日曜の産経新聞には必ず書評が載っています。先日の書評欄には,「この世の景色」(早坂暁著)という本の書評を,脚本家の小林竜雄という方が書いていました。
1966年,まだ私が小学生の頃,TBSのテレビ番組としてあの忘れもしない「真田幸村」というドラマが放送されていました。毎週月曜日の午後8時から放送されていまして,それはそれは約1年間にわたって私はこのテレビドラマに熱中しておりました。是非もう一度見たいものですが,その多くの脚本を早坂暁が書いていたのです。
早坂暁という脚本家は,お遍路道にあった商家の出で,幼い頃からお遍路さんの姿に接していたためか,ホームを持たない「さすらいの人間」に終生こだわったということです。
「咳をしても ひとり」
これはあの種田山頭火と並び称せられる非定型自由律俳句の尾崎放哉の有名な句ですが,この尾崎放哉も「さすらいの人間」でした。書評によれば,早坂暁は亡くなった渥美清との強い絆があったそうで,学生のころに浅草の銭湯で,まだ無名だった一つ上の渥美清と知り合ってからはその死に至るまで深い交友があったそうです。そして,「寅さん」シリーズで人気を博していた渥美清も,早坂暁に本当は尾崎放哉をやりたいと提案していたそうです。しかしながら,病気などの事情で実現しませんでした。そして今ではその早坂暁という脚本家も亡くなりましたが・・・。
私が普段親しくお付き合いさせていただいている元女優のTさんと,先日鮨屋でご一緒しました。カウンターで隣り合わせになったので,「早坂暁という脚本家をご存知ですか。」とTさんに尋ねました。私は何も知らず,その日の朝に読んだその書評のことを元女優のTさんに話したかったのです。
そうしたら,Tさんから意外な言葉が飛び出したのです。「もちろん知ってますよ。私の芸名の名付け親ですもの。」と仰ったのです。私はびっくりしました。確かにTさんは,かつてTBS系の「七人の刑事」というドラマに出演したことがあったと聞いておりましたが,その脚本も早坂暁が書いていたのです。脚本家の早坂暁は,Tさんの本名から一文字,またTさんの出身校の名称から一文字を取って,芸名を付けてくれたそうです。
「この世の景色」(早坂暁著)という本を二冊注文し,早速読みたいと思いますし,一冊はTさんに進呈したいと思います。