忘れたころに「その3」となりました(笑)。もうお忘れになったかもしれませんが,これは「裏切られた自由【上・下】」(ハーバート・フーバー著,渡辺惣樹訳,草思社)という極めて優れた内容の本の読後感の続きです(笑)。
本当にくどいようですが,いわゆる東京裁判史観にどっぷりと浸ってしまっている方々の目からウロコを落とすような内容です。このフーバー元アメリカ大統領が,膨大な関係書類,議会議事録,公開された外交文書その他を緻密に検証し,20年もの歳月をかけて研究,記述,書籍化して世に問うた著作(大著)なのです。日米戦争を切実な思いで回避しようと努力し,苦悩に苦悩を重ねた当時の日本国の先人たちの気持ちに思いを馳せるべきでしょう。一方,オレンジ計画を元に,そしてイギリスからの参戦要請を受け,何とか日本を挑発して「裏口からの参戦」を果たそうとしていた腹黒いF・D・ルーズヴェルトとそれを取り巻くスターリンの工作員(ハリー・デクスター・ホワイト,アルジャー・ヒス,ラフリン・カリーなど),コミンテルンの画策,反日主義者(モーゲンソー,アチソンなど)・・。広島に投下されたウラン型原爆,長崎に投下されたプルトニウム型原爆,もうその時点では日本は降伏のあり方や和平を模索し,戦況はとうの昔に大勢決していたのにこのように2つの原爆投下という国際法違反を犯した目的としては,ウラン型とプルトニウム型のどちらが破壊力があるかという実験だったとも言われているし,また戦後の共産化拡大を目論み,ますます増長したスターリンに対する警告の意味もあったと言われています。
さて,本日はこういったこともさることながら,著者であるフーバー元大統領の横顔を是非紹介したかったからです。翻訳者である渡辺惣樹さんはその一面だけでも次のように紹介しています。
「フーバーは、多くの公的な活動に私人の立場で参加していたが、救済募金から一切の金銭を受け取ることを拒否した。すべて自費での参加だった。それだけではない。彼は政治家となっても、商務長官の、そして大統領としての給与もすべて慈善事業のための特別基金に入れた。それが救済事業に必要なエキスパートの雇用や、事業に携わる人々の給与補填に使われた。また、彼は多くの書を上梓し,講演にも引っ張りだこだった。その印税も講演料もすべて特別基金に入れた。このような政治家はアメリカの歴史上でも初めてであった。フーバーの政治思想は、彼の宗教的信条とその実践を抜きにしては語れないのである。」(「裏切られた自由【下】」,訳者あとがき576~577頁)。
以上の記述の直後,渡辺惣樹さんの鋭い筆致は,F・D・ルーズヴェルトに向けられました(笑)。引用することに若干躊躇を覚えるのですが,あえて引用し本日のブログ記事を閉じます。
「このフーバーの対極にある政治家がフランクリン・デラノ・ルーズベルトであった。彼は公的立場を徹底的に個人的利益に利用した。大統領の立場を利用して、親族のビジネスを有利に図り、仮面夫婦であった妻のエレノアを満足させるためにリベラル国際主義を標榜する組織の代表につけた。その一方で、彼は多くの愛人を持った。その中にはノルウェーの王女(マーサ)までもいた。ルーズベルトに高潔さのかけらもないことは、評論家ジョン・T・フリンが『ルーズベルト神話(The Roosevelt Myth)』(一九四八年)の中で詳述している。そこに記されたルーズベルトの行状は読みながら気分が悪くなるほどである。他者を愛したフーバーがルーズベルトを嫌うのは当然であった。」(「裏切られた自由【下】」,訳者あとがき577頁)。
私は完全にチコちゃんを好きになってしまいました。もうチコちゃんに首ったけ状態です(笑)。
どうしてあんなに表情が豊かなんでしょう。そして僅か5歳だというのに,どうしてあんなにものをよく知っていて,「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱咤してくれ,最終的には私を元気にしてくれるんでしょうか。
NHK総合テレビで放送されているバラエティ番組「チコちゃんに叱られる!」という番組は本当に面白いし,チコちゃんはとても魅力的です。これは日常に潜む素朴な疑問をテーマにした雑学クイズバラエティなんです。くどいようですが,とても好きになってしまいました。「人と別れるときに手を振るのはなぜ?」,「セピア色のセピアって何?」,「大人になるとあっと言う間に1年が過ぎるのはなぜ?」というような,改めて考えてみると答えがよくわからない根本的な問題がチコちゃんから出されるのです。
ところが,そういった私たちを困惑させる質問に的確に答えられないと,チコちゃんは,一瞬にして鬼気迫る怒りの表情に豹変し,顔が赤くなって目からは黄色い炎が噴き出し,頭上からは白い湯気を出して「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱咤してくれるのです(笑)。
確かに我々は時として漫然と,惰性でボーっと生きているのかもしれません(笑)。そんな時はチコちゃんに強く叱られたい(笑)。何が私を虜にしたかというと,チコちゃんの豊かな表情です。答えを迫る時の少し意地悪な表情,懐疑的な表情,正解に接した時のつまらなさそうな表情,正解には近いけど正解ともいえないような中途半端な答えに接した時の困惑の表情,そして大人がロクな答えをしない時に「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とすごむ時の怒りの表情・・・。本当にすごいキャラクターですわ。かつてNHKの番組で「ぜんまいざむらい」に凝ってしまった時期がありましたが,久しぶりにNHKの番組,そう,この「チコちゃんに叱られる!」に凝ってしまいましたわ。
読売巨人軍の高橋監督の顔は嫌いです。とにかく暗い。ひょっとしてEQが低いのかなと思ってしまいます(笑)。味方の選手がホームランを打ったり,ファインプレーをしたら大いに大いに喜びなさいよ。普段あんなに暗い,そして無表情では選手の士気にもかかわります。選手の士気を鼓舞しなくちゃ。そういう意味では,チコちゃんのあの豊かな表情を見習って欲しいと思います。
さてさて,「チコちゃんに叱られる!」という番組は,NHK総合テレビで毎週金曜日の午後7時57分からと毎週土曜日午前8時15分から放送されています。どんなことがあっても,万難を排して観たいと思います。あっ,そうそう・・DVDが発売されていないか調べてみます(笑)。
本日のブログのタイトルも,「雑感」しかありません。暑くて,暑くて思考が散漫になり,話題の選択や文章そのものにまとまりというものが全くないからです(笑)。
暑い夏になると,私は昔からカップかき氷「サクレ レモン」(フタバ食品)をよく食べます。好きなのです。ほら,かき氷の上部にレモンの輪切り一枚がセットされているやつです。アイスクリームよりもこっちの方がさっぱりしていて,口当たりも良く,昔から食べております。でも,先日のニュースで見たのですが,特に酷暑日が続いているこの夏,「サクレ レモン」が品薄で製造が追いつかず,販売が一時休止となってしまいました。断腸の思いです(笑)。何としても販売の再開が待たれます。
でも,そこはそれ,うちのカミさんがスーパーで大量に仕入れてくれており,今でも我が家の冷凍庫は「サクレ レモン」がゴロゴロしております(笑)。本当に,私にとっては過ぎた女房です。
さて,江戸時代の国学者・神道家,平田篤胤先生という人は,本当に面白い著作をものされるものです。産経新聞の書評で衝動買いしたのが「仙境異聞」(平田篤胤著,子安宣邦校注,岩波文庫)という特異な本です。恐いもの見たさに読みました。この本のブックカバーにはこの本の紹介として次のような文章が記されています。
「文政三年、浅草観音堂の前にふいに現れた少年寅吉。幼い頃山人(天狗)に連れ去られ,そのもとで生活・修行していたという。この『異界からの帰還者』に江戸の町は沸いた。知識人らの質問に応えて寅吉のもたらす異界情報を記録した本書は、江戸後期社会の多層的な異界関心の集大成である。」
修験者,天狗に厳しく躾けられながらも山奥での生活を送り,様々な体験をしたという少年寅吉。江戸の知識人らの好奇心からくる様々な質問に対し,大人顔負けの回答を次から次にしていくのです。その個々の答えがまことしやかであり的確そうで,そして面白いこと・・。それにしてもこの岩波文庫というのは芸域が広いですな。いろいろなジャンルにまたがっています。常々もう一度読みたいと思っている「忘れられた日本人」(宮本常一著)という本も岩波文庫です。
日本ボクシング連盟の山根明という人は,会長を辞任するとはいうものの,いわゆる「奈良判定」などなど,相当に問題のありそうな人物ですし,人相の悪さは,学校法人日本大学の田中英壽理事長と双璧ですね。この二人を見ていると,人は見かけで判断してもよさそうです(笑)。山根さんと田中さんといえば,お笑いコンビのアンガールズも山根さんと田中さんです。アンガールズの場合は「キモカワ」(キモイけどカワイイ)と言われておりますが,山根明という人と田中英壽という人は,「キモカワ」をもじって「キモコワ」と言われているようです(笑)。
少し前のことになりますが,BS放送で「座頭市」(大映)の映画をやっておりました。勝新太郎,本当に味のある名優だと改めて思いました。座頭市は他にもいろいろな人が演じておりますが,やはり座頭市と言えば勝新太郎ですね。正にはまり役ですし,その演技力,役者としての魅力に思わず引き込まれてしまいます。子どもの頃に見た映画で,やはり勝新太郎の「兵隊やくざ」シリーズも面白かったなあ・・。本当に魅力のある役者です。
座頭市のことを調べておりましたら,あの作家・子母澤寛に行き当たりました。というのも,この「座頭市物語」というのは,子母澤寛が1948年に雑誌「小説と読物」に連載した掌編連作「ふところ手帖」の1篇「座頭市物語」が原作だったのです。子母澤寛は私が大好きな「新選組始末記」,「新選組異聞」などの作者であり,聞き書きという手法でこれらの作品を生み出したのですが,この「座頭市物語」も概ね聞き書きによるものです。江戸時代に活躍した房総地方の侠客である飯岡助五郎について取材するため千葉県佐原市を訪れた際に,土地の古老から飯岡にまつわる話の一つとして、盲目の任客座頭の市の話を聞き,僅かに語り継がれていた話を基に記したと,後年,子母澤寛自身が語っているのです。
すみません。本日も取り留めのない話と相成りました。
本当に呆れかえってしまうほどの夏の暑さです。今日,名古屋ではとうとう40.3度を記録してしまいました。もう,どうしようもありません(笑)。この酷暑に対する私のささやかな抵抗といえば,道行く人がどのように感じようが,男性用日傘を差して歩くことです。日傘は結構いいですよ。
さて,7月6日にはオウム真理教事件の確定死刑囚7名の死刑が執行され,同26日には残りの確定死刑囚6名の死刑が執行されました。死刑執行命令書に署名したのは,勿論,上川陽子法務大臣です。刑事訴訟法475条によれば,死刑執行命令は,判決確定の日から6か月以内に行われなければならないと規定され,当該条文は現在では死文化してしまってはおりますし,歴代の法務大臣の中には卑怯にもその職務を放棄してしまった者もいる中で,上川法務大臣はその職務を敢然と全うした訳です。貫徹された職務執行と言うべきでしょう。
産経新聞の連載記事の中に「モンテーニュとの対話『随想録』を読みながら」というものがあり,これはいつも産経新聞文化部の桑原聡という方が執筆されており,私は結構楽しみにしております。共感できる内容のものが多いからです。少し前の号で「上川法務大臣の胆力に脱帽」というタイトルで掲載されておりました。
確かに,久しぶりに胆力のある政治家を見る思いがしました。上川陽子代議士のホームページには,政策の基本姿勢として「腰のすわった政治をめざす。」,「難問から、逃げない。」とありました。どこぞの反日的,売国的な野党議員や左翼的な新聞社に聞かせてやりたいものです(笑)。
誰だって死刑執行命令書に署名するのは勇気のいることですし,悩みに悩むことでしょう。しかし,死刑制度が現に存在し,刑事司法の執行力を実現するためには法務大臣こそがそれを行わなければならないのです。10年程前,法務大臣として勇気をもって署名した鳩山邦夫前法務大臣について,あの朝日新聞の「素粒子」というコラムで,次のような的外れで見識を疑う言葉を投げかけた者がいたのです。
「永世死刑執行人 鳩山法相。『自信と責任』に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」(平成20年6月18日付)
全くもって恥ずかしい表現ですし,繰り返しますが的外れで見識を疑う言葉と言わざるを得ません。
また,国会議員等の中には死刑廃止論者も当然存在するでしょうし,生来困難な場面から逃げてしまうような性分の方々も混じっているでしょう(笑)。民主党政権時代には仙谷由人,江田五月,平岡秀夫といった方々は結局死刑執行命令書に一度も署名することはありませんでした。その理由は一体何だったのでしょうか。また,自由民主党の中にも杉浦正健という人間は,第3次小泉改造内閣の法務大臣就任時,記者会見で「私は死刑執行命令書にはサインしない。」と言い放ったのです。
でも,死刑廃止論者だったり,あるいは自分の政治信条だったり,いろいろあるにしても,死刑執行命令書に署名しないと初めから決めているような者は,本来であれば法務大臣就任を打診された時点できっぱりと断るべきなのです。そうでなければ,現に死刑制度が存在している以上,刑事司法の執行力(刑事事件の審理に携わった裁判官は苦悩しながら自己の良心に従って判断した)を実現できず,法務大臣の職務放棄と評価せざるを得ないからです。
今般,胆力と勇気をもってその職務を全うした上川法務大臣にはご苦労様でしたと言いたいのです。