最近,むさぼるように読破し,深く感銘を受けた本があります。「西洋の自死」(ダグラス・マレー著,町田敦夫訳,中野剛志解説,東洋経済新報社)という本です。
この本は,「移民・アイデンティティ・イスラム」という副題が付けられているように,グローバリズムという呪文のようなかけ声の下,欧州が膨大な移民を次から次に受け入れる政策を継続してきた結果として,もはや欧州(西洋)が欧州(西洋)でなくなってしまった,換言すれば,際限のない大量の移民政策によって西洋が自死してしまったという警世の書です。また,この本の冒頭には評論家中野剛志さんの解説が付せられているのですが,その標題は「日本の『自死』を予言する書」となっております。欧州の現在の悲惨な状況を見るにつけ,移民政策の強力な推進者であったあのドイツのアンゲラ・メルケルですら,「多文化共生主義」の失敗を認めているのです。
この警世の書の内容については,やはり実際に読んでみなければ判らず,そして是非実際に読んでみて欲しいと思うのですが,どんなことが書かれているのかを端的に示すものとして,この本のカバーの内側に書かれている次のような記載で概ね察することができるでしょう。
「欧州各国が、どのように外国人労働者や移民を受け入れ始め、そこから抜け出せなくなったのか。」
「マスコミや評論家、政治家などのエリートの世界で、移民受け入れへの懸念の表明が、どのようにしてタブー視されるに至ったのか。」
「エリートたちは、どのような論法で、一般庶民から生じる大規模な移民政策への疑問や懸念を脇にそらしてきたのか。」
この本はもちろんノンフィクションですから,正確な情報リソースに基づいて,ファクト(事実)がこれでもかこれでもかと記述されております。オランダの映画作家テオ・ファン・ゴッホのイスラム教徒による凄惨な殺害,フランスの風刺雑誌「シャルリー・エブド」社屋の襲撃・殺戮,サッカー試合中のフランス・サン=ドニのスタジアムでの自爆テロ,2015年の大晦日にケルンで発生した大勢の移民による性的暴行,強盗事件(被害女性は約1200名)などなど。
EUは,シェンゲン協定やダブリン規約などによって,国境というものを取っ払う覚悟はできていても,西洋文明というものを滅亡させる覚悟まではできていなかったはずです。この本は「欧州は自死を遂げつつある。少なくとも欧州の指導者たちは、自死することを決意した。」という深刻な文章で始まっています。この愛すべき日本も,決して国の形まで壊してしまうような移民政策を取るべきではなく,文化,伝統というものはしっかりと守っていく覚悟が必要だと思うのです。今生きている日本人こそが主人公なのだから闇雲にどんどん「革新」していけば良いというのではなく,長い歴史の中で祖先が守り抜いてきた国柄,文化,伝統というものは将来の日本人の為にも守っていくべきで,今生きている日本人だけでどうこうできるものではないのです。要するに,水平的な思考ではなく,垂直的な思考も大切です。この本の記述の中で腑に落ちる内容は随所にあるのですが,「保守思想の父」といわれるエドマンド・バークの次の言葉の引用は,腑に落ちました。
「それとは別種の正義への訴えが、より保守的な考えを持つ人々から出されてもよかった。そうした人々は、たとえば18世紀の政治家エドマンド・バークと同様の見解を持っている可能性がある。保守主義者のバークは次のように洞察した。文化や社会というものは、たまたま今そこにいる人々の便のためにではなく、死者と生者とこれから生まれてくる者たちが結ぶ大切な契約のために働くものだと。そうした社会観においては、尽きることなく供給される安価な労働力や、多様な料理、特定の世代の良心を慰謝することなどを通じて人々がどれほど大きな恩恵を得たいと望んでも、その社会を根底から変えてしまう権利までは持ちえない。なぜなら自分たちが受け継いだ良いものは、次に引き渡すべきものでもあるからだ。仮に祖先の考え方やライフスタイルの一部は改善可能だという結論に達するとしても、だからといって次の世代に混沌とし、粉砕され、見分けもつかないようになった社会を渡すべきだということにはならない。」(同書450~451頁)
自宅近くの並木道沿いの桜が見事,満開となりました。ここの桜はソメイヨシノではなくオオカンザクラという品種で,ソメイヨシノよりも毎年2週間ほど早く開花するのです。いいですね,桜というのは。何となくうれしくなってきましたので今夜も一杯やるとしましょう(笑)。
さて,私の名前は茂というのですが,とても昭和らしい名前で,亡き父が吉田茂元首相の名前を参考にして付けてくれました。もちろん父には感謝しております。ただ,戦後の首相として私がダントツに尊敬しているのは岸信介元首相です。岸信介と吉田茂を政治家として比較した場合,愛国心,誠実性,頭脳の明晰さ,判断の的確性,勇気などいずれの面でも岸信介でしょう。どうせ政治家にあやかるのなら,信介と命名してくれていたら・・なんて思ってしまいます(笑)。
新聞を読んでいましたら,先ごろ,「王子様」と命名された山梨県に住む高校三年の男性が,甲府家庭裁判所に名の変更(改名)審判を申し立て,無事にこれを許可する審判が出されたとのことです。何よりです。いわゆるキラキラネームにもいろいろありますが,「王子様」というのにはビックリしました。この高校生はいろいろと苦労をされたようです。カラオケなどの会員証を作る時,店員には偽名ではないかと疑われるし,高校に入って自己紹介をしたら,女子生徒に噴き出されたり・・。命名する親の方も,もう少し想像力というものを働かせるべきでしょう。例えば,自分の子どもが将来の採用面接を受ける際などに,面接官や企業の人事担当者がどのように感じるかということを。
先日の産経新聞の「産経抄」には,名前のことに関し,平成11年に74歳で亡くなった喜劇役者,三木のり平さんの名前のことが書かれておりました。彼の本名は田沼則子だったそうです。「のりこ」ではなく「ただし」と読む。命名したお父さんは,「孔子,孟子と、子がつく男は立派になるんだ。」と言って,妻の反対を押し切ったとのこと。
のり平さんが小学校に上がる時,学校に入学通知を持っていくと,「だめだよ、お姉さんの通知状を持ってきたりしたら」などと叱られたり,名前のことをからかわれて随分喧嘩などもしたようです。
親が付けた名前が時には子供の運命を変えてしまうこともあるという意味で,「産経抄」は,のり平さんの有名なエピソードにも触れていました。大東亜戦争が激しくなって,小学校の同級生が次々に徴兵検査を受けるようになっても,のり平さんには何の音沙汰もない。区役所に問い合わせると,戸籍謄本の彼の性別の欄が女になっていた。召集令状が来るのも遅れてしまい,入隊の日には既に戦争が終わっていたという逸話です。
私の場合は茂ですから,みなさん例外なく「しげる」と読んでくれますし,女性に間違われたこともありません。
予報どおりだったとはいえ,今朝起きたら雨でした。傘を差しながらの徒歩通勤でしたが,私はこの春雨というのが嫌いではありません。寒々としてはいませんし,むしろしっとりとした風情があります。
事務所内の私の机の片隅には,とうの昔に読んでしまった本が山積みされているのですが,その中に偶然,「春雨物語」(上田秋成著,角川ソフィア文庫)という本がありました。上田秋成といえば「雨月物語」が有名ですが,確かに「雨月物語」は素晴らしい作品です。でも,大正期には芥川龍之介,谷崎潤一郎,佐藤春夫が鼎談し(「あさましや漫筆」),「雨月物語」を真似ることはできても,「春雨物語」はとても及ばないという意味で,「雨月物語」以上の評価がなされたということもございます。
上田秋成の素晴らしい才能は言うまでもありませんが,一方,同時代に生きたあの「古事記伝」の本居宣長の業績や学問に対する真摯な姿勢は敬服に値します。その本居宣長と上田秋成との間で,いわゆる「日の神論争」として激論が闘わされたことは有名です。この激論に関しては,確かに上田秋成の方が合理的,そして論理的であり,今はやりのディベートとしての評価でしたら,秋成の方に軍配は上がるでしょう。でも,私はこの論争では心情的には宣長に与したい。やはり,「漢意(からごころ)」を排し,「やまとごころ」を称揚しようとした宣長の方に強いシンパシーを覚えるのです。評論家小林秀雄が述べるように,この論争については,合理性を追求する現代人としては秋成に軍配をあげつつも,それだからといって古学者宣長の学問の優秀性に疑いはないのです。
さて,さて,名古屋グランパスは一体全体どうしちゃったのでしょうか。春の珍事という訳でもないでしょうが,開幕2連勝で,あろうことか18チーム中首位に立ってしまっています(笑)。昨シーズンは失点の多さは最下位タイだったのに,2試合を終えて未だ失点ゼロです。
まだまだ今シーズンの名古屋グランパスの評価をするのは早いでしょうが,試合を観ている限り,明らかに昨シーズンと違うのは,厳しいチェックをし,素早くプレスをかけ,相手選手に好きにさせない意識が徹底しているということです。そう,守備の意識です。以前から私がくどいほどに指摘していたことです。まるで私の忠告が誰かを介して風間監督に伝わったかのようです(笑)。それにしてもオーストラリア代表のランゲラックというゴールキーパーは本当に素晴らしい。この貴重な選手は絶対に手放してはなりません!
そして,どうでしょう。我が栄光の読売巨人軍。今年のジャイアンツは強いですよ,ホントに(笑)。補強に成功したと見ています。そして,今年は少なくともセ・リーグのペナントは獲得するでしょう。今から開幕が楽しみで仕方ありません。