そりゃあ,やっぱりバッハのことに触れなければならないでしょう。だって,今日,7月28日は私が心からその音楽を愛するヨハン・セバスティアン・バッハの命日なんですもの。
私はバッハに関係する書籍を少なからず読んでいますが,バッハがよく「死への憧れ」を語り,それをモチーフにした曲を作っていたという記述に接したことがあります。それが今となってはどの本だったのか覚えがありません。死をモチーフにしたバッハの曲ですぐに思い浮かぶのは,教会カンタータ第161番「来たれ、汝甘き死の時よ」です。傑作です。やはりバッハは凄いです。30歳そこそこでこのような曲を生み出すのですから。その歌詞の一部は次のようになっております。
「わたしは喜ぶ、この世との別れを わたしの切なる願いは、救い主とともにあり やがてキリストのもとに生きること」
この歌詞はザーロモン・フランクのものであり,フランクの歌詞はあの「マタイ受難曲」の中でもいくつか採用されています。バッハはフランクの詩に共感を覚えていたのでしょう。バッハは死に憧れていたのか・・・。確かに死というものは人間に一切の苦痛から逃れさせてくれますが,恐らくバッハが「死への憧れ」に言及し,それをモチーフにした曲を作ったのは,特定の人の死の追悼のために依頼されたということもありましょうし,もっとキリスト者としての積極的な動機,つまり,永遠の命への憧れ(死によって魂とキリストが一体化し,栄光と至福に至るという思い)を「死への憧れ」と表現したのでしょう。
さきほど挙げた第161番の教会カンタータが傑作なのは言うまでもありませんが,同じ「死」を扱った教会カンタータとしては私は第106番「神の時こそ、いと良き時」がとても好きです。むしろこちらの方が好きかな。あの2本のリコーダーの音で始まる甘美なメロディー,曲も歌詞も誠に素晴らしい。「神の時」とは死の時を意味します。私は,キリスト者ではありませんが,バッハのこういった名曲に巡り会えたことに心から感謝しているのです。