新選組の前身は,壬生浪士組(精忠浪士組)と呼ばれていましたが,この組織には大きく分けて二つのグループがあり,その一つは試衛館の同志を中心とした近藤勇のグループ(土方歳三,山南敬助,沖田総司ら)であり,もう一つは水戸派の同志を中心とした芹沢鴨のグループ(新見錦,平山五郎,平間重助ら)でした。でも,今から約150年前のちょうど今頃の季節(1863年9月18日)に,芹沢鴨らのグループが京都・壬生の八木邸における夜討ちで近藤勇グループから粛清されたのです。
私も八木邸に行き,その時の柱の刀傷を目にしました。壬生浪士組はこのように主として二つのグループから成っていましたから,主導権争いもあったのです。一応筆頭局長は芹沢鴨,それならばと近藤勇が局長に,それならば新見錦も局長に,だったら副長は土方歳三と山南敬助に・・,こんな具合にポストの取り合いをして張り合っていたのです。いずれ破局は必然だったのでしょうね。
という訳で,前置きが長くなりましたが,今度立ち上げられた維新の党なる政党も,いずれ破局は必至なのではないかと,余計な世話を焼いております(笑)。だって,代表は「共同代表」ということで,維新グループから橋下徹氏が,そして結いグループから江田憲司氏がそれぞれ就任し,幹事長が松井一郎氏(維新系)ならば政調会長は柿沢未途氏(結い系)によこせ,だったら総務会長は片山虎之助氏(維新系)によこせよ・・・,という感じですもの。それに,党本部の代表の一人と幹事長を非国会議員が務める旧維新の会の体制が踏襲されていますし,党本部は東京と大阪に置きはするものの,主たる党本部は大阪にするというのですから,以前の石原慎太郎氏らのグループと同居していた時代と同じであり,結局は同グループ(今は「次世代の党」)とは「離婚」してますよね。
思うに,橋下徹という政治家はもうとっくにメッキが剝げているのではないかと思います。一体全体何がやりたいのかよく分かりません。だって,かつて結婚していた次世代の党と,今度結婚した結いの党とでは,その国家観,歴史認識,いわゆる新自由主義的政策推進の有無などなど,全く水と油ではないでしょうか。全く水と油であるこの2つの政党と次から次に結婚するなんて,とても理解できないのです。要するに,定見がないと言わざるを得ません。このように定見がないまま浮遊していると,橋下氏が頼りにしている「ふわっとした民意」も結局は離れていくのが当然でしょう。