前からそうだったのですが,私はバッハのブランデンブルク協奏曲という全6曲の個性豊かでとりわけ完成度が高いと思われる器楽曲が好きでした。その思いを特に強くしたのは,昨年の秋に横浜のみなとみらいホールでこの曲を家族と一緒に聴いてからです。その時はミュンヘン・バッハ管弦楽団の演奏でした。
この6曲は楽器の編成も本当に様々ですし,曲調も個性豊か。共通しているのは,やはりいずれも第2楽章が緩徐楽章になっているということと,いずれも長調で書かれているということでしょうか。それにしても,ケーテン時代のバッハは特に器楽曲の創作に集中できたようです。このブランデンブルク協奏曲や,平均律クラヴィーア曲集第1巻,管弦楽組曲などもこの時代だったと思います。それもこれも彼を宮廷楽長として招聘したレオポルト・フォン・アンハルト(ケーテン侯)が非常に音楽に理解があり,バッハにとって創作に集中できる環境を作ってくれたからでしょうね。
それにしても,バッハはこのブランデンブルク協奏曲をどんな風に指揮し,演奏させていたのでしょうか。とても興味深いのです。古楽器ですからカール・リヒター指揮のミュンヘン・バッハ管弦楽団のような響きではなかったでしょうが,それじゃあ,トン・コープマンやニコラウス・アーノンクールの指揮する各楽団のような響きだったのでしょうか。そしてテンポはどんな感じだったのでしょうか。バッハ指揮による生演奏がどんな風だったか知りたい。
先日の産経新聞の「産経抄」には,「こゑわざの悲しきことは、我が身隠れぬるのち、とどまることのなきなり」(『梁塵秘抄口伝集』巻第十)という言葉が引用されていました。声による技は書くとか刻むという営みでは残せない,後世に残すことはできないということを,平安末期の歌謡の担い手が嘆いたのです。声という訳ではありませんが,バッハの時代も当時の音を後世に残すことはできませんね。今の時代ならばともかくとして・・・。