感情とは,ものごとや人間などに対して抱く気持ちのことをいいますね。喜び,悲しみ,怒り,諦め,驚き,嫌悪,恐怖などがあります。これが人間にあるのは勿論ですが,犬にもあるのだと思います。
確かに犬には言葉というものはありませんが,犬もその行動やその表情などで感情を表現します。飼い主が楽しそうにしていれば犬も尻尾を振りながら一緒になって楽しそうにはしゃぎます。また,飼い主が精神的に落ち込んでいるような時は,静かにそばに寄ってきてペロペロ舐めてくれたりします。こういう動作を見ますと,犬にも感情というものがあり,飼い主との日常生活,やり取り,ふれあいによって互いに情というものが通い合うようになるのでしょう。
インターネットでいろんな記事を見ていましたら,たまたま「NEWSポストセブン」というサイトで,交通事故で亡くなった同居の人の仏壇の遺影の前を離れようとしない柴犬(「こゆき」という名のメス,8才)の話が出ていました。それによりますと・・・
今から3年ほど前,飼い主の家の高校生が友人と2人で歩いていた時,飲酒運転の車に猛スピードで後方から衝突され,2人とも命を落とすという酷い交通事故被害に遭った。仏壇にはその高校生の遺影が飾られ,毎日その仏壇の前で涙を流している母親の隣にはいつもこゆきの姿があった。家に仏壇を置いて以来,こゆきが仏壇のそばを離れなくなった。母親が線香を上げて立ち上がっても,こゆきは仏壇の前を離れず,座布団の上で線香がなくなるのを見ていたり,その座布団の上で昼寝をしたりしていた。母親がこゆきは座布団が好きなのかなと思って座布団を移しても,こゆきは仏壇のそばを離れない。家の中にいても外にいてもそわそわと落ち着きがなく,亡くなった高校生の帰りを待っているかのような行動をとる。
そういう話でした。そういえば,あの有名な忠犬ハチ公の話もあります。ハチ公は秋田犬ですが,主人であった上野教授といつも一緒に渋谷駅まで行って主人を見送り,主人が帰るころには渋谷駅まで迎えに来て,ずっとそこで主人の帰りを待っているという日常であった。その後主人が急死したのだが,ハチはその事実を受け入れられないのか,主人が亡くなって3日間は何も食べず,ハチはその後も長期間にわたって毎日渋谷駅で主人の帰りを待った,というのです。
それにしても,昭和10年3月8日にハチが死んだ時は,12日に渋谷駅でハチの告別式が行われ,主人であった上野教授の妻,町内の人々など大勢の人が参列し,渋谷にある妙祐寺では僧侶など16人による読経も行われ,生花,手紙,電報,当時のお金で18万円を超える香典が寄せられたようです。こういう日本人のメンタリティーは本当に好きだなあ(笑)。
一方,いわゆるペットロスというやつですか,飼い主がペットを亡くした時の精神的な落ち込みも,人によっては大変なものがあるそうですね。私がよく知っている大先輩の弁護士の先生,もう年齢は70代後半で,普段は飄々としてとても楽しい方ですが,ペットを亡くされた時の精神的な落ち込みようは端から見ていても大変なものでした。
やはり人間は当然ですが,犬にも感情というものがあり,飼い主との日常生活,やり取り,ふれあいによって互いに情というものが通い合うようになるのでしょう。