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弁護士ブログ

2014/08/29

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 平日でしたけど,ゴルフを楽しみました。お盆はそこそこ,そして黙々と仕事をしましたので,私にとっては少し遅くなったお盆休みということなのです。先日の三島,沼津行きも含めて・・・。

 

 それにしてもキャディーさんという仕事は大変ですね。今日はこの9月から独り立ちする予定という若手のキャディーさんが先輩キャディーさんと一緒に私たちに付いてくれました。でも,まだ経験が浅いせいか,残りの距離を正確に言えなかったり,グリーン上でラインに関するアドバイスを求められてもなかなか答えられなかったり,その他の要領がいまいちだったり・・・。先輩に厳しく指導されていました。しかし,改めて思いますけど,キャディーという仕事は大変です。ボールの行方を正確に追い,クラブを管理し,各プレーヤーごとにその状況に応じて適切なクラブを事前に用意してあげたり,残り距離やラインについての適切な情報を提供したり,などなど。何事も経験ですから,何とか頑張って欲しいと思います。

 

 ゴルフの話題ついでに,昨日のブログのタイトルは「ちょっとした気遣い」でしたが,今年の全米プロゴルフ選手権(4大メジャー大会の一つ)では,マキロイと熾烈な優勝争いをしていたミケルソンとファウラーの気遣いが話題になりましたね。

 

 豪雨による中断が響いて,最終組のマキロイがスタートしたのは何と午後4時19分でした。後続に2打リードしたマキロイが17番を終えた頃には夕闇に包まれ,日没サスペンデッドかと思われました。プロゴルファーといえども,調子は日替わりですから,もしサスペンデッドになって翌月曜日の再開となれば,たった1ホールのことであっても流れが変わってしまうかもしれません。

 

 そこで,一つ前の組でプレーし,熾烈な優勝争いを繰り広げていたミケルソンとファウラーは,18番のティーショットを打ち終えた後,自分たちが第2打を打つ前に,最終組のマキロイにティーショットを打たせるという配慮を示したのです。そのホールのティーショットさえ打っておけばホールアウトが許されるからです(日没サスペンデッドを避けることができます。)。

 

 それでも刻一刻と夕闇が深まっていきます。さて,マキロイと熾烈な優勝争いをしていた前の組のミケルソンとファウラーはどうしたか。ファウラーはイーグルパット,ミケルソンは第3打目のアプローチを残しながら,わざわざプレーを止めてグリーンを空け,まだ視界のあるうちに最終組のマキロイに第2打を打たせるという配慮もしたのです。

 

 プロだったら誰もが手にしたいメジャータイトルです。結果的にはマキロイが全英オープンに続いて全米プロゴルフ選手権も制覇し,ミケルソンは1打差の2位,ファウラーは2打差の3位タイの成績を収めました。心温まるシーンですね。私は特に,フィル・ミケルソンのプレー態度の素晴らしさにいつも感心しています。決して激したり,あろうことか道具に当たったりなど絶対にしません。人格がにじみ出るようなプレースタイルなのです。

 

 優勝者のマキロイの試合後のコメントは次のようなものでした。

 

「彼らの品位や人格をよく表していた行動だった。2人のすばらしいスポーツマンシップに感謝したくて、優勝スピーチで何回も(感謝の言葉を)繰り返したんだ。」

2014/08/28

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 昨日は三島から名古屋まで新幹線で移動したのですが,座席のリクライニングのことで少し感心した出来事がありました。

 

 ひかり号の到着を待つ乗客の列の中に,30才そこそこの夫婦連れと思われるカップルが並んでおりました。奥さんとおぼしきその人は割と長身でスラッとしていて,美人でした。その夫婦とおぼしき人たちは偶然私たちの座席のすぐ前に座ったのですが,座ってほどなくしてその美人の女性が,後方の私たちの方を振り返り笑顔で会釈して,座席の背もたれを後ろに倒しますという合図をされたのです。とても感じの良い対応,マナーでした。何気ない所作でしたが,エレガントでちょっとしたその気遣いに改めて感心した次第です。

 

 中には着席するなり,ガッと背もたれを最大限に後ろに倒す人もおりまして,急に圧迫感を覚え,眼前には脂ぎったツルツルの禿頭が突如として現れるという経験がよくあります。そんな時には思わずはハエたたきでパシッとやりたくなる衝動に駆られたりします(笑)。

 

 リクライニングといえば,アメリカの航空会社(ユナイテッド航空)の国内便で,リクライニングを巡って乗客同士のけんかが加熱し,そのけんかの当事者2人が途中の空港で降ろされる羽目になったそうです。

 

 ニュージャージー州ニューアークからコロラド州デンバーに向かっていた便の機内で,女性乗客が座席のリクライニングができないと訴えて客室乗務員を呼びました。乗務員は後ろに座っていた男性乗客にニー・ディフェンダーを外すように求めたが,男性はこれを拒否したため,立腹した女性乗客が後部座席のその男性乗客の顔に水をぶっかけたそうです。ニー・ディフェンダーというのは,前の座席が後方に倒れて膝が圧迫されたりしないようにする装置(膝を保護するために,強制的にリクライニングの自由を奪う結果となる)そうで,これを後ろの座席の乗客に付けられてしまうと前の座席のリクライニングができなくなってしまいます。

 

 こんな事件を耳にするたびに,お互いに何かちょっとした気遣いができないのかなと思います。ギスギスしたものを感じます。

 

 ちょっとした気遣いと言えば,先日のゴルフの最中にキャディーさんがちょっとした気遣いをしてくれました。アイアンのミスショットが続いた時,何気なく,そして私のプライドを傷つけることなく,ショットの前のボールの位置の問題点を教えてくれたのです。そのアドバイスは確かに正鵠を射ていました。クラブ軌道が最下点を通過する前にフェイスがボールを叩いていたのです。ボールを,広げた両足の間の中心線より少し左寄りに置きましたら,たちまち良いショットとなりました。

2014/08/26

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 今,私の自宅にある様々なジャンルの本は,機会があればもう一度読みたいと思える本のみです。既に読み終え,あるいは読んでいる途中で,「もうこの本を読むことはないだろう。」と思った本は,本棚ではなく,古紙回収のために積み上がった新聞の上に置いてしまうのです。

 

 そうしていると,うちのカミさんは何も言わずにそれらの本(私が「もうこの本を読むことはないだろう。」と思い,捨てようとした本)を,納戸にしまい込み,しかるべき時にまとめて本屋さんに売りに行き,得たお金でその日の夕食の食材をスーパーに買いに行くのです(笑)。当然本の保存状態が良いので(私は本は割とキレイに読みます),結構な値段で売れることがあるのです。

 

 ついつい新しい本を読みたがる傾向があるのですが,私は「平成経済20年史」(紺谷典子著,幻冬舎新書)という本は自宅の本棚にある本の中でも特に「もう一度読んでみたい」と思っていました。この週末に改めて読み返してみますと,名著だと思います。その裏表紙には次のように書かれています。

 

「バブルの破裂から始まった平成は世界金融の破綻で20年目の幕を下ろす。が、日本の崩壊は、世界の所為(せい)ではない。バブル後、経済は何度か回復の兆しを見せたが、立ち上がろうとするたび叩きのめされ、なお長期にわたって低迷している。では一体、誰が日本を傷つけたのか?それは財務省、日銀、アメリカ金融で、決定付けたのが小泉改革だった-。この20年間を振り返って、わが国が墜落に至った最悪の歴史と、そのたった1つの原因を丁寧に解き明かし、日本復活へ一縷の望みをつなぐ稀有な書。」

 

 私はこの本を読み直した後,再び3度目の読み直しをしたいと思ったくらいで,それほどその内容は腑に落ちたのです。バブル経済を生じさせた原因,そのバブル経済を確信犯的にハードランディングさせた日銀の罪,国民をミスリードすべく意図的に作出された情報を絶えず流し続け,政治家やマスコミの裏で糸を引いて増税,公共事業削減,社会保障費削減などを次々に実行した財務省,あたかもアメリカや外資のポチとして「改革」の名の下に売国的な政策を実行した小泉改革・竹中プランなどなどが極めて説得的に記されております。あの「小泉改革」や「構造改革」など,その「改革」の中身とその結果は一体何だったのか,その背景にはどのような事情があったのか,目から鱗が落ちる思いもします。

 

 相変わらず竹中平蔵なる人物はマスコミからチヤホヤされ,「民間議員」として政商のように行動していますが,あの頃,つまり小泉政権時代,この者は経済財政担当大臣(その後金融担当大臣も兼務)として「竹中プラン」を強引に推進し,「税効果会計」のルールを一方的に変更して日本の4大メガバンクを追い詰め,結果的には外資が有利な条件で株式の一部を取得,転売して大もうけをしましたし,りそな銀行の2兆円の公的資金注入に関してはインサイダー取引の疑惑もあります。あたかも小泉,竹中といった面々は,日本という国を「ぶっ壊す」ために中枢に食い込んだコミンテルンであるかのようです(笑)。

 

「この20年、日本経済は傷み続けた、と思う。少なくとも『日本経済の回復』ではなかった。一時的な回復局面はなんどかあった。だが、立ち上がろうとしては叩きのめされ、また立ち上がろうとしては叩きのめされ、一体いくたび、それを繰り返したことだろう。叩いたのは日銀であり、財務省であり、米国金融であった。彼らは自身の利益のために、日本経済を犠牲にしたのである。」
「この20年は、改革幻想にとらわれた20年でもあった。改革を裏で主導してきたのは、財務省である。『改革』と言われてきたものの多くが、財政支出の削減でしかなかったことを見ても、それは明らかだ。小泉改革の『官から民へ』は行政責任の放棄であり、『中央からから地方へ』移行されたのは財政負担だけだった。『郵政民営化』は、保険市場への参入をめざす米国政府の要望である。小泉首相の持論と一致したのは、米国にとっては幸運でも、国民にとっては不運だった。」(本書402~403頁)

 

 平成が始まってから,現在のアベノミクスが始動する前までの日本経済の病理を通覧するには好適な書物だと思います。ただ,著者の紺谷典子さんのことですが,最近マスコミは彼女を干していませんか?少し気になります。

 

 日曜日の東京ドームでの対中日戦,2-3でせっかく追い上げムードだったのに,中継ぎの久保投手,なんぼなんでも3連続押し出し四球はダメですわ(笑)。突如として試合そのものがぶっ壊れました。テレビを見ていて愕然としました。全然ストライクが入らないんですもの。その時,ふと,「このピッチャーはひょっとしてコミンテルンではないか?」と思ってしまいました(笑)。

2014/08/22

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 日本という国や日本人というものが嫌いになってしまいますよ,本当に。誤解のないように言いますが,私は日本という国や日本人が大好きです。でも,本日のブログのタイトルのように,朝日新聞みたいな反日新聞を読んでいると,日本や日本人が嫌いになってしまうのではないでしょうか。つくづくそう感じます。朝日新聞という新聞社は一体どこの国の新聞なのかという素朴な疑問も・・・。

 

 いわゆる「従軍慰安婦」問題では,この朝日新聞が,職業的詐話師と呼ばれる吉田清治という者の「証言」を真に受け,鬼の首をとったようにこの問題を報道し続け(その後は植村隆という記者の完全誤報記事も掲載),こういった報道こそが国の内外で日本という国や日本人を貶める結果を招来したことはもはや公知の事実です。先日,吉田清治の「証言」が事実に基づかないことなどにつき訂正記事を出しましたが,謝罪などは一切行わず,かえって問題をすり替えています。30年以上も前にこの「証言」が事実無根であることが世に明らかになっていたにもかかわらず,この新聞社はその間何をしていたのでしょうね(笑)。調査等によりそれに気づくまで30数年かかったというのでしょうか(笑)。卑怯で卑劣極まりないと言わなければなりません。しかも,この新聞社は,日本では訂正記事を掲載しておきがら,諸外国に向けては英語等による訂正記事をサイト等で発信してはおりません。いわゆる国連のクマラスワミ報告書などは吉田清治の「証言」が重要な根拠にされており,なぜ朝日新聞が世界に向けても訂正記事を発信しないのか,理解に苦しみます。評論家の櫻井よしこさんは,今後朝日新聞は1つ2つのことをやった後は廃刊すべきだと仰っておられます(笑)。

 

 福島第一原発の事故に関する調査報告書のうち,いわゆる「吉田調書」(故吉田昌郎元所長)について,この朝日新聞はこれまた日本や日本人を貶める記事を平気で書いています。この新聞は,吉田調書を根拠に,「所長命令に違反 原発撤退」という大見出しで,「吉田氏の待機命令に違反し、所員の9割が福島第2原発へ撤退していた」と報道しました。しかしながら,吉田氏は「伝言ゲーム」による指示の混乱について語ってはおりますが,所員らが自身の命令に反して撤退したとの認識は示しておりませんし,実際に所員の9割がことさら所長命令に「反して」2F(福島第二原発)へ我先に撤退したという事実はないのです。朝日新聞の記事を読めば,あたかも所員が卑劣な行動をとったかのように誤解してしまいます。実際には,そのように読めてしまう捏造的な記事を掲載した朝日新聞こそが卑劣というべきでしょう。事実,世界中のメディアがこの朝日新聞の記事に基づいて,「日本人も現場から逃げていた」などと報じています。

 

 私は,「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」(門田隆将著,PHP研究所)という本を読みましたが,吉田所長以下,所員は死を覚悟で必死に現場対応していたのです。その著者である門田隆将さんが,先日の産経新聞で次のようにコメントしていました。

 

 「事実と異なる報道によって日本人をおとしめるという点において、先に撤回された慰安婦報道と図式がまったく同じではないか、と思う。なぜ朝日新聞は事実を曲げてまで、日本人をおとしめたいのか、私には理解できない。」

 

 同感です。

2014/08/21

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 感情とは,ものごとや人間などに対して抱く気持ちのことをいいますね。喜び,悲しみ,怒り,諦め,驚き,嫌悪,恐怖などがあります。これが人間にあるのは勿論ですが,犬にもあるのだと思います。

 

 確かに犬には言葉というものはありませんが,犬もその行動やその表情などで感情を表現します。飼い主が楽しそうにしていれば犬も尻尾を振りながら一緒になって楽しそうにはしゃぎます。また,飼い主が精神的に落ち込んでいるような時は,静かにそばに寄ってきてペロペロ舐めてくれたりします。こういう動作を見ますと,犬にも感情というものがあり,飼い主との日常生活,やり取り,ふれあいによって互いに情というものが通い合うようになるのでしょう。

 

 インターネットでいろんな記事を見ていましたら,たまたま「NEWSポストセブン」というサイトで,交通事故で亡くなった同居の人の仏壇の遺影の前を離れようとしない柴犬(「こゆき」という名のメス,8才)の話が出ていました。それによりますと・・・

 

 今から3年ほど前,飼い主の家の高校生が友人と2人で歩いていた時,飲酒運転の車に猛スピードで後方から衝突され,2人とも命を落とすという酷い交通事故被害に遭った。仏壇にはその高校生の遺影が飾られ,毎日その仏壇の前で涙を流している母親の隣にはいつもこゆきの姿があった。家に仏壇を置いて以来,こゆきが仏壇のそばを離れなくなった。母親が線香を上げて立ち上がっても,こゆきは仏壇の前を離れず,座布団の上で線香がなくなるのを見ていたり,その座布団の上で昼寝をしたりしていた。母親がこゆきは座布団が好きなのかなと思って座布団を移しても,こゆきは仏壇のそばを離れない。家の中にいても外にいてもそわそわと落ち着きがなく,亡くなった高校生の帰りを待っているかのような行動をとる。

 

 そういう話でした。そういえば,あの有名な忠犬ハチ公の話もあります。ハチ公は秋田犬ですが,主人であった上野教授といつも一緒に渋谷駅まで行って主人を見送り,主人が帰るころには渋谷駅まで迎えに来て,ずっとそこで主人の帰りを待っているという日常であった。その後主人が急死したのだが,ハチはその事実を受け入れられないのか,主人が亡くなって3日間は何も食べず,ハチはその後も長期間にわたって毎日渋谷駅で主人の帰りを待った,というのです。

 

 それにしても,昭和10年3月8日にハチが死んだ時は,12日に渋谷駅でハチの告別式が行われ,主人であった上野教授の妻,町内の人々など大勢の人が参列し,渋谷にある妙祐寺では僧侶など16人による読経も行われ,生花,手紙,電報,当時のお金で18万円を超える香典が寄せられたようです。こういう日本人のメンタリティーは本当に好きだなあ(笑)。

 

 一方,いわゆるペットロスというやつですか,飼い主がペットを亡くした時の精神的な落ち込みも,人によっては大変なものがあるそうですね。私がよく知っている大先輩の弁護士の先生,もう年齢は70代後半で,普段は飄々としてとても楽しい方ですが,ペットを亡くされた時の精神的な落ち込みようは端から見ていても大変なものでした。

 

 やはり人間は当然ですが,犬にも感情というものがあり,飼い主との日常生活,やり取り,ふれあいによって互いに情というものが通い合うようになるのでしょう。

2014/08/19

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 今の名古屋グランパスはJ2への降格圏内を行ったり来たりの悲惨な状態になっていますが,フロントは何を考えているんでしょうかね。今シーズン前には素人の私でも「大丈夫か」と心配するほどDFの主力を次から次に放出し,現在ではJ1の18チーム中でワースト3の失点数です。

 

 ふと,チームとしては全盛時代だったアーセン・ベンゲル監督時代のことを思い出しました。私もよく瑞穂陸上競技場に足を運びましたもの・・。良いサッカーをしておりました。素晴らしく有能な監督でした。ベンゲル監督が名古屋グランパスを離れ,あのイングランドプレミアリーグのアーセナルの監督に就任したのが1996年ですから,もう18年も経ちます。月日の経つのは本当に早いものです。それ以来,現在に至るまでずっとアーセナルの監督を務め,ベンゲル監督が指揮した16シーズン中8シーズンは,アーセナルは優勝か2位を獲得しています。あのプレミアリーグで・・,凄い実績です。
 
 くどいようですが,ベンゲル監督時代の名古屋グランパスはコンパクトでパスがよくつながり,スペクタクルで見ていて楽しい良いサッカーをしておりました。本当に懐かしい・・・。

 

 事故で四肢のうち三肢を失いながらも,アセアンパラゲームでメダルを獲得したシンガポール人の男性がおります。彼は2012年12月,軍艦の係留ロープと電動ウィンチとの間に挟まれ,その事故で両足,左腕,右手の指3本を失う不幸に見舞われたのですが,見事に卓球競技で銅メダルを獲得したのです。このシンガポール人男性は,アーセナルの大ファンでした。その男性の所に,ベンゲル監督から手紙が届き,その手紙には「お気の毒に存じます。アーセナルを代表して、あなたの幸せを祈ります。・・・また、あなたは熱心なアーセナルファンだと伺いました。非常にうれしく思います。」などと書かれていたそうです。その男性が感激し,感謝の気持ちを表したことは言うまでもありません。

 

 そのベンゲル監督も64歳となり,名門アーセナルの監督在職期間の最長記録を更新しました。優秀で聡明な人ですから,まだまだキャリアと実績を積み上げられることでしょう。そのベンゲル監督は,日本で過ごした2年間の経験を元に,日本について次のように発言しています。

 

「日本ほど素晴らしい国は、世界中のどこにもないだろう。これは私の確信であり事実だ。問題は、日本の素晴らしさ・突出したレベルの高さについて、日本人自身が全くわかっていない事だ。おかしな話だが、日本人は本気で、日本はダメな国と思っている。最初は冗談で言っているのかと思ったが、本気とわかって心底驚いた記憶がある。信じられるかい?こんな理想的な素晴らしい国を築いたというのに、誇ることすらしない。本当に奇妙な人達だ。しかし我々欧州の人間から見ると、日本の現実は奇跡にしか思えないのである。」

 

 おいっ!朝日新聞とやら,ちゃんと聞いてるか(笑)。反日的で日本人と日本国を貶めるような捏造記事,誤報記事ばかり書いているんじゃないぞ。

2014/08/15

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 8月15日,終戦の日は,多くの人々が靖国神社に出かけ,先の大戦で国のために殉じた人たちに哀悼の誠をささげます。私も昨年の今頃は家族とともに東京に行っておりましたので,妻と一緒に靖国神社に参拝いたしましたが,今年は近くの護国神社へ参ろうかと思っております。

 

 日本国の首相をはじめ閣僚などが靖国神社を参拝すれば,中国や韓国は相も変わらず不当で的外れな非難を繰り返しますが,このようなものは完全に無視すればよい。これに不必要に反応したりするから「外交カード」になってしまうのです。完全無視で結構なのです。もう「外交カード」にはならないのだということを分からせなければなりません。そして何よりも「死者との対話」は心静かには行われるべきです。

 

 また,自由民主党の中にだって靖国神社に代わる新たな追悼施設を設置すべきことを主張している者もおりますが,馬鹿者としか言いようがありません。国のために散華された方々は,共に「靖国で会おう」と言って出撃されたのですし,例えば,植村真久少尉(戦死後,大尉)が当時6か月であった愛娘にあてた遺書にも「大きくなって父に会いたいときは、九段へいらっしゃい」と記されておりました。中国や韓国などに阿って新たな追悼施設なるものをこしらえたとしても,そんなものが靖国神社に代替できる筋合いのものではないのです。

 

 「別冊正論」という雑誌の編集長だった上島嘉郎さんの言説にはかねてから共感を覚えていたのですが,ある号の前書きで述べられた文章が誠に素晴らしく,今日はその一部を引用して終わることにします。

 

「・・・後生の日本人を信じて命を捧げてくれた人たち、その献身が今の日本をつくっている。日本は、現在生きている私たちだけのものではない。過去と未来の日本人のものでもある。現在の私たちの過怠や不作為によって、先祖の名誉を不当に損なわれたままでよいか。子孫に要らざる負い目を負わせてもよいか。故江藤淳氏の次の言葉を、日本人として噛みしめたい。『死者の魂と生者の魂との行き交いがあって、初めてこの日本という国土、文化、伝統が成立している。それこそ日本のConstitutionである。つまり、死者のことを考えなくなってしまえば、日本の文化は滅びてしまう』、『ソポクレース以来、自国の戦死者を、威儀を正して最高の儀礼を以って追悼することを禁じられた国民が、この地上のどこにあっただろうか。国人よ、誰に謝罪するより前にこのことを嘆け。そして、決して屈するな』」

2014/08/12

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 言っても詮無いこととは知りながら,思わず心の中で「長嶋さん・・・」と呟いてしまいます。わが栄光の巨人軍の長嶋茂雄選手の生涯打率は3割5厘です。17年間にわたる現役生活,そして8094に上る打数でその生涯打率が3割を超えているのです。本当に凄いことだと思います。

 

 私がまだ小学生で野球少年だった頃,テレビの前で巨人戦を熱狂して観ておりましたが,やはり長嶋さんはここぞという時に打ってくれました。ここぞという時に・・。チャンスに強かったのです。その勝負強さが私を夢中にさせました。よく言われることですが,長嶋選手は記録よりも記憶に残るプレーヤーだったのです。もちろん記録だって素晴らしい。2471安打,444本塁打ですからね。

 

 この週末の巨人戦を観ていても,何かしら巨人の強さというものを感じません。選手は一生懸命にやってはいるんでしょうが,今年ばかりは例年ほどは応援する気が起こらないのです。正直に言うと,巨人軍(ジャイアンツ)という抽象的な存在は勿論好きであり応援したいけれど,現時点で巨人軍を構成している個々の選手については必ずしもそうではありません。例えば,村田修一選手。ランナーがいない時はそこそこ打つんですが,チャンスの時は打ってはくれません(笑)。彼の場合,併殺打の数も現在セ・リーグのダントツ首位です(苦笑)。チャンスの時にことごとく凡退するこの選手たちを見て,思わず長嶋さんの現役時代を,そして少年の私を熱中させたあの姿を思い出してしまうのです。もっとも長嶋さんと比較すること自体,村田選手たちには酷であり,長嶋さんには失礼なのかもしれません。

 

 これはどうしようもないのでしょうが,そしてくどいようですが,今の巨人にはあまり魅力的な選手がおりませんね。愚痴を言ってもしょうがありませんが・・・。でも愚痴を言っていますね(笑)。

 

 明日からは2位の阪神との対決です。2位の阪神も割とモタモタしてくれておりますので,こんな巨人でもまだ首位をキープしておりますが,事と次第によっては今回の3連戦で首位が入れ替わる可能性もあります。

 

 いずれにしても,最近,心の中で「長嶋さん・・・」と呟くことが多いのです。

2014/08/07

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 2日前にも書きましたが,安倍晋三首相は外交,安全保障,経済政策(いわゆるアベノミクスの第1の矢【大胆な金融政策】と第2の矢【機動的な財政政策】)など,大変良い仕事をしておられると思います。ただ,最近特に気になっているのは,やたらと「女性比率」の数値目標にこだわった政策を闇雲に推進している嫌いがあるという点です。

 

 安倍政権は「成長戦略」の中核として「女性活用」を声高に宣言し,平成32年までには社会の指導的地位に占める女性の割合を3割以上にするとしています。女性の社会進出に格別異論はありませんし,その能力次第ではどんどん登用されるべきでしょう。しかし,とにかく「3割以上」という枠を設けてしまうこと自体には違和感があります。先日の産経新聞の記事の中で評論家の櫻井よしこ氏が主張していたように「ジェンダーフリーの旗だけを振るのではなく、伝統的な女性の役割を日本人の生き方のひとつの形として大切に守っていけるようなバランスのとれた計画にすべき」だと思います。

 

 というのも,夫の収入だけで暮らす専業主婦世帯は総務省の調査で745万世帯であり,また厚生労働省の調査でも独身女性の3人に1人が専業主婦を希望しています。さらに内閣府の調査では「夫が働き、妻は家を守る」のがよいとする人が51.6%で,特に20代ではこの割合が約20ポイントも伸びたのです。しかも総務省の労働調査では,働きたいと考えている女性は約300万人ですが,フルタイム志望は2割以下なのです。

 

 櫻井よしこ氏が述べるように「こうしたことは女性たちが、働くことの意味を経済性だけに求めているのではないことを示しているのではないか。子供の教育を含めた文化的価値や、高齢化時代の両親の介護など社会的価値において自分の力を生かすことを望んでいるのではないか。」と思えるのです。

 

 要するに,先に述べた政策(「平成32年までに社会の指導的地位に占める女性の割合を3割以上にする」)は,それ自体が自己目的化しているのではないかとの疑問が払拭できません。先日の産経新聞のコラム「産経抄」にも書いてあったのですが,確かに能力と意欲のある女性のために活躍の場を広げる方針に異論はないものの,女性の社会進出そのものが目的となってしまえば,本末転倒になります。ドイツのメルケル首相は「政治の世界には『女性優先枠』は必要ない」と発言して実力主義を貫き,元祖「鉄の女」のサッチャー元英国首相も女権拡大運動には冷ややかでした。北欧社会が女性割当枠を設けておりますが,必ずしも成功しているとばかりは評価できません。

 

 くれぐれも自己目的化しているような安易な政策を策定,推進するのではなく,総合的で,「伝統的な女性の役割を日本人の生き方のひとつの形として大切に守っていけるようなバランスのとれた」政策が求められていると思うのです。

2014/08/05

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 夏なんですから,「暑い,暑い」と言っていてもどうしようもありません。暑くはありましたが,昨日の夕方は事務所から自宅まで徒歩で帰りました。もうすぐ自宅に着くという辺りで若いお母さんと3歳くらいの女の子が歩いているのを見かけました。「○○ちゃん,もう暗くなったね。」,「うん。」という何気ない母子の会話が耳に入ってきました。何かほのぼのとしたものを感じました。

 

 各家庭にも様々な事情がありましょうが,私は昔から母親はせめて子が3歳くらいになるまではずっとそばにいて育んでいくのが良いと思っていました。今でもそう思っておりますし,我が家では3歳と言わず小学校低学年くらいまではそうしていました。もちろん育児には父親も参加です。一緒にお風呂に入ったり,寝る前は2冊ほど絵本を読んで添い寝をしたり・・・。そして何よりもよく子に話しかけたり,また家庭内で夫婦の会話が豊富なら子もその会話を聞いて成長します。もちろん躾けも必要です。

 

 ところで,安倍晋三首相は,第一次安倍内閣の時もさることながら第二次安倍内閣でも外交,安全保障,経済政策(いわゆるアベノミクスの第1の矢【大胆な金融政策】と第2の矢【機動的な財政政策】)など,大変良い仕事をしておられると思います。やはりこれまでの仕事ぶりや成果をみますと,余人をもっては代えがたいというべきでしょう(あの鳩山由紀夫や菅直人と比較するのも大変失礼です【笑】)。でも,アベノミクスの中の第3の矢【民間投資を喚起する成長戦略】については,以前から違和感を覚え,首を傾げざるを得ない部分を少なからず含んでいると思っていました。特に最近では「一体何をそんなに焦っているのだろう」と感じるのが「女性が輝く日本」というスローガンの中身です。

 

 端的に申しますと,「女性が輝く日本」というスローガンの下,現政権が性急に推し進めようとしている政策は,何か不必要に専業主婦を目の敵にし,伝統的な日本の家庭文化とでも言うべきものを壊し(「育児より働け」),無理に数値目標を欧米の水準に合わせようとしているかのようです。具体的には配偶者控除の廃止,「第三号被保険者制度」(夫が正社員等の場合,妻の収入が130万円未満であれば保険料を負担しなくても健康保険や国民年金に加入できる制度)の廃止,会社等の配偶者手当の廃止などが真顔で検討されているのです。

 

 女性の輝き方は様々でしょう。総合職,バリバリのキャリアウーマンを目指して自己実現を図ることを第一とする人もいれば,サザエさんに出て来る磯野フネさんのように割烹着を着て家事,育児を十全にこなし,夫や子らがその役割を全うできるような良きハウスキーパーたる立場にある人もおり,これまたとても尊敬されるべきでしょう。それが日本の伝統的な家庭文化とでも言うべきものです。

 

 当の女性たちも「子供が三歳くらいまでは母親は仕事を持たず育児に専念」という意見に20~30代の子育て世代の80%が賛成しています(国立社会保障・人口問題研究所『全国家庭動向調査』2008年)。八木秀次氏の「この八割の女性の意向を抑えてでも社会で『活躍』させたいとでもいうのだろうか。ここは少なくとも育児に従事する期間は、働かなくとも育児に専念できるよう優遇する制度を設計するのが新たな人口を生み出す女性たちのニーズにも叶う現実的な政策ではないのか。」(月刊誌「正論」平成26年8月号)との意見に賛同したいのです。日本を守る本当の意味の少子化対策というのは,外国人移民(家事に従事するメイドを含む。)を闇雲に導入することではなく,また竹中平蔵などの政商の悪魔のささやきにたぶらかされることではなく,方向としては間違っていないアベノミクスの第1と第2の矢を勇気をもって推進し,何より賃金を上げ(これにより妻も一定期間は経済面においても安心して育児に専念できます),日本人女性の(移民のではありません)合計特殊出生率を上げていくことだと思うのです。

 

 なお,これに関連することについては,後日気が向いたら(笑),このブログで書いてみたいと思います。

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