またまたとりとめのない話をいたします。確か,私が小学校高学年の頃,父は全部で20数巻もある百科事典を買ってくれたことがありました。私が頼んだ訳でもなく,父としては自分の興味からか,あるいはこういうものが一家にワンセットあっても良いだろうという単純な発想からか,それとも子ども達への教育の一環としてなのかは分かりません。でも私は,暇な時には何気なくこの百科事典をパラパラとめくって,結構楽しい時を過ごしていた記憶があります。
この頃はショパンの音楽が大変好きで,この百科事典でも「ポーランド」の箇所をよく読んだりしていました。その「ポーランド」の箇所には,「ポーランド映画」について触れた部分があり,「尼僧ヨアンナ」とか「灰とダイヤモンド」などの映画が画像入りで紹介されていました。何しろショパンが好きだったものですから,ポーランドにもその芸術にも関心があり,大きくなったらポーランド映画も観てみたいなと思いつつ,「灰とダイヤモンド」のマチェクの勇姿の写った写真などを眺めていたものです。
もちろん「灰とダイヤモンド」はポーランド映画の巨匠であるアンジェイ・ワイダ監督の初期の傑作で,私は20代後半の時期に初めて観ました。それ以来,ワイダ監督の作品に惹かれ,「約束の土地」,「大理石の男」,「ダントン」,「ドイツの恋」,「コルチャック先生」などを観ました。その個々の作品を鑑賞した後に残る感動もさることながら,何と表現したら良いのかな,時には息苦しくなるような圧倒的な何かを感じるのです。上手く表現はできませんが・・・。
そのワイダ監督も去る10月9日,90歳で亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。感動をありがとうございました。
ワイダ監督は親日家としても知られ,私が愛読している(笑)産経新聞の10月12日の「産経抄」には「ワイダ監督の奇跡」と題する記事が掲載されていました。それによると,ワイダ監督は,18歳の時(1944年)に初めて接した葛飾北斎や喜多川歌麿の浮世絵に感動し,「自分でも何かを表現したいという強い衝動にかられ」,その言葉通りに戦後は美術学校に通い,映画の世界に身を転じたのです。要するに,「地下水道」や「灰とダイヤモンド」など映画史に数々の名作を残したこの巨匠の原点は,浮世絵にあったのです。
昭和62年に「京都賞」を受賞したワイダ監督は,4500万円の賞金をそのままつぎ込み,ポーランド南部の古都クラクフにある「日本美術・技術センター」を設立したのです。このセンターには7000点を超える日本の美術品が所蔵され,平成14年にポーランドを訪問された天皇,皇后両陛下はこの「日本美術・技術センター」にも立ち寄られました。
「天皇陛下が、私の最近の作品をご存じだった。」この時に案内役を務めたワイダ監督は記者会見で,そのようにうれしそうに語っていたそうです。
ワイダ監督作品,傑作の数々をもう一度観てみたいのですが,一番最初に観てみたいのは「約束の土地」ですね。
本を読んでいて思わず笑ってしまうということはたまにあるのですが,噴き出してしまうほど爆笑したという経験はそんなにはありません。でも,一昨日実際にそういうことがありました(笑)。
「表現者」(発行所:MXエンターテインメント,編集:西部邁事務所)という雑誌は隔月刊なのですが,私は愛読していますし,この本は部数はそれほど多くはないのですが一般書店でも手に入ります。いつ読んでもためになる記事が多いと思います。この雑誌の「表現者」という書名のすぐ上には「『保守』の本質に立つオピニオン誌」というキャッチフレーズがあります。一度お読みいただければこの本の良さが分かります(笑)。
リオデジャネイロ・オリンピックに熱狂していたころ,中国は,日本固有の領土である尖閣諸島周辺の海域に,20隻以上の中国公船とともに400隻以上の中国漁船を繰り出しています。中国漁船といえども,その中には訓練を受けた多数の海上民兵が乗り込んでいます。また,最近では中国の船舶の領海侵犯が半ば常態化するという由々しき事態に立ち至っており,日本の領海,島嶼の安全保障は本当に大丈夫なのでしょうか。自分の国を自分で守ろうともしない日本人のために,アメリカは本当に命をかけて守ってくれると本気で思っているのでしょうか。
さて,本を読んでいて思わず噴き出しそうになったというのは,一昨日,「表現者」第68号(平成28年9月1日発行)の中の伊藤貫さんと西部邁さんの対談記事に出くわした時です(笑)。思わず噴き出してしまった対談内容というのは,次の箇所です(同書90~91頁)。
西 部「日本にだけは核を持たせたくないというのは、アメリカへの報復を恐れてとか、そんなバカげたことではなく、日本が核を持たない限りは、アメリカに付き従うだろう、アメリカに助けを求めるだろうと。そればかりでなく単に軍事問題のみならず経済的にも政治的にも、日本はアメリカの属国であることに甘んじるであろうということですよね。自分たちの核の傘、それもかなり敗れ傘になってはいますが、日本は核がない限り、アメリカさま、アメリカさまと頼りにするだろうと。そういう意味では、teritory、つまり選挙権のない準州、日本をteritoryにしておきたい、そのために日本には核を持たすなという計算なんでしょうね。」
伊 藤「その通りです。その考えが最も明瞭に説明されていたのが、ソ連崩壊直後の一九九二年二月に作られたDefense Planning Guidanceという機密文書です。そこには、ロシアと中国がアメリカと競争できるライバル国になることを阻止すると書いてある。その次に重要なのが、EUが独立した国際政治の極になることを阻止する、特にドイツを真の独立国にしないということ。そして、日本には自主防衛能力を持たせない、永遠に米国の保護領にしておくと説明してある。彼らが構想した対日支配戦略とは、日本をアメリカに依存せざるをえない外交・軍事体制に組み込んでおき、日本経済を、アメリカの金融業者や資本家がたっぷり金儲けできるように構造改革していこうというものです。日本の経済を利用して米企業と投資家が金儲けをし、しかも日本の自衛隊を米軍の補助部隊として使えるようにはするけれども、日本が独立できるような能力は持たせないということです。だから中国と北朝鮮が日本をターゲットにした核弾頭を何百発・何千発持とうが、日本人にだけは核抑止力を持たせない。これって、明らかに不正で不道徳な政策です。そういう対日支配戦略があるから、オバマがわざとらしく広島に来て、日本国民に対して『世界から核兵器をなくすために一緒に努力しましょう』などとお説教するわけです。僕がすごく不思議だったのは、英語で言うとmanipulation、狡猾に操作するという意味ですが、ここまでmanipulateされても気がつかないんですね、日本人は。一体、どういうことになっているんだろう。
西 部「猿なんじゃないですか(苦笑)。」
こういう訳です。西部邁さんも真に憂国の思いの発露として,こういった表現をされたのだと思いますよ。思わず噴き出しましたが,腑に落ちた件ではありました。
基礎研究ということがよく言われるのですが,そもそも「基礎研究」とは何なのでしょうか。どうやら基礎研究とは,特別な応用,用途を直接に考慮することなく,仮説や理論を形成するため,または現象や観察可能な事実に関して新しい知識を得るために行われる理論的または実験的研究を意味するようです。要するに,すぐに商業的な利益を生み出すことを意図してはおらず,純粋な知識欲や好奇心の発露としての研究ということなのでしょう。
このたびの大隅良典教授(東京工業大学栄誉教授)のノーベル医学・生理学賞の受賞は本当に素晴らしいと思います。自然科学分野の日本人受賞者は3年連続です。これもすごいことです。やはり日本人として誇らしい気持ちになります。新聞報道によりますと,大隅教授の受賞に寄せられた他の研究者のコメントでは,やはり基礎研究の重要性に口々に言及されています。また,私が愛読する(笑),産経新聞の先日の「産経抄」には,大隅教授のこのたびの受賞,そして基礎研究の重要性について,次のように記載されていました。
「東大理学部の助手時代に取り組んだ、細胞内の浸透圧調整や老廃物の貯蔵・分解を担う『液胞』は、細胞のごみため程度にしか思われていなかった。『人のやらないことをやる』研究姿勢を続けた結果が、細胞の自食作用『オートファージ』の解明である」
役に立つ科学ばかりをもてはやす世の風潮というものがありますが,基礎研究の地道な継続は非常に重要です。ところで,我が日本国にはなにやら民進党という政党があるようで,同じ名前の政党が台湾にもあったような気がしますが,その代表になった蓮舫という人は,鬼の首をとったような例のヒステリックな物腰で自由民主党政権,特に稲田防衛大臣に食ってかかっております(笑)。そういえば,あの思い出すのもおぞましい暗黒時代と言われた民主党政権は,ショー化された「事業仕分け」会場で「役に立たない」科学分野の予算を削減しまくっておりましたね。この蓮舫という人も,スーパーコンピュータ開発予算について「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか」などと訳の分からないことを言っていました。今ではおぞましくも懐かしい思い出です(笑)。