2月22日は私たち夫婦の結婚記念日でしたので,夜は自宅でカミさんと一緒に寿司でもつまみながら一杯やって歓談し,私は殊勝にもカミさんの長年の苦労を労ったりしておりました。
ところが,ネットのニュースで,同じ22日に音楽評論家の礒山雅さんの訃報に接しました。驚愕するとともに,バッハの音楽をこよなく愛する私としては大きな喪失感に襲われました。礒山雅さんといえば,知る人ぞ知るバッハ研究の泰斗です。いつの日かその謦咳に接したいと思っていた方でした。非常に残念です。
私がバッハにのめり込むようになったのは大学生の時で,バッハ関連の書物やその他音楽関係の雑誌などもよく読んでおりましたから,その当時だって評論家の礒山雅さんの評論記事等に接していたとは思うのですが,礒山さんの著作(書籍)を手にした一番最初は,私が司法修習生で翌年に弁護士登録を迎えようとしていた冬のことだったと思います。それは「マタイ受難曲」(礒山雅著,東京書籍)という本です。もうその頃は,私は「マタイ受難曲」の虜になっており,これこそがバッハの最高傑作だと確信していましたから,偶然に東京の書店でこの本を見つけた時は「やった!」と思いました。
爾来,この本を何度読み返したことか分かりません。白っぽいカバーが手垢で変色し,一部すり切れております。本当に素晴らしい本です。「はじめに」の箇所には次のような記述があります(同書18頁)。
「ともあれ、以来四半世紀にわたって、《マタイ受難曲》と付き合ってきた。《ロ短調ミサ曲》の方が上と言う人もいるが、私は、構想の雄大さと親しみやすさ、人間的な問題意識の鋭さにおいて、《マタイ受難曲》こそバッハの最高傑作であると思っている。この作品には、罪を、死を、犠牲を、救済をめぐる人間のドラマがあり、単に音楽であることをはるかに超えて、存在そのものの深みに迫ってゆく力がある。それはわれわれをいったん深淵へと投げ込み、ゆさぶり、ゆるがしたあげく、すがすがしい新生の喜びへと、解き放ってくれる。研究者としての私にとって、《マタイ》はいつも、大きな目標として、頭の上にあった。その《マタイ受難曲》の研究に、私は、自分の四十代を費やした。その集成が、本書である。」
研究者として自分の四十代を費やすという求道心,探求心,強固な意志には敬服しますし,改めてバッハという存在の大きさに思い至ります。そして礒山さんの四十代を費やした集成がこの本なのですし,「あとがき」には「私にとっての一つの大きな仕事が、今ここに終わる。」と記載されているとおり(同書491頁),礒山さんにとっても誠に達成感のある仕事だったのでしょうね。だから,私としてもカバーが手垢で変色するほど何度も何度も読み,それでも再び読み返したくなるような本なのです。
心からご冥福をお祈りしたいと存じます。
平昌の冬季オリンピックは盛り上がってきましたね。メダルの色は何色でも良い,日本人選手の健闘を讃えたいと思います。ただ,それでもやはり金メダル獲得というのは誠に天晴れです。素晴らしい。
私はこの平昌の冬季オリンピックが始まった頃は,いったいどうなることかと思っていました。ノロウイルス感染者が200人を超えたり,男子ジャンプのノーマルヒルでは強風でたびたび中断し,あろうことか全競技が終了したのは日付が変わった真夜中だったり・・・。スキージャンプというのは真夜中に飛ぶスポーツでしたっけ(笑)。
このジャンプ台については,約1年前のプレ競技の段階で既に強風で危険だということが指摘されていたはずですが,ほとんど修正,考慮がされず,案の定,各選手は強風による中断中,極寒の中で待たされていました。それにいくら熟練し,経験値の高い選手だって,中断しなければならないような強風下では,恐怖感を抱きながらのジャンプでしょう。選手が可哀想です。
また,スノーボードの女子スロープスタイルの決勝では,やはり強風に煽られ,完走できた選手は僅か数人だったというのですから,これもやはり選手が可哀想というものです。なにしろこの平昌という場所は,近くに風力発電施設が存在するくらいですから,強風で有名なのです(笑)。いや,笑いごとではありませんね。
さらに,昔からオリンピックの成功,不成功を決定づける要素は,運営だけでなく,いわゆる輸送の問題だと言われております。交通アクセス,輸送手段の充実などが重要です。男子ジャンプのノーマルヒル終了後は深夜で,バスには乗客が殺到し,それでもバスが足らず,おまけにタクシーは30分に1台程度だったという情報もあり,極寒の中で路頭に迷う観客らも少なくなかったといいます。輸送は大変重要なのですよ。
さてそれにしても,男子フィギュアの羽生結弦選手の金メダルは本当に素晴らしかった。逆境にめげない精神力の強さを感じます。素晴らしい。それにショートプログラムの音楽,ショパンのバラード第1番(ト短調)がいいですねぇー。あの演技にピッタリでした。
また,女子スピードスケートの小平奈緒選手の金メダル,私は思わず感動で涙腺が緩んでしまいました。これも本当に素晴らしい。あの重圧と緊張の中で,ちゃんと下馬評どおり金メダルを獲得,しかも圧倒的なタイム(記録)で・・。彼女も並大抵の精神力ではありません。私も見習いたい(笑)。それに,小平選手は,自分の快走によって日本人応援団が大歓声を上げているなか,次の走者であった韓国人選手のパフォーマンスに悪い影響が出ないように(静かな環境で走れるように),唇の前に指を立てて静粛にしてあげるようにといった仕草をしていました。彼女は武士道精神,そしてライバル選手へのリスペクトもあります。心技体,そして人間的な総合力が備わっていると感じました。だからこそ,地元長野県の相澤病院も彼女に対して無償の経済的サポートを続けてきたのでしょう。この金メダルも天晴れです。感動しました。
バッハの音楽が好きでたまらず,寝る前に音楽DVDで聴いたり,仕事で移動中の車内で聴いたりしております。先日,何気なく車を運転しながらバッハの曲を聴いていましたら,思わず聴き惚れてしまった曲があり,何度も何度も再生してしまいました。
バッハの「9つの小前奏曲より(《ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための音楽帳》から)」という小曲集のうちの前奏曲ヘ長調(BWV928)と前奏曲ト短調(BWV930)の2曲です。それがむちゃくちゃに佳い曲なのです。心に染み入りました。
この曲集は,バッハが長男フリーデマンの音楽教育のために父親として作曲した小品集ですが,あの厳めしい顔からどうしてこのような美しい曲想が浮かぶのでしょうか(笑)。しかも泉のように・・。そして,何よりもバッハの子に対する深い愛情が窺えます。
思わず何度も何度も繰り返し聴いてしまったこの前奏曲ヘ長調(BWV928)と前奏曲ト短調(BWV930)については,音楽評論家の礒山雅さんはそれぞれ次のような楽曲の解説を付しております。
前奏曲ヘ長調(BWV928)・・1720年から21年に自筆で記入された,《小曲集》の第10曲(4/4拍子)。曲集のうちとりわけ大規模かつ精緻な作品で,協奏曲を思わせる。
前奏曲ト短調(BWV930)・・1720年から21年に自筆で記入された,《小曲集》の第9曲。バッハが指使いを全曲にわたって記入した実例として、価値が高い(他に同曲集のBWV994のみ)。分散和音の練習であるが,広い音域の把握が求められ,両手が対話的に使われる。4/3拍子。
また礒山雅さんは,この曲集(ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための音楽帳)について,「音楽的には多くの曲がバッハらしい美しさをもち、《インヴェンション》の簡易版として、存在価値の高い作品となっている。」と解説されております。
バッハのインヴェンション(2声)とシンフォニア(3声)については,私の拙いテクニックでは越えられない壁になっている曲があったり,年齢のせいか何よりも練習の継続に対する覚悟というものに欠ける面があるのですが(笑),「《インヴェンション》の簡易版として、存在価値の高い作品となっている。」わけですから,まずはこの「音楽帳」から攻略する手もありそうです(笑)。早速,楽譜屋さんに行ってみることにします。
人間,いつもポジティブな考えができたり,振る舞ったりすることなどできません。私も時にはネガティブな考えや気分に陥ることもあります。
今年は東京や名古屋でも積雪があるなど相当に寒く,本当に冬らしい冬になりました。1月も終わり,2月に入りましたが,私の自宅に置かれている芸人ヒロシの「まいにち、ネガティブ~前向きじゃなくても生きていける~」という日めくりカレンダーの「1日」のページには次のようなことが書かれています。
「『苦しいときほど笑え!』笑えるくらいなら、とっくに笑っています。」
確かにそのとおりです(笑)。そしてその補足説明として,次のようなことが書かれております。
「無理なポジティブ・シンキングなんて、そのぶん苦しさが増すだけです。そのときなりに、自然に生きればいいと思っています。」
た,確かにそのとおりかもしれませんが,だんだんと芸人ヒロシのネガティブ・シンキングという蟻地獄に足を取られそうで恐くもあります(笑)。
弁護士に限らず,どの職種でも職業人として要求される資質は「誠実さ」です。絶対にこれを欠くようなことがあってはならず,またこれを欠くような言動もいけません。私も仕事柄,悩みや問題を抱えた依頼者のために毎日頑張っており,「誠実」であることを常に心がけております。ただ頑張り過ぎて疲れてしまうこともあり,時にはヒロシのように半ば達観して肩の力を抜くことも必要だなと思います。
ちなみに,このヒロシの「まいにち、ネガティブ」という日めくりカレンダーは,我が家ではトイレの中に置かれております(笑)。