とうとう「その4」と相成りました(笑)。つい先日,ロシアの首相であるメドヴェージェフという小男が北方領土の択捉島を訪問しましたね。言うまでもなく北方領土は日本固有の領土であり,ロシアの占有は不法なものです。日本国民の神経を逆なでするような暴挙と言わざるを得ません。いわゆる東京裁判において日本の「A級戦犯」と言われる人たちが裁かれましたが,戦勝国といわれる国々のうち,今日はソ連の卑怯さ,「腹黒さ」について少し述べることにします。
私の記憶に間違いがなければ(笑),日本国憲法には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とありますが,諸外国も最終的には,たとえ他国の利益を踏みにじってでも自国の利益を追求するのであって,局面によっては極めて「腹黒い」存在なのです。平和ボケしていてはいけないのです。
今年の8月9日付けの産経新聞にも割と詳細に書かれていましたが,昭和20年8月9日にソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破って参戦した時点では,ソ連の宣戦布告が日本政府に届いていなかったことを裏付ける秘密文書が,イギリス国立公文書館に所蔵されていることが明らかになりました。それによると,宣戦布告を通告された佐藤尚武駐ソ連大使が外務省宛てに打った公電は,誠に卑怯にもソ連当局によって電報局で封鎖されていたのです。ソ連は宣戦布告から約1時間後には満州(中国東北部)や樺太などで一斉に武力侵攻を開始し,その約4時間後にタス通信の報道などでようやくソ連の参戦を知らされた日本は完全に不意打ちをされた格好になります。正式な宣戦布告文書が届いたのは,マリク駐日大使が東郷茂徳外相を訪問した10日午前11時15分で,ソ連が侵攻してから実に約35時間が経過していたのです。
ソ連の卑怯さ,「腹黒さ」はそれだけではありません。日本が昭和20年8月15日にポツダム宣言を受諾し,降伏文書が調印された9月2日以降もソ連は侵攻を止めず,武装解除した北方四島などに侵攻して完全に占拠し,ソ連が一方的な戦闘を停止するのは9月5日だったのです。ところが,ソ連の公式記録「第2次世界大戦史」では,千島などの占領は9月1日には終わったことになってしまっています。なぜそのような虚偽が記載されているのでしょうか。それは,日本が戦艦ミズーリ号の艦上で降伏文書に調印(9月2日)する前に作戦を完了していないと領有することができないと考えたからです。産経新聞東京特派員の湯浅博さんが記事に書いているように,本当に「卑怯な仕業」です。
そしてあのソ連による日本人捕虜のシベリア抑留。約57万5000人にも上る日本人抑留は明確なポツダム宣言(第9項)違反ですが,あの希代の殺人鬼,独裁者であったソ連共産党書記長のヨシフ・スターリンの指示によりあの蛮行が計画的に行われたのです。この男の頭の中は,「捕虜=戦利品」だったのでしょう。馬鹿につける薬はありません。
昭和20年2月にアメリカ,イギリス,ソ連の3首脳が戦後処理を話し合ったヤルタ会談における会談内容でも分かるとおり,ソ連には,日露戦争以来の日本に対する復讐心と領土的野心が根底に存在していたのです。繰り返しますが,北方領土は日本固有の領土であり,ロシアの占有に権原は全くありません。
「戦後70年(その4)」というタイトルでしたが,「その4」があるということは,ひょっとしたら「その5」があるかもしれません(笑)。
今朝の産経新聞の中に,私に勇気をくれる記事がありました。
今年のセ・リーグは上位3チームがしのぎを削っておりますが,阪神の岩田稔投手の前向きな姿勢に感動しました。彼は若い時から1型糖尿病に罹患し,一時はスポーツを諦めかけたこともあったようです。しかし,かつて巨人にいたガリクソン投手がそうであったように,インシュリン注射を打ちながらでもプロで選手生活を送ることができることに思いを致し,頑張り続けて来たのです。
今年の阪神タイガースは十分に優勝のチャンスがありますし,岩田投手も活躍しています。彼は,投手として1勝を上げるごとに10万円を1型糖尿病研究基金に寄付しています。本当に素晴らしいことです。これからも頑張って欲しいと思います。
ただ,やはり最終的には今年のセ・リーグの優勝は,わが栄光の読売巨人軍ということで(笑)。
ついに「その3」です(笑)。我が国に対し,中国や韓国は鬼の首を取ったように「歴史に真摯に向き合え!」などと要求します。本当にいい加減にしてもらいたいものです。中国などは9月に入って早々,戦勝国だと称して,とてもグロテスクな軍事パレードまで予定しています。もっとも欧米の主要国の首脳はロシアを除いて全く参加すらしませんが(笑)。
そもそもですよ,歴史認識というものはこれが決定版だというものはなく,当事国にはそれぞれの立場というものがあります。いわゆる東京裁判史観は,所詮は戦勝国による押しつけの歴史観に過ぎません。これとは異なる認識を示したとしても,「歴史修正主義者」などと非難されるいわれはありません。
月刊誌「正論」9月号には,「終戦70年、日本人へ」と銘打った特集記事が掲載され,そこで渡部昇一さん(上智大学名誉教授)が述べているように,東京裁判については日本だけでなく世界中の識者がその誤謬を指摘しています。以下,渡部さんが指摘しているように,マッカーサー自身がこの東京裁判は無意味だったと認めておりますし,裁判の約2年後のアメリカ上院の軍事外交委員会で「Their purpose,therefore,in going to war was largely dictated by security.」と証言し,日本が先の戦争に入ったのは主として自衛のためだったとの認識を示しているのです。
これまたそもそも,「侵略」という言葉には国際法上は定義というものはありません。日本には,ドイツのナチが行ったように,ユダヤ民族という特定民族の抹殺,大量殺戮といった誠におぞましい行為はありません。そこで東京裁判では昭和3年以降の日本の歩みを裁こうとしました。具体的には不戦条約,ケロッグ=ブリアン条約を日本は結んでいながらこれを破ったという理屈を立てます。
しかし,東京裁判において,インドのパール判事は,「不戦条約が結ばれたとき、アメリカの議会も不戦条約自体に反対したではないか。」と鋭く指摘し,不戦条約にいう「戦争」とは全ての戦争を意味するのではなく,「侵略戦争」に限って禁じたのだとするアメリカのケロッグ国務長官の説明なども列挙しました。それではそもそも「侵略」戦争とは何か。ケロッグの説明は「それは国境を越えて、攻め込まれた場合だけではなく、国家の安全を犯す経済的な脅威を受けた場合も、侵略戦争を受けたことになる」というものでした。そして自衛戦争は禁止されてはおらず,何を自衛権の行使に含めるかは当事国の判断に委ねられているということも説明されていたのです。大東亜戦争直前,日本はいわゆるABCD包囲網で経済的に窒息させられそうになっており,これは不戦条約の提案者の一人であったケロッグの説明では「侵略」を受けたことになるでしょう。このようなことから,パール判事は,ならば日本を不戦条約違反などで裁くことはできないと正当にも論破し,無罪の意見を堂々と展開したのです。
「戦後70年(その3)」というタイトルでしたが,「その3」があるということは,ひょっとしたら「その4」があるかもしれません(笑)。
「その2」です(笑)。月刊誌「正論」9月号には,「終戦70年、日本人へ」と銘打った特集記事が掲載されていました。複数の保守の論客(極めて真っ当な歴史認識を備えた人たちです。)が,戦後70年の節目を迎え,自らの歴史認識の一端を説得的に展開されており,とても読み応えがありました。
その中でも特に,八木秀次さん(麗澤大学教授)の論考は素晴らしかったと思います。「実は左翼青年だったという八木秀次氏が保守に目覚めた5冊の書とは-」という導入文句の下,八木さんお薦めの文献5冊が紹介されているのですが,彼が引用した林房雄著「大東亜戦争肯定論」という本の次の一節にはとても感動を覚えたのです。
「日本の百年にわたる孤軍奮闘は、これを歴史としてふりかえる時、決して無意味ではなかった。無謀とも言えない。西洋列強の植民地主義と侵略主義の重囲の中にあっては、いかなる名将、大政治家といえども他に対策はなかったはずだ。秘密裡ではあったが、当時の政府と軍部の首脳によって、日支戦争不拡大、対米英戦争回避のあらゆる努力が行われたことは、現在発表されている多くの文献が証明している。だが、罠にかけられ、追いつめられた最後の関頭においては、山本五十六元帥ならずとも、玉砕を覚悟の決戦にふみきらざるを得なかった。これが日本の運命であった。慰めは、たださきに引用したオーエン・ラティモアの言葉である。/『日本が立派にやりとげたことは、アジアにおける植民地帝国の十九世紀的構造を破壊することであった』/『戦時中、日本人によって占領された土地のうち、ただ一つも(旧主人のヨーロッパ人によって)満足にとりもどされたものはなかった』/『百年戦争』をみごとに遂行した日本の犠牲者たちを、誰が『犬死』と笑うことができるか!日本の戦死者たちは歴史の定めた運命に黙々と従い、最も悲劇的で英雄的な死を遂げた。散華である。アジア大陸と南と北の海に散った花々のために靖国の宮はすみやかに復興させねばならぬ」
この林房雄の「大東亜戦争肯定論」という本は,現在,中公文庫(2014年刊)で入手できるそうです。是非一読してみたいものです。
八木さんが総括しているように,日本は幕末の欧米諸国との邂逅により,彼らと戦うこと宿命付けられていたというべきで,そこから始まった「東亜百年戦争」の最後の姿が「大東亜戦争」であり,百年のスパンで歴史を俯瞰しないと「大東亜戦争」の意義は理解できないのです。そして,林房雄のいう肯定論とは,日本の歴史的な運命をすべて引き受けて肯定するということに他なりません。このような考察の前では,現在の「侵略」,「植民地支配」というワードにこだわる風潮が如何に陳腐なことか。このように総括し,締めくくった八木秀次さんの論考に我が意を得,感銘を受けました。
「戦後70年(その2)」というタイトルでしたが,「その2」があるということは,ひょっとしたら「その3」があるかもしれません(笑)。
戦後70年の節目に,いわゆる安倍談話が出されましたね。全文を読みました。売国的な政治家村山富市が,戦後50年目の節目に自分の趣味や凝り固まった情念で出してしまったいわゆる村山談話の桎梏ともいうべき内容からどこまで脱却できるかと大いに期待したのですが,やはり自分としては残念でした。
でも,そんな中にあって,やはり安倍晋三でしかなし得なかった表現もありました。さすがだなと評価できる部分が2箇所あったのです。これは評論家の櫻井よしこさんも産経新聞でいみじくも指摘されておりましたが,私も全く同感です。その2箇所というのは・・・。
第1に,戦後の日本に対する世界の支援に深く感謝し,子や孫たちに「謝罪」を続ける運命を背負わせないように明記したことです。考えてみれば,いつまで経っても「謝罪せよ」,「歴史を忘れるな」などと連呼しまくっているのは,中国と韓国(北朝鮮)だけではないでしょうか。しかも彼らのいう歴史は歪曲されたプロパガンダです。確かに今回も「侵略」,「お詫び」という言葉が注目されていましたが,日本国民が反省している気持ちを十分に表しながら,外の声に押され,安易な謝罪の道をとらなかったことは,日本のため,世界のためにも建設的です。
第2に,歴史を振り返って,植民地支配の波がアジアにも押し寄せていたことに触れ,「日露戦争は植民地支配のもとにあったアジア,アフリカの人々を勇気づけた」としました。歴代首相の中で,そういうことをこのように明確に述べた人がいたでしょうか。歴史の真実として,人類の歩みの中に日本もあったと確認したことは評価できます。日本が戦った戦争は,巨視的に観れば,冷厳な白人支配の現状を打破し,次々にアジア,アフリカ諸国の独立を生んだこともまた歴史の真実なのです。また,経済のブロック化(いわゆる「ABCD包囲網」など)が進み日本が孤立感を深めたという指摘は,歴史を学べば学ぶほどそこに近づく真実だと感じられます。このたびの安倍談話のこの部分は,戦後,あのマッカーサーがアメリカ上院の軍事外交合同委員会で「あの戦争は日本にとって概ね自衛のための戦争だった」という証言や,東京裁判におけるパール判事の洞察と同じ文脈です。安倍晋三の歴史観は,やはりGHQの戦後占領政策の目玉であったWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)という徹底した贖罪意識の植え込みに対する反骨を窺わせます。確かにこういう首相は今までにいなかった。
「戦後70年(その1)」というタイトルでしたが,「その1」があるということは,少なくとも「その2」があるということです(笑)。
2020年東京オリンピックのエンブレム問題に関してです。ベルギーの劇場ロゴのデザイナー側が,著作権を侵害されたなどとして2020年東京オリンピックのエンブレム使用差し止めを求めて提訴したことについて,東京オリンピックの大会組織委員会は提訴したデザイナー側を非難するコメントを出しました。
この点に関する私の考えは前日のこのブログに書いたとおりです。潔くこのエンブレムは撤回すべきです。いろいろな面を考え,それが最も賢明だと思います。この大会組織委員会の会長があの森喜朗という人だからか,この委員会は様々な面で賢明さから遠ざかる方向へ向かっているような感じです(笑)。
ついでに言いますと,賢明さから遠ざかる方向へ向かっているような感じなのは,IOC(国際オリンピック委員会)も同じではないかと最近思っております。夏季,冬季を問わず,IOCはどんな基準で,そしてどんな思惑で開催地を選んでいるのでしょうか。
先日の産経新聞の記事(8月10日)では,諸外国の記事を引用し,最近のIOCの選択が賢明でないことを指摘しています。
例えば,英紙ガーディアンの兄弟紙で,日曜日に発行されるオブザーバー紙は8月2日付けで「2022年冬季五輪に北京が選ばれたことは、またしても五輪の価値を崩す前例をつくった」と主張し,人権状況に問題がある国がホスト国となる選考方法に疑問を呈する社説を掲載しました。同紙はまず,北京が初めて夏季と冬季の五輪を両方開催する都市となったことに関し,大会は数千トンもの人工雪を作る機械に頼ることになると指摘。「これ以上の茶番がどこになるのか」と厳しく批判しています。おっしゃるとおり(笑)。その前に予定されている2018年の韓国の平昌の冬季五輪だって,会場施設の建設,資金,それに雪の問題などから,本当に開催できるのかと思ってしまいます(韓国のなりふり構わぬ強烈なロビー活動の前に落選したドイツやフランスが可哀想です)。
また,米紙USA TODAY(電子版)は7月31日,北京は2008年の夏季五輪で,過去のどの大会よりも多額の400億ドル(約5兆円)が投じられ,インフラ整備のため推定150万人を移住させたことなどに言及し,「喜んで法外な金を支払い、住民を気にも留めない町が招致都市になるのはIOCにとっても問題だ」と指摘しています。
極めつきは同紙の次のような指摘です。
「途中まで招致を目指したノルウェーの首都オスロはIOCから①王宮か地元五輪組織委員会が費用負担するカクテルパーティーを催す,②道路にIOCメンバー用の特別レーンを設ける,③五輪組織委員長とホテル支配人の『歓迎の言葉』をIOCメンバーの部屋に季節の果物とともに置く-といった要求を突きつけられたことを紹介し,こうした「バカげた」要求が見直されなければ,「夏季でも冬季でも五輪を2年ごとに開催できるのは北京だけになる」と批判しています。正におっしゃるとおり(笑)。
IOCはもっと賢明にならなければなりません。
2020年東京オリンピックのエンブレムについて,ベルギーのデザイナーがIOC(国際オリンピック委員会)を相手取り,そのエンブレム使用の差し止めを求めてベルギーの裁判所に提訴したようですね。
また,このエンブレムをデザインしたとされる佐野研二郎氏は,これとは別に手がけたサントリービールのキャンペーン商品の一部を謝罪とともに取り下げました。その理由は,そのデザインの一部に模倣があったからです。佐野氏自身もこれを認めていますし,確かに報道によれば模倣を超えて,トレースされたものもありました。
2020年東京オリンピックのエンブレムについては今後は法廷闘争の場で決着をみるのでしょうが,ここはどうでしょうか,このエンブレム問題については潔く出直した方が良いと思います。というのも,仮に法廷闘争で雌雄を決したとしても,イメージが悪すぎるからです。エンブレムというのは,いわば大会の象徴のようなものでしょう。会場の至る所で東京オリンピックを象徴するものとしてこのエンブレムが人々の目に触れ,テレビ中継の放送開始冒頭にはこれが視聴者の目に触れます。これを目にした人はその都度,複雑な思いに駆られるのではありませんか。
それに,このベルギーのデザイナーは言いがかりをつけているのではなく,客観的には確かにデザインの根幹が似ているでしょう。加えて,サントリービールのキャンペーン商品問題については,佐野氏個人もさることながらその事務所の体質が問題とされても仕方ありません。これは一般論ですが,訴訟などの場面では状況証拠,間接事実などといった用語がよく使用されますが,このエンブレム問題も状況証拠としてはかなり不利であり,模倣を主要事実とすれば,間接事実の存在という面でも相当に不利でしょう(笑)。
素人の私は素朴に思うのですが,招致の時に使用したあの素晴らしい花柄のエンブレムは使えないのでしょうか。くどいようですが,あのデザインはとても良かったと思いますよ。
時候の挨拶といっても,「暑いですね。」としかもう言いようがありません(笑)。これがあと1か月も続くというと,げんなりしてしまいます。でも皆さん,この夏,最後まで気を確かにもって乗り切っていこうではありませんか。
それにしてもですよ,今のジャイアンツの打線は,史上最弱なのではないでしょうか。これほどショボい打線は見たことがありません。3試合で得点は僅か2点です。今でしたら,ジャイアンツよりも津商業の方が強いのではないか(笑)。
東京ドームで巨人が広島に3タテを食ったのは10年ぶりだそうです。その10年前の巨人のオーダーは現在のように弱かったのかというと,全然そうではありません。1番仁志,2番二岡,3番高橋由伸,4番清原,5番ローズ,6番小久保,7番キャプラー,8番阿部,9番投手というのですから,これまた凄い打線でした。今は全くダメです。今年はどうも・・・。人間諦めが肝心です。
日曜日にはテレビでNHK杯将棋トーナメントを観ました。この日の対局は羽生善治四冠(名人,王位,棋聖,王座)対北浜健介八段でした。過去の実績からしても順当にいけば羽生名人が勝利するだろうと予想しましたが,結果はその逆でした。でもこの対局を観ていて思ったのは,羽生名人の勇気と,男気です。
この対局は双方穴熊同士でした。その終盤は羽生名人の陣営(王将のすぐ近く)で,北浜八段が銀や金を打って肉薄し,一方羽生名人がやはり銀や金を打って防禦し,千日手に近いような応酬が続きました(金と銀が微妙に入れ替わって千日手ではありません)。ハッキリ申しますと,どちらかが手を変えないと同じような応酬が際限なく続くような局面でした。
そこで決然と手を変え,敵陣に打って出たのが羽生名人でした。時間があれば読み切り,実際には無理のある切り込みであったことに気づいていたと思われますが,秒読みの中で決然と打って出たのです。羽生名人としては,同じような応酬を繰り返していても見苦しい,自分は先手だし名人でもある,勝負にこだわるよりも何とか局面の膠着状態を打開しようとしたのではないでしょうか。結果的に羽生名人の敗北となりましたが,男気を感じましたね。
将棋って結構面白いですね。本当に上手くできたゲームだと思います。さて,産経新聞は棋聖戦を主催しているのですが,翌日の産経新聞の将棋の欄(棋聖戦)の観戦子の記事に面白い記載がありました。昔から港町には将棋が割とさかんな町が多いようです。港町は,潮待ち・船待ちの時間があり,その暇つぶしに将棋が指されるのです。確かに,中原誠第十六世名人も宮城県塩竃市の生まれですし,その兄弟子の故・芹沢博文九段も静岡県沼津市の生まれであり,いずれも日本有数の港町です。
日傘をさしております(笑)。こんないい物はございません。真夏にはもう欠かせないのではないでしょうか。日傘さえあれば,昼食の際,遠出するのも苦になりません。
今,「放哉と山頭火 死を生きる」という本を読み始めたところです。これは渡辺利夫さんが書いた本で,ついこの間,ちくま文庫から出版されたばかりです。やっとこういう本が出ました。尾崎放哉と種田山頭火という,同時代に生きた自由律俳句の俳人二人・・・。一冊の本でこの二人の主要な作品とともに生涯を描いたものを待望していたのです。巻末にはそれぞれの年譜(主要作品付き)も掲げられています。
もしもこういう本を書くことができるとしたら,村上護さんではないかと思っていたのですが,村上護さんは数年前に惜しくも鬼籍に入られました。それにしても渡辺利夫さんも素晴らしい本を書くものです。この方は本来はアジア経済が専門の学者(拓殖大学総長)ですが,この本では完全に作家です。素晴らしい内容です。以前この渡辺さんの「種田山頭火の死生-ほろほろほろびゆく」(文春新書)という本を読んで感銘を受けたことを覚えております。それにこの渡辺さんの歴史認識や国家観は私にすごく近いものもあります(笑)。
さて,この「放哉と山頭火 死を生きる」という本の内容は,私などが拙い紹介をするよりも,裏表紙に書かれているフレーズをご紹介した方が良いと思います。
「学歴エリートの道を転げ落ち、業病を抱えて朝鮮、満州、京都、神戸、若狭、小豆島を転々、引きずる死の影を清澄に詩(うた)いあげる放哉。自裁せる母への哀切の思いを抱き、ひたひた、ただひたひたと各地を歩いて、生きて在ることの孤独と寂寥を詩う山頭火。二人が残した厖大な自由律句の中に、人生の真実を読み解く、アジア研究の碩学による省察の旅。」
この本の前半は放哉の生涯と句,後半は山頭火の生涯と句が内容となっております。まだ放哉の前半部分までしか読み至ってはおりませんが,読んでいて何かしら切なくなってしまいます。
暑いのなんのって,こんな調子であと1か月ほど過ごせというのは酷ですわ。夏というお方もホントに人が悪い(笑)。
でも,日曜日は歌舞伎を堪能してまいりました。チケットが余ったからというので有り難いお誘いを受け,いそいそと出かけて参りました。市川海老蔵と中村獅童の「六本木歌舞伎」というもので,演目は「地球投五郎宇宙荒事」。
市川海老蔵,目力もさることながら,声がいいですね。改めて思いました。何しろ市川團十郎家(成田屋)ですもの,荒事は得意でしょう。歌舞伎,日本の伝統芸能,いいですねえ。久しぶりでしたが,楽しませてもらいました。
話は変わりますが,もう暑くて暑くて,あんまり暑いものですから,先日カラオケの場で,やけくそで新曲を披露しました(笑)。「だまって俺について来い」という歌で(青島幸男作詞,萩原哲昌作曲),新曲とはいっても私がカラオケで初めて歌ったから「新曲」と言っただけで,これは昭和39年の歌です(笑)。そう,東京オリンピックが開催された年の歌なのですよ。ハナ肇とクレ-ジーキャッツで,メンバーの植木等が歌っておりました。
その当時は私も小学生でしたからこの歌のことは知りませんでしたが,後世になって知るところとなり(笑),何しろこの歌詞が好きなのです。この歌詞で展開された世界のいい加減さ・・・。これだけいい加減だとむしろあっぱれで,元気まで出てきてしまいます(笑)。この歌詞の1番だけは以前にもこのブログでご紹介しましたが,改めて3番までご紹介しましょう。
1番「ぜにのないやつぁ 俺んとこへこい 俺もないけど 心配すんな みろよ 青い空 白い雲 そのうちなんとかなるだろう(笑い声)」
2番「彼女のないやつぁ 俺んとこへこい 俺もないけど 心配すんな みろよ 波の果て 水平線 そのうちなんとかなるだろう(笑い声)」
3番「仕事のないやつぁ 俺んとこへこい 俺もないけど 心配すんな みろよ 燃えている あかね雲 そのうちなんとかなるだろう わかっとるね わかっとる わかっとる わかったら だまって俺について来い」