その人から「ご挨拶」のお手紙をいただいたのは昨年の12月11日。近況を知らせてくれるにはやや唐突だなと思ったのですが,自分の病状のこと,そして令和3年3月末をめどに弁護士を廃業し,事務所も閉鎖する由。
その人は私より3歳年長で,司法修習の同期で同じクラスでした。その手紙は誠実さがにじみ出ている文面でした。9年ほど前に診断された糖尿病は小康状態だったのに,昨年6月に体調不良で諸検査を受けたところ,膵臓に癌が見つかっただけでなく,既に他の臓器への転移もはっきりと分かる状態であったとのこと。
そして,化学療法(抗がん剤治療)のみが考えられるものの,これが効くかどうかわからない,仮に効いたとしても余命が数か月延びる程度とのことで,熟慮の結果,抗がん剤治療は受けずにこのまま過ごすという内容でした。
自分が彼のような立場だったとして,このような誠実で冷静で丁寧な「ご挨拶」ができたかというと,とても自信がありません。この手紙は司法修習同期の同クラスの面々には全て出されたようです。辞世を覚悟の文面だったと思います。
その人は笑うと目がなくなるほど優しそうであり,いつも依頼者には法律家として誠実に対応されてきたと確信していますし,毎年年賀状のやり取りもしておりました。弁護士として同世代の人が事務所を閉鎖し,弁護士を廃業するといった報に接するととても寂しいです。
その人の訃報が届いたのはそれから間もなくであり,今年の2月9日に鬼籍に入られたとのことです。合掌。やる瀬がありません。
以前から,ある文豪が「さよならだけが人生だ」という言葉を残したということは知っていたのですが,誰だったか思い出せず,調べてみましたら井伏鱒二でした。この文句は,唐代の詩人于武陵の詩「勧酒」を井伏鱒二が自分なりの訳を行った末尾行の表現です。
「勧酒」の一般的な和訳(直訳)は次のようなものです。
「君に この金色の大きな杯を勧める なみなみと注いだこの酒 遠慮はしないでくれ 花が咲くと雨が降ったり風が吹いたりするものだ 人生に別離はつきものだよ」
それを井伏鱒二は次のように表現しました。
「コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 『サヨナラ』ダケガ人生ダ」
せっかく花が咲いたと思ったら,嵐がきてすぐに散ってしまう。人も同じで出会いがあれば別れは必ずある。「さよなら」だけが人生だね,といった感じの訳です。名訳だと思います。あるサイトの紹介によると,井伏がこのような訳をしたのは,実は作家の林芙美子が関係しているそうです。井伏は昭和6年4月に講演のため林とともに尾道に行き,因島(現尾道市)に寄ったことがあったが,その帰り,港で船を見送る人との別れを悲しんだ林が「人生は左様ならだけね。」と言ったことがあり,井伏の頭の中にこの言葉が残っていたのではないか,ということです。
「さよならだけが人生だ」
深酒はもちろんしませんが,今日も少しお酒をいただくことにいたします。