何ですって?LGBT理解増進法案が衆参両院で可決したんですって?本当に大丈夫なんですかね。私は,この法案の内容そのものに対する疑問をもっており,またこの法律は,その実施段階では現場で相当混乱するなどの問題点をはらんでいると思っております。何よりも背後でゴリ押しした岸田首相の不純な動機と無責任さに立腹しております。
この法案をめぐっては,「ジェンダーアイデンティティー」なる英語が法律上の文言として明記されていますが,この用語の概念,内容は我々一般人の頭にすっと入って来ますか?これは医学的知見で定める性同一性障害者を指すと読める「性同一性」と訳すこともできますし,必ずしも医学的裏付けを伴わない「性自認」と訳すこともでき,その両者を包含している趣旨でしょう。仮にこの法案の中に「全ての国民が安心して生活することができるよう留意する」趣旨の文言が明記されたとはいっても,現場では相当に混乱しますよ。
トランスジェンダー女性(生まれつきの性別は男性,性自認は女性)にトイレや浴場,更衣室など女性専用スペースの利用に道を開きかねず,不安視する声が女性団体から上がっていました。現に,数日前にも三重県津市で50歳代の男性が女装して女湯に入り(湯船に浸かる),逮捕されるという事件が起こっていますし,そのような事例は最近では珍しくありません。また,経済産業省に勤務する50歳代のトランスジェンダー女性の職員が女性トイレの使用を制限した措置,人事院の判定を不服として取消し等を求めた裁判では一審と二審の判断が異なり,来る7月11日には最高裁判所の判断が出されることになっています。
また学校でLGBT教育を促進する条文については,たとえ「家庭および地域住民その他の関係者の協力を得つつ」などといった気休め程度の文言を加えたとしても,幼少期に「性の多様性」を教えるなどした場合,性観念が不安定な子供を混乱させることになりはしませんか。そして,日本全国にはいろいろな地方自治体があり,これまで他の分野で首長指導の下に妙な内容の条例が制定されたりしていますので,今後急進的なLGBT条例が世に出現しないとも限りません。それにスポーツの現場では,スポーツ競技の女子種目にトランスジェンダー女子の出場を認めるのかという問題もあり,現にアメリカでは水泳や自転車競技で凄いことになっております。
「大衆の狂気-ジェンダー・人種・アイデンティティー」(ダグラス・マレー著,山田美明訳,徳間書店)は正に瞠目すべき良著で,欧米における行き過ぎた「多様性尊重」がもたらした社会分断と憎悪の実態,社会の混乱を克明に記しております。これは一読の価値があるでしょう。
私は岸田文雄という人間を政治家として全く信用,評価しておりません。彼がこの法案の国会提出を急がせた理由は,まずは2月3日の荒井勝喜元首相秘書官の「差別発言」による政権危機拡大を受けて幹事長に指示し,そして対外的にも顔が立つとして何が何でも広島G7サミット(先進7か国首脳会議)前の成立をめざし,少なくともこの前には国会に法案を提出するようゴリ押ししたと伝えられています。自民党の総務会では反対意見がいつも多数を占めていたにもかかわらず,最後は強引に幹部に一任という非民主的な手法をとり,最後の最後は維新と国民民主党の案を「丸のみ」する形で法案を成立させたのです。岸田首相にとっては,成立させさえすれば内容なんかどうでもいいといった態度と受け取られても仕方ありません。極めて動機が不純で無責任だと思います。そんなことをしていては,保守層の票が本当に自民党から離れてしまいますよ。
いや,もちろん専門外ですので雀(すずめ)について学術的なことを書こうというのではありません。以前にもこのブログでも書いたのですが,私は昔から雀という鳥が大好きなのです。鳥の中では一番好き。好き嫌いは理屈抜きなところがありますが,その理由を端的に言いますとただ一言,可愛いからです。
毎朝読んでいる産経新聞には,「朝晴れエッセー」というコーナーがあって,先日雀のことに触れた何やらほっこりするエッセーに目が留まりました。要約してしまうとその文章の良さがかなり減殺されてしまうのですが,次のようなものでした。
ある高齢の女性が夕方の買い物帰りの途上,ウーバーイーツ配達のお兄さんが道路にしゃがみこんでいた。よく見ると,小さな雀を手にしてその頭を優しく撫でていた。どうやらそのお兄さんは,道路の真ん中でその雀が動かなくなっていたので心配して手に取った。その高齢女性も気になって,そのお兄さんと話し合ってその雀に水でも飲ませてあげようということになり,女性が水を買いにコンビニまで走って調達して戻ってきたら,既にその雀はお兄さんの手から羽ばたいて去っていた。
こんな風に小動物にごく自然に愛情を注ぐことのできる心の余裕が欲しいものです。
雀ですぐに思い出すのが,木村緑平という医師であり,自由律俳句を作り,あの漂泊の俳人種田山頭火を支え続けた彼の心の友です。何より,この木村緑平という人はとにかく雀が好きで,雀の句だけでも三千句以上を作り,師匠の荻原井泉水を困らせたという人です。
この木村緑平という人は,長崎医学専門学校(現.長崎大学医学部)を出て医師になり,昭和初期から,炭鉱景気に沸く筑豊炭鉱で働く労働者の医療に携わり,自由律俳句誌「層雲」を通じて種田山頭火と知り合う訳です。緑平は無銭飲食をした山頭火の身元引受人になったり,遠方から金銭の無心をされても快く山頭火に送金したり,漂泊の旅の途中に十数回にわたって自宅を訪れた山頭火を温かく迎え入れ,物心共に彼を支えた心の友だった。山頭火がいかに緑平に心を許し,信頼していたかは次のような件(くだり)でもよく分かりますし,自分の日記数十冊を緑平に託したことからも分かります。
「名残り惜しい別れ、緑平よ、あんたのあたゝかさはやがてわたしのあたゝかさとなってゐる。晴れて曇り、行程六里、心身不調、疲労困憊、やうやくにして行橋の糀屋といふ木賃宿に泊まったが、こゝもよい宿だった。アルコールの力を借りて、ぐっすり睡ることができた。そのアルコールは緑平老のなさけ。」(行乞記・昭和8年6月8日)
医師として地域医療に貢献し,句友を物心両面で支え,長きにわたって妻の介護をして優しく看取り,雀をこよなく愛して清貧に生きる。素晴らしいではありませんか。緑平の旧宅跡地も現存し,柳川市などには句碑もあるということですので,いつかは旅で訪れたいものです。そういうの,私は好きでしてね。以前私は,家族と一緒に,長野県の伊那市まで井上井月の句碑や墓を訪れたこともありました。
「雨降る子のそばに親の雀がきてゐる」
「うまいことしてゐらあ雀水あびてゐらあ」
「雀生れてゐる花の下を掃く」
「かくれん坊の雀の尻が草から出てゐる」
「香春へ日が出る雀の子みんな東に向く」(緑平)