いよいよ年の瀬も押し迫ってまいりました。世間では大掃除,買い出し,挨拶,残務整理などなど慌ただしい雰囲気だと思いますのに,今日のブログでは浮世離れの,のんびりとした話題となってしまいました。
このブログでもたびたび登場したのですが,皆さんは種田山頭火という漂泊の俳人のことをご存知でしょうか。その俳句は自由律非定型句なのですが,いわゆる境涯句が多く,昔から何となく心惹かれるものがあるのです。今の季節で思い出す句をいくつか紹介しますと・・・
「うしろすがたのしぐれてゆくか」
「鉄鉢の中へも霰」
「けふもいちにち風をあるいてきた」
「だまつて今日の草鞋穿く」
今年の春にうちのカミさんと一緒に松山・道後温泉を旅行したことがあるのですが,この道後温泉のすぐ近くにあった「一草庵」が山頭火の終焉の地です。この旅行先で衝動買いした本が「山頭火と松山-終焉の地・松山における山頭火と人々」(NPO法人まつやま山頭火倶楽部編,アトラス出版)ですが,これがなかなかディープな内容でとても良い本でした。これまで山頭火の評伝や句集などはかなり読みましたが,この本に書かれていることは今まで知らなかった興味深いものも含まれております。例えば,酒に酔いつぶれた山頭火に関する記述の次のような箇所です(同書116頁)。
「この宝厳寺には、山頭火の別のエピソードも残っている。ある夏の日、地蔵院の水崎玉峰和尚が宝厳寺の山門あたりを通りかかると、酔いつぶれた老人が前をはだけて転がっていて、近所の悪童たちが棒きれで、その老人の一物をあっちへやったりこっちへやったりしている。見ると、山頭火だったので急いで助け起こし、一草庵まで送り届けたというのである。山頭火はこんなふうに、寂しい庵での孤独に耐えられなくなると、一人で酒を飲み、前後不覚になるまで泥酔した。」
高度経済成長期の昭和40年代初めころでしたかね,いわゆる山頭火ブームが起こったのは・・・。当時は「蒸発」なんて言葉が流行ったりし,長時間労働の仕事に疲れ果て,妻子への夫・父親としての責任も感じ,ある時もう何もかもが嫌になって突如として出奔するという現象が少なからず発生した時代でした。その頃山頭火ブームが生じたということは,行雲流水,行乞流転の旅を続けた山頭火のような生き方にどこか憧れを抱いた人も多かったのではないでしょうか。
でもそのような山頭火の生き様や境涯句に共感や一種の憧れを感じながらも,彼のような生き方を実行に移すことはやはりできないでしょう。そのあたりのことは,この本でも指摘されています(同書39頁)。
「山頭火が残した日記は、彼の日々の動向を知る記録であるとともに、彼がどう生き、何に苦しみ、何に喜びを感じたかを知るよすがとなるもので、ある意味、肉声にも勝るものといえる。山頭火は『男の憧れ』を体現した人である。多くの人が彼の日記を読み、放浪の疑似体験をするわけだが、『人間は、こんなにもどうしようもない存在なんだ』という深い共感とともに、『やはり自分にはできない』と思わざるを得ないリアリティーが、この日記にはある」
種田山頭火,自由気ままである一方,苦悩に満ちた人生だったかもしれませんが,少なくとも「ころり往生」を享年58歳で遂げたことは幸せだったのでしょう。彼の9月2日の日記には,「私の述懐一節」と題し,「私の念願は二つ、ただ二つある、ほんたうの自分の句を作りあげることがその一つ、そして他の一つはころり往生である」と書かれており,彼は「一草庵」で「ころり往生」を遂げたからです。
松尾芭蕉や井上井月らの五七五の定型句ももちろん素晴らしいですが,山頭火や尾崎放哉らの非定型句もなかなかにいいものですよ。興味があったら是非味わってみてください。
来年もみなさんにとって良き年でありますように心より祈念いたしております。
今年も残り少なくなりました。そして今の季節のこの爆弾低気圧,すなわち寒波の物凄いこと・・・。私は冬場でもめったに手袋まではしないのですが,この寒さですから通勤時には手袋をしています。
12月25日,作家の渡辺京二さんが92歳で亡くなりましたね。心よりご冥福をお祈りいたします。もう10数年前になりますが,渡辺京二さんの「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)という本を読んで本当に深く感銘を受けました。それ以来,私は人から何かお薦めの本はないかと尋ねられたら,必ずこの本も薦めるようにしています。それくらい素晴らしい本なのです。この本の帯には「読書人垂涎の名著」と銘打たれています。そしてくどいようですが,私の記憶に間違いがなければ,やはり今年2月に亡くなられた石原慎太郎さんも,この名著について「これはもう現代人必読の名著である!」と評していたと思います。
この本の章立ては,「ある文明の幻影」,「陽気な人びと」,「簡素とゆたかさ」,「親和と礼節」,「雑多と充溢」,「労働と身体」,「自由と身分」,「裸体と性」,「女の位相」,「子どもの楽園」,「風景とコスモス」,「生類とコスモス」,「信仰と祭」,「心の垣根」となっております。この日本には,かつては間違いなくこの本で描かれたような一つの貴重な,失いたくない文明が存在していたのです。願わくばこのような貴重で愛すべき文明のあり様を少しでも存続させたい。
この本は,近世から近世前夜にかけてを主題にし,幕末維新に訪日した外国人たちの滞在記を題材にしていますから,当時の文明のあり様の描写としては割と客観性があるでしょう。ウィキペディアには,数年前に亡くなられた評論家西部邁さんのこの本に対する評が次のように紹介されています。
西部邁は『逝きし世の面影』について「渡辺京二さんが『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)という本で面白いことをやっていまして,幕末から明治にかけて日本を訪れたヨーロッパ人たちの手紙,論文,エッセイその他を膨大に渉猟して,当時の西洋人が見た日本の姿-いまや失われてしまった,逝きし世の面影-を浮かび上がらせているのです。(中略)この本を読むと,多くのヨーロッパ人たちが,この美しき真珠のような国が壊されようとしていると書き残しています。」と評した。
どうです,皆さん。おそらくは時間的に余裕のあるこの年末年始,ゆっくりとこの名著を味わってみては。確かにページ数の多さは克服しなければなりませんが(笑),内容的には決して後悔はさせませんよ。
2025年には日本国際博覧会が開かれる予定になっており,その会場が大阪市内ですから「大阪・関西万博」と呼ばれています。もちろんそのこと自体は結構なんですが,そのイメージキャラクターの「ミャクミャク」というのはどうも・・・(笑)。
「ミャクミャク」には全く罪はないのですが,正直申しますとイメージキャラクターとしてはイメージが悪いし,かっこ悪いと言わざるを得ません。一体全体,誰がどのようにして決めたのか。岸田首相は,歴史,伝統,文化,世界とのつながりを脈々と引き継ぐ,そういった意味が込められている愛称だと説明しました。この万博のロゴマークは細胞をイメージしているようで,この「ミャクミャク」も細胞,血管のように見えてしまいます。少なくとも可愛さや美しさはありません。審美眼などと大上段に構えるつもりはないのですが,選んだ方々に美を的確に見極める能力があったとは決して言えないような・・・。
一方で,今私がピアノレッスンで挑戦しているのが,バッハの「小さなプレリュードニ短調(BWV926)」なのですが,本当にこの曲のかっこいいこと。素晴らしくかっこいいのです。練習のために弾いていても,つくづくバッハの曲というのは知的で美しさがあるなと思いますし,たとえ小品であろうと感動的なのです。
一度YouTubeで「バッハ BWV926」とキーワードを入れて検索し,聴いてみてくださいな。かっこいいですよ(笑)。ヨハン・マッテゾンの調性格論によれば,ニ短調というのは「気分の沈んだ女性らしさ、奇妙であることや曖昧さを含む。」とあり,確かにこの曲はそんな沈鬱な感じで進行しますが,最後は長3度のピカルディ終止(短調の曲なのに最後の音は長調【長三和音】の明るい感じで終わり。)となります。これがまたかっこいい。
レッスンに通って先生の前で弾いても,なかなか仕上がりが良くなくて,〇印をもらえないこともあります。結構自信をもって演奏し終わっても〇印をもらえない時などには,私も内心少し不機嫌になったりもしますが,それでもバッハの曲ならばモチベーションが高いままで,そんなことにはめげることなく練習を続けることができるのです。本当にバッハは凄いです。
ちょっと心残りなので最後に一言,「ミャクミャク」ごめんね(笑)。
サッカーW杯がいよいよ決勝トーナメントに入り,佳境です。我が日本代表はここまであっぱれな活躍ですね。本当に凄いと思いますよ。対コスタリカ戦については監督と選手間,そして選手間同士の意思統一が不十分だったと思いますが,W杯優勝経験があり,決勝トーナメント常連の強豪ドイツとスペインにいずれも逆転勝ちしたのは誠に素晴らしい!
歴代の日本代表選手も立派でしたが,特に現在W杯を戦っている選手はほとんどが海外のクラブチームで揉まれている猛者が多いですね。ドイツやスペインを相手にするとリスペクトし過ぎるあまり「ひるんで」しまう傾向があるのですが,確かにリスペクトはあるでしょうけど,彼らは海外で揉まれているだけあって今回は決して「ひるんで」はいません。堂安の鋭いミドルシュート,三苫の敵陣を切り裂くドリブルとクロス,浅野の狭いコーナーを正確につく力強いシュートなどなど,堂々たるものです。
今日のクロアチア戦も大いに期待しております。ただ,クロアチアは2018年のW杯では準優勝しておりますし,歴代の代表選手だってアリョシャ・アサノヴィッチ,ズボニミール・ボバン,ロベルト・プロシネツキ,ダヴォール・シューケル,アレン・ボクシッチなどなどタレントぞろいでした。現在も世界ランク12位で,11位のドイツの次ですから正に強豪なのです。それにしても旧ユーゴスラビアというのは,セルビアやクロアチアが一緒だったのですから,これまた凄いわ。天才性あるタレントがきら星のように存在していましたね。さきほどのアサノヴィッチやボバン,ボクシッチなどに加え,セルビアなどにはあのドラガン・ストイコヴィッチ,シニシャ・ミハイロヴィッチ,プレドラグ・ミヤトヴィッチ,デヤン・サビチェヴィッチなどがいたのですから(笑)。凄いもんです。
さて,我が日本代表,全力で戦って欲しいものです。対クロアチア戦に勝利すれば,日本代表としては決勝トーナメントベスト8という歴代最高の成績となります。今まではベスト16が最高でしたね。そして,この試合に勝利すれば,次はブラジル(世界ランキング1位)と韓国の勝者と対戦します。先日ある番組で内閣官房副長官が「是非日韓戦が見たい。」なんてことを言っていましたが,それはやめて欲しいです(笑)。これまでの経験から,韓国と対戦しますとケガが怖いですし,勝っても負けても不必要に大騒ぎなどされたり,恨み言を言われたりなどとても後味が悪いからです(笑)。それよりも優勝候補ブラジルと正々堂々と戦い,日本代表がどこまで通用するか見てみたいですし,「良い試合だった」と世界中の観戦者を感動させてもらいたいのです。
まずはくどいようですが,対クロアチア戦,日本代表頑張れ!その時間帯にはもう熟睡中かもしれませんが,目が覚めていたら布団の中で暖かくしてテレビ観戦したいと思います。