本当に久しぶりにマウリツィオ・ポリーニの演奏に接することができます。うふふ・・10月11日(木)午後7時開演(サントリーホール)のピアノリサイタルのチケットを既に入手しております(笑)。
この二〇世紀を代表する名ピアニストも既に76歳です。生の演奏に接することができるのも,もうたびたびという訳にはいきません。チケットの発売開始と当時に急いで娘にチケットを入手してもらいました。
学生の頃からこのピアニストに憧れていましたし,レコードやCDも購入し,その素晴らしい演奏によく聴き惚れていたものです。
本棚をゴソゴソ探していましたら,「ピアニストたちの世界」(芸術現代社)という本を見つけ出しました(昭和58年4月発行)。その中に作曲家の諸井誠とピアニストの小林仁の対談記事が載っているのですが,諸井さんはポリーニのことを「本質的にぼくはいま、絶対、最高のピアニストだと思う。つまり値段(ギャラ)でいえば、ふつうの並みいる世界的なピアニストの十倍ぐらいはもらってもいい人だろうと思うのですよ。つまり、だれもできないことができるんだから。」と述べています(99~100頁)。また諸井さんは「確かにポリーニというピアニストは、一つの、日本に一世を画したということは確かだけれども、ぼくは、ほんとのポリーニがもっと衝撃的にあらわれてくるのは、小林さんのさっきの予言を借りれば、もうちょっと先じゃないかなという気がしているのです。」とも述べています(106頁)。当時ポリーニは40歳で,今は76歳ですから相当先のことになってしまいましたが,今度も円熟した素晴らしい演奏を期待しております。
この本には音楽評論家の藁科雅美さんの評論記事も載っているのですが,藁科さんはそこで,「確かにポリーニは、彼が到達している芸術的高所と過去の実績に照らして疑いもなく今世紀の十指で数えられる名ピアニストであるだろう。」と述べ(141頁),その頃に実施された「二〇世紀を代表するピアニスト一〇人」を選ぶアンケート(音楽評論家などを対象としたもの)の結果,ポリーニはトップにランクされております。
再びポリーニの演奏に接することができて,とても幸福です。この日(10月11日)のプログラムは,ショパンの2つのノクターン(作品55),やはりショパンのピアノ・ソナタ第3番ロ短調(作品58),ドビュッシーの前奏曲集第1巻です。心がワクワクし,非常に楽しみです。
当日は,昼間は東京で一人暮らしをしている娘と一緒に鈴本演芸場で落語を楽しみ,夕方は八重洲地下中央にある「旭川ラーメン・番外地」でいつもの塩バターコーンラーメンを一緒に食べ,そこで娘とは別れてサントリーホールに向かう予定です。
すごいですね,大坂なおみさんというテニス選手は・・。全米オープンの決勝戦で日本人初のグランドスラム優勝を果たしました。あの女王セリーナ・ウィリアムズ選手を見事破っての優勝なのです。
しかし,動画で見たのですが表彰式の始め頃は異様な雰囲気でした。何と,心ない人々からのブーイングが続いたのです。このブーイングの意図は,主審の判断に対する抗議なのか,あるいは結果に対する不服なのかは分かりません。しかしながら,どうあれ,勝者に対するリスペクトを欠き,極めて失礼です。
表彰式で本来は祝福を受けるべき大坂選手は,期待された結果でなくてごめんなさいと言って謝罪し,涙を流したのでした。残念ながらうれし涙とはほど遠い涙であり,動画を見ていた私もとても残念でした。彼女が謝罪する必要など全くないのです。
それにしても,テニスコートにおけるウィリアムズ選手の振る舞いはとても見苦しかったと言わざるを得ません。主審から受けた第1回目の警告はスタンドのコーチ席に座っていた自分のコーチからコーチングを受けたというものです。
これに対してウィリアムズ選手は「私はコーチングなど受けていない。不正などしていない。なのに,このペナルティはおかしい。」として主審に猛抗議です。本人はコーチングには気付いていなかったのかもしれませんが,コーチングをしたこと自体は当該コーチ自身が認めています。
怒りが収まらないウィリアムズ選手は,自分のラケットを思いっきり地面に叩き付け,ラケットはぐにゃりと壊れました。余りにも見苦しい行為であり,見ている者に不快感を与えます。この行為で主審からは2回目の警告を受けます。
ウィリアムズ選手は怒りと興奮が収まらず,主審に対し,「私は生まれてから一度も嘘をついたことがないのに、この嘘つき!」,「私のポイントを奪った泥棒!」,「謝りなさい!」と言いたい放題。この暴言にラモス主審は3回目の警告を発し,1ゲームの重いペナルティを科しました。審判としては当然の判断,措置だったと思います。
こういった振る舞いに直面し,しかもウィリアムズ選手を支持するファンの声援もあるといった異様な雰囲気の中,大坂選手はきっちりと実力を発揮し,勝利という結果を出しました。相当に強い精神力を備えていると思います。
それにしても,プロテニスプレーヤーにとって,ラケットは商売道具であり,本来は大切に扱うべきものでしょう。いつも思うのですが,ゴルフでも,テニスでも,野球でも,感情を抑制できずに物(道具)に当たって乱暴に扱う姿を見ると,不快感を覚えます。くどいようですが,とても見苦しい。
アーノルド・パーマーというゴルフの名選手は,マナーに関し,自分の父親から受けた諫めのことを述べております。パーマーが17歳のジュニア大会に出場した際,短いパットを外した悔しさで感情をコントロールできず,パターをギャラリーの方に投げたことがあったそうです。結局その試合は優勝したのですが,家に帰る車の中で両親からは何の祝福もなく,父親からは,「もしまたクラブを投げるのを目撃したら,他のゴルフトーナメントには絶対に出させない。」と叱られ,諫められて目が覚め,それ以来パーマーは一度もクラブを投げたことはないそうです。
自由民主党の総裁選挙は,9月7日に告示,同月20日に投開票となりました。これまでの実績,国家観及び歴史観,政治家としての覚悟などなど,安倍晋三総裁の三選はもはや疑いはなく,またそうあらねばならないと思っております。
総裁選に向けてのメディアなどにおける石破茂氏の発言内容などを精査しますと,まるで野党党首のようです(笑)。批判ばっかり。石破氏の憲法9条2項の削除論は正論ですし,私もそうあるべきだと思いますが,それですと現状では憲法改正が困難となってしまいます。彼はそれを見越しているのだし,9条の改正については優先度が高いとは思われないと本音を述べてもおります。非常にズルいと思います。
また,驚くべきことに竹下派の参議院議員や領袖の竹下亘氏などは,石破支持なんですと・・・。一部報道によりますと,このような事態になったのは,その淵源を辿ると元参議院議員会長の青木幹雄氏の「鶴の一声」なんだそうです。未だ隠然とした発言力を保持している青木氏が何でそのような「鶴の一声」を発するのか。
政治評論家の杉浦正章さんの言によれば,このような「鶴の一声」が発せられるに至ったのは,青木氏の極めて個人的な理由からのようです。すなわち,青木氏の長男である一彦氏(参議院議員)が2016年の参議院議員選挙から合区された「鳥取・島根」選挙区で,石破氏から手厚い支援を受けているからだそうです。父親である青木氏としては,石破氏の協力を得て,自分の可愛い息子(一彦氏)の選挙基盤を将来にわたって盤石にしたい思惑があるのでしょう。
いやはや,信じられないほどの俗っぽさです。チコちゃんから,「俗っぽく生きてんじゃねえよ!」と叱られても文句は言えません(笑)。
さて,人の顔というものは整形手術でもしない限り,もって生まれたものでありどうしようもありません。私だって人のことは言えません。でも,政治家というのはやはり顔は重要だと思うのです。好みの問題はあろうかと思いますが,G7の各国首脳の集合写真や会合,そして各国の首脳との会談場面などを見ておりますと,安倍首相は国際社会に出しても恥ずかしくはありませんよね(笑)。
麻生太郎副総理は,これまで数々の舌禍問題を起こしてはおりますが,意外と本質を突いた発言もしております。その麻生さん,9月4日,熊本県内のある会合で,党首の「顔」や「雰囲気」に言及し,石破さんは「暗い」として,選挙を戦う上で安倍首相の方がふさわしいと断言したのです(笑)。
いわく「(総裁選の)候補者は2人しかいない。どちらの顔で選挙したいか。暗いより、明るい方がいいのではないか。」
また,麻生さんは安倍首相が2012年以降,衆院選(3回)と参院選(2回)で連勝していることや,国際社会の評価が高い点を挙げた上で,いわく「(総裁を)代える以上は、前より良くなくてはおかしい。もう1人の顔は、そうなる可能性があるのか。よく顔を見てもらいたい。」(笑)
顔の造りそのものについては石破氏の責任でも何でもないので,これはいささか言い過ぎの嫌いがないでもありません。しかし,麻生さんがこのように発言する根底にあるのは,ある会食の場で「苦しいときこそ、人間性が分かる。」と語っているように,自由民主党が1993年に下野(野党転落)した時に石破氏が離党したことなど,このような政治家としての世渡り姿勢に対する抜きがたい不信感があるからでしょうね。
このたびの「顔」に関する麻生さんの発言について,あたかも失言であるかのように報じたメディアもあるようですが,あるネット記事(zakzak)が指摘するように,党首が体現する雰囲気というものは組織の士気やイメージにかかわる訳であり,麻生さんの発言は意外と本質を突いていると思われます。