とうとう日本維新の会は分裂いたしました。むしろ遅きに失した感もありますし,私自身は石原慎太郎さんが橋下という人物を高く評価してきたこと自体,どうしても解せないのです。この両者では所詮,国家観,歴史観,もっと広く言えば見識という点で全く異なります。橋下という人物はよく自己の歴史認識めいたことを口にしますが,浅薄であり,歴史というものを本当にどの程度勉強したことがあるのか疑問に思うこともあるのです。せいぜいが「ふわっとした民意」頼みの人であり,もう既にメッキがはげているというか,馬脚が現れています。
約1年半後の分裂ですが,今日の産経新聞のコラム「産経抄」には面白いことが書いてありました。橋下氏が率いる日本維新の会と,石原慎太郎氏が率いる太陽の党との合体から軋轢,呻吟,忍耐,そして最終的な分裂の過程について,そして今後の「再婚」の可否について,次のような表現がなされておりました。
「結婚については、フランスの劇作家、アルマン・サラクルーがこんな名言を残している。『人は判断力の欠如で結婚し、忍耐力の欠如で離婚し、記憶力の欠如で再婚する』。基本政策が一致しないまま、『数の論理』で結びついても、早晩瓦解(がかい)に追い込まれる。その記憶を大切にして、再婚に臨んでほしい。」
うまいことを言うものです。ただ私は,「再婚」などはあり得ないと思いますし,すべきでもないと思います。理由は先に述べたとおり,石原さんと橋下氏の両者では所詮,国家観,歴史観,もっと広く言えば見識という点で全く異なるからです。それに何より,石原さんに付いていくと思われる議員の方々には,誠に素晴らしい見識を有しておられる方々が多いのです。中山成彬,中山恭子,平沼赳夫,三宅博,山田宏などなど,錚々たるメンバーです。いずれにしても中山恭子さんのような方がアントニオ猪木さんと同じ党の参議院議員団を構成していたというのは何とも違和感があったのです(笑)。
もうあまり時間もありません。石原慎太郎さんの最後の仕事として,自由民主党の政策のうちで何としても喫緊の課題として成し遂げなければならない部分について,協働関係を形成していき,達成すべきでしょうね。またこれは余談ですが,私が尊敬する政治家は,いずれも共通点があります。それは確固たる国家観と歴史観を持っているということだけでなく,いずれも正しく,美しい日本語を話され,記される方々であるという点です。