勤をしていますと,「マナーの悪い自転車乗り」のために毎日と言っていいほど不快な思いをさせられているのでござるよ。
新聞でも報道されていましたが,自転車に乗って赤信号を無視し,当時75歳の主婦に衝突の上死亡させてしまった事案で,東京地方裁判所は1月28日,損害賠償として約4700万円を支払うようこの自転車乗りに命じました。同じ自転車の事故で,昨年の7月には神戸地方裁判所で加害男性には約9500万円の支払が命じられています。また,携帯電話を操作しながら自転車を走行させ,自転車同士の正面衝突で相手に重症を負わせた男に対し,昨年10月でしたか大阪簡易裁判所は刑事罰として罰金20万円を科しました。自転車とはいえ,人身事故を起こせばもちろん刑事事件にだってなる訳ですし,東京地方裁判所で約4700万円の支払を命じられた人は,刑事事件としても立件,起訴され,重過失致死罪で禁固2年,執行猶予3年の判決を受けてもいます。
そういえば,うちの事務所の書棚の中には「自転車事故 過失相殺の分析-歩行者と自転車との事故・自転車同士の事故の裁判例-」(財団法人日弁連交通事故相談センター東京支部過失相殺研究部会編著,きんざい)という本もあるくらいです。自転車事故というのは決して人ごとではありません。
私なんか,本当は朝の清々しい空気を吸いながら散歩気分で徒歩通勤したいのに,マナーの悪い自転車乗りのおかげでいつもビクビクしているのです(笑)。何しろぶつけられたらイヤですからね。私が万が一国会議員になったら,マナーの悪い自転車乗り対策の一環としてさらに道路交通法上の罰則を強化するでしょうし,自転車の製造面では一定限度以上のスピードが出せないような規制を加えたい,かように考えております(笑)。
人間というものは,男女を問わず,洋の東西を問わず,常に若々しくありたいなとの願望があると思います。私もそうです。それに求めたい「若々しさ」というのは肉体面だけでなく,精神面でもそうです。
私の母は昭和6年生まれですから,この3月で83歳になります。母はよく人から若いと言われておりますが,確かに私の目から見ても同年代の人との比較では若く見えると思いますね。母は先日名古屋を出発し,新幹線に乗って私の妹が住む広島へ約1か月間遊びに行くことになりました。元気なものです。広島で「広島焼」でも食べて来るのでしょうか(笑)。
これは私が尊敬する三好達さん(海軍兵学校出身の元最高裁判所長官)の受け売りの受け売りですが(「日本の息吹」という月刊誌に書いてありました),三好達さんは若々しさや「常若(とこわか))」ということに関して,「海老(えび)」のことを仰っていました。人間学の泰斗安岡正篤先生のお話の中に,「なぜ,おめでたい席の料理に海老を用いるか」という話があります。安岡先生のお話によりますと,「海老は,堅い殻を被っているが,生きている限りは,際限なく成長する。殻が堅くなると,殻を脱ぐ。脱いでまた軟らかくなる。これを繰り返して生きている。つまり生きている限りは,いつでも殻を脱いで固まらない。老いず,常に若さを持ち続ける。海老は若さを保つシンボルで,そういう意味でおめでたい席に海老を用いる。」ということです。安岡先生はこのように述べて,人は「常に脱皮して若さを保ち続けること」が大切だと説かれたのです。
受け売りの受け売りですが,私もまだまだ老け込むことなく,母のように若々しくありたいと思っておりますが,それならばお酒もほどほどにしなければなりませんでしょう(笑)。分かっちゃいるけど・・・取り敢えず休肝日は週に2日はもうけたいと存じます。
先の名護市長選挙については誠に残念な結果でした。稲嶺進(現職の名護市長)という当選者が,勝ち誇ったように踊りまくっている姿を見て,胸が悪くなりました。彼は絶対に辺野古移設は認めない,「県外移設だ」と言っておりますが,私は普天間飛行場の移設はこれまで長時間をかけて何とか結実した計画どおり,そして先の沖縄県知事の承認どおり着実に進めるべきだと思っております。
読売新聞や産経新聞の社説のとおり,名護市長には代替施設の建設工事に伴う資材置き場の設置などの許可権限があり,工事をある程度遅らせることは可能でしょうが,その権限は限定的なもので,辺野古移設中止にまでは及びません。普天間飛行場は確かに今のままでは危険です。だからこそその危険性を除去するために,これまで長時間をかけて案を策定し,折衝を重ね,何とか辺野古沖への移設という計画が計画としてやっと結実したのではありませんか。このように移設してまで,従来からの普天間飛行場が果たしてきた役割,つまり在沖縄海兵隊の輸送任務という役割の重要性を今後も維持していくことは,日米同盟や日本全体の安全保障にかかわる問題であって,一地方選の結果で左右されるべきものでは決してありません。それに,当選者の約1万9000票に対し,辺野古移設容認の対立候補は約1万5000票を獲得しているのです。決して大差だとは思いません。
「日本列島は日本人だけのものではない」と迷言を述べた,あの少し頭がおかしいと思われる鳩山由紀夫という人でさえ,学べば学ぶほど抑止力というものの重要性を知ったと告白したではありませんか(笑)。本当は,日本国の首相になる前に,そして「最低でも県外へ」と大風呂敷を広げる前の段階で抑止力というものの何たるかを学んで欲しかったのですが(笑)。抑止力と言えば,かつてフィリピンがクラーク空軍基地,スービック海軍基地から米軍を追い出した後の1995年に,フィリピンが領有権を主張していたミスチーフ礁に,それまで虎視眈々と狙っていた中国が突如として建造物を造ったことは歴史上の教訓です。それが現実なのであり,平和ボケをしている場合ではないのです。
理想論だけを述べ,平和ボケをしている人は確かに存在します。「平和憲法さえ死守していれば日本が戦争に巻き込まれることはない」といった空想論を展開している人もいます。もちろん私だって,戦争は最大限の努力をして回避すべきものだと思っております。でも空想的平和主義の人たちの平和論が,平和=戦争のない状態を意味するだけだとしたら,例えば中国人民解放軍が日本が領有する島嶼部に上陸し,実効支配を始めた場合どうするのでしょうか。平和=戦争のない状態だから,それでもいいと言うのでしょうか(笑)。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するといいますが,今のような状況,つまり日本固有の領土を不法に占拠している国もあり,領空・領海侵犯だけでなく,日本に夥しい数のミサイルを向けている国もある中で,「平和を愛する諸国民」とは,この極東の辺りでは一体どこの国のことを指しているのでしょうか。
日本国憲法を墨守し,絶対視し,空想的な平和論を展開している人に対する揶揄として,哲学者で京都大学名誉教授の田中美知太郎は,次のように述べました(「今日の政治的関心(二)」248頁)。
「・・・平和というものは、われわれが平和の歌を歌っていれば、それで守られるというようなものではない。いわゆる平和憲法だけで平和が保証されるなら、ついでに台風の襲来も、憲法で禁止しておいた方がよかったかも知れない。・・・」
20世紀を代表する世界的な名指揮者,クラウディオ・アバドが亡くなりました。享年80歳でした。自分が若かりし頃,アバドの指揮による演奏をレコードでよく聴いたものです。本当に寂しい限りです。
あの名門ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のカラヤンの後任には少なからぬ人の名が挙がっていましたが,結局その後任の芸術監督に就任したのがアバドであり,その2代前の常任指揮者(芸術監督)こそ,私が心から尊敬するあのヴィルヘルム・フルトヴェングラーでした。
産経新聞の記事によると,アバドはフルトヴェングラーに心酔し,同世代のダニエル・バレンボイムやズービン・メータとともにその演奏を共に研究したとのこと。そしてアバドは,オーケストラへの接し方についても「独裁者としてオーケストラを締め上げるアルトゥーロ・トスカニーニのやり方は好きになれません。フルトヴェングラーのように,演奏家と一緒になって音楽を作っていくやり方が好きです。」と述べ,対話を重視するアバドのこのような姿勢はオーケストラの団員にも歓迎されたようです。
確かにトスカニーニとフルトヴェングラーとではその個性も,指揮スタイルも,楽曲の解釈も異なっていたようで,例えばベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調「運命」を実際に聴き比べてみても,まずは演奏時間からして相当に違います(笑)。しかしいずれも世界的な巨匠(マエストロ)であることは間違いありません。
「トスカニーニはかつてニューヨークにおける記者会見の席上、ひとりの記者から意地の悪い質問を受けたことがある。『あなたが世界一の指揮者であることを疑うものはないが、そのあなたを除けば、だれが世界一の指揮者と思われますか。』・・とたんにトスカニーニは不機嫌な顔付きになり、『その質問にはどうしても答えなくてはならないのかね』と反問した。そこで記者がしつこく迫ると,ついに彼は大声で叫んで会見場から姿を消した。『フルトヴェングラー!』」(「フルトヴェングラーと巨匠たち」94頁,芸術現代社)
アバドの話に戻りますが,私はマーラーの交響曲については,そのほとんどがアバド指揮によるものを若い頃からグラモフォンのレコードで聴いておりました(シカゴ交響楽団,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団など)。私の場合は,マーラーはこの人(アバド)だったのです。誠に素晴らしい演奏だったと思います。
心からのご冥福をお祈りいたします。
朝食後はすぐに出勤するのではなく,外出支度の前に必ず産経新聞と読売新聞に目を通すことにしております。おかげさまで強膜炎と虹彩炎もほとんど寛解状態になり不快な右眼の痛みもなくなりました。
1月16日の読売の朝刊の「言わせて!」というコーナーに「私の肩抱いた夫の思い」という見出しで,ある読者の投稿記事が載っていました。それを読んでじーんときたといいますか,何となく共感を覚えました。ちょっと引用してみましょう。
「一昨年秋の出来事を、長崎県の女性(68)は忘れられません。台所で夕飯の支度をしていると、夫が突然、肩を抱きすくめました。とっさに『タマネギをとってきて』と言ってザルを渡すと、夫は車庫にタマネギをとりに行き、それを置くと庭へ出て行きました。その年末、夫は体調が急変し、一月後に他界しました。『体調に異変を感じ不安だったのでしょう。あの時、私は黙って夫の胸に顔を寄せればよかったのです。気持ちを察することもできず、自分を情けなく思います。あの日、庭を眺めていた夫の横顔を思い出し、涙がこみ上げます。』」
人間,元気でいるときは日常の何気ない一つ一つの出来事や目にするものに特に深く思いを致したり,感慨にふけったりなどすることはありません。しかし,もし自分の体調にこれまでとは何か違う異変を感じたり,いわゆる「死期」というものを悟ったりしたときは,何かにすがりつきたいという不安な気持ちや,もうこんな「日常」を目にすることもないんだと今生を名残惜しく思ったり,それまでは当たり前のように思っていた家族,特に配偶者の行為(家事に勤しむ姿など)に深い心からの感謝の念を覚えたり,限りなく愛おしく思ったりするのではないでしょうか。
この記事に出て来る夫がそのときに何を思っていたのか。肩を抱きすくめられたときに妻が咄嗟にタマネギを取ってきてと照れてしまったように,普段からこの夫婦は決してベタベタはしていなかったのでしょうし,このような夫の振る舞いに戸惑いを覚えたのでしょう。でもそれだからこそ,夫は何かそれまでとは違う思いをもって妻の肩を抱きすくめるという行為に出たのではないか。やはり,何かにすがりつきたいという不安な気持ちや,もうこんな「日常」を目にすることもないんだと今生を名残惜しく思ったり,それまでは当たり前のように思っていた家族,特に配偶者の行為(家事に勤しむ姿など)に深い心からの感謝の念を覚えたり,限りなく愛おしく思ったのでしょう。そして,そんな夫の心情を察してやれなかった妻の無念もよく分かります。
何となく共感を覚えた記事でした。
いよいよ東京都知事選挙ですか。この話題は新聞紙上や週刊誌上をずいぶんと賑わしておりますね(笑)。
出馬表明した細川護煕という方は出自と毛並みの良さは申し分ないのでしょうが,わずか9か月で総理大臣の職を辞し,未だに当時のスキャンダルについての明確な釈明がないままですし,なにしろ既に「陶芸家」として半ば隠遁状態にあった訳ですから,東京都知事という地方自治体トップのトップである行政統括者がつとまるのでしょうか。それに背後の支持者があの「シングル・イシュー」の申し子,小泉純一郎さんですからね(笑)。この二人はどうしてももう一度スポットライトを浴びたいのでしょう。でも,「脱原発」一本槍といっても,そして東京都は東京電力の株主ではあっても,そもそもエネルギー政策は安倍首相や菅官房長官が言うとおり,重要な国の政策なのでしょう。いくら東京都知事が「シングル・イシュー」的に声高に叫んでもねえ(笑)。今日の朝刊の週刊誌広告のうち,週刊文春の最新号では小泉さんのことを”原発ゼロ愉快犯”と称しておりました(爆笑)。
桝添さんですか・・・(笑)。この方も,あまり多くのことは語れませんが,私は好きではありません。その理由は様々ありますが,今日は二つだけ挙げますと,この方が「新党改革」なるものを旗揚げした時の記者会見で,卓上の日の丸の小旗を「これ,邪魔だよね。」と言って撤去させるという「暴挙」に及びました。日の丸を邪険に扱う人間はそれだけでダメです。二つめは,この方は永住外国人地方参政権付与に極めて積極的です。やはりダメです。
それにしても,猪瀬スキャンダルがにっちもさっちもいかなくなった時,すかさず日本維新の会を離党し,議員まで辞職して東京都知事を虎視眈々と狙っていた東国原英夫という方は,結局は澎湃と湧き上がる声が回りから上がらず,「そら寝」が奏功しませんでしたね(笑)。宇治拾遺物語の「児(ちご)のそら寝」のようですが,彼の場合は,もはや「えい(はい)」と声を発する機会さえ失してしまいました。
宇治拾遺物語の「児(ちご)のそら寝」の分かりやすい現代語訳を「50歳からの古文学習」というサイトから見付けましたので,これを借用して以下にご紹介いたします。
「今となっては昔のことですが,比叡山延暦寺に子供がいた。お坊さん達が,夜の暇なときに『さあ,ぼたもちを作ろー。』と言うのを,この子供は,期待して聞いた。そうかといって,すっかり出来上がるのを待って,寝ないでいるのは,具合が悪いであろうと思って,部屋の片隅によって,寝ているふりをして,出来上がるのを待っていたところを,もうつくりあげた様子で,お坊さん達は騒ぎあっていた。子供は,きっと起こしてくれるだろうと待っていると,あるお坊さんが『もしもし,目をさましてください』と言うのを,嬉しいとは思うけれど,ただいちどで,返事をするのも待っていたのかと思われると困ると思って,もう一度呼ばれてから返事をしようと,我慢してねていると,『おい,もう起こし申しあげるな。幼い人は眠ってしまわれた。』という声が出たので,困ったことだと思って,もう一度起こしてくれよと思いながら寝て聞いていると,むしゃむしゃと盛んに食べる音がしたので,どうしようもなくて,ずっと後になって『はい。』と返事をしたので,お坊さん達は笑いが止まらなかった。」
先の三連休はとてもハードでした。ヘトヘトになってしまいました。初日(11日)は知多半島のあるゴルフ場でゴルフをし,その日は疲れていたのに仕事で午前様。翌日(12日)は約一日がかりで三重県津市でお仕事。さらにその翌日(13日)は自宅にはいましたが,一日中書面作成のお仕事で翌午前1時ころまで続きました。このように目を酷使したり疲れたりで,せっかく治りかけていた強膜炎,虹彩炎も増悪してしまったのです。このブログを書いている今は,少し良くなりましたけど・・・。
さて,ゴルフの方はというと,前回のラウンドよりも1打スコアが良くなりましたが,まだまだです。この日のラウンド後に痛感しましたのは,次の2点です。①ドライバーによるティーショットをもっと改善すること(分かっちゃいるけど「早打ち」と「力み」が直らないのでござる。),②ファーストパットを改善すべきこと,の2点です。後者の問題は,グリーンに乗った後の最初のパッティングが無造作過ぎて,ツーパットで終わらせる位置にまで寄せられないということなのです。これはとても悔しい。
さてさて,このゴルフのラウンドでは,地元で海苔養殖をされている方とご一緒させていただきましたし,この方にはよくゴルフに誘っていただき,しかも誠にありがたいことに収穫,加工された板海苔をたくさんいただきました。いつも大変申し訳なく思っております。それにしてもこの海苔の美味しいこと!黒々としていて肉厚で,光沢もあり,本当に佳い海苔なのです。早速いただきましたが,涙が出るほど美味いのです。ジョン・レノンの「イマジン」ではないのですが,「想像してごらん♪・・・」
「テーブルの上の茶碗に盛られた炊きたてのあたたかい白いご飯。火で炙ってパリパリになり一口大に切られた焼き海苔と小皿の醤油(もちろん国産丸大豆を素材にした芳醇な香りのするもの)。一枚の海苔を箸ではさみ,醤油に付けて白いご飯の上に乗せ,海苔で白いご飯を包み込み,お口の中へ・・・。」
至福の時でしょう。日本人に生まれて本当に良かったと思います。みなさん,海苔という素晴らしい存在を見直し,もっともっと食べましょうよ。そして海苔養殖という営みは,食材の提供という面であの世界文化遺産にも登録された和食を支えている貴重で尊い営みなのです。是非頑張って欲しいと思います。その日の晩,調子に乗ってこの美味しい海苔でご飯を食べまくったのですが,あとでうちのカミさんから「ちょうど一合食べたわよ。」と言われました(笑)。
私の事務所はカレンダーどおり1月6日から始業しておりますが,どうも右眼の充血と眼球の痛みがあったため,翌7日にはやむなく眼科に行きました。実は数年に一度,こういう症状が出るのです。大体は目の酷使,疲れ,免疫力の低下という三要素が重なった場合にこうなってしまいます。診察の結果,強膜炎,虹彩炎ということで,前にも処方してもらったようにリンデロンとクラビットという2つの点眼薬をいただきました。このブログを書いている今は,おかげさまで右眼の充血も少し和らぎ,眼球の痛みもほとんどなくなりました。
目の酷使といいましたが,年末年始は少し本を読みすぎたようです。目を酷使したとは言っても,読んで全く後悔しなかったどころか,ものすごく感動してしまったのが「帝国陸軍 見果てぬ『防共回廊』-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略」(関岡英之著,祥伝社)という本です。私はこの関岡英之というノンフィクション作家は以前から注目しており,これまでにも「拒否できない日本-アメリカの日本改造が進んでいる」(文春新書)など数冊の本や論考を読んだことがありましたが,誠に素晴らしく,信頼できる作家です。
関岡英之さんの書籍を読んでこれまでに私が感じた点を挙げますと,次の三点になります。まず第一点は,何よりも視点の鋭さです。例えば「拒否できない日本-アメリカの日本改造が進んでいる」(文春新書)では,アメリカが毎年突きつける年次改革要望書,そして日米構造協議などがいかにアメリカの国益に沿ったものであり,これに日本が唯々諾々として従い,いわゆる小泉構造改革もその一環であって,結局はアメリカのポチとなって行われたものだという実態を鋭くえぐり出しております。今回私が読んで感動した「帝国陸軍 見果てぬ『防共回廊』-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略」(関岡英之著,祥伝社)という本も,後にこの本の「あとがき」の一部引用部分に記載されているような鋭い視点からの力作です。
第二点は,関岡英之さんの愛国心の強さです。その著作からも,日本人としてこの日本という国を心から愛しているという心情が窺えるのです。
第三点は,日本語が極めて正確で文章力の素晴らしさという点です。このような文章を書くことができるのは,天性の資質だけでなく,労を厭わず浩瀚な著作,資料を渉猟してこられたからだと推察されます(関岡さんも随分目を酷使されてきたのではないかと心配です【笑】)。
さて,「帝国陸軍 見果てぬ『防共回廊』-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略」(関岡英之著,祥伝社)という本の素晴らしさについては,私が拙い書評めいたことを書くよりも,この本の「あとがき」の一部を次に引用した方が良いと思います。
「私が関心を抱いて止まない戦前の大アジア主義は、昨今の媚中派や東アジア共同体推進論者の言説の類とはまったく異なる。ましてや日中同盟論などでは断じてない。空疎な理想論でもなければ、高踏な思弁でもない。冷徹な戦略論とその実践である。戦後、私たちはそのすべてを忘却させられた。本書の主題である「防共回廊」構想も、内蒙工作の部分を除けば、防衛庁防衛研修所の戦史にさえ記録されていない。なぜならそれは連合国、とりわけ中国やソ連などの最大のアキレス腱を直撃する、あまりにも本質を突いた戦略だったからだ。冷戦に直面した米国は遅まきながら、戦前日本が孤軍奮闘しつつ取り組んだ防共の意義を思い知り、密かに自家薬籠中の物とした。防共回廊がもし実現していれば、中華人民共和国と朝鮮民主主義人民共和国の成立も、朝鮮戦争もベトナム戦争もなかったであろう。なんという多くの人命が失われずに済んだことか。歴史に「もし」は無意味と言われるが、この問いかけはあまりにも重い。叩くべき相手を間違えた米国が、そのために喪失した尊い命と国帑ははかりしれない。」(同書311~312頁)
あのダグラス・マッカーサー(元連合国軍最高司令官)も,引退後の1951年5月3日の上院軍事外交共同委員会において,あの戦争は日本にとっては安全保障上の必要に迫られたものであったと証言しております。また,当時,実際にはコミンテルンのスパイがアメリカにも,日本にも,そして蒋介石国民党軍にも多数入り込んでいて謀略の限りを尽くしていたということが今日では明らかになってもおります。アメリカは戦う相手を本当に間違えてしまったというべきで,本当の敵はコミンテルンだったのだと思います。
皆様,新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
いやー,本年も残すところあと360日になってしまいました(爆笑)。ついこの間御神酒を頂いたと思ったら,もう5日も過ぎてしまいました。月日の経つのは本当に早いものです(笑)。
さて,昨年末は実際には大晦日まで事務所に出ておりましたので,正月は割とゆっくり過ごさせていただきました。時間の過ごし方は家族との団らん,好きな読書,ゴルフといったところです。読書といえば,あるノンフィクション作家の素晴らしい本に出会いました。前から読みたいと思っていたのですが,ようやく実現しました。いくら感動したからとはいえ,新年早々から本の話も何ですから,本日は雑感的にとりとめのない話を・・・。
1月3日,安倍晋三首相がゴルフをやっていた日ですが,不肖私めもゴルフをやっておりました。昨年最後のラウンドで好スコアを出したので,その余勢を駆って今年初めのラウンドも爆発的なスコアを,と思って臨んだのですが,ダメでした。昨年末のラウンドより9打も多く叩いてしまいました。敗因は少なからずありますが,まずはドライバーを立て直す必要があります。ゴルフ場で私のプレーを見守ってくれていた数匹のニホンザルの可愛い姿がせめてもの救いでした。
全国高校サッカー選手権もいよいよベスト4が出そろいましたね。それにしても京都橘の小屋松というストライカーは凄い。強豪市立船橋を相手に自ら2得点し,2-0で勝利して準決勝進出です。この選手はU-18の日本代表にも選ばれております。才能豊かな選手のようです。・・・はい,前置きが長くなりましたが,この小屋松というエースストライカーは,何と,J1の名古屋グランパスへの入団が決まっております(笑)。グランパスはちゃんと補強していたのですね。西野朗新監督の下,この小屋松という選手も大活躍して欲しいものです。
ポルトガル(同国領だったモザンビーク出身)の往年の名選手,エウゼビオが71歳で亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。高い身体能力を有し,何しろ天才的なゴーラーでした。私も古い映像で「黒豹」と言われたそのエウゼビオのプレーを見ましたが,爆発的なスピードと両足から繰り出すシュートの強さ・・・,本当に凄い。2000年には国際サッカー連盟(FIFA)が20世紀のベストイレブンを選定したのですが,エウゼビオはアフリカ出身選手としてただ一人選ばれました。現役通算727試合に出場し,何と715得点なのです。ポルトガルの名門ベンフィカで長年活躍し(約15年間),その間,イタリアの名門ユベントスからのオファーがあったのにポルトガル政府がこれを阻止したという逸話があります。後年,この件についてインタビューを受けたエウゼビオは,自分は金持ちにはなりそこなったけれども,銅像も建ててもらったし,2人の娘に恵まれたから,良い人生だったと思うよ,といったコメントをしたそうです。