本当に梅雨空ですね。
漂泊の俳人,種田山頭火は肉体的にはタフな人間だったとは思いますが,さすがに梅雨時の行乞は辛かったのではないでしょうか。シトシト降ったり,ザーザー降ったり,梅雨時の雨にもいろいろありますが,頭陀袋と鉄鉢を持っての雨の中の行乞はやはり大変でしたでしょう。でもその一方で,雨はそれほど嫌いでもなかったようです。
山頭火の「行乞記」の中の「伊佐行乞」には,梅雨時の行乞に関して,次のような記載があります。
「六月廿八日 ・・・雨、雨の音はいいな、その音に聴き入る、身心なごやかになる。・・・梅雨らしく降ったり晴れたりする、やむなく行乞は見合わせる、明日の米がないけれど、明日は明日の事だ、明日の事は明日に任しておけ!・・・」
米があるかないかという境涯ですが,それでも何か人生を楽しんでいる風でもあります(笑)。
この梅雨時の山頭火の俳句作品をいくつか挙げておきましょう。
「禿山しみじみ雨がふるよ」
「梅雨あかり私があるく蝶がとぶ」
「梅雨空へ伸びたいだけ伸びてゐる筍」
「日照雨、ぴよんぴよん赤蛙」
「降つたり照つたり何事もなくて暮れ」