ますます爽やかな季節となりましたから,もうほぼ毎日徒歩通勤をしています。傍若無人でマナーを欠く自転車乗りには不愉快な思いをしつつ,私は通勤がてら朝の散歩を楽しんでいる訳です。
さて,先日,朝の出勤時に何かしら嫌なものを目にしてしまいました。そこはある製薬会社の入り口で,守衛さん(警備員)が入り口に立ち,出勤してくる社員に丁寧に挨拶とお辞儀をし,入り口のドアを開けてあげていたのですが,歳の頃まだ20代後半かせいぜい30歳前後の若い社員がすごく偉そうな態度で出勤して来まして,その守衛さん(警備員)の丁寧な挨拶とお辞儀に全く反応せず,会釈一つもできず,しかも入り口を開けてもらったにもかかわらず当然のようにふんぞり返って,その守衛さんに御礼一つも言いません。本当に困ったものです。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言いますね。稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように,人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり,小人物ほど尊大に振る舞うものだという例えです。要するに,人格者であるほど謙虚に振る舞うものなのです。さてさて,それにしても不愉快な若い社員でした。古くから,そして洋の東西を問わず,挨拶というものが厳然として存在し,続いてきました。それはやはり意味のある行為だからです。そのことも分からないようなバカ社員では会社がつぶれてしまうでしょう。あっ,余計なお世話か(笑)。
さて,安倍内閣の実績の凄さは目を瞠るものがあります。泰然自若とし,そして存在感のある積極的な外交。特定秘密保護法や安全保障関連法(集団的自衛権行使)の整備。いわゆるアベノミクスによるデフレ脱却の方向性・・などなど。明確なヴィジョンと愛国心を有しているからこそこれができるのです。あの「異民族に支配されていたかのような」おぞましい民主党政権とは大違いです。民主党!こういうのを本当の政治と言うのだ!(笑)。
まあ,安倍晋三という首相は余人を以て代え難い存在であり,任期と使命がある限り,もっともっと立派な仕事をしていってもらいたいと思います。全部が全部賛成できる政策という訳ではありませんが・・・(笑)。今回の安全保障関連法の整備については,世論調査によると国民に対する説明が足りなかったとの批判がありました。私に言わせれば,個々の国民が自分で勉強せよということになると思うのですが,確かにそういう批判には謙虚に耳を傾けなければならないでしょう。安倍晋三という首相がこれからさらに立派な仕事をしていくためにも,「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の精神でやっていって欲しいと思います。
「新選組紀行」(中村彰彦著,神長文夫写真,PHP文庫)という本を読み終えました。何故かしら新選組という存在に興味もありましてね(笑)。評論家の宮崎正弘さんが自分のブログ(サイト)の中で,新選組ゆかりの地をたどり,そして新選組そのものの勃興,最盛期,終末期を可能な限り史実に即して解説したものとしては「決定版」ではないかと勧めておられましたので,私も一読した次第です。
確かに,素晴らしい内容だったと思います。私自身も京都や福島(会津)へ実際に行き,新選組ゆかりの地を旅したことがありましたから,「ああ,そうだったなあ。」という感じで,合点のいった記述も多くありました。写真も多く掲載されています。
この本のブックカバーには,次のような記載がありました。
「数多くの映画やドラマ、小説になり、幕末激動の歴史を彩る『新選組』。しかし屈指の剣豪集団も、時代の流れには抗えなかった。本書は、新選組を描いて当代屈指の作家が、その結成から最盛期の活躍、やがて内部抗争を経て、時局の変転による敗退のすえに瓦解していく流れを、ゆかりの地を丹念に踏査して解説。新選組の全体像、時代のなかでの位置づけがよくわかる決定版。」とあります。
それにしても,新選組関係の書物を読みますと,やはり何か切なくなります。幕末動乱期にはもう既に鉄砲,大砲などの火器が主流であり,また時代の流れ(佐幕攘夷の方向ではなく尊皇攘夷,倒幕の方向)などからしますと,剣豪集団が次第に追い詰められていってしまうのであり,何とも切ないのでありますよ。
それでも新選組ファンは根強く世に存在します。著者の最終章での締めくくりの文章は,次のようなものでした。
「あれはいつのことだったか、私が別の用事で板橋に行ったついでにこの墓碑(新選組隊士供養塔のこと)を訪ねると、セーラー服姿の可愛らしい娘さんがその前を通りかかった。彼女はぴたりと歩みを止め、きちんと供養塔に一礼して去っていったものであった。小著が、私の記憶のなかにあるこの人のような新選組ファンの水先案内になってくれるとありがたい。」
さて,今回の安保関連法案審議等の一連の流れの中で,「野党が法案反対のために利用し続けたのが『憲法学者』,『デモ』,『印象操作』の3つだった。」との指摘がなされていましたが,最後に「印象操作」について述べてみたいと思います。
野党やデモ隊は,やたらに「戦争法案」だと論難しました。しかし,端的に言えば,今回の安保関連法の整備は,戦争をしないための抑止力をさらに備えるための法案提出であり,また立法行為だったのです。要するに日本の国益に裨益する存在なのです。
それにもかかわらず野党やデモ隊は,「戦争法案」という言葉を連呼しました。考えてみれば,今回の法案の内容を精査すれば分かるように,日本が集団的自衛権を行使するには,かなり厳しい条件が付けられております。安保関連法案では「日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求権が根底から覆される」場合と規定されているように,日本が直接攻撃を受けることと同程度の事態にならないと,集団的自衛権は行使できないようになっているのです。これは世界でも類を見ないほど厳しい条件です。だから,産経新聞も指摘しているように,アメリカがどこかで戦争を起こしても,日本の安全と関係がなければ自衛隊が撃って出ることはないのです。
また,「印象操作」の最たるものは「徴兵制復活」です。言うに困って笑わせてはいけません(笑)。安保関連法案は徴兵制とは無関係です。これまた産経新聞が指摘しているように,自衛隊にとっても徴兵制を導入することは意味がありません。最近ではハイテク兵器が主役で,これの操作には多くの教育訓練が必要で,徴兵したところでとても育成はできませんし,今回のデモ隊のように国防意識も愛国心もモチベーションも低い一部の国民を無理矢理徴兵したって,かえって足手まといです(笑)。ですから,アメリカやイギリスなど主要7か国(G7)はいずれも徴兵制ではなく自分の考えで軍隊に入隊する志願制を採用しており,徴兵制は国際的な潮流からも逆行しています。
前にもこのブログで触れましたが,数日前の産経新聞の記事の中に,今回の一連の流れの中で,「野党が法案反対のために利用し続けたのが『憲法学者』,『デモ』,『印象操作』の3つだった。」との指摘がなされていました。正にそのとおりです。
今日はその「デモ」について述べたいと思いますが,端的に言って,私は国会議事堂前で太鼓などを叩いて一つ覚えのことを連呼していた連中が「民意」の反映者だとは思っていません。現に世論調査では安保関連法の制定の必要性を感じている人が過半数を占めているのです。はっきり申しますと,国会議事堂前で「デモ」をやっている人たちは,コアなプロ市民かそれとも自己満足で悦に入っている平和ボケの人たちなんだろうと思います。
このたびの安保関連法の制定,実現については,安倍晋三首相も相当の覚悟で臨んだのでしょう。立派だったと思いますよ。さすがに私の尊敬する岸信介元首相のお孫さんです。
それにしても同じデモと言っても,昭和35年(1960年)の国会議事堂周辺のデモはそれはそれは凄まじかったようですね。約10万人が国会議事堂を取り巻き,混乱の中で死者まで出ました。岸信介元首相の南平台の自宅にもデモ隊が押し寄せ,乱暴狼藉をはたらきました。岸信介はその晩(新安保条約の自然成立),首相官邸で実弟の佐藤栄作と一緒に過ごし,死を覚悟したでしょう。
あるサイトで,月刊「正論」の元編集長であった上島嘉郎さんが述べているように,岸信介の凄いところは,彼が敢然として断行した日米安保条約の改定は,米国側に日本防衛の義務が盛り込まれていない旧条約の片務性を交渉の結果改めたところにあり,これが東西冷戦下での日本の安全を担保し続けたのです。岸信介は,自然成立のその晩,首相官邸で約1時間ほどプロ野球中継を観ました。球場は満員盛況だったのです。自分が信念として推し進めた安保条約の改定について,全国民が反対しているのではない,国民の「声なき声」に自分は耳を傾けているんだ,サイレント・マジョリティは自分を支持してくれていると確信していたのです。「デモ」には決して怯むことはなかったのです。
秋風がとても心地よい季節になってきました。これから冬に向かうことは分かっていても,私は一年中でこの季節が一番好きなのです。
さて,昨晩はナゴヤドームで巨人対中日戦を観てきました。何やら世間では巨人がセ・リーグの優勝争いをしているかのように言われていますが,とんでもないことでございます。今年の巨人は優勝争いどころか,もう秋風が吹いてしまっています(笑)。昨日の試合なんてそれはそれは正視に耐えない悲惨なものでありました。初回にヒットや失策,ワイルドピッチなどで5点を取られ,打線はといえば文字通り散発の3安打(笑)。
打率.239の長野が1番ですから出塁を期待することができず無安打,特に酷かったのが3番の坂本です。顔も横着そうですし(私は巨人ファンですがこの選手には好感が持てません),やる気のなさが体全体ににじみ出ています。他の選手も何とも精彩というものがない。打っても全力疾走しないんですから。
昨日のナイトゲームを観ていて思ったのは,3塁手のスタメン起用です。今のお粗末な巨人を象徴しています。年俸3億円をもらい,3年の複数年契約をしている村田選手は,既に国民の大半がご存じのように(笑),それに見合った仕事をしていません。昨日の試合は,この村田選手に代わって新人の岡本和真選手がスタメンで起用されていました。期待されているのかテレビ中継でも何かとクローズアップされているのですが,私はこの選手が内野ゴロを打ったところしか見たことがありません。要するに,ベテランの主力選手が年俸に見合った仕事ができていない一方で,その地位を襲うに足る有力な新人が獲得,育成できていないのです。
不満たらたらですね。読んでいて嫌になるでしょう(笑)。はっきり申しますと,私も長いこと生きておりますが(笑),これほど弱い巨人軍を見たことがないのです。史上最弱ではないでしょうか。これだけは言うまいと思っておりましたが,現コーチの誰一人として賢そうな人がおりません。たった一人でも,かつての牧野茂ヘッドコーチのような賢くて有能なコーチがいれば・・・。あのV9を達成した川上哲治監督をして「牧野がいなかったらV9は達成できなかった」と言わしめたのですから。
まあ,さはさりながら,やるのは選手ですからね。昨日のような全く生気のない,そして精気もない試合をしているようではダメなのです。悪いけど私は,昨日の試合を観ていて,少なくとも今年のこのチームは優勝には値しないと一人痛感しておりました。優勝してはいけないのです。本日のブログは,怒気を含んだ内容でいささか読むのが苦痛でしたね。申し訳ありません。どうしても怒れて怒れて仕方がなかったのです(笑)。
いよいよ安全保障関連法案は,17日の参議院の平和安全法制特別委員会で採決,可決されました。あとは参議院本会議での可決を待つのみです。安全保障上,とても大切な法案ですから粛々とやって欲しいと思います。
それにしても民主党の福山哲郎という議員は,与党の採決方法について「あんな暴力的な採決が可決になったら、わが国の民主主義は死ぬ。全くこんな暴力的なものはあり得ない」などと,寝とぼけたコメントを記者団に発していますが正に噴飯もののコメントです。虚心坦懐に映像等を見てご覧なさい,どう見たって暴力的なのはあなた方でしょうに(笑)。
民主党や共産党などといった議員は「審議が十分ではない」などと一応もっともらしいことを言っておりますが,彼らの頭の中には「否決」,「廃案」という結論が既にあるのです。いくら審議時間を確保してもムダなのですよ。今回の安全保障関連法案については,衆議院では約116時間,参議院でも約100時間,合計約216時間という異例とも言えるくらいの審議時間が確保されたのです。野党議員が正に「平和ボケ」というべき頓珍漢な質問ばかりして時間を費やしてしまったのだと思いますよ。
今朝の産経新聞の記事の中では,今回の一連の流れの中で,「野党が法案反対のために利用し続けたのが『憲法学者』,『デモ』,『印象操作』の3つだった。」との指摘がなされていましたが,私も正にそのとおりだと思います。産経新聞はとても良い仕事をしていますよ。実際,昨日(17日)の朝刊では,平和安全法制整備法案(現行の法律10本の改正案)の要旨を一括して掲載しています。新聞各社は,消費増税の際には新聞社発行の新聞購読にも「軽減税率を!」と要請していますが,朝日新聞をはじめとする反日・左翼新聞は論外として,産経新聞だけは認めたい(笑)。
さて,野党が利用した「憲法学者」について・・・。本当に困ったものです。京都大学名誉教授の佐伯啓思さん(この方は憲法学者ではありません。)が産経新聞の「正論」欄で正鵠を射た指摘をしておられましたが,多くの「憲法学者」の平和ボケは度し難いほどになっております。例の朝日新聞が憲法学者209人にアンケートを行ったそうですが,回答した122人のうち,安保関連法案が憲法違反だとする者は104人,違反にはあたらないとする者はわずかに2人だというのです。これに加えてビックリしたのは,同じアンケートでは自衛隊の合憲性も問われ,違憲とする者は50人,違憲にはあたらないとする者は28人だというのです。自衛隊を違憲だという者が倍近くに上るのです。また憲法改正に関しては賛成が6人,反対が99人だそうです(笑)。この方々は,一体全体,わが国が他国から侵略された時,どのようにして国を守ろうとしているのでしょうか。
まあ現在の日本国憲法自体が日本という国の防衛をがんじがらめにしているのですから,その意味では学者としての良心を示しているのでしょう。でも,学者である前に日本人であり,人間でしょうに。憲法学界がこんな体たらくになった理由について,その淵源をたどれば,GHQの公職追放によっていわゆる「敗戦利得者」が学界においても要職についてしまったことに行き着きます。昭和21年,GHQの公職追放令によって約20万人が公職から追放され,その空きポストには左翼的な官僚,大学教授,社会活動家が入り込みました。憲法学界においても,東京大学をはじめとする旧帝国大学などにもこういった「敗戦利得者」が入り込みました。特にこういった大学教授の場合,その教え子たちにはいわゆる自虐史観を刷り込み,中央や地方の公務員,メディア,学界,法曹界(裁判官,弁護士など)に次々に送り込みました。それで現在のような広汎かつ慢性的な「平和ボケ」があるのです。私も司法試験受験生でしたから,当然憲法も受験科目で,戦前,戦中,戦後と言っていることがコロコロ変わる宮沢俊義東大名誉教授の憲法教科書で勉強しました(笑)。
私の思想遍歴にも紆余曲折ありましたが,幸い今では,反日・左翼ではない真っ当な思想と,歴史観をもつことができました(笑)。
東日本の集中豪雨,特に鬼怒川の堤防決壊で被災された方々には,心からお見舞い申し上げます。家屋の倒壊や浸水,そしてまもなく収穫だったであろう稲穂が水に浸かって無残な姿になっている場面を見ますと,本当に悲しくなります。
さて,季節はというと過ごしやすくなりました。いつも毎年思うのですが,こういう季節になりますと,普段はバッハ一辺倒である私でもいろいろな音楽が聴きたくなります。毎年理由は分からないけどそうなってしまうのです。久しぶりにラフマニノフが聴きたくなったり,ブルックナーの重厚な音楽を聴きたくなったり・・・。そして今は,ドメニコ・スカルラッティのソナタ(チェンバロ作品)のCDを購入して聴きたいと思っています。中学生のころ,ヴラディーミル・ホロヴィッツがピアノで弾いているのを聴いて以来,何故かしら気になっていたのです。このソナタ群は独特の世界であり,良さをもっています。
あとは,9月13日に生まれたクララ・シューマンの作品も少し聴いてみたいなと思っております。夫であるロベルト・シューマンの作品は簡単にCDが手に入るのですが,果たして妻のクララの作品はどうなんでしょうか。でも寡作ではありますがクララが作曲した作品も魅力的なんだそうですよ。ピアノ独奏曲が多いようですけれど。
クララ・シューマンは9歳の時にあのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と競演してモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏したくらいであり,その天才性は世に知れ渡っていました。クララの演奏を聴いたショパンは,「僕の練習曲集を弾ける唯一のドイツ人女性だ」と絶賛していたくらいです。
また,クララ・シューマンとブラームスとの親交は有名です。ブラームスは,クララが没した翌年に,その後を追うように病没しています。ウィキペディアの記載によれば,ブラームスはクララの危篤の報を受け取り汽車に飛び乗ったが,間違えて各駅停車の列車に乗ったために遠回りとなり,結局クララの葬儀には立ち会えず,ボンにある夫ロベルト・シューマンの墓へ埋葬される直前にやっと間に合い,閉じられた棺を垣間見ただけだったようです。
いずれにしても,このクララ・シューマンという女性は聡明で才能があり,何よりもドイツ国民に愛されていたのでしょう。何しろ,ヨーロッパ共通通貨のユーロに統合される前のドイツマルク紙幣(100マルク札)にクララの肖像が使用されていたくらいですから。
昨夜は絶対に休肝日にしようと思っていたのですが,事務所を出て帰宅の途につく直前,プロ野球の速報を確認したら,7回までに巨人が阪神を4-1でリードしているではありませんか。すぐに決心が揺らぎ,コンビニでエビスビール2缶を購入し,我が家で晩酌と相成りました(笑)。しかし,今の巨人は打つ方も守る方も不安定です。本当にハラハラさせます。結局は5-4の辛勝でした。
巨人の試合をとても正視はできなかったため(笑),チャンネルを変えたりしていましたら,NHKのBSで「浮世絵ツアー江戸の四季めぐり 夏の巻」という番組に出くわしました。これが本当に面白い番組で,つくづく江戸の文化,ひいてはこの日本文明の素晴らしさについて感じ入りました。文明というと大げさなようですが,日本には確かに独自の文化,伝統,人情,美意識というものがあります。やはり日本文明は,サミュエル・P・ハンティントンも述べているように,日本一国のみで成立する全く独自の文明なのです。渡辺京二さんが書き表した「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)の世界なのです。これは名著ですよ。くどいようですが,江戸時代の庶民の文化は誠に素晴らしい。この番組ではいろいろなものを紹介していましたが,「線香花火」の儚げな美しさについて触れていました。
もともとはこの花火は公家が花火を香炉に立てる形で楽しんでいたのですが,その姿が仏壇の線香に似ているものですから,「線香花火」という名称になったのです。今では手で持って楽しみます。
線香花火には,火を付けてから儚く終わるまで4つの過程があります。第1段階は「牡丹」と呼ばれ,先に「玉」ができます。人生で言えば幼年期でしょう。第2段階は「松葉」と呼ばれ,玉が激しく火花を発します。人生で言えば青壮年期でしょう。第3段階は「柳」と呼ばれ,火花が低調になりますが,これがしだれ柳のようにしなやかで風情があります。人生で言えば熟年期(私もこれに属するようです。)でしょう。そして第4段階は「散り菊」と呼ばれ,最期は赤い玉がぽとりと落ちます。本当に線香花火は素晴らしく,儚く,とても美しい。
潘基文という国連の事務総長が,今年9月3日に北京で行われた中国のグロテスクな「抗日戦争勝利70年」記念式典と軍事パレードに出席しましたね。非常に見苦しかったと思います。このような行事への出席に関しては,国際社会からはあれほど国連の中立性の観点から批判があったにもかかわらず強行し,その挙げ句には「国連は中立的な機関ではない」などとコメントして開き直っています。恬として恥じないとはこのことです。後に述べる国連での自国民の縁故的登用の実態などからしますと,端的に言えばこの潘基文という人物は国連事務総長である前にまず韓国人であったということに尽きます。
以下に述べることは,ウィキペディアにも明確に記載されていることですが,まずアメリカの「ニューズ・ウィーク」誌は,「潘基文事務総長の無能ぶりは際だっている」と批判し,潘は大きな失敗を犯したわけではないが,核問題や移民問題にも関心を示さず,「世界中で名誉学位を収集して歩き、見事なまでに何も記憶に残らない声明を発表し、事務総長として影響力を発揮できたかもしれない貴重な機会を無駄にすることに費やしている」と批判しています。また,アメリカの「フォーリン・ポリシー」誌は,潘は歴代事務総長の中でも特に指導力や存在感を欠き,「国連を無意味な組織にした」と批判し,イギリスの「エコノミスト」誌は,潘の管理・調整能力不足を批判し,潘自身が最重要課題に挙げた地球温暖化問題も含め潘には大きな実績はなく,欧米諸国の信頼を失っているとしました。
この人物は事務総長に就任して以来,自国(韓国)のスタッフを国連内で特に重用し,縁故登用や私物化も指摘されています。これに対してこの人物は,それまで韓国が国連分担金を負担してきた金額に比して韓国人の人材登用が少なかったからだなどと弁解していますが,これはとても滑稽なことです。なぜなら,韓国は,国連分担金のうち,10個国際機関分担金1100億ウォン(1億1600万USドル)を滞納しており,これは未だに完済はされていません。
また2007年10月4日の「国連の日」では,毎年この日に恒例行事として国連本部で行われる事務総長主催のコンサートが開催されるのですが,同年に喜び勇んで就任したこの人は臆面もなく「韓国」を前面に出してしまいます。招聘した楽団は当然のようにソウル・フィルハーモニー管弦楽団でした。しかもこの日のコンサート会場では,韓国国連代表が作成した「Welcome to KOREA」と題された英文のパンフレットが式次第とともに配られたのですが,そこには日本海を「東海」として表記していました(笑)。国連は2004年3月,日本海が標準的な地名であることを認め,国連公式文書では標準的な地名として使用しなければならないという方針を公式に打ち出しているにもかかわらずです。
何よりも,私が首を傾げてしまい,そしてこの人物が恥知らずだなと思ったのは,「抗日戦争勝利70年」軍事パレードにおいて,自分が「国連事務総長」としての立場で出席しているにもかかわらず,その場には何と国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が出ているスーダン大統領のバシルも同席していたのです。ダルフール紛争をめぐる戦争犯罪などに問われたバシルに対し,逮捕状執行に向けた手続をとるよう,加盟国に要請していたのは他でもない潘基文自身です。この人物は6月にバシルが南アフリカ入りしたときも「ICCの決定は実行されなければいけない」と述べ,南アに逮捕状執行に向けた手続を取るように促してもいます(以上,産経新聞)。その相手と同じ場所で涼しい顔して同席している神経が私にはわからないのです(笑)。
ついに「その5」となってしまいました(笑)。でもこのシリーズはこれで終わりにします。「おい,いつまでやってるんだ。」というご忠告もいただきましたので・・・(笑)。
アメリカなど海外で生活している日本人の青少年は,中国や韓国で暮らす中国人や韓国人の青少年に「歴史問題」をふっかけられて,いじめられているという話をよく聞きます。そういう話を聞くたびに私はとても残念に思います。彼らがふっかける「歴史問題」は事実(ファクト)に基づかないプロパガンダに過ぎないのに,日本人の青少年はこれに反論することができないでいるのです。
彼らには日本の歴史,特に近現代史をよく学んで欲しいと思います。その意味では,第二次安倍内閣の下で,歴史科目の中で近現代史をもう少し充実させるという方針はとても良いことだと思います。あくまでも事実(ファクト)に基づき,そして日本の立場で近現代史を十分に学んで欲しいと思います。そうでなければ自分の国に自信と誇りが持てないですからね。私は日本国が大好きですから,自分なりに関心をもって近現代史をむさぼるように学んだつもりです。その結果,ますます日本国が好きになりました。
GHQが日本人に贖罪意識を強固に植え付けるために徹底したWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)は残念ながら今でも生きていると思います。朝日新聞などをはじめとする反日左翼のマスメディアは今でも「閉された言語空間」(江藤淳)の中にいます。GHQの肝いりで作られた日教組も,次代を担う青少年に対し,特に歴史問題では自虐的で反日的な内容の教育を施そうとしています。そういった教育を受けた者のなれの果てが民主党の岡田克也みたいな人なのです(笑)。
長くなりますので,もうこれぐらいにしておきますが,このブログの読者の皆様には,私のこのブログのうち平成26年12月9日に書いた「『たこつぼ』から出でよ!」というタイトルの記事を読んでいただければと思います。戦後70年の節目に私としてももっともっといろいろなことを書きたいのですが,取り敢えずは短いながらもその記事を読んでください。
最後に,私が初めてその一節を目にした時には思わず目頭が熱くなり,その時からずっと私の頭の中に残っている言葉を再度このブログでご紹介します。その言葉の主は,タイ王国の元首相(第18代)のククリット・プラーモートという人です。そしてもちろん,十二月八日は大東亜戦争が開始された日です。
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大な決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」