引き続いてバッハの話題になってしまいます(笑)。
遠方まで車で行くときには,いつもバッハを聴いておりますし,そのうち教会カンタータについては「今日は160番台」にしようなどとその日の気分で決めています。
そこで先日も車の中で聴いていて,「やっぱり,バッハは凄いな。」と思いましたのは,教会カンタータ第162番「ああ、われは見たり、いまや婚礼におもむくとき」の第1曲目のバス独唱によるアリアの素晴らしさです。何でこんなに美しい旋律を創造することができるのか・・・。その曲の美しさに接すると,本当に泣けてくるくらいなのであります。
この曲の素晴らしさについて以前にもこのブログで書いたような記憶もあるのですが,また書かずにはいられません。この教会カンタータ(第162番)の成立と初演はヴァイマル時代の1716年と言われており,ずっと時代が下ってライプツィヒ時代にも再演されています。
このカンタータのテクストは,バッハのカンタータにはよく採用されているザーロモン・フランクの「福音主義教会の捧げ物」からとられています。天国に入ることを婚礼にたとえ,しかしそこに招かれるためにはふさわしい礼服が必要なのだと説く,当日の福音書聖句に準じた内容です。
この第1曲のアリア(バス独唱)の素晴らしさについては,前回のこのブログにも登場した音楽評論家の加藤浩子さんの解説に委ねましょう。
「バスの独唱によるアリア(ロ短調、4/4拍子)、婚宴に赴こうとする『われ』が、安息と災い、天国と地獄のせめぎ合うさまを目のあたりにし、それを乗り越える勇気を与えたまえとイエスに祈る。通奏低音は8分音符の音型を奏で続けて婚宴に赴く者の歩みを表し、スライド・トランペットがその歩みを力づけるように寄り添う。天の光輝と『せめぎあう』地獄の『業火』が16分音符の細かい動きで引き伸ばされて強調され、最後はイエスに救いを求める切なる声が繰り返されて、曲を閉じる。」
この曲の美しさの余韻がまだ頭の中にありますが,これから東京家裁での調停に出発します。もちろん,八重洲地下中央の旭川ラーメン「番外地」で塩バターコーンラーメンも食べてきます(笑)。