さて,旅行3日目は午後からは帰途につかなければなりませんので,観光ができるのは半日です。この日のホテルでの朝食は,やはり私は和食,カミさんは我が家でのいつもの和食とは違って洋食でした。いつも思うのですが,旅先での朝食って美味しいですね。前日もよく歩きましたし,一晩寝てお腹も空いておりました。
ゆっくり目のチェックアウトを経て向かったのは,もちろん前日入館できなかった「坂の上の雲ミュージアム」です。味わいのある路面電車で道後温泉駅から大街道駅へ移動します。館内は,正に「坂の上の雲」(文春文庫,全8巻)の世界が広がっておりました。展示物も豊富で,日本海海戦(ロシアのバルチック艦隊撃破)の映像の迫力は我々を圧倒しました。日本海海戦の直前,旗艦「三笠」の艦橋に立つ東郷平八郎(連合艦隊司令長官)の雄姿の格好良いこと・・・。
また,海戦直前,連合艦隊先任参謀として秋山真之が打電した「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」の電文は有名です。ロシアのバルチック艦隊を撃滅できたのは,真之の作戦立案という功績が大であったことも疑いはありません。一方,兄の秋山好古は,日露戦争で日本の騎兵隊に世界で初めて機関砲を常備させ,当時世界最強といわれたコサック騎兵隊を撃退しました。敵の猛撃にも一歩も退かなかったのです。陸軍大将に栄進した後は,後進の指導に注力しました。
この「坂の上の雲ミュージアム」から歩いて12,3分ほどの所に,「秋山兄弟生誕地」があります。秋山兄弟が生まれ育った生家が再建され,そこには兄弟の立派な像もあり,生家内部も観覧できます。平生質素な生活をしていた好古の生前の言葉として,次のような言葉が残っております。本当にいいことを言いますねぇ。
「人間は貧乏がええよ。『艱難汝を玉にする』と言うてね、人間は苦労せんと出来あがらんのじゃ。苦しみを楽しみとする心掛けが大切じゃ。」
前回も申しましたが,この松山という町そしてそこに住む人々は,郷土が生んだ秋山好古,秋山真之,正岡子規という偉人に誇りを感じていることは間違いないようです。私は,もう一度「坂の上の雲」(文春文庫,全8巻)を読み返すことを固く決意いたしました。
あとは昼食を済ませて松山駅から岡山駅までは「しおかぜ」で車窓からの風景を楽しみ,岡山駅から名古屋駅までは新幹線で一直線です。今回は温泉は勿論,なかなかに良い旅でした。一度も四国に渡ったことがないという,うちのカミさん。少しはカミさん孝行ができたかしらん(笑)。
旅から帰った翌日には,うちのカミさんは,書庫の奥から出してきて,「坂の上の雲」の第1巻を読み始めておりました。どうやら感化されたようです(笑)。
ぐっすり寝た翌朝は,ホテルでの朝食です。私はもちろん和食,ところがカミさんは洋食でした。いつも我が家では伝統的にごはんと味噌汁,納豆とアジの開きなんていう朝食ですので,カミさんとしてはたまには洋食もいいなと思ったようです。
みなさんは,司馬遼太郎の「坂の上の雲」という小説をご存知でしょうか。この松山という町そしてそこに住む人々は,郷土が生んだ秋山好古,秋山真之,正岡子規という偉人に誇りを感じていることは間違いないようです。この小説はこの3人が主人公として描かれており,私もこの「坂の上の雲」(文春文庫,全8巻)をむさぼるように読んで,その内容にいたく感動したものです。小説といっても,司馬遼太郎の事前取材の詳細さ,広汎さは半端なものではなく,そこに描かれているストーリーは相当に史実に近いと思われます。
そこでこの旅の2日目は,朝食をとってしばらく休んだ後に,道後温泉駅から大街道駅へ移動し,早速「坂の上の雲ミュージアム」に直行しました。し,しかし・・・。事前調査が甘く,その日月曜日は何と休館日だったのです(笑)。相当にがっかりしましたが,気を取り直して急遽路線を変更して松山城を観光することにしました。
大街道駅から12,3分ほど歩きまして,ロープウェイ・リフト入り口までやって来ました。天気は快晴に近かったし,桜も本当に美しかったので,私たちはリフトで新鮮な空気を吸いながら頂上の松山城を目指しました。その威容を眺め,内部も観覧しましたがなかなかの名城です。賤ケ岳の七本槍の一人,加藤嘉明の時代に着工されました。
山頂から下りるリフトからの景色も素晴らしく,前のリフトに乗ったカミさんの後姿を見ているとその時何だか感謝の気持ちが湧いてきました。リフトにちょこんと子供のように乗ったカミさんの後姿は思ったより小さく見え(実際には155センチほどはありますが),いつも家事全般をこなしてくれ,仕事の手伝いもしてくれているのです。誠にありがたいことです。
さて,威容を誇る松山城。ホテルの窓からもこの松山城を観ることができるのですが(夜はライトアップされています),この城は城下の市民の生活,平穏を静かに暖かく見守っているような風情を感じました。
そして,昼食です。昼食場所はもちろん私が下調べしており,さきほどのロープウェイ・リフト入り口にほど近い「丸水(がんすい)」という名店で,とても美味しい鯛めしを食べさせてくれる所です。昼飯時は行列ができると脅されていたので,私たちは早めの11時半ごろには店に到着しました。待つことなくすぐに案内していただき(接客もとても丁寧で感じ良し),美味しい鯛めしを堪能しました(私はビールも)。松山でいただく鯛めしというのは(宇和島辺りでも同様),いわゆる漁師料理で鯛の切り身が生で皿に盛られ,別の器には濃厚な出し汁の中に卵が割入れられ,それをかき混ぜて鯛の切り身を適量浸し,お好みに応じて薬味を入れ,味の付いた鯛の切り身を温かい白ご飯の上に乗せていただくというものです。絶品です。名古屋辺りでいただく鯛めしというのは炊き込みですが,松山では漁師料理風なのです。この時はもちろんビールのおつまみはじゃこ天です(笑)。
とても満足した私たちは,腹ごなしの意味で歩きに歩き,道後公園に至りました。目的はそこにある松山市立子規記念博物館です。ここは正岡子規の世界を中心とした,文学系の博物館であり,病苦の中にあっても逆境にめげず主に俳句の世界で立派な業績を残した子規の生涯とその業績が把握できます。この博物館には書籍販売コーナーがあり,「病牀六尺」(岩波文庫),「秋山真之の謎を解く」(片上雅仁著,アトラス出版),「山頭火と松山」(NPO法人まつやま山頭火倶楽部編,アトラス出版)の3冊を衝動買いしてしまいました(笑)。
私のこのブログでもたびたび登場し,私がその句をこよなく愛する種田山頭火は,松山市内の「一草庵」を終の棲家としてこの地で鬼籍に入りました。
旅の2日目はこんな感じでした。私もそこそこ疲れましたので,道後温泉のアーケード脇のじゃこ天屋さんに立ち寄り,揚げたてのじゃこ天と,じゃこカツをいただきました(カミさんと半分ずつ)。じゃこカツは特に美味しかった。そして私はホテルに戻って温泉の一番風呂,貸し切り状態を満喫し,カミさんはというととても元気者で,ホテルで小休止をした後に道後温泉の一角にある温泉まで出かけて温泉に浸りました。
明日は2泊3日の旅の最終日ですが,「坂の上の雲ミュージアム」と「秋山兄弟生誕地」だけは絶対に行きたい!私は彼らの生き方に敬服しているのです。・・・(続く)
まずは新幹線で岡山を目指します。私の座席の隣には,つい先日結婚35周年をめでたく迎えたうちのカミさんです。普段,いろいろと苦労をかけておりますのでその慰労をかねて(税金の還付が思いの外多かったということもあります(笑)),温泉で浮世の垢でも落とそうかということに相成りました。
私はこれまで香川県,徳島県,高知県は旅したことがあったのですが,愛媛県は未体験でしたし,うちのカミさんは一度も四国に渡ったことがないということでしたので,今回は旅先として伊予松山・道後温泉を選択しました。さて,やはり旅となると気分は緩々となりますので,私は新幹線の車中で朝っぱらから缶ビールと乾き物のおつまみです。カミさんも楽しそうです。それに,この2泊3日の旅行中は連日快晴に恵まれ,ありがたいことでした。
岡山までは順調でしたが,ここでダイヤに乱れが生じました。岡山から松山までは「しおかぜ」という特急で移動する予定になっていたところ,人身事故があったとのことで予定した車両が運休になり,1本後の「しおかぜ」に変更になったのです。私たちは時間調整を余儀なくされましたが,美味しい駅弁を車中でいたたくために岡山駅で駅弁を購入し(もちろん缶ビールも),1本後の「しおかぜ」に無事乗車したのです。
さて,岡山から松山までは特急でも移動に約2時間40分かかり,長い旅ですよ。でも今回は敢えて飛行機での移動はやめ,車窓から美しい瀬戸内海や山間部のまだ満開に近い美しい桜などを眺め,ゆっくりと温泉に浸かるような旅にしたのです。そして「しおかぜ」の車窓からの眺めは正にそのような美しい風景でした。
ようやく松山に到着です。古いけど味わいのある松山の駅舎からは,伊予鉄道の市内電車(路面電車)で道後温泉駅へ・・・。道後温泉に到着した時は既に午後3時半ころになっておりました。噂に聞いた道後の温泉街はなかなか風情があり,人出も思ったより多く,お土産物屋さんで名物のじゃこ天と伊予柑を買いました。接客のおばさんのとても感じの良いこと。知人からは道後に行ったらじゃこ天を食べなきゃ,と言われていたから早速買い求めたのです。今回は少し山の手にある英国風のホテルを予約し(連泊),チェックアウトを済ませて一休みしました。この日は長旅の疲れもありましたから,名所の観光は翌日に回して温泉の一番風呂を目指しました(笑)。
結局一番風呂という訳にはいきませんでしたが,ほぼ貸し切りの状態で露天風呂も楽しめました。手足を思い切り伸ばして,体は温泉でポカポカです。道後温泉は聖徳太子もここを訪れたという伝説が残っており,いい湯に浸かって極楽,極楽・・・。そして夕食の前に,夫婦そろってマッサージを頼みました。2人の年配の女性の按摩さんで技術は確かです。マッサージで体をほぐした後は,割と軽く夕食を済ませて明日の観光に備えました。私のビールは定番ですが,カミさんは珍しくチューハイを飲んでおりました(笑)。・・・(続く)