私の法律事務所のすぐ近くにあるその和菓子屋さんの店主は,残念ながらやはり鬼籍に入られたようです。前にこのブログでお話した挨拶文がシャッターから外されていたのですが,インターホンのすぐ近くをよく見ますと,手書きのメッセージが貼ってありました。弔問や香典等を辞退させていただく旨の,ご遺族のこれまた誠に丁寧なメッセージでした。
願わくばもう一度店主がご病気から再起されて,私もあの和菓子を味わいたいと思っていたのですが,今ではそれも叶わぬこととなってしまいました。こんなことならば,もっともっとあのみたらし団子,桜餅,柏餅,よもぎ餅,三色団子,若鮎,おはぎなどを味わっておけばよかったと思います。
思えば,今年の春頃でしたか,私がその誠実そうな店主に「若鮎はありますか。」と尋ねたら,若鮎というお菓子は夏にしか作りませんとのお答えでした。その時はおはぎと桜餅などを買って帰ったと思います。それがその店主と交わした最後の言葉になりました。ご冥福をお祈り致します。合掌。
そんな訳で,そのことが分かった晩にはバッハの教会カンタータ第106番「神の時こそいと良き時」をしみじみと聴きました。「神の時」というのはお迎えが来る時,すなわち死の時を意味します。このカンタータは葬送,追悼の時に演奏されるようにバッハが作ったものであり,ウィキペディアなどによりますと,当時の死生観を反映した作品として,草創期の素朴な作品として重視する愛好家も多く非常に人気の高いカンタータです。私自身もバッハの作品の中でも特に好きな曲です。旋律の美しさは勿論ですが,「神にあって死すべき時に我らは死ぬ。しかるべき時に。」という歌詞も身にしみます。
それにしても人の命は儚いもので,無常を感じます。徒然草の第155段の記述を思わず思い出しました。
「死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遙かなれども、磯より潮の満つるが如し。」