とうとう読み終えました。「わが萬葉集」(保田與重郎著,文春学藝ライブラリー)という本です。大変に読み応えがあり,もっともっと年齢を重ねたらもう一度読み返したいような名著でした。
これだけの力作を私がたった一言で表現するのは誠に不遜ですが,この本は,日本浪漫派である保田與重郎が万葉集の精神世界に抱いた憧憬で一杯に満たされた本と言うことができるのではないでしょうか。「万葉集」という何物にも代え難い古典に恵まれたことを日本人はもっと誇り,感謝すべきではないのか。そう思います。
この本の末尾には,片山杜秀氏の解説が掲載されているのですが,この本をさらに一言でより分かりやすく表すとすれば,次のようなものとなるでしょう。
「天皇はただ居て、座って、知って、下々はそんな天皇を感じて幸せな気持ちになって、その幸せな気持ちが天皇に知られて、そういう相互の照り返しの中で、いつもまるく治まっている。それが、巻頭の雄略天皇の長歌から、歌集の編纂にあたったとされる大伴家持の歌まで、『萬葉集』を貫くものであろう。『萬葉の精神』として保田與重郎の見出したものであろう。」(同著592頁)
「最も美しい日本の思い出を記した書物『萬葉集』こそが真の古典であり、たとえその世界を取り戻すことが不可能と分かっていても、大伴家持と同じく『その世界を取り戻せ』と主張し続けなければならない。日本は大和の盆地の小さな国に『言霊』を通わせていたときがいちばんよかった。そのときに帰れなくてもそのときを忘れることは決してできない。そんな保田のこだわりは、人間の理性の奢りに水を差せる。日本という小さな島国が無茶な大国化を目指すことへの、あるいは何事でも規模の拡大をよしとしたがる価値観への、些かの歯止めにもなる。いにしえに防人として駆り出された小さく弱き人々、それに類する目に遭っている後代の人々に思いを馳せられもする。『わが萬葉集』の精神が全面勝利する世の中はちょっと考えられない。しかし全面敗北する世界もまた想像できない。それは近代文明の続くかぎり、永遠のゲリラとなって、たとえば大和の盆地、日本の原風景を徘徊し、遊撃戦を継続し続けるであろう。保田與重郎は理知主義への抑止力の源泉として、ますます読まれねばならない。」(同著596頁~597頁)
なお蛇足ですが(笑),グローバリズム,大量移民政策などなど,私は大変違和感を覚えますし,政策としては反対です。人に人柄があるように,国にも国柄というものがあるのです。