波乱の一年の幕開けというのでしょうか,元日早々,激甚災害に指定された能登半島地震が発生しました。お亡くなりになった方々,未だに生死が判明しない方々,その他被災され避難所生活などでとても不自由な生活を余儀なくされている方々のことに思いを致せば,本当に胸が痛みます。政府も自治体も総力を挙げて最善の措置を講じていただきたいものです。
今日は1月17日ですが,平成7年1月17日に阪神淡路大震災が発生した頃のことをふと思い出しました。あれから29年もの年月が経過したのですね。この平成7年という年も自分にとってはいろいろなことがありました。
思い起こせば,この大震災が発生した頃,私は司法修習生であり,平成7年4月には弁護士登録をして弁護士一年生としてスタートしました。この年のカレンダーを見ますと,震災前日の1月16日(月)は振替休日になっており,東京の司法研修所で修習をしていた私は,13日(金)の夕方に新幹線で名古屋の自宅に帰り,この3連休を,カミさんや当時1歳半になる可愛い娘と一緒に過ごしたのです。月に1回程度しか名古屋に帰ることができなかったので,3連休をフルに一緒に過ごし,16日(月)の夕方の新幹線で東京に戻ったことを覚えています。自宅の玄関先でカミさんや可愛い娘とお別れする時はその都度寂しいなと思ったものです。
私が阪神淡路大震災の発生したことを初めて知ったのは,17日(火)の朝,司法研修所の教室で隣の席の女性から知らされた時でした。昼休みに寮に戻ってテレビのスイッチを入れてみますと,阪神淡路地方は火災や家屋の倒壊,高速道路の倒壊など本当に大変なことになっており,生々しい映像を見て大変ショックを受けました。
この年に受けたショックはそれだけではありません。4月からは弁護士としてバリバリ働かなくてはなりませんでしたので,3月の休み期間を利用するしかないと思い,私は3月中旬から虎の門病院に約10日間検査入院をしたことがありました。自分としては早く退院したいなと思ってやきもきしていたところ,同じ病室の初老の男性患者が新聞の夕刊か何かを見て,私に「地下鉄で大変なことになっていますよ。」と教えてくれたのです。3月20日に発生した地下鉄サリン事件のことでした。これはオウム真理教の信者が起こした神経ガスのサリンを使用した同時多発テロでした。この当時私も地下鉄をよく利用していたので,これにも大変ショックを受けました。
またこの年の秋口には,私は扁桃腺の除去術を受けるため,数日間入院したこともありました。
このように,平成7年という年は私が弁護士としてスタートした年でしたが,阪神淡路大震災,地下鉄サリン事件の発生,そして春と秋に二度にわたって入院するなど,激動の一年でした。あれからもう29年も経ったのですね。