読売新聞の朝刊には月に1回ペースでしょうか,「五郎ワールド」というコーナーがあり,特別編集委員の橋本五郎さんの記事が掲載されています。正直言ってピンと来る時とそうでない時とがありますが(笑),2月8日の記事は大変興味深く読ませていただきました。7年前に腎臓がんのために46歳の若さで亡くなられた哲学者池田晶子さんの生前の思い出や(私も池田晶子さんの思索に富む著作に一読者として触れたことがありました),その死の直前に出版された対談集の池田さんとの対談者であった大峯顕さん(大阪大学名誉教授)の発言などが紹介され,生きることの意味について改めて考えさせられました。
実は私も晩酌しながら,うちのカミさんや娘に「死ぬことはあまり怖くない」,「いつ死んでもそれほど後悔はないだろう」などと強がりを言うことがありますが,果たして今際(いまわ)にも同じ考え,気持ちでいられるだろうかと思うと,疑問です。
プラトンは,哲学とは,そして「ものを考える」とは,「死の練習」だと言ったそうです。そして,「自分にはいのち根性がない」,「私、死ぬのを怖いと思ったことがない」というのが哲学者池田晶子さんの口癖だったそうです。対談者の大峯顕さんに対しても「(死ぬことよりも)つまらない生を生きる方が怖い」とも仰ったそうです。でも池田さんが亡くなる4か月前に,大峯さんに届けられた池田さんの手紙の中には,「ひとつ気がついたのは、例の”いのち根性がない”ということ、生きようとするのは執着なのだと私はずっと思っていたのですが、どうもそうではないようですね。人が生きようとするのは意志、生命本来の意志として肯定さるべきことのようなのです」という言葉が記されていたとのこと。
これを読んだ大峯さんは大いに喜び「明るい孤独な思惟の中で池田晶子の長い旋回はついにその最終的な局面に入っていたに違いない」と思われたそうです。なるほど・・・。私も晩酌などをしながら,あんな軽口をたたくものではないとつくづく反省させられました。そんなことをしている暇があったら,ハイデッガーの説く「本来的時間」を生きようとしなければなりません。
橋本五郎さんは,大峯さんから次のようなエピソードも教えてもらったということもその朝刊の記事に書いていました。
江戸時代後期に仙崖義梵という臨済宗妙心寺派(古月派)の禅僧がいた。辞世に「老師、一句書いてください」と色紙を渡され,どんな覚(さと)りの言葉を書くのかと思ったら,何と「死にとうない」だった。これでは示しがつかないと困った弟子は「老師、もう一言何か」と頼んだら,小さな字で「ほんまにほんまに」と書いた。