私のカミさんの友人女性が,かつてヨハン・セバスティアン・バッハの終焉の地であるライプツィヒに旅行されたのですが,その女性からお土産としていただいたCDがあります。そのCDは,バッハの作品の中でも様々なジャンルの名曲を選りすぐったものであり,先日久しぶりに聴きましたが,やはりバッハは素晴らしい。いつも私に感動を与えてくれます。
そのCDを聴いていた時,特に心にしみたのが平均律クラヴィーア曲集第1巻の第22番のプレリュードとフーガです(変ロ短調,BWV867)。あんまり感動したものですから,何度も繰り返して聴いてしまいました。このCDではこの一対のプレリュードとフーガが何とオルガンで演奏されていました。平均律クラヴィーア曲集というのはオルガンで演奏されたものを聴くのもなかなかのものです。違った感動があります。
この曲にとても感動したものですから,今日,マウリツィオ・ポリーニのピアノ演奏(CD)で改めて聴いてみました。やはり素晴らしい演奏であり,素晴らしい曲です。この変ロ短調の一対のプレリュードとフーガに関する音楽評論家歌崎和彦さんの楽曲解説は次のようになっております。
「厳粛な宗教的な雰囲気にみたされた前奏曲(4分の4拍子)で、バスのオスティナート風の8分音符と、その上に奏される旋律は、どこか葬送行進曲を思わせる。フーガ(4分の4拍子)は、この曲集の中で第4番以来となる5声のフーガで、簡素なコラール風の主題から紡ぎ出されるすばらしくゆたかな音楽は、前奏曲と同じく宗教的な気分にみちている。」
特にプレリュードの方は心にしみ入りました。トン・コープマンはバッハのことを「音楽史上最高の存在だ。」と述べていましたが,私もつくずくそう思います。理屈抜きで感動してしまうのです。私としては,バッハの最高傑作は何かと問われたら,迷わず「マタイ受難曲」を挙げるのですが,こういった平均律クラヴィーア曲集第1巻の第22番のプレリュードとフーガ(変ロ短調,BWV867)なんかを聴いていますと,やはりバッハの作品群は名曲の宝庫と言うべきでしょう。なお,バッハと同時代に生きたヨハン・マッテゾンという作曲家は調性格論でも有名ですが,マッテゾンの著作には,変ロ短調の調性格には記述,言及がありません。彼は変ロ短調の調性格についてはどのように考えていたのか興味はあります。この22番のプレリュードの方はテクニック的にもそれほど難易度は高くないような気はしますが,何しろ変ロ短調,フラット(♭)が5つも付いていますから,試すには気が引けます。
いずれにしても,7月28日は心からその音楽を愛しているバッハの命日なのであります。今晩もバッハをしんみりと聴いて,しんみりとお酒を飲みたいと思います。
最近私,バジルソースというものにはまっております(笑)。これは特に夏場の,冷製のメニューによく合いますね。
例えば,あるコンビニで売っているトマト,生ハム,チーズにバジルソースを絡めたサンドウィッチは素晴らしい。最近ではほぼ毎日のランチにと言っていいほど食べております。それに先日ゴルフの昼休みにクラブハウスで食べたトマトスライスにバジルソースをかけたものが大変美味でした。おかげさまでスコアも良かったのです(笑)。さらには,最近食した冷製パスタ(細麺)のバジルソースはこれまた絶品でございました。
さてさて,それはそれとして,先日顧問先のご招待で豊田スタジアムでサッカー観戦をいたしました。大変良い席を確保していただき,おまけに飲食物を堪能できるコーナーもありました。本当にありがたいことです。
今季初めてJ2に降格となっている名古屋グランパスのこの日の対戦相手は徳島ヴォルティスでした。顧問先の誠にありがたいご配慮で特等席で観戦できたにもかかわらず,そしてビールは美味しかったのに,試合内容は誠に残念なものでした(泣)。0-2のスコアであり,これでグランパスはJ2の順位表で7位になってしまいました。
感じたことをいくつか列挙しますと,まず第1にチェック,プレスが甘く,相手選手に好きなようにプレーさせているのはいただけない。相手選手のパスミスを誘うほどに厳しいチェックをし,プレスをかけるべきでしょう。
第2に,風間監督の方針はパスを繋いでボールを保持していくものであったと思うのですが,パスが繋がらず,中盤を支配できているとは到底言いがたい状況でありました。
第3に,これは痛感したことですが,ストライカー,ゴーラーといえる選手が不在です。ただでさえ少ない決定機なのにもかかわらず(笑),その少ない決定機に決められないのです。
第4に,夏場の酷なコンディションではあったのですが,攻守の切り替えが遅く,相手ディフェンダーが慌てるような速攻,最終ラインの裏を衝くような鋭いパス,有効なサイドチェンジ,両サイドバックの攻め上がり,ゴール前のポストプレーなどがほとんど見られませんでした。
素人がよくもまあ,これほどの言いたい放題をするものです(笑)。でもね,観戦していて暗い気持ちになったのですよ。そんな中でも,サポーターというのは有り難いものですね。試合内容が悪くても,そして劣勢が続き,終了時間が刻一刻と迫っている中にあっても一生懸命に応援してくれています。偉いと思います。
さて,まとめに入りましょう。よほど劇的な変化がない限り,恐らくは名古屋グランパスは来季J1に昇格することは無理でしょう。天皇杯を2度制覇した時や,J1でリーグ優勝を果たした時に比べて,誠に失礼ながら選手の質が低下しています。これは明らかです。世界に冠たるトヨタ自動車株式会社をはじめとする有力なスポンサーが付いているのですから,本気でJ1に昇格したいのならば,監督やコーチを含め,大型補強をしなければならないと痛感した次第です。
先日,仕事場から次の仕事場へ,自分の車で移動していました時,ラジオからリヒテルが演奏するベートヴェンのピアノソナタ「熱情」の第3楽章が流れていました。リヒテルとは,もちろん20世紀を代表する巨匠的な名ピアニスト,スヴャトスラフ・リヒテルのことです。同じくロシアの名ピアニストであったエミール・ギレリスがアメリカに演奏旅行に行った際,その素晴らしい演奏を聴いていた学生がギレリスのことを世界一だと述べた時,ギレリスが「そのように判断する前に,リヒテルの演奏を聴いてみることをお薦めする。」と語った話は有名です。
リヒテルの評価の高さは言うまでもありませんが,ただその時に流れていたリヒテルの演奏には少し違和感を覚えました。どうやら1960年秋のライブ録音だったようですが,確かにテクニックには非の打ち所がありませんが,やたらにテンポが速く,まるで機械仕掛けのピアノのようで,何かしら急かされるようで聴いていて落ち着かないのです。
変だな,リヒテルってこんなに落ち着きのない演奏をする人だったかなと首を捻っておりますと,次に流れたのは,やはり同じ「熱情」の第3楽章ですが,リヒテルが70歳を超えた頃の演奏,録音だったのです。そうです,正にこういった演奏こそが私が安心できる,そして感動する演奏です。ゆったりとしたテンポをはじめ,全ての面でさきほどの1960年秋の機械仕掛けのような演奏とは違っており,情感豊かな深い味わいのある演奏でした。
本日のブログのタイトルは「聴き比べ」ですが,同じ演奏家の同じ曲の聴き比べのことを意味します。今も思い出すのですが,私が大学を卒業して社会人1年生になった時の確か10月にグレン・グールドが急逝しました。大変驚きましたが,その前年,老境にあったグールドはバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の再録音をしました。これがまた素晴らしい演奏です。
実はグールドは,同じ「ゴルトベルク変奏曲」を22歳の時に録音しています。彼が22歳でアメリカ公演においてこの曲を演奏した時,その斬新さと素晴らしさで大絶賛を浴びました。私は,1981年(老境といってもまだ49歳)の録音と1955年(22歳)の録音がセットになっているCDを持っていますが,同じグールドの演奏で聴き比べることができます。やはり,私はゆったりしたテンポの1981年の録音の方が圧倒的に好きです。1955年の録音はやはりテンポが速すぎて急かされるようで,情趣深さに欠けるきらいがあります。
若い時は才気煥発という感じが前面に出ていますが,老いてからの演奏は,枯淡といいますか,達観といいますか,それでいて情感深く,心にしみ入る感動があります。リヒテルもグールドも・・・。