梅雨らしくなったというのが良いのか,そうでないのか分かりませんが,ここ数日の天候は梅雨らしくなりました。ただ,紫陽花は本当に美しいと思います。
さて,私も弁護士の端くれですから,言論・出版の自由,表現の自由が憲法上保障された極めて重要な人権であることは十分承知しております。しかしながら,元少年Aの手記「絶歌」と称する本の出版には嫌悪感を覚えます。
1997年に神戸連続殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)を起こした「元少年A」の手記「絶歌」と称する本が出版されてから10日ほどが経ちましたが,トーハンと日版の週刊ベストセラーランキングではそれぞれ初登場1位となったようであり,出版元の太田出版は初版10万部に引き続きさらに5万部の増刷を決めたとのこと。出版社の思惑どおりの展開となっております。
この「元少年A」は既に32歳になっているようで,週刊誌の記事によれば,この人物は自分の原稿をさる出版社に持ち込んで出版にこぎ着けようと相当の努力をしたようであり,最終的には太田出版に落ち着いたようです。
この人物が起こした事件は凄惨で猟奇的なもので,口にするのも憚られます。そしてこのたびの「絶歌」なる手記の内容は,ある情報によれば作家気取りの小賢しい文章表現が散見されるようです。でも,この人が本来やるべきことは,このような作家気取りの小賢しい文章を世に問うことではなくて,印税なんかに頼らず,必死でアルバイトなどをしながら日銭を稼ぎ,人知れずただひたすら内省の日々を送り,被害者の菩提を弔うことでしょう。それが人の道というものです。
でも出版に当たっては,被害者のご遺族には何らの相談,了解もなかったようであり,当然のことながら被害者の男児の父親は太田出版に抗議し,速やかな回収を求めています。当然のことでしょう。それに印税の使い道だって明らかにはされておりません。
この人物ももう32歳なのですね。この本の出版の動機の一つとして,「自分の過去と対峙し、切り結ぶ」ことに言及しています。「切り結ぶ」という言葉の意味は,互いに刀を交えて切り合うこと,また激しく争うことを意味しています。被害者のご遺族の心情に配慮することなくこのような自分の手記を世に問い,「自分の過去と対峙し、切り結ぶ」ほどの覚悟があるのであれば,著者名が「元少年A」というのは卑怯な気がしています。それにやはりこの人には共感力というものが決定的に欠けていると言わざるを得ません。
本名を明らかにせよとは酷な言い方かもしれませんが,やはりそれができないようであれば,このような手記を世に問うことではなく,人知れずただひたすら内省の日々を送り,被害者の菩提を弔うことこそ大切なことだと思うのです。