いやはや,恐れ入りました(笑)。韓国の最高裁判所にあたる大法院は,元徴用工の韓国人4人が新日鉄住金(旧新日本製鉄)に損害賠償を求めていた訴訟で,驚くべきことに同社に合計4億ウォン(約4000万円)の支払を命じる判決を言い渡したのです。
どうやらこのような判決を下した裁判官の一部は,「建国者になったつもりで判決した。」などと述べているようですが,こんなものはもはや司法ではなく政治であり,国際的な常識から逸脱した判断です。本当に彼らは法律家なのかと疑いたくなります。法治国家ではなく「情治国家」と言われてしまうゆえんです。何しろ,この国は,国民情緒に合うという条件さえ満たせば,行政・立法・司法は実定法には拘束されない判断・判決を出せるという不文律があり,こういった状況は「国民情緒法」などといって揶揄されております(笑)。
日本政府は,この問題については,国交正常化に伴って1965年に締結した日韓請求権協定で両国及び個人の財産や請求権の問題について「完全かつ最終的に解決された」としており,このことは韓国政府自体もこれを認めていたはずです。2005年には当時の廬武鉉政権がこの協定に関して,「元徴用工の個人が日本企業に損害賠償を行う問題を解決する責任は韓国政府にある」との見解を示していたのです。
ところで,この問題について,日韓請求権協定で解決済みという日本政府の説明は確かに国際法の世界ではもちろん通用する理屈ですが,私はかねてから力説しておりますように(笑),いわゆる「従軍慰安婦問題」と同様,むしろそんな事実(強制性など)は存在しないのだという意味で,ファクト(事実)のレベルで毅然と争い,堂々と主張して欲しいのです。本当はね。
その点については,私が愛読する(笑)産経新聞の「正論」欄で,西岡力さんが正当にも指摘しておられました。それによると,今回のとてつもなく変な判決が出された裁判では4人の男性が原告になっており,彼らはいずれも「徴用工」とされていますが,彼らの経歴をよく調べてみると実は「徴用」で渡日したのではありません。1人は1941年,3人は1943年に徴用ではなく「募集」,「官斡旋」で渡日しているのです。このうち2人は,平壌で日本製鉄の工員募集の広告を見て,担当者の面接を受けて合格し,その引率で渡日したといいます。
そもそも国家総動員法に基づく朝鮮での戦時労働動員は,この変な判決がいうような「日本企業の反人道的不法行為」ではなく,戦時における合法的な民間企業での期限契約賃労働でした。39年から41年に民間企業が朝鮮に渡って実施した「募集」,42年から44年9月まで朝鮮総督府が各市,郡などに動員数を割り当てて民間企業に引き渡した「官斡旋」,44年9月から45年3月頃までの徴用令に基づく「徴用」の3つのタイプがあったのです。
どれも動員先は民間企業で,通常は2年の期限契約であり,待遇は総体的に良かったのであり,例えば44年に広島の軍需工場に徴用された労働者は月給140円をもらっていたのです。相当に高給です。当時は日本人男性の多くが徴兵のため不在で,日本本土は極度の労働者不足で賃金は高騰しておりました。ですから「募集」の時期には出稼ぎ目的の朝鮮半島からの「個別渡航」が並行して多数あり,同じ時期,渡航許可なしに不正に渡日して送り返された者が1万6000人ほども存在していたのです。
日本政府は,本当はファクト(事実)のレベルにおいても争うべきですし,韓国の裁判所も,いやしくも司法を掌る機関として,証拠の評価を含めて「合理的な疑いを入れない程度に確からしい」との心証を得て事実認定をすべきであり,くれぐれも賠償を求める者の「供述」だけを鵜呑みにしてはいけません。
今回の判決を受けて,韓国政府の行政安全部のあるセクションには,「うちの祖父も被害者だが,いま訴訟を起こせば勝てるのか。」といった類の問い合わせが殺到しているとのことです。韓国という国は,例えば「従軍慰安婦」に関する日韓合意など,仮に国際的な合意に至ったとしても平気でゴールを動かしてしまいます。本当に困ったものです。日本と韓国は,1965年にこの日韓請求権協定と同時に,日韓基本条約を締結し,日本は経済協力として韓国に合計5億ドル(無償3億ドル,有償2億ドル)を供与するとともに,その他に民間の円借款などを含めると総額8億ドルにも上る供与を行っているのです。これは当時の韓国の国家予算の2.3倍にもなります。韓国政府はこういったことをちゃんと国民に説明しているのでしょうか。