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弁護士ブログ

2022/08/26

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このタイトルの話題,まだ続いていましたか(笑)。しつこいようですけど,まだ書きたいことがあるんですよね。

 

「その1」でも書きましたが,日本が欧米,特にアメリカに追い詰められて開戦に至り,敗戦したという一連の流れについて,評論家小林秀雄は「僕は歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている。」と述べましたが,その歴史の必然性の中に,アメリカや日本の各政権の中に深く巣食って政府方針に大きな影響を及ぼしていたコミンテルン(共産主義インターナショナル)やソ連のスパイの暗躍があったことは指摘しておかなければなりません。

 

このような実態については早くから指摘されていたことですが,アメリカにおいて「ヴェノナ文書」をはじめ多くの史料が公開され,また,ソ連崩壊後にKGBのアーカイヴなどの機密資料が続々と公開されるに至って,このことは歴史の真実として確認されるようになりました。

 

当時アメリカ政府内には極めて多くのソ連のスパイが潜入しており,財務省にはハリー・デクスター・ホワイト,国務省にはアルジャー・ヒス,大統領補佐官としてラフリン・カリーらが暗躍し,彼らは巧妙にアメリカ政府を操るとともに,重要情報をソ連に流していました。また,中国ではやはりオーウェン・ラティモアが蒋介石の顧問として暗躍し,ラティモアをアメリカ政府の代理人という形で顧問として蒋介石のもとに送った(推薦した)のはラフリン・カリーと言われています。そしてアメリカはいわゆる「援蒋ルート」を通じて,日本と戦うよう中国国民党に武器,弾薬,食料などを供給しておりました。

 

財務省のハリー・デクスター・ホワイトは,日本を土壇場まで追い詰めたあのハル・ノートの原案となる「ホワイト試案」の草案者だと言われていますし,国務省のアルジャー・ヒスは,1945年2月のヤルタ会談においてはフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領側近として暗躍し,もう病気でよれよれ,腑抜けみたいになっていたルーズベルト大統領を事実上操り,ソ連のスターリンは同会談では自分の思い通りになり,内心ほくそ笑んでおりました。

 

一方,日本では,ソ連の諜報員であるリヒャルト・ゾルゲの協力者である尾崎秀実らが近衛文麿内閣の時代に嘱託として官邸に深く入り込み,昭和研究会,「朝食会」などを通じてスパイ活動を展開していました。ソ連としては,西のドイツ,東の日本との二正面作戦は絶対に回避したく,日本の南進政策へ何としても誘導したかったのです。

 

何が言いたいのかといいますと,当時の状況は日本の独り相撲などではなく,アメリカは何としてでも日本を追い詰め,日本に一撃を打たせて(真珠湾攻撃),「裏口からの参戦」を果たしたかったし,ソ連は独ソ戦に集中すべく日本の南進を誘導し,南進といっても日本軍と戦うのは国民党で,共産党は力を温存し,結果として戦後は中国大陸には共産主義国家が誕生し,ソ連は東欧を共産主義圏にし,さらには不法にも北方領土も占拠するに至ったのであり,要するに当時は日本を取り巻く諸外国の腹黒い思惑がどす黒く渦巻いていたということです。一方的な「日本悪玉論」は史実に反する偏頗な見方に過ぎないのです。

 

戦後,あのマッカーサーも,アメリカ上院の軍事外交合同委員会において,「あの戦争は日本にとって概ね自衛のための戦争だった。」と証言しています。また戦後は中国大陸に真っ赤っかな共産主義国家が誕生し,朝鮮戦争の結果半島の北には北朝鮮というこれまた異常な国家が生まれ,ソ連は解体したもののロシアはウクライナで傍若無人の振る舞いをしています。このようなことからすれば,アメリカは当時戦う相手を間違えたのではないでしょうか。そして,大東亜戦争の結果,白人による植民地支配に喘いでいたアジア諸国は次々に独立を勝ち取ることができました。

 

くどいようですが,一方的な「日本悪玉論」は史実に反する偏頗な見方に過ぎないのであり,もっと歴史を多面的,重層的に見ていく必要があろうかと思います。

2022/08/23

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先週の土曜日は,約1年ぶりにうちのカミさんと一緒にサッカー観戦をしました。豊田スタジアムでの名古屋グランパス対ジュビロ磐田戦。スコアは何とか1-0での勝利でしたが,現在のJ1での順位どおり,名古屋グランパスは昨年よりも弱くなっているのではないでしょうか。得点力が格段に低くなり,これまでの総得点数はJ1の18チーム中,下から数えて3番目です。ただ当日はちょっと疲れていたかなという感じでしたが,背番号11の相馬勇紀選手は今後も期待できそうです。私より背は小っちゃいのですが,ドリブルの切れがあります。

 

サッカーついでに言いますと,あの三浦知良(カズ)選手は55歳の現在も鈴鹿ポイントゲッターズに所属し,現役を続けておられますね。これまでJ1最年長出場記録やJFL最年長出場記録を更新中ですが,実際のところは出場機会がほとんどなく,出場した場合でもそのパフォーマンスは残念ながら極めて低調です。彼の日本サッカー界におけるこれまでの功績が素晴らしいのは言うまでもありませんが,私はかねがね思っているのです。人間引き際というものが大切ではないかと・・・。彼が選手としてベンチに入っていれば,伸び盛りの若手にとってその1枠は埋まってしまいます。貴重な経験やこれまでのサッカーに対する知見を活かすのであれば,コーチや監督として活躍する道もあるでしょう。

 

スポーツついでに言いますと,読売巨人軍の原辰徳監督の現在の状況を見る限り,もう監督としては限界なのではないかと思います。本来であれば,日本シリーズにおいて2年連続でソフトバンクと闘い,4タテに次ぐ4タテという屈辱的な結果しか得られなかった時点で(1勝もできない),潔く身を引くべきであったと思います。「全権監督」であり,そしてプロの世界なのですから,結果が出ない以上は責任を取らなければなりません。コーチの布陣をはじめ,チームとして機能していないし,選手の育成もままならず,その時調子が良さそうだというだけで日替わりでメンバーを入れ替え(その一方で贔屓の選手は重用),敗戦についてのコメントを求められれば選手のせいにする・・・。私は長嶋茂雄選手が現役の時代からの熱烈なジャイアンツファンですが,実は今日からの中日ドラゴンズとの3連戦で最下位に転落すれば原監督に引導を渡せるのではないかと,良からぬことを,そしてファンの風上にも置けないことを考えております(笑)。今のままではジャイアンツに対して愛情を持てないのです。人間引き際が大切。

 

エンターテインメントついでに言いますと,週末の日曜日には久しぶりに日テレ系列の「笑点」の大喜利を見ました。今はどうなっているのだろうと。はっきり申しまして,「人間引き際というものが大切」との言葉は,林家木久扇師匠にも当てはまると痛感しました。もちろんこの番組における彼のこれまでの功績は申し分ないのですが,もう座布団に座れず一人だけイスに腰掛け,呂律も十分ではなく,手を上げて発言する機会もほとんどない状態では,そう言わざるを得ないのです。お客さんに笑いをプレゼントしなければならないのに,痛々しさを感じさせるようではいけません。

 

時代は異なりますが,八代目桂文楽の引き際の潔さです。五代目古今亭志ん生とは互いにリスペクトし合うライバル。八代目桂文楽は細部まで緻密に作り込み,寸分もゆるがせにしない完璧主義です。彼が78歳の時の国立劇場小劇場での演目「大仏餅」が最後の高座になりました。途中で台詞を忘れて絶句した文楽は,「台詞を忘れてしまいました・・・」,「申し訳ありません。もう一度・・・」,「・・・勉強をし直してまいります。」と挨拶し,深々と頭を下げて話の途中で高座を降り,以降のスケジュールはすべてキャンセルし,二度と高座に上がることはありませんでした。潮時だと感じたのでしょう。誠に見事な引き際です。

2022/08/17

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前回の続きです(笑)。私が前回のブログ内容のようなことを書きますと,「お前のような奴を歴史修正主義者(ヒストリカル・リビジョニスト)というのだ。全く反省というものが足りない!」などとお叱りを受けるのかもしれません。

 

でも,修正したとしてお叱りを受ける,その修正前の歴史こそ「東京裁判史観」ですよね。果たして「東京裁判史観」というものは無謬性を有する,そして全世界の人々がこれにひれ伏さなければならないような「正史」なのでしょうか。歴史の観方というものは,もともと,そして究極的には各国の立場によって様々なのです。韓国や中国の歴史教科書で展開されている内容はもうお話にならないほどメチャクチャです。そして,いわゆる「東京裁判史観」についても,言ってみれば「戦勝国史観」に過ぎないのだと思います。

 

「世界がさばく東京裁判」(佐藤和男監修,明成社)という本はお薦めですよ(笑)。必読書と言ってもよいと思います。この本は,14か国の高名な識者85人が連合国の戦争責任を追及し,東京裁判を理論的に批判しており,とても腹に落ちる内容です。

 

この本の序文を寄せた加瀬俊一さんの言葉を借りれば,「日ソ中立条約に違反して満州に侵攻し、虐殺略奪をほしいままにしたソ連には明らかに日本を裁く資格は皆無である。また、六十六都市を無差別爆撃して四十万の非戦闘員を殺戮したうえ、日本が終戦を模索していることを知りながら、原爆を投下したのは、天人ともに許さざる重大な国際法違反である。」わけです。

 

東京裁判の判事11名について言いますと,国際法の知識はおろか法律学一般の素養さえも十分ではないと危惧される者が少なくなく,厳密な意味で法律学者といえるのはインドのパール判事とオランダのレーリンク判事のたった2人だけでした。そして,全任務が終了して帰国するに際してレーリンク判事が挨拶のためにウィロビー判事(アメリカの将軍)を訪ねた際,ウィロビー判事(将軍)は「この裁判(東京裁判)は、有史このかた最悪の偽善であった。」と語り,さらにこの種の裁判が行われる以上,自分の息子には軍務に就くことを許さないと述べたそうです。ウィロビーが言わんとしたのは,日本が開戦直前に置かれたような状況にもしアメリカが置かれたなら、アメリカとても日本と同様に戦争を遂行しただろうし,その結果敗戦したら重要な責任ある地位にあった軍人が戦争犯罪人として裁かれるのは許しがたいということなのです。

 

「もっとも連合国側にも、自分たちの戦争責任を不問に付したまま敵国だけを裁く-その欺瞞性に煩悶した公正な識者たちが少なからずいた。彼らは『なぜ被告席に座るのが敗戦国のドイツ人や日本人だけなのか。裁く自分たちの手は汚れていないのか』という問いを発することで、戦争裁判が掲げた『正義』、つまり連合国の、勝者の『正義』に強い疑問を投げかけたのである。」(同著107頁)。

 

東京裁判の前提となった「極東国際軍事裁判所条例」は決して国際法に基づくものではなかった訳ですし,いわゆる「A級戦犯」は「平和に対する罪」を犯したという訴因で起訴された訳ですが,そもそも「平和に対する罪」なるものは事後法なのであり,本来であれば事後法で裁かれ,死刑を宣告され,これを執行するなどといったことは到底許容されないものでしょう。

 

アメリカ連邦最高裁判所のW・O・ダグラス判事は,この東京裁判について「極東国際軍事裁判所は、裁判所の設立者から法を与えられたものであり、申立人の権利を国際法に基づいて審査できる自由かつ独立の裁判所ではなかった。それ故に、パール判事が述べたように、同裁判所は司法的な法廷ではなかった。それは、政治権力の道具に過ぎなかった。」と述べています。

 

くどいようですが,「世界がさばく東京裁判」(佐藤和男監修,明成社)という本はお薦めですよ(笑)。眼からウロコですよ。いわゆる「東京裁判史観」なるものを今一度見直してみるというのはどうですか。私はあらかた見直しました。ですから,「歴史修正主義者(ヒストリカル・リビジョニスト)」などと,どれだけ罵られようと全く平気なのです。

・・・(いささかくどいですが,つづく)・・・

2022/08/15

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第二次世界大戦(大東亜戦争)が終結してもう77年もの長い年月が経ちますか・・・。私の伯父(亡き父の兄)もビルマの戦線で戦死しました。身内ながらとても優秀な方だったと聞いております。私も東京へ出張などする際には,時間があればできるだけ靖国神社を参拝しようと思っておりますが,うちのカミさんや娘と一緒に最後に参拝できたのはもうかなり前のことになります。

 

さて,これはいつも思うことなのですが,毎年終戦記念日の前後にマスコミ,特にテレビが流す情報にはいつも違和感を覚えております。その報道姿勢は,完全に「東京裁判史観」に立脚し,とにかく日本という国が一方的に悪い事をし,アジアをはじめとする諸外国に多大の惨禍をもたらしてしまった,日本は愚かにも国策を誤ったのだ,一部の戦争指導者(責任者)に日本国民は騙されて不本意な戦争に駆り出されたなどといった史観が前提になっていることが窺えるのです。

 

確かにある意味でそういう一面はあったかもしれませんが,果たしてそれだけで総括できるようなものなのでしょうか。マスコミの報道姿勢は,当時日本という国,そして日本人が置かれていた切羽詰まった状況に対してあまりにも無理解であり,GHQがこれにより徹底して戦後の日本国民を洗脳したWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)に現在に至っても毒されたままであると言わざるを得ません。

 

当時日本という国,そして日本人が置かれていた状況に対してあまりにも無理解であるといいましたが,それは何とか「裏口からの参戦」を企図していたフランクリン・デラノ・ルーズベルトらの挑発,コミンテルンのスパイ(共産主義者)がアメリカや日本の政権中枢を巣食い,日本資産の凍結,鉄や石油の完全禁輸,いわゆるハル・ノートの突きつけなどによって次第に日本という国を追い詰めていって,日本に何とか一撃を打たせよう(真珠湾攻撃)としていたことなどの当時の国際的な背景事情に触れていないということです。

 

あの当時,そのような背景事情の下で,日本の為政者や軍部,国民,マスコミなどに対して,もっと合理的な選択をすべきであったなどと追及するのは極めて酷な話です。そして,日本国民は軍部らに騙されて戦争に駆り出された愚かで哀れな存在だったというのは全く当たらず,その当時どの国民も自分の愛する家族,同胞・民族,国を守るために戦わなければならないという純粋な気持ちで団結していたのだと思います。

 

時代が下った後世,平和を享受し,衣食住足りている人たちが,訳知り顔で,当時の日本の為政者ら,そして国民について,「もっと合理的に政治判断をすべきだっただろう。もっと冷静に行動すべきだっただろう。」などと一方的に断罪するのは極めて浅はかだと思うのです。終戦記念日に垂れ流されるテレビの番組を見ていますと,もう少し多面的で,本質的で,公正な報道姿勢をとれと言いたい。

 

戦前,戦中,戦後に生きた評論家小林秀雄は,かつて次のように発言しています。

 

「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。大事変が終った時には、必ず若しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。」

 

知の巨人,小林秀雄はこのように嘆きつつ事の本質を見事に喝破したのです。私はこの論に非常な共感を覚えるのです。また,適菜収という方のブログでは,この小林秀雄の発言について「非常に有名な言葉だが、別に小林は戦争や軍国主義を肯定したわけではない。歴史を後から裁断する人間の傲慢さ、みっともなさを指摘しただけである。」と評しておりますが,これも同感できます。

・・・(つづく)・・・

 

2022/08/09

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私だけなんですかね?「歩きスマホ」をしている人を見ると無性に腹が立ってくるのは・・・。ましてや,スマホをいじりながら自転車を走らせているバカ者を目にした時には怒り心頭です。怒髪天を衝くというやつです(笑)。

 

いや,笑い事ではないでしょう。歩行者との衝突事故が実際に発生したらどうするのでしょうか。まだ極めて少数ですが,地域によっては「歩きスマホ」を禁止する条例を制定しているところがあります。ただし罰則まではありませんが,明確に「歩きスマホ」の禁止を宣言している訳です。

 

もちろん,スマホを操作しながら自転車を走らせるという暴挙に及んだ連中は,明らかに道路交通法違反であり,5万円以下の罰金に処せられることもあるのです。それに,そんな風にして人に怪我などさせた場合には重過失致傷罪に該当することもありますね。

 

はっきり申しますと,私は街中で「歩きスマホ」などをしている人たちを見るととても不愉快になり,内心で蛇蝎のように嫌っております。スマホを操作しながら歩いている人たちは,あたかも「対面歩行して来るあなた達の方で衝突を避けなさい。」とでも言っているようであり,極めて横着な料簡で,いわば他者に甘えていると思うのです。そういう横着者に限って,ぶつかりそうになると不満そうな顔で私を睨んでくるのです(苦笑)。

 

自慢するようなことではありませんが,私は「歩きスマホ」をしたことはただの一度もありません。とてもだらしがない姿ですし,見苦しいし,他者に迷惑をかけるからです。それにしても「歩きスマホ」をしている人の多いこと,多いこと・・・。呆れかえってしまいます。スマホを運転しながら自転車を走らせているバカ者を見ると,「無礼者!そこへ直れ!」と言いたくなってしまう(笑)。

 

このようにあまりにも「歩きスマホ」をしている人が多い中で,背筋をしゃんと伸ばして前を向いて颯爽と歩いている人,特に美人の女性を目にしますと,かっこいいなぁと思います。・・・あっ,「美人」は余計でした。

 

いずれにしても,みなさんは街中で「歩きスマホ」が氾濫している状況を見て,不愉快にはなりませんか?

 

さて,私はバッハ(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)の曲を聴かない日がないくらいバッハの音楽を心から愛しておりますが,7月28日はバッハの命日です。毎年この日にはバッハのネタで必ずブログを更新していたのですが,今年は忘れておりました(笑)。

 

数多くの傑作群の中から,今日はお薦めの曲を1曲・・・。教会カンタータ第191番「天のいと高きところには神に栄光あれ」の第1曲(グロリア・イン・エクセルシス・デオ)が素晴らしい。8分の3拍子(前半),4分の4拍子(後半),ニ長調で,特に前半部分はとても祝祭的な雰囲気の曲であり(3拍子の部分は舞踏的な要素もあります。),バッハの曲の中でも最も華やかな曲の一つと言われております。これは「ミサ曲ロ短調」の中にも入っている有名な曲です。「バッハ BWV191」とキーワードを入れて検索するといくつかのYouTubeで楽しむことができます。一度お試しください。

2022/08/01

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昨年末にロータリークラブの年末家族例会という席で,余興(出し物)として,小編成の合唱団で4曲ほどを歌ったことがありました。そのうちの3曲は短い童謡・唱歌でした。にわか作り,急ごしらえの10名ほどの男女混声合唱団であり,十分な練習時間も確保できませんでしたが,なかなかの好評だったと思います(笑)。たまには童謡・唱歌もいいですね。日本の童謡・唱歌は愛らしく,いかにも日本的な文化に根差した情緒というものがあります。これからも忘れ去られることなく,ずっと歌い継がれていって欲しいものです。

 

ところで,産経新聞には「朝晴れエッセー」というコーナーが掲載されています。私はいつも目を通している訳ではありませんが,たまたま目に留まったエッセーの中には本当に感動的なエッセーもありますよ。さすが産経新聞!報道姿勢もそうですが,訳の分からない川柳を臆面もなく掲載する朝日新聞とは雲泥の差です(笑)。

 

7月29日の産経新聞に掲載された「朝晴れエッセー」を読んで,朝からしんみりとした気持ちになりました。和歌山市の方の投稿ですが,終戦の年の昭和20年7月28日に1歳半の弟を病気で亡くし,その1週間後の8月2日には過労で寝込んでいたお母さんも亡くしてしまったというのです。軍服を早く縫うように急かされていたそのお母さんは(お父さんは戦地),過労により2階で寝込んでいたところ,病気で1歳半の我が子が亡くなった事実を知り,冷たくなった我が子の顔をそっとなでて涙をふきながら,とぼとぼと2階へ上がって行った。そのとき,2階からはやさしい声で聞こえてきたのが「シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んだ、屋根まで飛んでこわれて消えた・・・」という歌だったそうです。結局,その1週間後にお母さんも亡くなります。

 

シャボン玉という童謡・唱歌はとても有名であり,私も小学生の時に音楽の授業で歌ったことがありました。長調の曲であり,シャボン玉遊びをしている場景を歌った楽しい歌だとばかり思っておりましたが,よくよく調べてみると,作詞者である野口雨情には長女みどりを生後7日目か8日目で亡くしたという辛い体験があり,その長女のことを思い出しながらこの「シャボン玉」を作詞したという説が有力です。ある日,野口雨情がシャボン玉遊びをしている子供たちに遭遇し,長女が生きていれば彼女たちと同じ年ごろだっただろうな,などと長女(みどり)のことを思い出しながら作詞したという説です。

 

野口雨情は,やはり終戦の年の昭和20年1月27日に亡くなっており,新聞などの彼の死亡記事の中ではこの代表作「シャボン玉」の作詞経緯などに触れられていたのかもしれません。ひょっとしたら,さきほどの「朝晴れエッセー」に出てきたお母さんも,そのようにして「シャボン玉」の作詞の背景を知っていたからこそ,2階で悲しくも優しい声で「シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んだ、屋根まで飛んでこわれて消えた・・・」と歌ったのでしょうか。

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