土曜日の夜は,うちのカミさんも娘も共に外出で,私は一人寂しく自宅でテレビを観ながらお気に入りの手製のつまみで晩酌しておりました。もちろんお酒は美味かったのですが,何しろ私のこの徒然を慰めてくれるテレビ番組の無さには本当に閉口しました。地デジ,BSの各チャンネルを何度回してみても私を満足させる番組が全くなかったのです(笑)。
ところが,悄然とした私の目に飛び込んできたのは,BS12で放送されていた「レスラー」(2008年公開)という映画でした。最初はあまり観たいとは思わない映画だなと一旦はやり過ごしたのですが,私を満足させてくれる番組があまりにもないので,再びチャンネルを合わせました。するとどうでしょう,主演のミッキー・ロークの演技とストーリー,映画の出来の良さで思わず引き込まれていきました。私はテレビで宣伝しているような派手な映画,例えばCGなどを使用したものなどは一切観ないし,いわゆるアート系の映画を好んでおりますので,昔からヨーロッパの映画をよく観ていました。でも,この「レスラ-」という米国映画は素晴らしく,すごく切なく,感動しました。そのあらすじは私などが説明するよりも,ウィキペディアの記事を以下に引用しておきましょう。
「1980年代に人気レスラーだったランディだが、二十数年経った現在はスーパーでアルバイトをしながら辛うじてプロレスを続け、想いを寄せるキャシディに会うためにストリップクラブを訪ねる孤独な日々を送っている。ある日、往年の名勝負と言われたジ・アヤトラー戦の20周年記念試合が決定する。メジャー団体への復帰チャンスと意気揚がるランディだったが、長年のステロイド剤使用が祟り心臓発作を起こし倒れてしまう。現役続行を断念したランディは、長年疎遠であった一人娘のステファニーとの関係を修復し、新しい人生を始める決意をするが、バーで出会った女とセックスとコカインにふけったせいで食事の約束を寝過ごしてしまい、ステファニーに絶縁されてしまう。スーパーの肉売り場で働き始めたランディであったが、元プロレスラーであることに気付いた客の一人に動揺させられ、スライサーで手を怪我する。やけになったランディは仕事をやめてしまう。家族と仕事を失ったランディは、アヤトラー戦でレスラーに復帰することを決意する。会場にはランディの体を心配してキャシディが駆けつけたが、リングの中だけが俺の世界だと制止を振り切ってリングに上がる。試合中に体調が悪化したランディを気遣ってアヤトラーはピンフォールするように耳元で囁くが、ランディはそれを無視して必殺技の「ラム・ジャム」をファンに披露するためにリングコーナーによじ登り、飛び降りる。」
すごく切ない映画です。長年疎遠にしていた一人娘に手ひどく拒絶・絶縁され,想いを寄せていたキャシディからは一線は越えられないと体よく拒絶され,そして自分の過去の栄光と現在の病身の自分との落差,ミッキー・ロークの演技は秀逸です。映画自体,ヴェネツィア国際映画祭で最高賞である金獅子賞に輝いただけのことはあります。本当に切ない映画です。ミッキー・ローク自身もかつては「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」,「ナインハーフ」,「エンゼル・ハート」などの話題作で主演を務めた名優ですが,その後プロボクサーに転身し,再び俳優業に戻り,私生活でもいくつかのスキャンダルがあって,本当の彼(ローク)の人生に重なり合う部分もあります。
ラストシーンはリングコーナーから飛び降りたところであり,その結果については観客の想像力に任せる設定となっています。心臓のバイパス手術をしているのですから,無事で済むはずはありません。でも,自らの身は顧みず,キャシディの制止を振り切ってリングに上がろうとする際にランディがキャシディに述べたセリフが今も頭の中に残っております。「俺にとって痛いのは外の現実の方だ。もう誰もいない。ほら、あそこが俺の居場所だ。行くよ。」
それと,このセリフの後,彼がリングに上がろうとする際の音楽がまた素晴らしい。ガンズ・アンド・ローゼズの「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」なのです。泣けてきます。
大変良い季節になってきましたね。今頃は二十四節気の第三である「啓蟄」の時期です。冬ごもりをしていた虫たちが穴から這い出て来るような,少し暖かさが感じられる季節です。昨日も仕事で,事務所まではいつものように散歩がてら歩いて行ったのですが,顔を撫でる風も少し暖かくなってきました。今の季節は「水温む」という季語がぴったりです。
さて,前回のこのブログの標題が「あんパン(その1)」でしたから,当然今回は「あんパン(その2)」ということになります(笑)。アニメのアンパンマンに出て来るキャラクターは,主人公のアンパンマンは勿論のこと,どの登場人物もとても可愛らしく,見ていて癒やされます。ところが,経済評論家の三橋貴明さんは,もうすぐ「アンパンマン」が禁止用語になり,「アンパンパーソン」と呼ばれることになるだろうと,冗談半分で述べております。
ポリティカル・コレクトネスというのは,日本語では「政治的に正しい言葉遣い」と呼ばれ,これは要するに,政治的・社会的に公正・公平・中立的で,なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで,職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指します。
そういった趣旨そのものは私も理解はできるのですが,ポリティカル・コレクトネスというものが行き過ぎると,いわゆる言葉狩りが横行し,窮屈で過ごしにくくなるのではないかと危惧しております。昔は保母さんとよばれていて暖かみを感じる言葉だったのですが,今は「保育士」と呼ばなければなりません。男性もこの職業についているからだそうです。私が「オギャー」と産声を上げたときに取り上げてくれたのは間違いなく産婆さん,助産婦さんだったのですが,今は「助産師」と呼ばなければならないのです(笑)。ビジネスマンは「ビジネスパーソン」と呼ばなければならず,スチュワーデスさんは今では「キャビンアテンダント」などと呼ばれています。重要で要になる人物は昔はキーマンと呼ばれていましたが,今では「キーパーソン」と呼ぶべきだとされるのです。なぜなら,要になる人物は男性とは限らないから・・・。
さらに,私が学生時代に英語を習ったころは,英語の敬称において,男性を指す「Mr.」が未婚・既婚を問わないのに対し,女性の場合は「Miss」(未婚),「Mrs.」(既婚)と表記上の区別をしていたと思うのですが,今ではそれは女性差別だということで未婚・既婚を問わない「Ms.」と表記しなければならないのです。アメリカは移民の国,他民族国家であり,このポリティカル・コレクトネスが行き過ぎた結果,メリークリスマスは特定の宗教用語だとして,今では「ハッピー・ホリデイ」に言い換えられ,ペットというのは差別だとして,「コンパニオン・アニマル」と呼ばなければならないそうです(笑)。どう考えても行き過ぎでしょう。日本でも次第にこうなっていくのだとしたら,窮屈で仕方ありません。
ただ,三橋貴明さんがアンパンマンは禁止用語になり,これからは「アンパンパーソン」と呼ばなければならなくなると半分冗談で言っているのですが,それはウルトラマンやスーパーマンなどの固有名詞までは言い換えたりはしないというルールもあるからです。ですから,あの愛すべきアンパンマンは,これからもアンパンマンなのです(笑)。そしてカレーパンマンも,しょくぱんまんも,ばいきんまんも・・・。また三橋さんは,このポリティカル・コレクトネスというものは,差別等を排斥するということだけが目的ではなく,実は左翼勢力に政治利用されてきた,そしてこれからも政治利用される危険性があるということも指摘しておられます。気をつけなければなりません。