私の事務所はカレンダーどおり1月6日から始業しておりますが,どうも右眼の充血と眼球の痛みがあったため,翌7日にはやむなく眼科に行きました。実は数年に一度,こういう症状が出るのです。大体は目の酷使,疲れ,免疫力の低下という三要素が重なった場合にこうなってしまいます。診察の結果,強膜炎,虹彩炎ということで,前にも処方してもらったようにリンデロンとクラビットという2つの点眼薬をいただきました。このブログを書いている今は,おかげさまで右眼の充血も少し和らぎ,眼球の痛みもほとんどなくなりました。
目の酷使といいましたが,年末年始は少し本を読みすぎたようです。目を酷使したとは言っても,読んで全く後悔しなかったどころか,ものすごく感動してしまったのが「帝国陸軍 見果てぬ『防共回廊』-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略」(関岡英之著,祥伝社)という本です。私はこの関岡英之というノンフィクション作家は以前から注目しており,これまでにも「拒否できない日本-アメリカの日本改造が進んでいる」(文春新書)など数冊の本や論考を読んだことがありましたが,誠に素晴らしく,信頼できる作家です。
関岡英之さんの書籍を読んでこれまでに私が感じた点を挙げますと,次の三点になります。まず第一点は,何よりも視点の鋭さです。例えば「拒否できない日本-アメリカの日本改造が進んでいる」(文春新書)では,アメリカが毎年突きつける年次改革要望書,そして日米構造協議などがいかにアメリカの国益に沿ったものであり,これに日本が唯々諾々として従い,いわゆる小泉構造改革もその一環であって,結局はアメリカのポチとなって行われたものだという実態を鋭くえぐり出しております。今回私が読んで感動した「帝国陸軍 見果てぬ『防共回廊』-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略」(関岡英之著,祥伝社)という本も,後にこの本の「あとがき」の一部引用部分に記載されているような鋭い視点からの力作です。
第二点は,関岡英之さんの愛国心の強さです。その著作からも,日本人としてこの日本という国を心から愛しているという心情が窺えるのです。
第三点は,日本語が極めて正確で文章力の素晴らしさという点です。このような文章を書くことができるのは,天性の資質だけでなく,労を厭わず浩瀚な著作,資料を渉猟してこられたからだと推察されます(関岡さんも随分目を酷使されてきたのではないかと心配です【笑】)。
さて,「帝国陸軍 見果てぬ『防共回廊』-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略」(関岡英之著,祥伝社)という本の素晴らしさについては,私が拙い書評めいたことを書くよりも,この本の「あとがき」の一部を次に引用した方が良いと思います。
「私が関心を抱いて止まない戦前の大アジア主義は、昨今の媚中派や東アジア共同体推進論者の言説の類とはまったく異なる。ましてや日中同盟論などでは断じてない。空疎な理想論でもなければ、高踏な思弁でもない。冷徹な戦略論とその実践である。戦後、私たちはそのすべてを忘却させられた。本書の主題である「防共回廊」構想も、内蒙工作の部分を除けば、防衛庁防衛研修所の戦史にさえ記録されていない。なぜならそれは連合国、とりわけ中国やソ連などの最大のアキレス腱を直撃する、あまりにも本質を突いた戦略だったからだ。冷戦に直面した米国は遅まきながら、戦前日本が孤軍奮闘しつつ取り組んだ防共の意義を思い知り、密かに自家薬籠中の物とした。防共回廊がもし実現していれば、中華人民共和国と朝鮮民主主義人民共和国の成立も、朝鮮戦争もベトナム戦争もなかったであろう。なんという多くの人命が失われずに済んだことか。歴史に「もし」は無意味と言われるが、この問いかけはあまりにも重い。叩くべき相手を間違えた米国が、そのために喪失した尊い命と国帑ははかりしれない。」(同書311~312頁)
あのダグラス・マッカーサー(元連合国軍最高司令官)も,引退後の1951年5月3日の上院軍事外交共同委員会において,あの戦争は日本にとっては安全保障上の必要に迫られたものであったと証言しております。また,当時,実際にはコミンテルンのスパイがアメリカにも,日本にも,そして蒋介石国民党軍にも多数入り込んでいて謀略の限りを尽くしていたということが今日では明らかになってもおります。アメリカは戦う相手を本当に間違えてしまったというべきで,本当の敵はコミンテルンだったのだと思います。