5月の連休中に,ある親しい方々と2日連続ゴルフをするという計画はもう恒例になっています。毎年楽しみにしておりますし,今年も5月3日と4日,知多半島のその美しい同じコースでゴルフを楽しみました。
スコアの方は相変わらず満足のいくものではありませんでしたが,ドライバーもアイアンも自分のスイング上の問題点(なかなか直らないクセのようなもの)を改めて認識することができましたし,次こそはとてつもないスコアでラウンドしたいと思います(笑い)。若い頃ならば2日連続なんてへっちゃらだったのですが,この年齢になるとそうでもありません。特に2日目の朝は「大丈夫かな」と不安になるくらいです。しかし,しかしですよ,2日目のラウンド後半になると,不思議ですがもっとやりたいという体になっているのに気づくのです。ヘタなくせにゴルフが好きなんでしょうね。
さて,うちの法律事務所は今年はカレンダーどおりに仕事をしていますので,5日(月)は自宅でゆっくりと過ごしました。普段は平日に朝や昼のワイドショーの類をテレビで見ることはないのですが,この日は疲れていたこともありボサーッとこういう番組を見ていました。それにしても,こういう番組には「コメンテーター」や「文化人」と言われる人たちが次々に出てきます。日曜日の朝の陰気くさい反日番組にも出てきますが(笑)。国際的な問題や社会事象などに対し,もっともらしいことをそつなくコメントしてくれますが,私はあまり信用してはおりません。特に番組のレギュラーにまでなっている「コメンテーター」や「文化人」については,専門分野に関する知見,知識を有している人に対するリスペクトというものがあるのかなと疑問に思います。彼らは毎週,何でも「知っている」からです。また,「コメンテーター」や「文化人」の中には芸能プロダクションに所属している人もいるのです。
テレビ画面でこういう人たちが訳知り顔でコメントしているのを見聞きしますと,評論家の福田恆存先生が述べられた次のような言葉をいつも思い浮かべるのです。
「ところで、『文化人』とは、かういふばあひに意見をきかれる資格ありと見なされてゐる人種であり、また當の本人もいつのまにか何事につけてもつねに意見を用意してゐて、問はれるままに、ときには問はれぬうちに、うかうかといい氣になつてそれを口にする人種である-かう定義していいやうにおもひます。(中略)だが、『文化人』はなんでもかんでも、あらゆることに原因や理由を指摘でき、意見を開陳できなければならないのでせうか。どうもさうらしい。いはゆる『文化人』と称されてゐるひとたちは、無言のうちに日本中から押しよせてくるさまざまな問ひにたいして、古代ギリシァの巫女のやうに、たえず身がまへし、足をすくはれないやうにしてゐなければならないらしい。笑はれないためには適切な答へをしなくてはならない。だが、あらゆることにたいして適切な答へなどできません。(中略)それにしても、かれらは『自分にはよくわからない』とか「その問題には興味がない」とか『いままで考へたこともないことだから、にはかに答へられない』とか、さういつた返事をなぜしないのでせう。(中略)人間はさうなににでも関心をもつはずのものではなし、さうなにもかも始終こころにかけてゐるものではないのに、なにかが起ると、まるでその問題を半生かかつて考へぬいてきたやうな返事をする。そんなばかな話はない。」(「平和論にたいする疑問」)