今年は秋刀魚が極度の不漁で,1匹5980円などといった嘘のようなネットのニュースに愕然としましたが,幸いなことに今年は鰻の方は豊漁のようです。ありがたいです。
土用の丑の日も過ぎましたので,昨日はうちのカミさんと鰻を食べに行こうとしました。うちのカミさんも鰻を食べる時は体全体で幸福感を表します(笑)。しかし私は,世の中を甘く見すぎていました。その店は三河一色産の美味しい鰻を食べさせてくれるお店なのですが,予約というものをしていませんでした。
たった2人だから何とかなると高をくくっていたのですね。そうしたらその日は満席で,お持ち帰り(テイクアウト)ならばできるとのこと。私もカミさんもその夜は鰻を食べるという思想で頭の中はいっぱいでしたから,もう引っ込みがつきません。結局40分以上も待たされて(他にも多くのテイクアウト客がいました。),鰻弁当(上)2つのお持ち帰りをし,自宅でゆっくりと味わったのでした。
先日の産経新聞の産経抄にも書いてあったのですが,土用の丑の日に鰻を食べる習慣の由来については,諸説あるようです。
「石麻呂(いしまろ)に われ物申す 夏痩(なつやせ)によしといふものぞ 鰻(むなぎ)捕り食(め)せ」
これは大伴家持が友人の健康を心配して詠んだ歌ですが,万葉集の時代から鰻は夏の滋養食として知られていました。ただ私は,鰻については蒲焼だと思っております。白焼きなどはあまりピンときません。大伴家持の時代はどんな調理法を採用していたのでしょうね。時代は下って1399年の「鈴鹿家記」に初めて蒲焼という言葉が登場するのですが,その当時も今見られるような醤油,砂糖,酒,みりんで焼く調理法ではなかったようで,そのような調理法が出現したのは江戸中期(1750年)以降のようです。いずれにしても私としては鰻は蒲焼に限ります。
そして友人に鰻を勧めた大伴家持は,愛国者でもあります。
「海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじ」(賀陸奥国出金詔書歌)
中国共産党の私兵である人民解放軍は日本固有の領土である尖閣諸島を明らかに盗ろうとしています。南シナ海と同様,力の空白ができた瞬間に実行されるでしょう。中国は頻繁に領海侵犯を繰り返す,日本の漁船を追い回すなど傍若無人の振る舞いをエスカレートさせています。それに対し我が国の対応はおおよそ主権国家とは言い難いものです。「抗議する」,「毅然と対応する」などといった口先だけのコメントをただただ漫然と発表し続けるのみです。これまで抗議なるものが奏功してきたでしょうか。実際にやっていることに照らして,「毅然」といった言葉が軽すぎはしないでしょうか。日本政府は,いざという時は誰かが守ってくれると甚だしい勘違いをしているのでしょうか。自分の国を自分で守れないような国のために,他国の兵隊さんの親御さんが自分の若い息子の血を流させるでしょうか。
尖閣諸島周辺の海洋調査を実施したり,以前から言われてきたように船溜まりを造営したり,調査のために上陸したりして,この諸島の領有権が日本に帰属し,当然に施政権もあり,実効支配もなされているという実体を備えなければ始まらないのです。大伴家持がもし生きていたら,嘆かわしい現状をどのように感じたでしょうか。
もうこの歳になりますとね,ふっとしたことで遠い昔のことを思い出すのですよ(笑)。
まだ私が20代の頃,1年間東京で長期の研修を受けていたことがあり,その修了記念誌にアンケートに答える部分があり,「理想の女性は」との問いに「ダニエル・ダリューとドナテッラ・ダミアーニ」などと若気の至りで答えたことがありました。今思えば恥ずかしい限りです。当時はよく名画座で映画を観ていて,登場する女優さんにその都度一目ぼれなどしていたのですよ。
ダニエル・ダリューはご存じフランスの女優で,私は「うたかたの恋」の悲恋の令嬢マリー役の彼女に一目ぼれ(笑)。そして,ドナテッラ・ダミアーニはイタリアの女優ですが,それほど有名ではありません。でも,フェデリコ・フェリーニの「女の都」に出演していたダミアーニはとても魅力的で,これまた一目ぼれ(笑)。そんなこんなで,件のアンケートの頃は私の中ではこの2人が理想だったのでしょうね。理想てったって,お付き合いしたこともないのにね。
フェリーニの映画は本当によく観ました。順不同ですが,「道」,「81/2」,「カビリアの夜」,「カサノバ」,「サテリコン」,「甘い生活」,「そして船は行く」,「女の都」,「アマルコルド」など。「道」は何といってもジュリエッタ・マッシーナという稀代の女優(フェリーニの奥さんになります)の好演で我々を泣かせますが,その他は何やら未知の不思議な世界に誘われるようで,理屈抜きで映画というものを楽しませてくれるのです。これはやはり体験した者でなければ分からない。
今ではいわゆる名画座という存在が少なくなり,フェリーニの映画が無性に観たくなってもかなわず,せいぜいDVDを買ったり,借りたりして自宅のテレビで見るしかないのは残念な限りです。そして,フェリーニの映画で登場する音楽でピッタリはまっているのが,ニーノ・ロータの曲です。ロータには「太陽がいっぱい」や「ゴッドファーザー《愛のテーマ》」などの名曲がありますが,特にフェリーニの映画にはとても良くマッチしているのです。
このニーノ・ロータという作曲家よりも少し若い世代になりますが,エンニオ・モリコーネという作曲家の曲も誠に素晴らしい。私は今も思い出すのですが,平成元年の8月頃でしたか,「ニュー・シネマ・パラダイス」という傑作を観終わって涙が止まらないほど泣かされたことがありました。特に,「愛のテーマ」が流れると,パブロフの条件反射のように泣けてきてしまうのです。この「ニュー・シネマ・パラダイス《愛のテーマ》」という曲,旋律を聴くと自然に涙が流れてくるのです。抗えない。
エンニオ・モリコーネという作曲家もやはり映画音楽の世界では巨匠の一人でしょうね。その秀逸な作品群の素晴らしいこと。そのモリコーネも今月6日に91歳で鬼籍に入りました。ご冥福をお祈りいたします。
毎年,そしていつ見ても思うのですが,紫陽花(あじさい)という花は本当に美しいですね。思わず立ち止まって見入ってしまいます。しかもこの花は,晴れの日よりも雨の日が特に美しい。しっとりと雨に濡れますと,その色合いの鮮やかさがさらに増すのです。
「紫陽花に佇んで胸濡らしけり」 黛まどか
そうです。たとえ雨が降っていても,道すがら思わず見入って,思わずその場に佇んでしまうほどの美しさなのです。ただこの句では,「胸濡らしけり」には雨で濡れるという他に,失恋か何か悲しいことが含意されているのかもしれませんが・・・。
「紫陽花やきのふの誠けふの嘘」 正岡子規
これは子規の句です。花言葉というのがあり,紫陽花の花言葉は「移り気」,「浮気」,「無常」などです。紫陽花という花は,その花の色が時期によって変化するのでこのような花言葉になったようです。
「無常」といえば,盛者必衰の理,常なるものは決して存在しないのです。最終的には中国共産党もしかり。それにしても香港は悲惨なことになっております。香港国家安全維持法の施行により,早くも約370名もの逮捕者が出ました。「一国二制度」なるものは,中国共産党の悪行でもはや画餅となりました。
考えてみれば,中華人民共和国という国には,民主主義はおろか「法の支配」や「三権分立」という概念は実質的には全くありません。というのも,この国には建前上は立法,行政,司法を一応つかさどる機関は存在するものの,何しろその「三権」の上位に中国共産党が傲然と君臨しているからです。そんな国になど住みたくもありませんよね。
チベットやウイグルにおける人権弾圧などをとっても,正におぞましい限りです。仮に日本人が日本語の使用を禁止されて中国語の使用を強要されたり,日本の文学・芸術・伝統を否定され,誤った歴史認識で洗脳され,固有の領土にどんどん漢民族に入植されなどしたらどうしますか。なぜ日本のマスコミはチベットやウイグルにおける人権弾圧や民族的ジェノサイドとも評価できる実態を報道しないのですかね。それに日本の左翼政党はなぜこのことに口を噤むのでしょうか。アメリカのシンクタンク「ジェームスタウン財団」が公表した新疆ウイグル自治区における人権弾圧に関する報告書の内容は戦慄すべきものであり,アメリカのポンペオ国務長官もショッキングとの感想を漏らしています。
でも,「無常」ということで仮に中国共産党政権が瓦解したとしても,「中国の大盗賊・完全版」(高島俊男著,講談社現代新書)という名著によると,新たな「盗賊」がこの大陸を支配するだけのような気もしますが・・・。